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第144話 中継管理棟
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸東区/中継管理棟・外周】
雨の中で、中継管理棟はひどく地味に見えた。
低い建物。
窓の少ない外壁。
看板も薄れ、見た目だけなら、ただの古い管理施設だ。
だが、近づくほど空気が違う。
建物の輪郭に沿って、青白い細いノイズが走る。
地面の一部だけが、雨の中でも妙に乾いている。
人の目にはただの水たまりの切れ目でも、カメラ越しにはそこだけ輪郭が二重だった。
城ヶ峰はフードについた雨を払わず、建物を見上げた。
「正面から入る」
短い命令。
「制圧班は中。記録班は外周維持。照明を切らすな」
日下部がノートパソコンを抱えたまま、小さく息を吐く。
「ここ、旧技術検証棟より軽い。……でも、流れが集まってる」
木崎の声が無線に入る。
『外から押さえてる。若い警官の動線、やっぱりこの周辺に濃い』
『そっち、入れるなら早くしろ。雨で画がどんどん悪くなる』
城ヶ峰は短く返した。
「入る」
隊員が扉へ取りつく。
鍵は閉まっていた。
だが、電子ロックのランプが、青ではなく青白い文字列のように点滅している。
日下部が一歩寄る。
「物理じゃなくて、通してる線を切った方が早い」
ノートパソコンを開き、外壁の端末口へ有線を差す。
画面が一瞬だけノイズで埋まり、すぐに細い表示へ変わった。
《RELAY NODE ACTIVE》
《EXTERNAL ROUTE : 03》
《OBSERVER NOISE : PRESENT》
日下部の指が止まる。
「……やっぱり」
「学園側の線、ここを通ってる」
城ヶ峰が横目で見る。
「開けられるか」
「開けるだけなら」
数秒。
ロック音。
扉が、重く内側へずれた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸東区/中継管理棟・内部】
中は、思っていたより普通だった。
白い廊下。
灰色の床。
壁際に並ぶ小型の端末。
管理棟という名前にふさわしい、整然とした内部。
――ただし、“普通に見せている”だけだ。
床の継ぎ目の一部を、青白い文字列が細く這っている。
天井の照明が、時々一拍だけ遅れて点く。
そして廊下の奥、閉じた管理室のガラス越しに、細い円の光がちらついていた。
城ヶ峰は手短に指を振る。
左右確認。前進。ライト固定。
全員が無言で従う。
管理室に入ると、そこだけ空気が変わった。
中央に、腰の高さほどの中継卓。
その周囲を囲むように、円形の光が薄く走っている。
旧技術検証棟の基盤塔ほど大きくはない。
だが、複数の細い回線がここへ集まり、また外へ分かれていくのが一目で分かった。
「……ここだ」
日下部が言う。
「流れを束ねてる」
モニター群には、外周の各地点が簡略表示されていた。
湾岸。駅前。病院周辺。行政導線。
そして、その中の一本だけが妙に強く脈打っている。
《ROUTE 03 / OPEN》
《OBSERVER NOISE : HIGH》
《LAYER INTERFERENCE : DETECTED》
日下部が喉を鳴らす。
「“観測体ノイズ”……」
「“補助層干渉”……これ、向こうの反応だ」
城ヶ峰が短く聞く。
「切ればどうなる」
「流れは鈍る」
日下部は画面を追った。
「でも、今切ると向こうとの線まで一緒に落ちるかもしれない」
「なら、どうする」
「一回、向こうを強く噛み合わせる」
日下部の目が速くなる。
「主鍵と副鍵――じゃなくて、“観測体の線”をもう一度太くする。
その状態で中継だけ止めれば、こっちの雑音が減って、細い通信だけ残せるかもしれない」
城ヶ峰は即座に決めた。
「送れ」
日下部は短文を打つ。
――《学園 今一度 同調必要》
――《中継停止準備》
――《短時間でいい》
送信。
画面が白く跳ねる。
数秒の沈黙。
