テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「―― 天才などともてはやされたあの頃に、もう少し隠れて努力していたら、こんなことにはならなかったのかな」
薄目を開け、消え入りそうな声で囁いたロディアに反応し、ジルベ草のタバコを咥えていたブッフは、肺活量のまま思い切り息を吸い込み答えた。
「生きてたか。それにしても、よくぞこれだけ暴れたものだ。格上冒険者四名を相手に、Gランクの女一人で相手すると聞かされた時には耳を疑ったが」
ロディアの腹を椅子代わりに腰掛けたブッフは、「アンタも吸うかい?」と質問した。
無言で頷いたロディアの口元へタバコを押し当てると、残っていた微かな紙がジジジと焦げ、音を立てた。
「俺たちも鬼じゃあねぇ。差し出された女を、はいそうですかと殺したんじゃ仕方ねぇ。……何より、俺は感謝してるんだぜ、アンタたちによ」
ゴホッゴホッと咳き込むロディアに「特性ブレンドだ、効くだろ?」と笑い、ブッフは正面に座っていたピルロに目配せした。ピルロは少し躊躇してから、仕方なく同調し頷いた。
「確かにキミらのやり口に、私たちは心底苛ついた。しかしそれはそれ。私たち冒険者は、いかなる理由があろうと負けてはならない。それは即、死を意味するからです」
「しかしあの夜、俺たちは格下であるアンタらに負けた。ムメイのことは別にしても、俺たちは見事すぎるほど無様にしてやられたのさ。これがNDだったなら、今頃こうして話していることもなかっただろうぜ」
ピルロとブッフの言葉にキートも頷いた。
「どうせ拾った命だと思って、俺たちは一から自分自身を鍛え直したよ。もう無様な敗北は沢山だからな。そこへきて今回の提案だ。わざわざリベンジの機会を与えられたとなっちゃあ、乗らない選択肢はない。確実に罠だろうと勘ぐったが、だとしても正面から跳ね返せるほど圧倒的な力を見せてやろうと思ったのさ」
三人が頷く。
最後にずっと黙っていたムブが、盾を地面に突き立てながら付け足した。
「俺はお前らと違い負けちゃいないけどな。俺がやられたのはムメイで、ここの奴らじゃない。今回はムメイの野郎にリベンジできると思ったが、それはまた別の機会にとっておく」
『オイッ!』と同時に三人がツッコんだ。
どこかスッキリしたように見えるブッフ、ピルロ、キート、ムブの四人は、力なく横たわるロディアを見つめた。
「キミらのことだ、まさかこんな茶番が目的だったわけではあるまい?」
どうもこうも、《全員倒してスキルを盗む》のが目的と言えるはずもなく、ロディアは上を向いたまま首を横に振った。
天を仰いだピルロは、ならばもう留まる意味はないと立ち上がった。
「好きにしていいとは言われたが、俺たちにも体裁ってものがある。格下の、それもたった一人の女を袋にした挙げ句、好き勝手輪姦したなんて噂でも立てられてみろ、おまんまの食い上げだ。悪いが、これで失礼するよ」
腹の上から立ち上がったブッフは、パンパンと尻を払い、「じゃあな」と言った。
やられ放題やられてしまったロディアは、不甲斐なさから、右の拳をドンと地面に叩きつけた。
私は一体何をしているんだ。
自分自身を高めることなく、正面からぶつかり、何事もなく敗れ去った。
あまつさえ戦闘の中で気を失い、過去の夢などみている始末。
思い出したくもない記憶の彼方で悶え苦しむ彼女自身の姿は、酷く愚かで、くすんで見えた。
「……変わってない。このまま退いたら、私はきっと、永遠に無様な私のままだ」
誰にも聞き取れないロディアの呟きに気付き、ブッフが振り向いた。
倒れて動けないロディアの様子に気のせいかと眉をひそめ、小さく手を振った。
「変わらない、じゃない。私はずっと、”何もしなかった“んだだ……」
再び何かを口にする異変を察知し足を止めたブッフは、他の三人を待たせたまま、ロディアの頭上に立った。
「まだ何か言いたいことでも?」
目を瞑り、左の目尻から涙を流すロディアは、薄っすら目を開け、男を見つめた。
もしあの頃の、なんの柵もない自分だったなら。
こんな時、果たしてどうしただろうか。
ただ無邪気に、考えることなく自我を解放できたなら――
そんなことは、もうわかっていた。
目の前を漂うモヤモヤを、自分自身の力で振り払ったに決まっている。
家柄も、父も、母も、兄も、ダンジョンも、仕事も、任務も関係ない。
ただ自由に、思うままにできると信じた昔の彼女自身は、まだ確実に、ロディアの腹の底で息を潜めていた。
「アナタたちの中にも……、悪魔は住んでいますか?」
ロディアの言葉に、ブッフの動きが止まった。
手にしたタバコの灰がぽろりと地面に落ち、ロディアの唇が微かに動いた。
『 野獣 』
ようやく聞き取った言葉をオウム返ししたブッフの足に激痛が走る。
視線を落とすと、自らの足元から夥しいほどの血が吹き出し、瞬間的に危険を察知したブッフは、逆の足で踏み切り、ロディアと距離を取っていた。
「つぅっ、このクソ、何しやがった?!」
太腿の肉がごっそりえぐり取られ、血を吹く足を押さえたブッフは、動く力すら残っていないはずのロディアを見下ろした。
