テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
あいまいせんせい
放課後の職員室。静かな空気の中で、みことはパソコンの画面と向き合っていた。
ガラス越しに見える夕日が、彼の白い横顔を淡く照らしている。
🍵「せんせー、まだ帰んないの?」
突然、背後から聞こえた声に肩が跳ねる。
この声だけは、どれだけ聞いても慣れない。
👑「…すちくん、もうすぐ下校時間だよ?」
🍵「そんなの知ってるよ。」
言いながら、すちはみことの隣の椅子に腰を下ろした。
制服のネクタイを緩めて、無造作に笑うその顔は、どこまでも無邪気で、どこか危うい。
🍵「…俺は文化祭準備で忙しかったけど、せんせーは隣のクラスの女教師とずいぶん楽しそうだったね」
またそれか。
みことは小さくため息をつく。
束縛が激しいのはいつものことだった。
👑「…俺は教師だから、職務上、同僚とも話すよ。それに、君とは__」
🍵「“生徒と教師の関係だから”って、またそれ言うの?」
すちが言葉を遮る。
その目は笑っていない。ほんの少しだけ、哀しげな色を湛えている。
🍵「俺、わかってるよ? せんせーはマジメだし、バレたら困るし、線は越えたくないって思ってるのも。…」
「でも、俺だけが我慢してるみたいで、なんかズルいなぁ。」
👑「すちくん、…」
🍵「だって、せんせーは誰にでも優しいし。俺のこと、特別って思ってる? 本当に、俺だけ?」
その瞬間だった。
隣で響いた女子生徒の笑い声に、すちがふと目を細めた。
🍵「あーあ。あの子、今日もアイライン濃いね、俺が『似合ってる』って言ったから調子乗ってるなぁ、笑」
👑「…そういうの、やめなさい、」
みことの声は静かだった。
怒っているわけでも、責めているわけでもない。
ただ、淡々と、大人の目をしていた。
👑「たとえ冗談でも、相手の見た目を茶化すのはよくない。自分が可愛いって思ってるなら、否定する必要も、君がバカにする資格もないよ」
🍵「……」
👑「君が誰かに“その服ダサいね”って笑われたら、いい気はしないでしょ?」
正論だった。
きれいで、整ってて、正しい。
でも、その“正しさ”が、どうしようもなく痛かった。
すちは思わず、舌打ちしそうになるのを飲み込んだ。
🍵「……あー、うん。ごめん。」
そう言って目を逸らす。
でもその顔には、明らかに影が落ちていた。
👑「すちくん?」
「…無視しないで、言いたいことがあるなら言いなさい、」
🍵「…別にないよ、俺が悪かったんでしょ。女の子に優しい先生が正しいよ、」
👑「そういう言い方しないで。」
🍵「……どういう言い方なら、許されんの?」
すちの口調が少しだけ鋭くなる。
🍵「優しいねって言っただけなのに、“やめなよ”って言われて。冗談だよって言いたくても、“相手の気持ち考えて”って諭されて。」
「先生さ、俺には全然甘くないよね。」
👑「甘くないって、それは、君が特別だから」
🍵「違う。特別だったら、笑って“そんなこと言わないの”って軽く流してくれていいじゃん。」
👑「……」
🍵「俺が他の女の子のこと見てても、せんせーはずっと何も言わずに黙って『先生』してるよね」
すちの声が、震えていた。
🍵「……俺、そういう“優しさ”が一番嫌い。」
たった一言が、胸の奥を静かにえぐっていく。
理性を貫く大人と、それにすがる子供。
その境界線が、いま、濡れたまま揺れていた。
数分間の沈黙が続いた。鋭く刺さるような時間の連鎖。なんの生産性もない、刹那的な一瞬。
聞き慣れた閉校時間の放送がなる。
👑「…もう、帰りなさい」
🍵「…わかってる、」
ガキっぽい返事、自分でも嫌気が差す
それ以上の会話はなかった。
みことに背を向けたすちは、昇降口へ向かっていた。重たい空気を振り切るように、歩く速度は少しだけ早くなる。
そのとき、門のそばで手を振る女子生徒が目に入った。
モ「すちくん〜!一緒に帰ろっ!」
ああ、アイツだ。
すちは一瞬だけ立ち止まり、表情を戻す。
🍵「……うん、いいよ。」
笑顔を浮かべてその子に近づき、並んで歩き出す。
_____その様子を、みことは校舎の二階の窓から見下ろしていた。
無意識に、胸の奥がきゅうっと痛んだ。
でも、声をかける資格なんてなかった。
だって、自分があの子を“かばって”しまったせいで。
自分が“先生”という立場に逃げてしまったせいで。
それからの数日間。
二人の間には、妙な距離ができた。
季節は秋。
文化祭の準備で、学校は慌ただしさに包まれていた。
廊下を行き交う生徒たち。
カッターを持って看板を作る子、衣装を縫う子、台本を読み合わせる子──
みことも忙しく動き回っていた。
委員会の顧問としての仕事が山積みで、生徒と話す時間も多くなった。
……けれど、その中に、すちの姿はなかった。
いや、正確にはいた。
クラスの演劇に出演するすちは、舞台の端で台本を読んでいたり、友達と笑っていたりする。
でも、目が合わない。
すれ違っても、言葉は交わされない。
まるで、“あの日の会話”がなかったかのように。
それが、なによりも、苦しかった。
ある日の放課後、職員室に戻る途中、みことはふと立ち止まった。
空き教室から、演技の読み合わせの声が聞こえる。
🍵「ねぇ、なんで黙ってるの……俺のこと、好きじゃないの?」
聞き慣れた声。
すちの台詞だった。
まるで、あの日の自分に言っているみたいで、みことの足が止まる。
笑い声が混ざる。
