テラーノベル
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「──みんな、準備はいい?」私の問いかけに、ソウタ、アマネ、リコが静かに、けれど強く頷く。
前を見ると、静寂に包まれたホールの空気が肌を刺した。胸の奥が、壊れた時計のネジのように激しく跳ねている。
この一曲に、私は自分のすべてを乗せる。
ずっと言葉では言えなかった想い、偽らざる今の私のすべてを──お父様に。
これまでずっと、あなたの期待に応えられるような完璧な娘ではいられなかったかもしれない。あなたの望む未来のレールから外れてしまったかもしれない。
けれど、どうか……“私”という人間を諦めないでほしい。
この一音に、私の命の鼓動をすべて込める。
スティックが、カチ、カチ、と静かに時を刻む。
旋律が立ち上がる。
心の中でカウントを数えながら、私は弦へと指先を滑らせた。繊細な音の粒が空気を震わせ、ギターの切ない歪み、ベースの重低音、ドラムの確かな脈動と重なり合い、溶け合っていく。
視線の先、客席の中央に佇む父と──その隣で目を細める国王陛下。
厳格な仮面を貼り付けていた父の黄金色の瞳が、ほんの少しだけ息を呑むように見開かれるのが見えた。
(……聞いてください、お父様。私は、ここにいます。私の“音”を、私の生き方を、どうか──)
深く息を吸い込み、私は静かにマイクへと声を乗せた。
「……聞いてください。『夜明けを知らぬ空』」
何の意味もない。
音楽など、過酷な貴族社会を生き抜かねばならぬこの子の未来には、何一つ必要のない戯れに過ぎない。
ずっと、そう思っていたはずだった。
けれど──ステージの中心に立つ娘の姿を目にした瞬間、私は呼吸することすら忘れていた。
背筋をピンと伸ばし、凛とした佇まいで楽器に向き合うその姿は、私の知るリリーとはまるで別人のようだった。
そこには、私の顔色を伺うような怯えも、自信なさげな迷いも一切ない。
彼女は今、その全身全霊をもって、音の中に自己の魂を注ぎ込んでいた。
(これは……本当に、あのリリーなのか……?)
旋律が押し寄せるたび、一音一音が容赦なく胸の奥深くへと突き刺さる。
今まで厳しく育ててきた。そうするしか、この冷酷な世界でこの子を守る術はないと思っていたのだ。それが親としての責任であり、愛なのだと疑わなかった。
だが今、ステージから放たれる音が、圧倒的な熱量をもって私に語りかけてくる。
──私は、私として生きている。
──見て、これが私の心。私は……私のままで、ここに存在したい。
激しく心が揺さぶられる。たかが子供の音楽演奏のはずなのに。感情を殺してきたはずの私の胸が、痛いほどに打ち震えていた。あんな瞳を、あんな力強い表情を、私はいつから忘れていたのだろう。
心から誰かに何かを届けたいと願い、溢れ出る想いを解き放つ、娘の美しい眼差し。
気づいてしまった。認めたくはなかったが、あの子は真に音楽の魔力に魅了されてしまったのだと。本当の自分を見つけてしまった人間は、もう二度と過去の籠の中には戻れない。
最後の残響が溶けて消え、演奏が終わる。
静寂ののち、雷鳴のような拍手がホールに鳴り響いた。
隣に座る陛下が、意味深に口元を歪めて私を盗み見た。
「どうだ、アルベール。君の娘は」
……声が出なかった。喉の奥が引き攣り、言葉が何一つ紡げない。
知らなかった。
この子が、これほどまでに澄んだ、力強い音を持っていたことも。
その胸の奥底に、これほどまでにまっすぐな情熱を燃やしていたことも。
ずっと「見ようとしてこなかった」のは──娘ではなく、私の方だったのだ。今まで何を見てきたのだろうか。
拍手の中で一礼するその小さな背中が、眩しくて、直視できなかった。
「……ありがとうございました」
リリーの声とともにステージが幕を閉じた瞬間、ホールは一瞬の静寂に包まれ──次の瞬間、陛下をはじめとする側近や護衛たちから、割れんばかりの称賛の拍手が巻き起こった。
中には開いた口が塞がらないといった様子で、驚きと感動、そして困惑の混ざり合った表情を浮かべている者も多い。
「素晴らしかったよ! いやあ、実にいい。たまにはこういう、魂を揺さぶられるような音も悪くないな」
陛下はご満悦な様子でにこやかに笑うと、ふと私の顔を覗き込んできた。
「君はどうだったかね、アルベール? 娘の演奏は」
「……」
答えに詰まる。
言葉が、喉に引っかかって出てこない。
素晴らしかった──それは、紛れもない事実だ。
けれど、それを口にして認めてしまえば、自分がこれまで信じて培ってきた価値観のすべてが脆くも崩れ去ってしまう気がして、怖かった。
あの子の透き通った歌声。仲間たちが紡ぐ躍動的な音。
そこから伝わってきたのは、戯れなどではない、逃げ場のない“本気”だった。
