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いちごみるくもち
66
———あなた様の幸せを、心より願っております。
ひゅ〜どろどろ/栗山夕璃
ここはポケモンの世界。とある温泉旅行ツアーでの出来事。
——ピロン♪
静かな夜に、一つ通知音が鳴った。
手元のタブレット端末を見て、今回のお客様を確認する。
『橘陽菜 性別:無性 悩み:現実忘れて夢みたいな非日常に閉じこもっていたい』
成程、素晴らしい客が来てくれた。こういう子は引きずり込みやすい。
ネクタイを締め直し、鏡の前で微笑みを作る。鏡の中にいる僕はごく自然に笑っている。
一つ深呼吸をし、横で控えるゾロアークとミミッキュに声を掛けた。
「ゾロアーク、ミミッキュ。 準備出来た?」
『完璧です』『早く行こう』
「相変わらず優秀で助かるよ。 じゃあ、行こうか」
二匹をダークボールから出し、扉を開けようとした所で、ドアノブ近くに浮くヤバチャに気づく。
『忘れ物してますよ』
言われて振り向き、帽子を被っていなかった事に気づいた。
帽子を手に取り、ヤバチャに微笑む。
「いつもありがとうね」
そう言うと、嬉しそうにチリンと音を立ててくれた。いつも周りを観察していてくれるから、とても助かっている。
ヤバチャはボールに収め、もう一度忘れ物がないか確認し、今度こそ扉を開ける。
家の外は昼過ぎ頃の澄み切った青空で、その汚さに吐き気がした。
美しいのは赤黒く染まった空だというのに、何故現実世界に近い空は昼間に青いのだろう。
ぬいぐるみのように佇むミミッキュを抱きながら現実行きのバスへ乗り込み、運転席に座るゾロアークに出発許可の合図を出す。
『では、出発いたします』
綺麗な人間の女性にイリュージョンしたヒスイゾロアークからアナウンスが入り、異界発のバスは静かに動き出した。
外に見える景色はみるみる変わり、空は鮮やかな青になっていく。
…もうそろそろ狭間の世界から現実に抜ける頃かな。
「ゾロアー…、…ソラさん?」
運転席の後ろからゾロアークに声を掛ける。
『どうされました?』
「ゾロアの時からずっと言ってるから分かってると思うけど、ここの法定速度は普通道路で時速60㎞、高速道路で時速100㎞ね?」
『あぁ、大丈夫です。こっちの脆い人間は車にぶつかると死ぬんでしたよね?』
「そうそう、よく覚えてたね。それ以上出すとボロい組織に捕まってつまんない事になるから、そこだけ注意ねー」
『承知しました』
「あいつら組織としてはボロいのに捕まえるのだけは上手だからウザいんだよなぁー…」
『…前も似たような事言ってましたね』
ゾロアークがバックミラー越しに微笑むのが見えると同時に、バスは法定速度きっかりに減速した。
暫く走り続ければ、すぐに目的地へ辿り着く。バスを降りて、ミミッキュと歩き出した。
確かこの家だった気がする。インターホンを押す。すぐにドアは開き、若い人間が顔を出した。
背は高めで、顔は写真通り整っている。綺麗だな、というのが第一印象だった。
くっきり見える隈と傷んだ長髪が無ければ更に綺麗だったのだろうか。
彼女は俯いて黙り込んだままだったので、こちらから話しかける事にした。こういう『私は今すぐ死にたいです』みたいな雰囲気を纏った人間は結構いるので今更驚いたりはしない。
「初めまして。温泉旅行ツアーに申し込んでくださった、橘陽菜様ですね?」
「…はい」
「お待ちしておりました、橘様。外でも歩けそうですか?」
橘は小さく頷き、ふらふらとした足取りで僕の横をついて来た。
家の真横に停めたバスへ合図を出す。プシュー、と現実の重たい空気を弾くように、バスの乗降口が開いた。
「…橘様、バス酔いは?」
「バス酔い…はい、ほんの少しですが…」
「承知しました。では、こちらの席へ」
バス内で運転席に一番近い席を選び、そこへ橘を座らせる。
僕もその隣に座ると、すぐに機内サービスのように後ろからヤバソチャが近づいて来る。
「こちら、良ければどうぞ。ヤバソチャからの『おもてなし』です」
一方のカップを橘へ渡し、もう一方は自分が受け取った。
僕の茶は黒に近い紫、彼女の茶は深緑に染まっている。普通の人間なら明らかに異常な色だと気づくはずだが、当然日頃から疲労が溜まっていた彼女は気付かずに茶を一口飲んだ。
「…あ……美味しい、です。久しぶりに味を感じられました…」
「そうですか、良かった。気に入っていただけたのなら幸いです」
折角だし、僕も飲もう。…あー!!!これやっぱ毒の入り具合最高!!!!!
橘の不安げな顔色が和らいだのを見ると、僕は席から立ち上がった。
「…改めまして、我が社の温泉旅行ツアーに来て下さりありがとうございます。今回ツアーガイドを務めさせて頂く舞火奏と申します」
席に座っている橘に向けて微笑み、恭しくお辞儀をした。
小さく彼女が頭を下げるのを見て、運転席に座りハンドルを操作するフリをするゾロアークの横に並ぶ。
「こちらは運転手兼旅館オーナー、ソラです」
『…どうも』
ゾロアークがミラーサイド越しに小さく会釈をするのが見える。
しかし、ミラーにはっきりと映る姿は生気のない顔をした橘だけで、ゾロアークや僕やバスは半透明だった。
…まぁ、このバス内での現実世界の存在なんて橘だけだ。その他全部が半透明なのも仕方ない。このバスでさえも僕達が住む異界で作られたバスだ。乗降口が滑らかに開くのも、エンジン音がやけに静かなのも、バスが全然振動しないのも、全部『異界バスだから』で説明がつ——
「…静かですね、とても」
…ジャストタイミングすぎないか?橘の口から自然に零れ出たらしい言葉に少し驚きながら、僕は半分条件反射で嘘をついた。
「えぇ、そうですね。このバスに使われているのは世界的に見ても凄い技術らしく、だからこんなに静音だし振動も無いんです。…詳しい事は聞いてないので、僕にもよく分かりませんがね」
微笑んでそう言うと、橘は納得した様子だった。
「……あ、そろそろ旅館に着きますね。…では橘様、行きましょうか」
僕はミミッキュを抱いたまま、橘に声を掛けて席を立つ。彼女は忘れ物を確認する為に座席を見たが、50人は入れる大型バスに乗客が一人だけという状況の異常性には気づいていない様子だった。
続く
おまけ:ツアーガイド舞火奏は大体こんな感じの見た目だよって絵
筆者あとがき
ここの舞火は『ゴーストタイプ』なので、橘のような普通の人間を少し見下しているという設定もあったりします。
ちなみに橘は『かくとうタイプ』です。さて、ここで皆様に問題です。
ゴーストタイプのポケモンに対するかくとう技のタイプ相性は……
…まぁ、どっかの話で入れる予定です。
コメント
5件
第2話、読ませてもらいました! 冒頭から引き込まれました…。なによりも、舞火が橘さんに毒入り紅茶を「おもてなし」として差し出す場面の陰険さと優し気な口調のギャップがたまらなく良かったです。 「相変わらず優秀で助かるよ」ってゾロアークやミミッキュと自然にやりとりしてるところも、この世界の空気感がすごく伝わってきました。 あとがきのタイプ相性の伏線も気になります!ゴーストとかくとう…うわ、これは続きが待ち遠しい…!