朝食後、白いテントの中に集まっていたのは、今日の昼勤チーム以外の隊長と副隊長、そして、それぞれのチームの後方支援のリーダーだ。
いつもなら、夜勤明けは会議に参加しなくても良いのだが、最近、魔物の動きが激しくなっているものだから、夜勤組のエルたちの意見も聞きたいと言われて参加していた。
「……ぐぅ」
隣で変な声が聞こえてきたので目を向けると、真っ黒な物体が視界に飛び込んできた。
「ちょっと、エル、起きて」
すぐにその黒いものが何だかわかった私は、下を向いて眠りこけているエルに小声で話しかけた。
「んが……」
返ってきたのは小さないびき、もしくは寝息だった。魔物が活発に動くのは夜だけれど、夜行性ではない魔物もいるため、昼勤と夜勤の二交代制になっている。
エルの部隊は夜勤組なので、いつもはこの時間なら眠りについている。
だから、眠いのはわかる。
わかるけど、幹部会議で眠るのはやめてほしい。
こんな緊張感のある会議で眠っているのはエルだけなんじゃないの?
そう思って周りを見回すと、そうでもなかった。
エルと共に夜勤だった他のチームの隊長も、腕を組んで船を漕いでいる。
瞼に目を書いて顔を上げさせたら、二人共、起きているように見えるかしら
相談しようと思って後ろにいる副隊長を見ると、真剣な表情で話を聞いていた。
今、そんな話をしたら怒られそうね。
諦めて、私は前を向いて話に集中する。
私はエルの隊の後方支援のリーダーだ。エルが眠っているのなら、私がしっかり話を聞いておかないと駄目だわ。
エルが意見を求められたら、すぐに答えられるようにしないと。
黒板に司令官補佐が戦略を書いていくので、それをノートに書き写していく。
後方支援のメンバーは一人を除いて、私と同じようにノートにペンを走らせ、騎兵隊の隊長たちは頭に叩き込むかのように黒板を見つめていた。
すると、司令官補佐が手を止めて、こちらに顔を向けた。
やばいわ。
「ちょっと、エル、起きて」
エルを肘でつつくと「んあ」という間抜けな声と共に垂れていた頭を上げた。
「ああ、いいんだ。昨日は大変だったみたいだから寝かせてやってくれ」
司令官補佐の視線がこちらに向けられたのを見て、これは駄目だと思ったが、司令官補佐は苦笑してそう言った。司令官も騎兵隊を統括する団長も口元を緩めているから、お咎めなしらしい。
「……ごめん。団長はどんな顔してる?」
目をこすりながら聞いてくるエルに小声で答える。
「目をこすっちゃ駄目よ。目に傷がついたらどうするの。団長は怒ってないし、司令官補佐が寝てて良いと言ってくれたから寝てて良いわ」
「んー」
長テーブルに肘をつき、エルは私に話しかけてくる。
「俺、どれくらい寝てた?」
「私が気がついたのはさっき。エル、悪いけど、私は話を聞かなくちゃいけないから集中させてくれない?」
「……フェインが聞いてるだろ」
「フェインもあなたの斜め後ろで夢の中よ」
フェインというのはエルのチームの後方支援の副リーダーで、私の同僚だ。
夜は彼が率先して担当してくれるから、仮眠中の私が起こされたことはほとんどない。
「まあ、夜中ずっと起きてるもんな」
「交代するから起こしてって言ってるのに起こしてくれないのよ」
フェインのフォローをすると、エルはふわぁと大きなあくびをする。
「本当に大変な時こそ、アイミーに頑張ってもらわないといけないから起こさないんだろ。フェインを責めるなよ。大体、アイミーは俺たちが寝ている昼の間は動き回ってるんだから気にしなくていい」
「フェインのことは責めるつもりもないし感謝してる。それから私が昼に頑張るのは夜に寝てるから」
「そう言われればそうか」
エルは子供みたいな笑みを見せて頷いた。
整った顔立ちのエルは、女性に人気があってもおかしくはないだが、彼は夜型で昼はいつも眠そうにしているから、令嬢と一緒にいても退屈しているような態度に見えてしまう。
そのせいで婚約を何度も解消されていて、今は婚約者はいない。
