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仁太は思う。玲の気持ちが兄に向いていることはとても辛い。
だが、それを責めるのはお門違いだし、玲に罪はない。何より、玲には幸せでいてほしい。
ならば、いつまでも落ち込んでいてはいけない。いや、そう簡単に立ち直れるものではないが、せめて玲の前では暗い顔をするのはやめよう。
苦しくても、なるべく今まで通りに過ごすのだ。
仁太は、残りのエビピラフを無理やりかき込んだ。
ウィークデーは、父と兄は遅くまで仕事で、唯一顔を合わせるのは朝食の席だ。内心、仁太は複雑な気持ちだったが、特に兄と玲の間に何かを匂わせるようなものはなかった。
だが、休日の朝、いつもより遅い朝食の後で、それは起こった。
いつものように、仁太が空いた食器をシンクに運んでいると、キッチンを出て行く兄を追うようにして、玲も足早に出て行ってしまった。
胸がちくりと痛む。いや、ちくりどころではないが、仕方がないので自室に戻る。
好きな人とは、一分でも一秒でも一緒にいたいと思う気持ちは、仁太にもよくわかる。
ベッドにあお向けに横たわり、じっと天井を見つめる。今の自分に、それ以外にできることなど思いつかない。
玲はなかなか戻って来ない。
このまま眠ってしまいたい。なんなら一生目覚めたくない。
そう思って目を閉じていると、廊下から玲の声がした。
「仁太くん、ちょっといい?」
立って行って障子を開けると、玲が硬い表情で言った。
「あの、お兄さんが、部屋に来てほしいって」
「え?」
兄が自分に、いったいなんの用があるのだ。まさか、交際宣言をされるわけじゃないだろうな。
「わかったよ」
仁太は、不安そうに見つめる玲にそう言い、部屋を出て、一人兄のもとへ向かった。
「兄ちゃん」
廊下から声をかけると、中から兄が言った。
「おう、入れよ」
おずおずと障子を開けると、年代物の座卓の前で胡坐をかいた兄が、にっと笑って向かい側を指す。
「まぁ座れよ」
兄の背後の床の間には、ビジネス書が詰まった本棚が置かれている。
座布団の上に膝を抱えて腰を下ろすと、兄が言った。
「最近どうだ」
「どうって……」
答えようのない質問をされても困る。
「仁太とは、しばらくまともに話してないもんな」
「うん」
年が離れているので、もともと、あまり話すこともなかったが、兄は社会人になってからは、いつも仕事が忙しく、余計に話さなくなった。
兄は、穏やかな表情で言う。
「だから、たまにはゆっくり話したいと思って」
「ふぅん」
そう言われても、何を話していいかわからないので、仁太はとりあえず座卓の木目を見つめる。すると、兄が咳払いをして言った。
「玲くんが心配してるぞ」
「え?」
「最近、仁太の元気がないけど、理由がわからないって」
自分では、がんばっていつも通りにしているつもりだけれど、やはりおかしかったのだろうか。だが、その原因を知られることだけは絶対に嫌だ。
「僕なら元気だけど」
「……そうか?」
兄が、疑わしそうに顔を覗き込んで来る。仁太は、思わず顔をそらす。
「元気に決まってるじゃないか」
「この前、俺が頭痛で早く帰って来た日があっただろう?」
「うん」
「玲くんが、部屋に薬を持って来てくれて」
「……うん」
いったい何を話し出すつもりなのか。できれば聞きたくないのだが。
ここのところ、と言っても、仕事はいつも忙しいのだが、疲れが溜まっていたせいか、昼過ぎから頭痛がし始め、時間が経つにつれてだんだん本格的になって来た。
本来ならば、今日も接待のため、父に同行するはずだったのだが、うっかり父の前で頭痛のことを口に出すと、今日は定時で帰っていいと言われた。
社長の息子だからと言われるのが嫌で、いつも自分なりにがんばっているつもりなのだが、今日ばかりは甘えさせてもらうことにした。
精力的に働き、疲れを見せない父に対して、若い自分がこんなことでは情けないと思うものの、無理をして、これ以上体調を崩しては洒落にならない。
家に帰ると、姉と弟の仁太と、少し前から同居している玲が夕飯を食べているところだった。食事を断り、横になって休むために自室に行く。
スーツのジャケットを脱いでいると、廊下で声がした。
「お兄さん、玲です」
何か用事だろうか。
「どうぞ」
ネクタイを緩めながら障子を開けると、玲が鎮痛剤とミネラルウォーターのペットボトルを持って立っていた。
「お姉さんがこれを」
そう言って差し出す。
「ありがとう」
玲は仁太のクラスメイトで、辛い境遇で育ったと聞いたが、素直でとてもいい子だ。仁太とも気が合うようで、仲良くしている。
持って来たものを手渡し、立ち去ろうとする玲に言った。
「よかったら、少し話して行かない?」
「え?」
戸惑ったように見上げる玲。
「玲くんがうちに来てからずいぶん経つけど、ちゃんと話したことってないだろ? 」
「はぁ」
「俺はいつも仕事が忙しくてあんまり家にいないし、いい機会だからさ」
「頭痛は大丈夫ですか?」
「うん。我慢できないほどじゃない。薬を飲めばそのうち治まるよ」