「うわっ」
雷鳴が曇り空に大きく轟いた。それを合図に、ポツポツと雨が落ちる音が耳を打ち始め、ものの数秒で土砂降りになった。またどこかで稲光が走ったかと思うと、その瞬間に部屋全体が真っ白に染め上げられた。
「今のデカかったなー、近くに落ちたか?」
「俺今日傘持ってねえよ……」
組員達も雷の衝撃でざわつく。そういえば、今週は台風が来るんだっけか、と今更ながらに思い出した。震える手でスマホを起動すると、ロック画面に雷注意報の文字があった。
「この調子じゃ、しばらく鳴り続けるか……」
俺の気分は、黒く重苦しい曇天のように、どんよりとしていた。
俺は雷が苦手だ。小さい頃から本能的にダメだった。雷が人間に直撃し、炭と化して、砕け死ぬ。そんな妄想が脳裏に焼き付いて離れない。極道になり、死はかなり身近なものになったが、雷だけは呆然とした恐怖があった。
どうにかパソコンの画面と向き合おうとするが、数分おきに鳴り続ける轟音で全く集中できない。
京極組の事務所には仮眠室がある。だから、気晴らしに睡眠を取ることにした。この時間帯は大体、俺などの舎弟立場の人間しか残っていないのもあり、何も言われまいと確信し、静かに席を立った。
✳✳✳
「これ以上鳴らないでくれよ……」
憂鬱と不安に包まれながら、廊下を進んだ。
腰が抜けて上手く歩けないせいなのか、いつもより道が長く感じる。窓から見える曇天の隙間が、時折光るのを見て精神が更に擦り減っていった。
「う゛わっ!」
「ひぃっ」
「わ゛ぁっ」
雷が落ちる度に、身体が跳ね上がってしまう。だが、音に恐怖を感じている訳ではなく、雷自体に恐怖しているので、耳を塞いでもどうしようもなかった。
「(あれ、というかそもそも仮眠すらとれないのでは……)」
「さーこ、何してんのぉ?」
「あ、もっ、も、守若の兄貴……」
ぼんやりとそんな事を考えていると、背後から雷と同等の恐ろしさを持つ人の声が聞こえた。守若の兄貴だ。
「今日は遅くまで残ってるんですね……」
「そー、帰ろうと思ったらちょうど降ってきちゃった。だからいっそ泊まろうかなって。運悪いよねぇ」
「今日は帰って包丁研がなきゃいけないのにぃ」
兄貴は拗ねるとき、口を尖らせた子どものように見える。しかし、機嫌を損ねている兄貴は子どもなんかと比にならないくらい恐ろしい。
それ故、今は状況的に守若の兄貴からは離れたいのだ。
「あ、兄貴、俺ちょっと急用があるので、よろしいですか?」
「……ふ〜ん、何の?」
何でもよくないか。そう内心思いつつも、必死に脳をフル回転させ嘘を考えた。
「え、えーっと、親父に呼ばれて、」
その時、何かが爆発でもするかのような雷鳴が空気を激しく揺らした。
「ぎゃっ!」
最悪のタイミングで鳴ったと分かった時には、全身に衝撃が走る感覚に襲われた。とっさに耳を塞いだが、やはり効果はなし。冷や汗が吹き出し、動悸が早くなるのが分かる。
「はぁ……はぁ……っ」
「もしかして、雷怖いのかぁ?」
兄貴は首を傾げ、不可解な面持ちをして聞いた
「え、い、いやいやいや、そんな訳!」
「俺は伝説の男佐古ですよ、雷なんてもの余裕、です」
首辺りから湧き出る汗を、手の甲でさっと拭う
「手、すっごい震えてるけど。」
いつの間にか、兄貴の手が俺の手首をがっしり掴んでいた。
自分でも気が付かなかったが、みっともなく小刻みに震えている。
「あの、俺は平気ですから、離れてください」
「えー?なんか、こんなに弱ってたらほっとけないだろ」
吸い込まれるような瞳でじっとこちらを見る。俺はたまらず逃げ出したくなった。
「き、今日はお腹の調子がちょっと……!」
兄貴の手を引き離そうとした途端、また雷が轟く。今度はさっきよりもだいぶ近い。
すると突然、視界が暗転した。
「ぎゃぁぁぁ!」
「おっ」
音と停電に驚き、お手本のような断末魔をあげてしまった。瞼の裏に熱いものが込み上げてくる。
兄貴はそんな俺の背中に手を回し、悪戯っぽく笑いながら、ぽんぽんと軽く叩いた。
「佐古ぉ、大丈夫だって、ただの停電だぞ」
「う……いや、でも……あれ?」
俺はこの体勢に違和感を抱いた。もしかして、とよく考えてみる。腰付近にある掌、顔が埋まった胸元。恐怖のあまり兄貴に抱きついてしまったのだ。
「す、すみません……! すぐ離れますから」
こんな情けない姿、兄貴には見せたくなかった。
必死に涙を堪えていると、急に体が持ち上げられた。そのままずんずんと進み、どこかへと連れられる。
「へ、あの、兄貴!?」
「いいから大人しくしてろぉ」
気が付くと俺は、真っ暗な仮眠室のベッドの上で、横になっていた。
兄貴が見つけた非常用の懐中電灯をつけ、二人の顔が見えるくらいの明かりを確保する。
先程よりも安心感があるものの、未だ雷は鳴り止まない。身体は小刻みに震え続け、指先は冷たくなっていた。
「よいしょ」
守若の兄貴がベッドの脇にしゃがみ込み、俺の手を握る。
うっすら見えるその表情は、慈愛に満ちた聖母のようで、でもどこか悪戯っぽくて。
俺がそれに見蕩れていると、兄貴はふっと笑って言った。
「佐古は俺のものだから、大事にしないとね」
明かりがつくまで一緒にいてあげる、と普段の兄貴からは絶対に発されない言葉を受けた。
暗闇のせいで、普段は見せないような兄貴の一面を垣間見てしまった気がする。
「ひっ」
「安心しろぉ、伝説の男佐古の手下がついてるぞ」
兄貴は、俺の頭をわしゃっと撫でた。その優しい手つきに、我慢していた涙が零れた。
「もっ、守若の兄貴ぃ……」
ピンチの所に兄貴が駆けつけたような、縋り付く声をあげてしまった。
すると突然、兄貴が俺を抱きしめた。そして耳元で囁くようにこう言ったのだ。
「俺がずっと側にいてやるから」
「あ……ありがとうございますぅ……」
兄貴の体温は、俺よりも少し高い。その暖かさが心地よくて、俺はそのまま気絶するように眠ってしまった。
「無防備だよなぁ、佐古は」
寝息を立てながら眠ってしまった佐古に布団を掛けてやる。余程雷が怖かったのか、少し魘されているようだ。
無意識に佐古の頬に手を添えてしまう。
綺麗で、弾力のある健康的な肌だ。
「……可愛い」
佐古の頬を指で撫でると、その体温が直に伝わってくる。この頬の感触を楽しめるのは俺だけだと思うと優越感で満たされた。
「俺が守ってやらなきゃね」
佐古は俺だけのものだから。
コメント
6件
マジ最高すぎです!!!!! 尊死するかと思いましたw🥹
大好き… 特に懐中電灯で二人の顔が見えるくらいの明かり、の所とか 想像するだけでemotionalがドゴーン…(語彙力) 尊いをありがとうございます,!!!!!!!!!!!!