コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「酷い有様だ。あれも呪いか?」ソラマリアは誰ともなしに問いかけるが答えを持っている者はいない。「『虚ろ刃の偽計』によるものなのか? それとも魔導書によるものなのか? どっちだ?」
もしも『虚ろ刃の偽計』によるものだったならば変身を解くべきではないが、魔導書によるものだったならばパジオと同じ目に遭うかもしれない。あるいは魔導書の力で呪いが強化されている可能性もある。
ユカリたちの目の前に蹲る無数の刃の塊にはもはやパジオの面影などない。赤い針鼠のような姿になったパジオはよろめきつつ立ちあがる。血に濡れた刃に隠されて表情は読めず、両足もまた雑多な刃物に覆われていて、身じろぎするたびに血を流し、滴らせている。
ユカリは古い椅子の軋むような小さな唸り声を漏らす。「分かりません。見てるだけで痛くなってくることくらいしか」
そして丁度パジオの頭部がある辺りから緑の光が漏れ出ていることにユカリは気づいた。『這い闇の奇計』や『騙り蟲の奸計』の中にも見出した双眸の光だ。他とは違う振る舞いをしていた呪いの尻尾をようやくつかめた。
「いえ、どうやら呪いに関連してそうです。変身は解かないでください。ソラマリアさん。それと、みなさんが逃げるまでは守りに徹してください」
ソラマリアは剣先にまで神経を巡らせて構え、パジオににじり寄る。
「よし。少なくとも蟷螂のように飛んで頭を飛び越えられる心配はなさそうだ」
ユカリは再び広場を囲む群衆に気づく。まるで神が降臨したかのように拝み、祈っている。
「みなさん早く逃げてください! 巻き込まれますよ!?」とユカリは呼びかけるが返ってくる反応は期待していたものではなく、炎の如き怒声と氷の如き嘲声だった。
「何を言うか不信心者め!」「罰されるのはお前たちだ!」「パジオ様! 天罰を!」
パジオは刃の奥で鋼を擦り合わせるような声を漏らす。「愚か者どもめ! 私に指図をするな!」
出方を窺っていたソラマリアを尻目に先に動いたのはパジオで、しかしその場から一歩も動くことなく、数本の剣を矢のように射出した。その禍々しい刃の標的になったのは野次を飛ばした者たちだった。
方々から鮮血が迸り、ようやく割れんばかりの悲鳴が上がり、その場に相応しい狂乱が巻き起こる。人々の心の奥で知らず知らず膨らんでいた恐怖が破裂し、理性を根こそぎ奪い、考えなしに生を求めて足掻く。神殿の唯一の門に人々が殺到し、思いやりを捨てて互いを押しのけ、誇りを捨てて他者を踏みつける。
そして今まさに刺し貫かれた野次馬たちが大怪我を負って気を失いながらも、糸繰人形のようにのそりと立ち上がる。ユカリはそれに気づいたが、ジニもすかさず呪われた者たちの治療に走ったのを確認し、ユカリ自身は門へとなだれ込む人々の護衛に走る。
ソラマリアとパジオの一騎打ちが始まる。神々に舞いを奉納する踊り子の如きソラマリアの華麗な剣捌きに対し、パジオのそれは巨大な鋼鉄の幼児が駄々をこねているかのようだ。克ち合った剣が火花を散らし、地面を抉って砂塵が舞う。
たった一振りの剣で襲い掛かる数えきれない剣筋をそらし、心臓を狙う矛先をかわし、脳天をかち割らんとする分厚い斧の一撃を受け止めて弾き返すソラマリアはパジオよりもよほど人ならざる力を秘めていた。絶え間なく鋼の塊を弾き返し続けると、まるで刃の流れる滝壺の如き大音声が途切れず鳴り響き、散る火花は千万と重なって燃え盛る炎にも劣らない眩さを放っている。それでもなお瞳に朧な緑の明かりを灯すパジオには、逃げ惑う人々に刃を打ち込もうと投擲する余裕があった。
しかしそれを門のそばで待ち構えるユカリが逆風を吹き付け、刃の勢いを殺して地に落とす。しばらくしてジニがユカリに加勢し、パジオの方へと手をかざし光を放つと、射出される刃の狙いが不安定になった。
「思いのほか上手くやれてるみたいだね。ちょっと見直したよ」とジニが照れ臭そうに称賛する。「あんたを傷つけたいわけじゃないんだけど、つい考えを押し付けてしまう。あたしの悪い癖だ」
