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「お前もう帰れるか?」
時刻は19時。金曜日は遅くまで残業する人も多い中で、今日は少し違った。
隣の人事部からも人の声があまり聞こえなくなり、先ほどからはドアの向こうから、パタパタ走る足音や賑やかな話し声がよく聞こえてくる。
(クリスマスかぁ……)
そうだ、今日は12月25日。
なぜだかイブが盛り上がる日本のクリスマスだけれど。平日だったこともあり昨日は、少なくとも真衣香の会社はいつもとさほど変わらない空気だった。でも今日はやはり何か違う。
そわそわとした、空気を感じるような。
「そうですね、あとは週明けじゃないと処理できないものばっかりなので」
「おー、じゃあちょうどいいな。 マメコちょっと付き合え」
「え? どこにですか? 仕事まだ何か残ってるんですか、八木さん」
大真面目に答えた真衣香を、八木は「アホか」と呟き、呆れた眼差しで軽く睨む。
言われた真衣香は、何がアホなのかさっぱりわからない。
「早く着替えて来いって」
「……え? 着替えるって、帰るんですか?」
「飯行くぞ、付き合え、いいな」
有無を言わせない雰囲気で八木がピシャリと言い放った。
(め、珍しいなぁ……)
昼休みなどは、こんなふうに強制的に真衣香を連れ出し食事に行くこともあるが。それは全て『仕事中』なら、の行動で。
基本的に八木はプライベートには踏み込んでこない。最近の坪井を絡めた一連の出来事が、イレギュラーだったのだ。
「いいですけど……あの、いいんですか?」
「お前何言ってんだ? 日本語もまともに喋れなくなったのかよ」
八木はついには眉尻を大袈裟に下げて、何やら可哀想な生き物を見る目で真衣香を眺める。
確かにおかしな日本語だとは思ったが。
「私は……何も予定なんてないんですけど、友達も予定が入っちゃったとかで」
「あ?」
「八木さんは、いいんですか? その、今日は一応クリスマスだから……」
言いながら真衣香がチラチラと廊下の方に視線を送った。ドアの向こうからはヒソヒソと話している……つもりなのかもしれないが、結構な声量で筒抜けの会話が総務のフロアに響いた。
「あ、総務まだ電気ついてる〜」
「八木さんいるのかな? 立花さんも一緒かな?」
「どうだろうねー。ほんとに付き合ってるのかな?」
「私、去年はさりげなく経理の友達と八木さん誘ったんだよ〜、クリスマスね、飲みに。もちろんバッサリ断られたんだけど〜」
黙ってその声を聞いている八木は、全く表情を動かさなかったし。特に、聞こえてきた会話に関して何かを話してくれそうな雰囲気も感じない。
真衣香は仕方なく「……こ、こんな感じで、八木さんのクリスマスのご予定は噂の的ですよ……」と、ボソボソっとつぶやき声で言った。
そう。昨日もだったけれど、更衣室やトイレなどで散々視線を浴びたし。何なら数人には実際に問い詰められたりもした。
『八木さんとほんとに付き合ってるの?』
から始まり。
『やっぱクリスマスは一緒に過ごす予定になってるの? いいなぁ』
だったり。
『坪井くんとは付き合ってないんだよね? 予定知ってたりする?』
などなど。
若干慣れてきたりもするやり取りだったけれど。
悲しいかな、実際のところ真衣香に答えられる質問など全くなかった。
……なかったのだが、坪井と八木がいかに目立つ存在で、真衣香が深く関わったことが”おかしなこと”だったのか、それを改めて実感することになった。
そんなものだから、普段の昼休みランチのテンションと、さほど変わらない八木の言葉に真衣香はとても驚いていたのだ。
(モテすぎると、色々麻痺でもするのかな……経験ないからわかんない)
真衣香はそんなことを思って八木をジッと見つめた。その視線に気が付いたのか、八木も真衣香をジッと見て、しかしすぐにふいっと横を向いてしまう。
そして、少し不貞腐れたような声で言った。
「あのなぁ、一個確認するけど」
「はい?」
「お前忘れてないか?」
「何をですか?」
聞かれていることが何なのか、さっぱり分からない真衣香は素直に首をかしげた。すると隣に座る八木は、視線を合わさず横を向いたまま、盛大なため息と共に答えた。
「そりゃ、お前をどーこーしたいわけじゃねぇって言ったけど。お前のこと好きだって言ったろ。俺は」
「………………あ、は、はい」
「クリスマスなんだろ。んなこと知ってるし、好きな女を誘って何か問題あるか」