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再びユカリは、今度はソラマリアとジニを連れて新カードロア砦の中心部へとやってくる。そこには瓦礫の壁に囲まれた瓦礫の神殿があり、しかし前回と違って門は開かれていた。あり合わせの板材を並べて作ったらしい門扉が、邪な刃でつけられた歪な傷のように少し傾いて開いている。
「こうなると今度は躊躇われますね」とユカリは己を奮い立たせるように呟く。
前は呼びかけへの返事すらなかったのに、とはいえ歓迎という雰囲気でもない。そもそも門の奥に誰も見当たらない。通りの方では人が歩いているが、門が開いていることに対する反応もない。
「瓦礫の寄せ集めにしては厳かな雰囲気を醸し出せているね」と感心した様子でジニは門をくぐり、先頭を行く。
ユカリとソラマリアも遅れずについて行く。猫の足跡のついた壁があったり、天井に鳥の糞がついていたりするが、そこが神聖な場所だということは教わらずともわかる。ひび割れた壁や欠けた天井には、蜘蛛の巣のような幾何学模様とそれを切り裂くように配された剣のような象徴記号が丹念に精緻に彫り刻まれている。窓には石や貝殻、割れた色硝子や陶磁器を組み合わせた剪嵌細工画の窓が嵌め込まれていた。そこには篤志家の寄進によって建立された寺院や、歴史よりも古い時代から護られ続けてきた神殿と変わらない、確かな崇敬と信仰が見て取れた。
少し奥へと進むと、ただでさえ静かな砦の微かな生活音さえ失われ、相も変わらず呪わしい緑がかった陽光が差し、『虚ろ刃の偽計』から解放された喜びの風すら吹きこまない静謐さが訪問者に崇拝を求めるように語り掛けてくる。
広々とした空間に出るとジニがつと立ち止まる。砦の中心に建立された神殿の中心は、まるで外に出てしまったと錯覚するような草も芝もない土埃の舞う広場になっていた。ここにもケドルと呼びならわされた土地のために命を捧げた勇猛果敢な戦士たちの遺品が、武勲をものにしてきた沢山の武具があった。野晒しであるにもかかわらず武具はどれも磨き込まれており、一つ一つが栄誉を後の世に伝える小さな石碑と共にある。
それらはクヴラフワ衝突よりもさらに古い時代のものだ。四十年前のケドルの戦士たちの武装ではなく、ましてやライゼン大王国やシグニカ統一国の武装ではなく、当然衝突の後に残された呪いでもなく、ケドルの古の戦士たちが鎧ったものだ。
そして広場の中心に厳めしい表情で鎮座している巨大な金属塊、巨剣ヒーガスは一見他の瓦礫と変わらないように見える。剣のようだと言われればそうも見えるが、傾いた柱や落ちた梁、忘れられた墓標だと言われれば、やはりそうも見える。その鉄塊を無数の合掌茸が覆っていた。
「ここまでは予想通りといったところかね」とジニはユカリに確認するように尋ねる。
「そうですね。やはりあの剣が他の土地で言うところの洞窟や湖にあたるということです。でも胞子を噴き出さないですね」
ユカリが広場へと一歩踏み出したその時、ソラマリアとジニそれぞれに両肩をつかまれる。
その意味するところはすぐに分かる。広場に捧げられた無数の武具が一斉に、まるで地響きでも起きているかのように振動し始めた。しかし地面は盤石であり、古代の武装は一人でに揺れており、遂には坂道を転げ落ちるように広場の中心へ、巨剣ヒーガスの元へと集う。そうして更なる巨大な塊になり、形を成したそれは四本足に隻腕の巨人のようだ。
しかし巨人が細腕でヒーガスを引き抜いて逆手に持つと、その表している姿をユカリは察する。小さな頭に巨大な眼、細い胴に細い腕、脚、羽根、そして太い腹を集合した武具が見覚えのある虫の姿を表現している。
「飴坊の次は隻腕の蟷螂ですか」魔法少女ユカリは杖を出して身構える。「魔導書の解呪の力は土地神にまで及んでいないということでしょうか。危ないですから義母さんは下がってて」