なぜ自分は、もっと早くに娘の素顔を見てやれなかったのか。
公爵家の令嬢としての完璧な教養、完璧な礼儀作法、名家との良き縁談──
それこそが娘に与えられる唯一の幸せだと、疑うことすら知らなかった。
だがリリーは、私が用意した黄金の籠を跳ね除け、自らの足で荒野へ踏み出そうとしている。あのまっすぐな瞳が、「私はこの音楽と共に生きたい」と無言で叫んでいた。
「……陛下。少し、考えさせてください」
「あっ、おい! アルベール!」
背後から追ってくる陛下の制止を振り切り、私は足早にその場を辞した。
今はただ──誰の目もない場所で、一人になりたかった。
「おい! どこへ行くんだ、アルベール」
静かな庭園の回廊まで逃げてきた私の背中に、声が追いついた。
アルバート陛下──いや、親友としての彼がそこに立っていた。
周囲を見渡しても、護衛や側近の姿はない。私に配慮して、意図的に人払いをしたのだろう。
彼は国民すべてが跪く最高権力者であるが、私にとっては幼少期からの無二の親友でもあった。人目のない二人だけの場では、昔の口調に戻る。
「すまない……少し、気持ちの整理がつかなくてな」
私が力なく吐き捨てると、アルバートは心底呆れたように肩をすくめた。
「気持ちは分からんでもない。だがな、せめて一言くらい褒めてやってから席を立ったらどうだ? お前は頭も切れるし、義務感も強い。……だが、父親としては筋金入りの不器用だな」
「……分かっている」
自分でも痛いほど分かっているのだ。
私は最低な父親だ。
娘がどれほどの恐怖と覚悟を抱えてあのステージに立ったか、その想いを受け止めることもせず、ただ無言で立ち去るしかできなかった。
あの子は幼い頃から人前が苦手で、目立つのを極端に嫌う大人しい子だった。
その子が、己の恐怖を打ち破り、恥を忍んでまで自分の“好き”を貫こうとしたのだ。
それなのに私は、またしてもその手を取ろうとせず、背を向けた。
「……どうするのが、正解なんだろうな」
ぽつりと漏らした私の言葉に、アルバートは少しの間を置いてから、静かな声で言った。
「正解なんて俺には分からんよ。これは君たち親子の問題だ。……ただ、お前自身はどう感じたんだ? あの演奏を聴いて。俺には、お前がなぜそこまで頑なに音楽を拒絶するのかが分からない」
音楽が悪いわけではない。
娘の情熱を否定したいわけでもない。
ただ──恐ろしかったのだ。
この先の過酷な貴族社会において、音楽などという不確かなものが、本当に娘に“幸せ”をもたらすのか。
一時の若い熱病に浮かれているだけではないのか。
冷酷な現実の波に飲み込まれ、傷つくあの子を見たくない……そんな親としてのエゴが、拭い去れずにいた。
「お前は昔からそうだったよな。口下手で、感情を表に出すのが下手くそで……けれど、根は誰よりも優しい。自分の子供のことを誰よりも深く愛している。……それなのに、一番肝心な時に言葉を間違える」
親友の言葉は、ぐうの音も出ないほど正論だった。
リリーが私に心を開かないのは当然だ。私自身が、傷つくのを恐れて娘の心に深く踏み込もうとしなかったのだから。
「一度、正面から向き合ってみたらどうだ? 例の婚約の話だって、リリーが本当はどう望んでいるのか、ちゃんと膝を突き合わせて聞いたことがあるのか?」
アルバートは真剣な眼差しで私を射抜いた。
「立場や世間体から逃げるなよ、アルベール。父親としてじゃなくてもいい。一人の人間として──あの子の目を見て、ちゃんと話をしてみろ」
私は返す言葉もなく、ただ重い沈黙の中で立ち尽くすしかなかった。
その時だ。
私の返答を待っていたアルバートの表情が、ふっと険しいものへと変わった。
戯れ言を叩きつけるような先ほどまでの空気は霧散し、国王としての冷徹で鋭い眼光が、私の背後の空間へと向けられる。
「……それと、アルベール。一つだけ、ずっと気になっていたことがあるんだ」
突然の雰囲気の変化に、アルベールは思わず眉をひそめた。
コメント
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うわあ、すごかった……! リリーが自分のすべてを音に乗せて届ける決意と、それを受け止めた父・アルベールの心の揺れが、本当に丁寧に描かれていて胸が熱くなりました。特に「娘を見ようとしてこなかったのは自分だった」と気づく場面、ぐっときましたね。父親としての不器用な愛と向き合う覚悟、これからどうなるんだろう。あと陛下の最後の一言が不穏で気になります……! 続きが待ち遠しいです。
ruruha
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まぁ
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