瞬間的にゆらりと立ち上がったロディアは、フゥフゥと熱り立つモンスターのように肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返していた。
「おいおい、こりゃあ一体どういうことだ」
冷や汗混じりのブッフの元へ三人が歩み寄った。
恐ろしいプレッシャーを放つたった一人の女は、顔を伏せたまま長い黒髪を不規則になびかせた。
その様はホラー映画の登場人物のようで、漠然とした怪しさを撒き散らしているようだった。
「もう限界で倒れていたんじゃなかったのか?」
キートの疑問に答えることなく、左右に大きく揺れたロディアは、優雅さを放棄し不気味さを携えながら、それなのに静謐さを思わせるほど、静かに立ち尽くしていた。
ブッフ以外の三人がゴクリと息を飲んだコンマ数秒後、動きを止めたロディアは、ほんの数センチごと、ゆっくりと顔を上げていった。
四人が正面から見たロディアの顔は、これまであった美しさが露と消えた、漆黒に塗れた化物のようになっていた。
「一体なにが ――」
ピルロが喋りかけたところで、四人の目の前からロディアが姿を消した。
唯一目で追っていたムブが、「上だ!」と声を荒げた。
ロディアの動きは、当然四人を困惑させた。
魔法を駆使し戦ったこれまでの姿から、明らかに一線を画す反応速度。
頭で構成し、一つ一つ緻密に行動したロディアの姿は、理詰め、かつ洗練されたものだった。しかし目の前に浮かび上がった黒目の”悪魔”は、怪しげな笑みを浮かべたまま、鈍く強かに輝く鋭利な爪を立て、腕をクロスさせていた。
一瞬先に盾を突き立てたムブは、四人を覆う光の壁を作り出した。
勢いのまま盾へと落下したロディアは、クロスした腕をバァっと開き、爪にまとわせた魔力を最大限に高めながら、光の壁をまるで紙切れのように引き裂いた。
「なん……だと?!」
しかしムブも負けていない。
さらに分厚い壁を一瞬で作り出し攻撃を遮断すると、ロディアは壁を蹴り宙を舞った。
その隙に体勢を立て倒したピルロ、キートの二人は、ブッフを背後に隠しながら武器を構えた。
「狂戦士化か。顔に似合わずえげつないスキルを持ってたもんだぜ。しかし、その程度で俺たちに勝てるかな?」
ひとり距離をとったキートは、背中から取り出した弓を引き絞り、空中のロディア目掛け範囲を発動した。空中ならば身動きが取れないだろうと目を細め、連射で弓を連射した。
「もう手加減はなしだ。穴だらけになるがいい!」
狙い撃ちしたキートの矢がロディアを強襲する。
しかし冷静に攻撃を見極めたロディアは、空中に薄い氷の壁を作り、それを足場にして鋭角に飛び回り、既のところで攻撃を躱していく。
「バカな。なぜその状態で魔法が使える?!」
急接近したロディアに矢を連射したキートは、バックステップで距離を取りながら新たな矢を充填した。その間にも一気に踏み込んだロディアは、不気味な微笑み浮かべたまま足の回転速度を上げ、恐ろしい速度でキートに迫った。
弓を構えるキートの目前で高々と舞い上がり、ロディアは悪魔のような奇声を上げながら、分身で自らの身体を二つに別け、矢を向ける男の左右から強化した20本の爪を振り下ろした。
玉砕覚悟で片側にしぼり至近距離から射ったキートの攻撃が直撃し、分身で作られた偽物のロディアが薄れて消えた。その隙に潜り込んだ本体は、巨大な水掻きのように広がった十本の指でキートの脇腹の肉を抉り取った。
「ウグぁっ! バ、狂戦士状態を制御しているだと。そんな芸当、なぜGランクの冒険者風情が」
両の手を地面につけて縦回転したロディアは、そのまま空中の壁を蹴り、ドリルのようにキートへ突っ込んだ。しかし寸前で巨大な盾を構えたムブが割って入り、爪を弾き返した。
「ウグッ、油断した。大丈夫かブッフ」
「人の心配してる場合か。てめぇこそ完全に横腹やられやがって!」
散らばった血痕を眺めながら、爪に滴る血を嫌らしく舐め取ったロディアは、黒く吸い込まれそうな目鼻口をこれでもかと開き、仰け反りながらヒャッヒャッと叫んだ。
ロディアの風貌は、次第に闇に飲み込まれ黒く不気味なものへと変貌し、まるで面影のない別のイキモノへと変わっていた。
その姿は、まるで漆黒に染まった烏が乗り移ったかのようだった。
「自分がわからない。……いいえ、そうじゃない。私はずっと知っていた。自分の進むべき道を」
毛羽立ち、風に揺れる髪が鳥の羽根のようになびき、ロディアの身体を何倍にも大きく見せた。
不用意に、ただ真正面を向いたまま、恐ろしく鋭利な爪を天へと掲げた女は、感情もないブラックホールのような瞳で四人を見つめていた。
「ちっ、だから最悪のケースだけは想定しておこうと言ったじゃないか。なぁブッフにキートにムブ。……まさか僕ら死んだりしないだろうね?」
苦笑いを浮かべ、ピルロが額から一筋の汗を流した。
余裕が消えた三人は、解放した魔力を携えながら、初めて本気で身構えた。
「嫌な予感はしてたんだ。もう一度ここへくる話になった時によ」
ブッフの嘆きが地下の空間に響いた――