普段のエルは眠気もありふわふわした感じだけど、戦場で覚醒した時の彼は畏怖の念を抱くらいに強い。
だからこそ、最年少で騎兵隊の隊長に選ばれ、年上の部下たちが文句を言わずに彼に従うのだと思う。
「エローニの森で戦闘が激化しているとの情報が入っている」
司令官補佐の声が聞こえ、私とエルは話に集中する。
エローニの森はレイロと私の姉のエイミーのいる部隊が応戦している場所でもあり、私たちがいる宿営地とはかなり離れている。
私とレイロは夫婦だということで、チームがバラバラにされていた。
どちらかに何かあった時、任務に支障が出る可能性があると言われ、レイロに何かあれば冷静でいられる自信がない私は、その判断に従った。
でも、離れさせられた理由は正直言うと納得がいっていない部分もある。
エルはレイロの大事な弟でもあり、私の大事な友人でもある。
エルやエルの部下たち、私の部下たちに何かあっても冷静でいられる自信はない。
悲しい思いはしたくないから、エルたちが怪我をしても絶対に私が助ける。
そう考えた時だった。
「大変です! エローニの森から救援を求める狼煙が上がっています!」
伝令係からの報告に、その場にいた全員が立ち上がると騎士団長が叫ぶ。
「第3騎兵隊から第6騎兵隊以外は準備ができ次第、エローニの森に向かえ!」
私たちの部隊は第3騎兵隊だ。夜勤明けということで、私とエルは現地に向かうことは許されなかった。
*****
夕方、私とエルの元に第7騎兵隊の副隊長がやって来て言った。
「レイロ隊長は大怪我を負った。対応が遅かったからなのか、回復魔法の効き目が悪いので離脱することになった」
「命に別状は?」
「心配はしなくていい。戦えないほどの傷なだけで命に別状はない」
「良かった」
安心して胸を撫で下ろすと、彼はこう付け加えた。
「エイミー様も付き添いで帰ることになった。その分、アイミーの負担が増えるかもしれない」
「負担なんかじゃないわ。それよりも他の皆はどうなの?」
回復魔法を使える人間は少ない。
見送りに行けないのは辛いけれど、離脱する人よりも現地に残る負傷者を優先することにした。
その時の私は、お姉様がレイロと一緒に帰ることになった理由は、道中で負傷兵の状態が悪くなった時に、お姉様の回復魔法が必要なのだろうと思い込んでいた。
それから十日後、魔物との戦いが激化したため、私には派兵期間の延長命令が出た。
それを聞いたエルが自分の期間も延長したため、同じ部隊の多くの人がエルと私を残して帰れないと言って一緒に残ってくれた。
それから約180日後、エルと共に私はサフレン辺境伯家に帰還した。
でも、再会を喜び合うはずだったレイロは外出していて、レイロの代わりに私を待ってくれていたお姉様を見て私は呆然とした。
お姉様のお腹が普通では考えられないくらいに膨らんでいたからだ。
妊婦が相手なら、そのお腹の膨らみはおかしいとは思わない。
でも、お姉様は独身だ。
お腹に赤ちゃんがいることなど、普通は考えられない。
驚きで何も言えなくなっている私に、お姉様は口を開く。
「ごめんなさい。彼のことが昔から好きだったの」
「……彼って、誰のことですか」
「このお腹の中には彼との子供がいるの」
「だから、彼って誰なんですか!」
「……あなたの夫のレイロよ」
膨らんだお腹を撫でながら、お姉様は涙を流して答えた。
泣きたいのはこっちだわ。
大体、第二王子の婚約者がなんてことをしているのよ! お父様もお母様もどうしてこのことを教えてくれなかったの!
「……一体、どういうことなんですか」
「ごめんなさい。アイミー、私とレイロは愛し合っているの。気持ちが抑えられなかったのよ!」
久しぶりに帰ってきたって言うのに、レイロは外出していて義父母の表情も険しかった。
だから、何かおかしいとは思っていた。
レイロは自分の口では言えないから、お姉様に任せて逃げたのね。
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