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【Loneliness】
「元貴、起きてる?」
滉人の声に、元貴はまったく反応しなかった。
まばたきのない目で、ただ病室の窓の外を見つめている。
広がる青空。雲の形が少しずつ変わっていく。
その動きすら、彼の目には映っていないのかもしれない。
点滴のチューブが無言の命綱のように腕に伸び、食事も喉を通らず、今は栄養をすべてそこから補っていた。
夜になれば、声にならない悲鳴をあげて魘される。
過呼吸に陥って、ナースコールが響く。
マネージャーも、スタッフも、滉人ですら、
彼の手から滑り落ちていく“何か”を、止めることができなかった。
⸻
「少しだけ、試してもいいですか?」
「……音楽だけは、やめてください」
滉人の声は硬く、震えていた。
だが、マネージャーは言った。
「このまま何もしなければ、きっと彼は……もう、帰ってこれなくなる気がするんです」
「だからって、あんな状態で――!」
「彼を苦しめようってわけじゃない。
ただ、たとえ一瞬でも、“心”が動くなら……」
悩んだ末、滉人は頷いた。
「……わかった。けど、何かあったらすぐ止めて。俺が止める」
⸻
静寂を破る、旋律
その日は静かだった。
雲ひとつない空。少しだけ風の音が聞こえる。
テレビも消され、病室はただ時が過ぎていくようだった。
マネージャーは、スマートスピーカーの操作パネルにそっと手を伸ばした。
音量は小さく。
けれど、確かに――
流れ始めたのは、元貴がかつて書いた、とあるアルバム曲。
冒頭のピアノが鳴った瞬間だった。
ベッドで天井を見ていた元貴の目が――ゆっくりと見開かれた。
呼吸が変わる。
喉が、空気を求めるように開閉を始める。
体が、小さく震えた。
「元貴……?」
滉人が声をかけた瞬間、
――ビッ!
針が腕から外れ、点滴が外れた。
そのまま、元貴は激しく体をのけ反らせ、布団をはね飛ばす。
「だめ!やめろ…!」
声は出ない。だが、唇がそう動いていた。
「看護師さん!」「ドクター呼んで!」
マネージャーが叫ぶ。
滉人も駆け寄る。
看護師が駆けつけ、医師が入ってきて止めようとする。
「離してください!」
滉人はその手を振り払った。
そして、叫んだ。
「元貴!元貴っ!」
腕の中で暴れ続ける身体を、しっかりと抱きしめる。
針の抜けた腕から血が滲む。
だが、滉人は離さなかった。
「俺を見ろ!ここにいる、俺がいる!お前を、ひとりになんかしないっ!」
「なにがあっても――お前を見捨てない!音楽も、お前も、全部ひっくるめて!好きなんだよ、俺は!」
言葉が重なった瞬間だった。
元貴の体が、ピタリと止まった。
滉人の胸の中で、動きがなくなり、
そろりと顔を上げた。
そして――
その目が、滉人を、捉えた。
真っ赤に充血したその瞳が、焦点を結ぶ。
しばらく、ただじっと見つめていた。
次の瞬間、かすかに――ほんのかすかに、
その目が、細められた。
微かに、唇が、上がる。
それは、確かに――“笑った”のだった。
呼吸が詰まる音が、看護師たちの中から漏れた。
マネージャーは、目を押さえた。
医師が、ほんのわずかに眉を上げた。
そして、滉人だけが、泣きながら笑った。
「……おかえり、元貴」
その言葉に、元貴の目からも、ひと粒、涙が落ちた。
声にならない、ありがとうが、そこにあった。