「誰に言ってんだい?」とジニは揶揄うように反発する。「あんたに守られるほど老いちゃいないよ」
「ソラマリアさん。あの巨剣を破壊しましょう。魔法少女の魔法だと【噛み砕く】には厚すぎるのでソラマリアさんにかかってます」
「心得た」
ソラマリアは瞬くより速く抜刀し、血に渇いた猛獣の如く飛び出す。剣の閃きは一直線に、菌糸の衣を身に纏う巨剣ヒーガスへ向かって飛ぶように繰り出された。が、かわされる。蟷螂もまたソラマリアの抜刀速度に劣らぬ速さで羽根を展開し、空へと舞い上がった。
「ユカリ!」とソラマリアに呼びかけられた時には、既に魔法少女は空へ、矢の速度で上昇している。「二人でどうする気だ!? 私も連れて行け!」とソラマリアが地上から抗議する。
「剣だけ叩き落とし……、え? 二人?」ユカリは驚いて見下ろすとジニもまた空を飛んでいた。「義母さん、空を飛べたんですか!?」
何かに乗っている訳でもなく、ジニは身一つで浮き上がっていた。
「こっちの台詞だよ」ジニは目を細め、顔を顰める。「というか風が……。あんたのそれは優雅さに欠けるね」
「大して変わらないじゃないですか」
とはいえユカリにはジニがどう飛んでいるのかまるで分からない。翼が生えるでもなく、空気を噴出するでもない。ただ不思議な力で浮いているのだ。そのような飛ぶ姿でユカリに見覚えがあるのは月の眷属《熱病》くらいのものだ。
「それはさておき、さっきのぴかっと眩しいやつやってもらって良いですか?」
「視界を奪うんだね。任せな」
ジニが蟷螂に向けて右手をかざすと槍の如く鋭い光が一条、土地神の頭部を形成する二つの兜と一つの盾に照射される。それは一瞬で赤熱し、周囲の光を歪ませる。人間が受ければ発火することだろう。
苦しんでいるのか痛がっているのかは分からないが、蟷螂が頭を守るように剣をかざす様で想像はつく。
「どんなもんだい?」とジニは自慢げに笑みを見せる。
「思ってたのと違いますけど、まあ良いです」
蟷螂は変わらず飛んではいるが姿勢が揺らぎ、また二人の姿を見失った様子だ。見えない敵を叩き斬ろうと巨剣ヒーガスを滅茶苦茶に振り回している。
ユカリは弧を描いて回り込むようにして上から近づき、蟷螂の腕の十分に細い付け根に魔法少女の杖を押し当て、【噛み砕く】。
憐れ土地神は残る腕を失い、握りしめた巨剣ヒーガスを握りしめたまま取り落とす。真っ直ぐにとはいかないが、巨剣が広場へと落ちていくことを確認するとユカリはジニと共に地上へ降下する。
しばらくして合掌茸に覆われた巨剣ヒーガスが耳を弄する鈍い音を立てて大地に突き刺さり、本当の地響きが砦全体を鳴動させる。ソラマリアの剣が一抹の慈悲も躊躇いもなく巨剣を叩き折る頃にはユカリたちも着地していた。
二つに折れた土地神の偶像は打ち負かされた蛮族の首領の如く地面に倒れ伏す。それでもなお巨剣には何か秘密を隠していそうな意味ありげな佇まいで、最後の残響は罪深き人間を憐れむ歌のようだった。
その神聖な剣の断面に目が惹かれる。合掌茸はただ表面を覆うだけでなく金属塊の中へと菌糸を伸ばしている。錆びついているとはいえ、その合掌茸の異常さを明らかにしていた。
「上に気をつけろ!」とソラマリアが注意を呼び掛ける。
そうだ。まだ両腕のない蟷螂がいるのだ、と思い出し、ユカリが空を見上げると一層まずいことになっていた。
とっくに蟷螂は形を失い、今まさに祟り神を形作っていた無数の武具が降り注ごうとしているところだった。
ユカリは杖を掲げ空気を噴出する。とにかく直撃を避けなければならない。ソラマリアとジニもユカリのもとに集い、三人は何とか金属塊の雨を凌ぐ。
ようやく全ての剣、兜、盾から逃れた時、さらにユカリを驚かせたのは砦に住まう人々が神殿に集まっていたことだ。先ほどまではこの神殿に対して何の興味もないかのような態度を示していたのに、機を計ったかのように広場に集い、折れた巨剣を見つめている。