周囲の女子が、「すっちーセリフうますぎない!?」「やばいまじほれる笑」とざわついていた。
ヒロイン役の子だけじゃない、他のキャラの子も、看板を作っている子も、衣装係の子も、みんなが、すちに圧倒される。
____自分だけが、取り残されていた。
“先生だから”
“立場があるから”
“まだ一線を越えてはいけないから”
そう思って、守ってきたのに。
それが、あの子をこんなに遠ざけてしまったのかもしれない。
教室のドアを開けたくても、開けられない。
話しかけたくても、何を言えばいいのか分からない。
そうして今日もまた、声をかけられないまま、すちの後ろ姿だけを見送っていた。
文化祭前日。
放課後の校舎には、慌ただしく準備する生徒たちの声が響いていた。
みことは印刷室でパンフレットを印刷した帰り、教室の前を通る。
ふと、少しだけ開いた扉の隙間から、中の様子が見えた。
中では、すちが舞台の衣装を着て、ヒロイン役の女の子と向かい合っていた。
脚本通り、恋人同士の別れのシーン。
モ「……最後に、キスしてもいい?」
ヒロイン役の子がそうセリフを言うと、すちが微かに笑った。
🍵「……バカ。泣くなよ。」
そして、彼女に近づいていく。
唇が、ゆっくりと触れるその瞬間。
みことの足が、硬直した。
目を逸らすことも、逃げることもできなかった。
すちと、女の子のキス。
その光景と、すちの目と____ばっちり、目が合ってしまった。
あ、って思った。
それと同時に、みことの手から印刷物が滑り落ちた。
ドサッと大きな音が、珍しく静かな教室前の廊下に響く。
🍵「せんせ……」
すちが名を呼ぶ。
驚いたように、心配そうに。
でもみことは、何も言わず、しゃがんで紙を拾い始めた。
モ「せんせーっ手伝うよ!」
キスをしていた女子生徒も、何もなかったように駆け寄る。
👑「ごめんね、っ大きい音出しちゃって…、練習の邪魔するつもりじゃなかったんだけどね、」
声は震えていなかった。
でも、手は少しだけ震えていた。
👑「もう大丈夫だよっ、ありがとう!練習がんばってね!」
そう言って笑うみことは、いつもの先生だった。
静かで、優しくて、穏やかで。
_____でも、すちの目は見なかった。
すちは、ただ固まっていた。
みことの横顔を見ていた。
それが、泣く寸前みたいな表情をしていたことに、気づいてしまったから。
その夜、みことは一人で布団の中にいた。
顔を枕に押し付けて、音を立てないように泣いていた。
「バカみたい…、」
立場を守るために、距離をとって。
“先生”でいるために、気持ちを押し込めて。
それなのに、たった一度の劇のキスで、心がこんなにもぐちゃぐちゃになるなんて。
👑「…俺のこと、好きじゃないの、?」
みことの胸の中で、すちの言葉が残響のように繰り返された。
👑「……どうして、そんなに好きになっちゃったんだろう……」
枕がじんわりと濡れていく。
苦しい。どうしようもなく、苦しい。
そして同じ夜。
すちは、自分の部屋のベッドに寝転がりながら天井を見つめていた。
_____先生、泣いてた。
でも、何も言ってくれなかった。
“やめて”って言わない。
“嫌だ”って言わない。
それはつまり、“何も思ってない”ってことなのか。
俺の気持ちなんて、もうとうに、終わってるのか。
🍵「……なんで、何も言わないの……」
子供じみた拗ねなのかもしれなかった。
けれど今は、拗ねてるだけじゃない。
もう、限界だった。
文化祭当日。
校庭には生徒や保護者の歓声が響き渡り、体育館の中は熱気に満ちていた。
すちは舞台の中央、主人公として完璧に振る舞っていた。
笑顔もセリフも、全て計算されつくした演技。
だが──心の片隅には、まだあの前日の出来事と、みことのあの切ない顔がこびりついて離れなかった。
そして、問題のキスシーンが近づく。
舞台袖の一番奥、端っこの方に、みことがひとりたたずんでいるのが見えた。
出席しなければならない担任の立場と、どうしても目をそらせない自分の気持ちの狭間で、みことは苦しんでいた。
その姿を見た瞬間、すちは胸が締めつけられた。
舞台の上から目をそらすことができなかったすちは、決心する。
そのキスシーンの直前、すちは舞台を飛び出した。
クラスメイトが止めようとしたが、すちは振り切って走り出す。
廊下の端で、みことの顔が見えた。
🍵「せんせ、っ」
👑「、!…、どうしてここにいるの、」
みことは、かすれた声で言った。
🍵「泣きそうな顔してたから、…」
まるで少女漫画のヒーローが言うようなセリフ。それでもくさくならないのは、あまりにも絵になる貴方が言うから。
けれど、ヒーローらしからぬ情けないセリフを、声を震わせながら、すちは言った。
🍵「せんせ、おれのことすき?」
👑「、っ…」
幼い子供が、自分の親に縋るような目線。
俺よりも大きな身長も、いい体格も、忘れてしまうくらい弱々しかった。
🍵「…せんせいは、演技でも俺が先生以外とキスしちゃってもいいの、?」
👑「…、」
わかってる。返すべき返事だって。
…でも、そんなのやだ。
👑「…やだ、」
それは確かに、ふたりの空間を紡ぐ一言だった。たった2文字が重かった。
そのたった2文字が、すちがずっと欲しかったものだったと同時に、みことがずっと言いたかったものだった。
みことは続けて言った。
👑「…おれだけみて、」
10月2日14時21分34秒。
慎ましく薄いピンクの閉ざされた唇の味を、強引に知った。