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蝉の声が、耳の奥を焼くように響いていた。それはもう、暑さというより呪いに近い音だった。
教室の中は蒸し風呂のようで、先生の声もぼんやりしている。
補習なんてどうでもよかった。ただ、生きているふりに疲れていた。わたしは誰にも断らず、廊下に出た。
誰にも怒られない程度に、いい子の仮面を被ったまま。
そして、誰も使わないはずの音楽室の扉を開けたとき
その子は、いた。
窓際のピアノに背を向けて、足を揺らして座っていた。
髪は肩より少し下で止まり、制服の襟元は緩く開いていた。
煙草の匂いが、風と一緒にふわりと漂ってきた。
わたしは一瞬だけ戸惑い、
それでも扉を閉めて、中に入った。
「……誰か来たら困るんじゃない?」
「来ないよ」
「そうなの?」
「うん。来たら逃げる」
それだけの会話。
彼女――紬は、こちらを見なかった。
でも、その静けさが、どうしようもなく心地よかった。
それから、わたしは毎日音楽室に通うようになった。
紬は何も聞かず、何も求めず、ただそこにいた。
ピアノを弾いたり、窓を開けて風に髪を遊ばせたり。
わたしが何を言っても、彼女はただ「うん」と答えた。
お願いごとも、ふざけた命令も。
「うん」と言って、従ってくれる。
それが嬉しくて、でもどこか怖かった。
「紬って、さ。なんでそんなに、なんでも“いい”って言えるの?」
彼女は少し考えるふりをして、言った。
「だって、自分の意思とか、よくわかんないし」
「じゃあ、生きてる意味も?」
「それも、わかんない。でも由乃が言うなら、生きてもいいかなって思う」
その言葉が冗談じゃないことに、
わたしはすぐ気づいた。