〜第2話〜
ライブ当日。
ライブを終えて控室に戻ると、元貴はギターの前に座り込んだままうつむいていた。ステージの上で浴びた熱はとっくに消えていて、代わりに残っているのは、異様な静けさだけ。ドアを閉めた瞬間、自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえた。
…元貴の背中は、普段より小さく見えた。
何か、言わなきゃ。そう痛感した。なのに、口が固まって、言葉が出ない。何を言っていいのかもわからない。横にいる若井も、口を開かないまま、元貴の様子を静かに伺っていた。
しばらくして、元貴がぽつりと言った。
「…俺、今日のライブ…全然ダメだった」
心臓が跳ねた。
そんなことない。本当にそう思うなら、俺のせいでもある。でも、言葉に詰まる。元貴はうつむいたまま続けた。
「集中できてるようで…どこか切れてた。ちゃんと歌えてなかった気がする」
「どこか」じゃない。全部、自分のせいにしている言い方だった。
「大丈夫だよ」、そう言いかけたけど、すぐに口を噤んでしまった。…言葉にした途端、元貴の気持ちを軽く扱ってしまいそうで怖かったから。言葉が、喉の、心の奥につっかえたまま出てこない。
元貴は苦しそうに息を吐き、
「…俺が、足引っ張ったせいで…」
と呟く。そして、ずっと見下ろしていたギターを構えた。でもその姿は、いつもの凛々しい元貴じゃない。何かから、逃げるような構え方だった。
そのまま、元貴がギターの弦を弾く。一つのコードが部屋に響いて、またすぐ別の和音へと移り変わる。
…C、G、Am、Em、F、C、F、G。典型的なカノン進行。ミセスが、元貴がよく使うコード進行だった。心地よく聞ける進行のはずなのに、なぜか重苦しい響きだった。普段の元貴が奏でる、優しいギターの音になっていなかった。
余韻が消えてギターの音がほとんど聞こえなくなった瞬間、机の上でなにかが転がる音がした。そちらに視線を向けると、若井が落ちていたギターの弦を指で転がしている。
それから、独り言のように言った。でもそれは、元貴と俺に、しっかり届く一言だった。
「…今日のライブ、俺は良かったと思うけど」
空気が変わった。
慰めじゃない。強くも弱くもない、まっすぐな声。でも、元貴の肩がほんの少しだけ動いた。
若井は弦をつまんで軽く揺らしながら言った。
「張りすぎると切れるんだよ。…弦も、人も」
俺はその言葉に息を呑んだ。彼なりに、元貴に向けた言葉だとわかった。でも、それだけじゃなかった。
…俺にも刺さっていた。
俺なんかより元貴のほうが自分を追い込んでいたから目を背けていたけど、俺も張り詰めていた。特に最近は、そんなことばかりだった。
若井はそれ以上何も言わず、
「もう遅いんだし、今日は帰ろ」
とだけ言って控室を出ていった。閉まったドアを見つめながら、俺は何かが胸の中でほどけるのを感じた。
俺は、気づけば元貴の隣に座っていた。座ったはいいものの、依然何を言えばいいのかはわからないままだった。言葉を選びすぎて、気持ちがもつれて、うまく出てこない。
でも、この沈黙が元貴を余計に苦しませるのも分かっていた。だから、勇気を振り絞って口を開いた。
「…若井さ、ああいうときだけ、妙にうまいよね。…こういうの」
言ってから、いや、言い始めてすぐ、この言い方はないだろ…と後悔した。でも一度動いた口は止まってくれなかった。
もっと気の利いた言葉があるだろ、俺…
そう思ったけど、俺の言葉に、元貴が少しだけ顔を上げてくれた。そのことが、やけに嬉しかった。俺は続けた。
「今日のライブ…その…えっと…俺も…嫌じゃ、なかったよ」
胸が熱くなって、呼吸が浅くなる。でも、ちゃんと、言わなきゃ。それでもやっぱり、若井みたいにきれいな言葉は出てこなくて、正直な言い方しかできなかった。
「その…うん…普通に、良かったんじゃないかなって、思う」
最低限すぎる言葉。でも、決して嘘じゃなかった。すると、元貴が小さく息を吸い、ギターのネックから手を離す。
「…お前、言い方が下手すぎる」
たしかにそうだ。でも、その声には少しだけ力が戻っていた。俺は頬をかきながら、小さく笑った。
「ごめん。…下手だよね」
元貴はギターの弦を愛おしそうに撫でながら、深い息を吐いた。
「…明日、ちゃんと話すわ。若井とも…涼ちゃんとも」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少し軽くなった。
…やっと、スタートラインに戻れた気がした。
控室を出ようとしたとき、元貴がふと俺の方を見た。その顔はまだ気だるげだったけど、目の奥に少しだけ光が戻っていた。その顔を見れて、胸の奥がじんわり温かくなる。
「…行くか」
「うん」
二人で廊下を歩く。さっきまでうるさかった金属音が、今は遠くに感じる。その代わり、さっきまで、雲の上にいたみたいだった元貴が…近くに感じられた。
元貴が前を歩きながら言う。
「…若井、怒ってないかな」
その言葉に、小さく笑ってしまった。
「怒るというより…心配してると思うよ。若井のことだし」
「…そっか」
控室の扉が閉まる音が後ろから響く。外の冷たい空気が流れ込んできて、少しだけ頭がすっきりした。
完璧じゃない。不安もある。でも、ちゃんと向き合えば、戻れるはず。…いつもの、俺達に。
新しい風が吹いたような気がする。俺は、その風を胸いっぱいに吸い込んだ。そして、元貴の歩く後ろ姿を追いながら、小さくつぶやいた。
「…大丈夫だよ。元貴」
声には出したけれど、元貴には聞こえないくらいの大きさで。でも、それで良かった。
あとは、明日、ちゃんと話すだけ。
そう考えながら元貴に追いついて、二人で並んで、外へと歩き出した。
コメント
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うぉー!!更新早すぎる...😭 💙さん勇気出せたんだ...!💛💙が❤️さんを気にかけて、喋ろうとするけど、何故か喉がつっかえて何も言葉が出てこないっていう状況が、見ているこっちもドキドキしたよ...😩こういう時は💛さんの方が言葉が出てこなくなっちゃいそうなのなんか分かる...💛💙の優しさが暖かい😭 ❤️さんも元気出てきたのかな...?続きが楽しみです〜!!