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今日は遅番か。
蟠桃会最終日の今日は、まだ桃園に明明の姿は無い。
3日目ともなるといい加減疲れてきたので、気分転換に桃園から離れて庭園の方を歩いてみている。
可馨との関係は清算済。
铭轩が明明にちょっかいを出そうとした事は相当頭にきたが、お陰で老君が婚約を公表すると言う形となり、俺にとっては好都合だった。
とは言えこのままの状況でなあなあにして、流されるのは良くない。明明と師弟以上の関係になる為には、自分からはっきりと言わなければならないだろう。
答えが例え色良いものでなくても、これまで通りに接する覚悟くらいはある。本番はこれから。
自分の気持ちと考えを整理しながらプラプラと歩いていると、明明と俊豪が塗り直したと言う亭まで来ていた。座って休むのに丁度いい、と腰を下ろそうとしたところで男が一人やって来た。
「俊豪か」
「左様でございます」
正直、あまり話したくない相手だ。あからさまに物言いたげな顔をしていなければ追い返していた。
「何か用か」
「颯懔様は、明明と婚約関係にあるとか」
「それがどうした。お主には関係なかろう」
「関係ならあります。まだ出会ってそう長くはありませんが、明明の友ですから」
「友ねぇ。言いたいことがあるのならはっきりと言うてくれぬか? 回りくどいのは好きではない」
「それならば遠慮なく。婚約と言うのは明明はきちんと了承しているのでしょうか」
目を細めて俊豪を見やると、俊豪もまた鋭い視線を投げてきた。
「失礼致しました。回りくどいのは好きではないのでしたね。つまり命令しているのではないのかと聞きたかったのです」
「命令、だと? 俗世にいた時間が短くてよく知らぬが、仙同士の結婚に家だとか性別だとか言うものは関係ない。本人の意思で決めることだ」
俗世では家長が自身や家の利益の為に、本人の意思とは関係なく結婚させるのが普通だと聞いた。 そして一般的に、女の立場は男よりも弱いと。
でもそれは俗世の話であって、仙人の世界では当てはまらない。
「本人の意思と言いましたか? 弟子にとって師匠と言うのは絶対的で逆らってはならない存在です。貴方が意図せずとも弟子である明明には、同意しなければならいと言う圧を感じることもありましょう。どういった経緯で婚約されたのかは存じ上げませんが、そうですね……例えば師匠の好意に応えなければ破門されると考えるのが普通ではないでしょうか」
俺と明明とが婚約するに至った経緯。
それは俺が咄嗟についた嘘に、無理やり明明に話を合わせるよう仕向けたからだ。後で訳を話したら本人も同意してくれたし、協力まで申し出てくれた。
期間限定のものだと言ってあるから問題ない。
「それはない。大体、俺が明明と結婚する利益はあまりに小さい」
俗世の結婚が子孫を得る為であるのなら、子が出来ない仙人が結婚する理由は、足りない精気の補完にある。俺よりも作り出せる精気の量が圧倒的に少ない明明を嫁に迎えようとしている俺の方が、得られる利益が少ないのは明白。
あるとするならそれは――。
「それでは明明が婚約解消を申し出たとしても、明明が不利益を被ることはない。という事ですね?」
「無論だ」
「その言葉を聞けてほっとしました。それでは、颯懔様をこれ以上長々とお引き止めする訳には参りませんので、私はこれで失礼致します」
ニコリと笑って会釈をした俊豪は亭から去って行った。
やはり明明の気持ちを早く確認して、このまま婚約関係を続けても良いか聞いた方がいい。
明明の宿泊している棟の方へ向かうと、呼び出すまでもなくその姿を見つけた。井戸の近くで屈んで座っているが、顔に布巾を乗せて妙な言葉を口にしている。
「うー、戻れー」
「何をしておるのだ、お主は」
「うわっ、師匠?! びっくりしたぁ」
顔に乗せていた布巾がずり落ちたので拾ってやるとひんやりとして濡れている。冷やしていたのか?
「どっ、どうしたんですか。こんなところで」
「いや、用があって来たのだが……。その顔はどうした」
目が腫れてパンパンになっている。きっと冷やしてむくみを取ろうとしたのだろう。
「えーと、昨日飲み過ぎちゃったのかなぁ。なんて。ははは」
「なんだ、部屋に酒を持ち込んでおるのか?」
本当だとしたら見逃す訳には行かない。睨みを効かせると明明がいかにも「マズイ」という顔をした。
「あっ……いや、えーと。違いました。塩辛いものの食べ過ぎです、きっと」
嘘が下手すぎる。
なぜ顔がむくんでいるのか分からないが、これ以上追求するのが可哀想になってきた。明明に限って悪さをする事は絶対に無いと言い切れるので、そっとしておこう。
「まあいい。むくみとりなら|普洱茶《プーアルちゃ》でも飲んでみたらどうだ」
「そうします。それで、話というのは何ですか」
「婚約の事なのだが……」
続けてもいいのか明明の気持ちを聞きたい。
もし俺でいいのなら、そのまま伴侶になって欲しい。
言おうとして、ハタと気が付いた。
不能男なんかと結婚したら、明明にとって明らかに不利益だ。
陽の気を得られない。
ある程度は自分の努力で補えるが、昇級する為にはいずれ房中術が欠かせなくなる。
……いや。言うだけ言って、嫌なら断ってもらえばいい。
「俺の事情は知っての通りだ。それでだな……」
『貴方が意図せずとも弟子である明明には、同意しなければならいと言う圧を感じることもありましょう』
先程の俊豪の言葉が、続けようとしていた言葉を遮る。
明明の性格からして、嫌だと思えば自分から嫌だと言うはず……なのか?
俺が勝手に、都合のいいように考えているだけではないのか?
俊豪に弟子入りすればいいと言った時、泣きついてきたんだ。師弟関係を切られるのが余程嫌だということ。圧を感じたとしても不思議ではない。
老君に婚約していると言った時「あまり勧められる方法では無い」と言ったのは、弟子は師匠に逆らえないから。明明が嫌だと途中で思ったとしても、破棄しにくいからでは無いのか?
急な不安感に襲われ、続く言葉が見つからない。
「……事情なら分かっています」
俺が話を続ける前に明明が泣きそうな顔で微笑んだかと思うと、すぐにいつもの明るい笑顔になった。
「やめにしましょう、練習。婚約も解消。これでスッキリです! 良いですよね?」
「あ……ああ。明明がそう言うなら。分かった」
ほら、明明なら遠慮なく嫌だと言ってくれる。
深く考え、不安がる事などなかった。
以前の関係に戻るだけ。
俺はただの師匠で、明明は弟子。
「私、もう行きますね。普洱茶飲んできます」
走るようにして去って行く明明の背中を、見送るしか出来なかった。