その表情から多様ながら不快の方へと偏った感情が読み取れる。悲しみ、不安、恐怖、困惑。少なくとも怪我をした者はいないようだが、表情だけ見ればそれ以上に辛そうにしている者もいる。
危難から逃れて一安心した後、初めにユカリが聞いた声は祈りにも似ていたが、やがてそれは呪詛のようだと気づき、徐々に一様な非難の怒号へとまとめられていった。
あれだけの騒ぎになっていたのに誰も錆びた武具で形作られた禍々しい蟷螂や、襲い掛かってきた姿を目撃していないかのようだ。信仰者たちの目の前にある事実は無惨に折られた剣の偶像と三人の下手人だ。
「話を聞いてもらえそうな雰囲気じゃないですね」ユカリは悔しさを隠しきれずに呟く。
「まったく。解呪の件といい恩知らずな連中だね」とジニは不快感をはっきりと表す。「見せてやらなきゃどうにもならないものかね」
ユカリはソラマリアの険しい表情に気づき、視線を追う。
広場の一群から一人が前に進みでる。パジオだ。進み出で、群衆と向き直る。皆の視線が集まり、徐々に怒号は静寂へと姿を変える。まさに巨剣ヒーガスを奉ってきた家系の末裔が注意を集める。
「落ち着け。皆の衆」とパジオが言った頃にはその場にいる全員が傾聴していた。「偶像は偶像。神そのものと考えるのは罪だ。皆の心の内にある剣を通じて祈りを捧げたならば、神は必ずや真の信仰を持つ者に報い、そうでない者を罰してくださるだろう」
人々の表情が幾分か和らぎ、ありがたそうに祈っている者もいる。その時、観衆たちの間をどよめきが駆け抜けていく。
「あ!」とユカリも思わず声を漏らす。「胞子が! なんで!?」
巨剣ヒーガスの残骸にはびこる合掌茸から光り輝く胞子が溢れ、しかしユカリではなくパジオの元へと集まっていく。
「見よ! 皆の衆! これこそが代々巨剣ヒーガスを奉ってきた一族の当主たる私への祝福だ! シシュミス教団の連中などではなく、神は私を選び給うたのだ!」
人々の静寂の内から、世を捨てた寺院に忍ぶ手弱女が紡ぐ細い糸のような祈りの声が聞こえ始める。それは紡がれ、織られ、讃美歌へと変じる。斃れ伏した古の戦士たちと富と名誉を守護する蟷螂の神を讃える歌だ。
何だか奪われたような横取りされたような気分になり、ユカリは無性に悔しく感じた。しかしこれもまた手がかりだ。呪いを解くのでもなく、祟り神を解くのでもない。かつパジオが行った何かが魔導書に選ばれる方法だ。
「ケドル侯国を治める使命を! カードロアの敵を打ち滅ぼす使命を! 不遜なる神の敵を誅伐する使命を!」
讃美歌の熱は高まり続け、歌は音であり、音は振動であることを思い出させるようにユカリたちの耳を穿ち、鼓膜を乱暴に揺する。それは確かに賛美歌でありながら、同時に気の触れた獣の如き叫声だ。
「様子がおかしい!」とソラマリアが讃美歌に負けないように怒鳴る。
「見れば、というか聞けば分かりますよ!」とユカリは叫び返す。
「どいつもこいつも皆おかしくなっちまったみたいだね!」ジニもまた耳を手で覆って声を張る。
「いや、私が言いたいのはパジオに集まる胞子が胞子のままだということだ。ただ纏わりついているだけだ。ユカリの報告していた現象とは別の何かが起きている」
確かにソラマリアの言う通りだった。これまで胞子は装身具に変化していたが、今は胞子のままにパジオを覆っていく。これも手がかりだろうか、とユカリは悩む。あるいは合掌茸にもいくつか種類があって、それぞれに装身具と化す条件は別である可能性もある。
「嗚呼! 神の御声が聞こえる! 敵を倒せと囁いている! この土地を荒らす小娘どもに消えぬ傷を与えよと命じてくださっている!」
パジオは力を失ったように膝をつき、次の瞬間、破裂した。全身から隈なく血が噴き出し、しかしすぐに血流は勢いを失う。傷が開いたのは肉叢から無数の剣が、槍が、斧が飛び出したからであり、その傷を塞いだのもまた、それら血塗られた刃だ。
数えきれない刃で綴った鎧の内でパジオは獣の唸りのような狂人の戯言のような声を漏らす。