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スタジオでの録音が終わって数日。
週末、都内の小さな公園で会っていた。
コーヒー片手にベンチに座り、通り過ぎる風の音と子どもたちの笑い声が、音楽じゃない時間を包み込む。
「若井って、こういう静かな場所、来るんだ?」
「たまにね。音がないとこにいると、逆に聴こえる気がするんだよ。……元貴の声とか」
ふいに名前を呼ばれて、心の内側がざわめいた。
「それ、ナチュラルに言うの、ずるいな」
「なにが?」
「なんでもない」
言葉をこぼす代わりに、紙コップに口をつけた。
けれど温度はうまく伝わらず、唇だけがやけに敏感だった。
「なあ、元貴。ひとつ訊いていい?」
「うん」
「……音楽って、元貴にとって“逃げ場”だったこと、ある?」
意表を突かれたような問いだった。けれど、否定はできなかった。
「あるよ。むしろ、そうじゃない時のほうが少なかったかも」
「やっぱり?笑」
若井は、少しだけ寂しそうに笑った。
「俺さ、中学のときに親父が倒れて、いろいろぐちゃぐちゃだった。部屋の隅っこで、拾ったエレキだけが鳴ってた。……その音、まだ手癖に残ってる」
「……それ、曲にしようよ」
「え?」
「若井が逃げた先に鳴ってた音。僕が黙って聴いてた音。
ふたりで繋げたら、それってきっと“居場所”になるよ」
若井は目を丸くしたあと、ゆっくりうなずいた。
「……元貴、やっぱおかしいくらい優しい」
「それ、褒めてる?」
「もちろん。……だからこそ、守りたいって思う」
一瞬、空気の密度が変わった。
会話のなかに、音楽じゃない何かが混じり始めていた。
別れ際、若井がふと言った。
「元貴の“声”、誰かに奪われるの、たぶん俺、我慢できないと思う」
それは、告白ではなかった。
でも、予感だった。確かな、輪郭を持ち始めた感情。
僕は、何も言わず、ただ「またね」と微笑んだ。
風が、その背中をやさしく押していった。