「それって今話さないといけないことですか?」
ユカリは冷や汗を流し、なおも飛び込んでくる刃を抑えつけるのに必死だった。
それでもジニは話したいことを放したいだけ話す。
「あんたにも役割があったなら、なんて思っていたけどむしろ役割を振れるようになっていたとはね。認めるよ。旅に反対なことは変わらないけど、どうするかを決めるのはあんたで、あたしではないようだ」
「どうでも良いですよ! 認めてくれなくたって旅は続けますし、保護者公認の冒険なんてありはしないんですから!」
「寛大だな!」とソラマリアが叫ぶ。
ユカリはソラマリアの言葉に耳を疑う。命懸けの戦いにしか見えないが、まだ余裕があるというのだろうか。
「そっちに集中してください!」とユカリは怒鳴る。
「あたしは理解しようと努めただけだよ!」とジニが照れ隠しするようにソラマリアに答える。
「二人とも真面目にやってください!」
そうこうする内に信心深き狂乱者たちは門の向こうへと逃げ去り、残されたのは遠く離れていく悲鳴と三人の女と由来の分からない力を振るう怪人パジオだけだ。
するとソラマリアとパジオの形勢が傾く。大陸一の剣客と称えられた剣士は、それまで撫で斬りにせんと迫る剣を弾き、カードロアの市民を差し貫かんとする投げ槍を叩き落とすことに専念していたが、今や攻めに転じている。パジオの全身を鱗のように覆う刃がソラマリアの豪剣によって剥がされていく。その都度パジオの肉体の内から剣が新たに生えているが、目に見えてパジオが押され始めた。
パジオはまるで金物を打ち叩くような声で叫ぶ。「貴様! 一体何者だ!? 何なんだその強さは!? 化け物め!」
「悪いが冥土の土産は品切れだ。貴様程度の魔術師はいくらでもいたのでな」
パジオはさらに激昂する。「魔術!? 魔術だと!? これは恩寵だ! 奇跡だ! 神に選ばれた私の秘法だ! 不明の輩め! 恥を知れ!」
そう叫ぶとパジオは退き、背後へと跳躍した。ただの跳躍ではない。一跳びで神殿から脱出できる脱兎の如き跳躍だ。同時に数本の刃が足元に残される。今まで足として使っていた刃を地面に向けて射出し、その反動で飛び上がったのだ。
すぐさまユカリは杖に乗って、ソラマリアを拾い、上空からパジオを追う。
「パジオさん、大きなことを言いながら逃げましたね」
「思いのほか強い。力を借りていいか?」
謙遜するような相手でもない。ソラマリアが心からそう言っているらしいことにユカリは驚く。
「私には互角以上に見えましたけど」
「一太刀でも浴びれば呪われるのだと思うとな。やはり守りに入ってしまう」
「そうですか。そうですよね……」ユカリの言葉は歯切れが悪い。
「どうした? 言いたいことがあるなら先に言ってくれ」
飛び跳ねては砦をずたずたに切り裂くパジオを眼下に睨みつけながらユカリは答える。「できれば、その、生かしておいてくれませんか? 無理を承知だとは理解しているのですが」
「いや、元よりそのつもりだ。奴には色々と聞きたいことがある。そうだろ?」
ユカリは思いがけない言葉に少し喉が詰まる。ユカリは単に人殺しを忌避しただけだった。しかしソラマリアの言にも一理ある。呪いを身に纏ったような姿、土地神との関係、茸、あるいは胞子、もしくは菌糸の魔導書について。知りたいことは沢山ある。生け捕りにして聞き出さなくてはならない。
「ええ、そうですね」下から届く悲鳴に耐えながらユカリは頭を捻る。「しかしあの変身を解かせて、かつ変身出来ないようにしないと拘束できそうにありません」
ベルニージュならばいくつも案を出してくれるだろうに、という考えをユカリは振り捨てる。
「一度解いたなら後は首筋に剣を押し当てればいい。変身の兆しでも見せたなら即座に斬り捨てよう。奴も死は惜しいようだしな。従うだろう。それよりも捕獲する方がずっと難題じゃないか?」
「それについては考えがあります」
ユカリは地上へと降下し始める。