テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
重厚な木の門をくぐると、手入れの行き届いた日本庭園が広がる。街の喧騒が嘘のように遠ざかり、そこだけ時間が止まっているかのような静寂に包まれていた。
屋敷の玄関には、何人もの組の人間が並んで元貴の帰りを待っていた。皆、背筋を伸ばし、一様に黒いスーツを身につけている。
元貴がその前を通り過ぎると、彼らは一斉に深々と頭を下げた。
「若頭、お帰りなさいませ」
厳かな声が響き渡る中、彼らの視線は、元貴のすぐ後ろに立つ滉斗へと向けられた。突然現れた見慣れない一般人の存在に、彼らの顔には一様に戸惑いと、警戒の色が浮かんでいる。
「若頭、こちらは…?」
元貴の側近を務めると思われる、眉間に深い皺を刻んだ男が、控えめながらも探るような声で尋ねた。他の者たちも、固唾を飲んでその答えを待っている。
しかし元貴は彼らの問いには答えず、ただ静かに視線を向けただけだった。その一瞥だけで、組員たちはそれ以上何も言えず、黙って道を開けた。
元貴の、言葉はなくとも人を従わせる圧倒的な『格』が、その場に満ちている。
「手当ての道具、用意して」
元貴はそう指示すると、組員の一人が素早く「かしこまりました」と応じ、奥へと消えていった。
組の中では、外傷の手当に使う道具一式を「手入れ箱」と呼ぶことが多い。それは、怪我をした組員のために常に用意されているもの。
元貴はそっと滉斗の手を取り、屋敷の奥へと案内する。長い廊下を抜け、いくつかの襖を通り過ぎた先に、元貴の私室があった。
元貴の部屋は飾り気はないものの、どこか洗練された和の空間だった。畳の匂いが心地よく、壁には控えめな水墨画が飾られている。先ほどの組の厳かな雰囲気とは打って変わって、静かで落ち着いた空気が流れていた。
程なくして、組員が持ってきた手入れ箱が部屋の隅に置かれた。元貴は、滉斗を座布団に座らせると、自分もその向かいに腰を下ろした。
手際よく箱を開け、中から消毒液やガーゼ、絆創膏などを取り出す。
「ごめんね。あいつらが、酷くしちゃったみたいで」
元貴は、そう言いながら、滉斗の頬の傷を消毒液でそっと拭いた。ひんやりとした感触と、消毒液の染みる痛みに、滉斗は思わず小さく息を呑む。
元貴は、そんな滉斗の反応に気づき、更にゆっくりと手を動かした。
「…痛い?」
「い、いえ…」
滉斗は、元貴の優しすぎる手つきに、困惑しながらも正直に答えた。ヤクザだと思っていた男が、こんなにも丁寧で、そして申し訳なさそうにしている。そのギャップに、滉斗の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
「…あの…」
滉斗は、意を決して元貴に問いかけた。
「どうして…そこまで、してくれるんですか…? あなた、ヤクザ…ですよね?」
元貴は、滉斗の言葉に、フッと優しい笑みを浮かべた。その笑みは、まるで全てを見透かしているかのように穏やかだった。
「僕がヤクザなのは、まあ、そうだよ」
元貴は、あっさりと自分の立場を認めると、ガーゼで傷口を覆い、テープでしっかりと固定した。その手つきは、どこか慣れているようにも見える。
「どうしてって言われてもね…見て見ぬ振りはできない性分なんだ」
そこで一度、元貴は滉斗の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、深い色と、何かをからかうような光が宿っているように見えた。
*
「それに……君のこと、気に入ったから?」
*
冗談なのか、本気なのか、判別できないトーンで元貴が告げたその言葉に、滉斗は「え?」と小さく声を漏らした。頭が真っ白になる。顔の熱がさらに上がるのを感じた。
元貴はそんな滉斗の反応を面白がるように、口元に微かな笑みを浮かべたまま、滉斗の腹部に手を伸ばした。シャツを少し捲り、青紫色に変色し始めたそこを、痛くないようにそっと指先でなぞる。
シャツが捲られ、肌が露わになったことに、滉斗はドッと全身が熱くなるのを感じる。恥ずかしさと、目の前の男に身体を触れられているという状況に、どうしようもない気まずさが込み上げる。
「い、いえ、大丈夫です…多分、打ち身なので…」
滉斗は、動揺を隠しきれないまま、しどろもどろに答えた。
滉斗の言葉は無視して、元貴は手際よく腹部の打ち身に湿布を貼ってくれる。ひんやりとした湿布の感触に、少しだけ痛みが和らぐ。手当を終えると、元貴はふと顔を上げた。
「これで、とりあえずは大丈夫かな」
元貴は、にこやかに微笑んだ。その笑みに、滉斗は警戒を解きそうになるが、ふと冷静になった頭で考える。
(本当に、ただそれだけなのか…? ヤクザなのに、こんなに良くしてくれるなんて…)
元貴の優しすぎる対応は、かえって滉斗に違和感と、そして得体の知れない不安を抱かせた。
(まさか、何か…利用される、とか…?)
酒はすっかり醒めてしまった。恐怖と、僅かな期待と、そして理解できない感情が、滉斗の胸の中で回る。
コメント
3件
描写がリアルで美しくて‥続きが気になり過ぎます‥
え、さいこうです、、
やばい早く続き見たすぎる