その間に、天井の換気口の奥で、何かが擦れる音がした。
隊員がライトを向ける。
白衣の影ではない。
今度は、事務員のような輪郭の黒い影が、換気口の縁からするりと顔を出した。
「会議、始まってます?」
穏やかな声。
普通の職場の、普通の口調。
「照射」
城ヶ峰の低い一言。
強光が向く。
影は顔をしかめるように縮み、すぐに奥へ引っ込む。
完全には消えない。
だが、この部屋ではまだ前へ出られない。
日下部が汗を拭う。
「……光があるうちにやるしかない」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・夕方】
サキのスマホが小さく震えた。
《学園 今一度 同調必要》
《中継停止準備》
《短時間でいい》
短い。
でも十分だった。
「返ってきた」
サキが言う。
「向こう、今やるつもりだ」
ハレルとリオが画面を見る。
ダミエはレアを閉じ込めた結界から目を離さない。
「また、やる」
リオが低く言った。
「さっきと同じじゃなくても、繋げる」
ハレルは頷く。
胸元の主鍵は、もう待っていたみたいに熱を持ち始めていた。
理屈は分からない。
でも、必要なのは分かる。
結界の中で、レアがゆっくり顔を上げた。
片方の黒い目が、こちらを見ている。
「またそれ?」
「ほんと、嫌い」
ダミエが短く言った。
「……急いで。長くは保たない」
レアの全身を走る数列が、さっきよりもまとまり始めている。
苦しみながらも、形を戻そうとしている。
つまり、時間をやればまた動く。
ハレルはリオの背へ回る。
今度は迷わない。
手を当てる位置も、もう分かっていた。
「行くぞ」
リオが、腕輪の副鍵へ手を添える。
二人とも、同時に息を吸った。
主鍵と副鍵が、もう一度光る。
今度はさっきより滑らかだった。
ぶつかるのではなく、噛み合う。
熱が、流れになる。
リオの魔力が、体育館の空気そのものへ広がる感覚。
ハレルの手を通して、輪郭を持つ。
サキのスマホの画面が真っ白になった。
その上に、青白い細線が一本だけ通る。
《RELAY / STRONGER》
《SEND NOW》
「今!」
サキが、用意していた短文を打ち込む。
――《レア拘束中》
――《箱維持 短》
――《今》
送信。
主鍵の熱が一拍だけ強くなり、副鍵の光がそれに応じる。
レアの身体中の数列まで一瞬だけ強く明滅した。
「やめ……っ!」
レアが苦鳴を上げ、結界の内側を叩く。
だがダミエの壁は崩れない。
「……通った」
ダミエが低く言った。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸東区/中継管理棟・管理室】
日下部の画面に、今度は前よりはっきり文字が出た。
《REA拘束》
《箱維持 短》
《NOW》
「来た!」
日下部が叫ぶ。
城ヶ峰がすぐ隣へ寄る。
意味は十分だ。
向こうは、今、レアを箱に閉じている。
時間は短い。
つまり、こちらも今動くしかない。
日下部の指が中継卓の表示を走る。
《ROUTE 03 / OPEN》
《RELAY CORE / ACTIVE》
《SUB LINE / REDUNDANT》
「これです」
画面の一点を指す。
「中継の芯。ここを落とせば、流れは鈍る。
でも、卓そのものを壊すんじゃない。外周の補助線を切って、芯だけ止める」
城ヶ峰は短く命じる。
「やれ」
隊員が工具を構える。
だが、普通の電源ケーブルではない。
床から立ち上がる青白い線が、卓の脚元を円形に回っている。
日下部が素早く言う。
「三本ある。左から二番目、次に右端。最後に中央を落とす」
「順番を逆にすると基盤側へ返る」
「分かった」
工具が入る。
青白い線が一瞬だけ火花のように散る。
左から二番目が落ちる。
次に右端。
最後に中央。
その瞬間、中継卓の灯りが一段沈んだ。
《RELAY CORE / ERROR》
《SUB LINE COLLAPSE》
《ROUTE 03 / UNSTABLE》
部屋全体の空気が、ふっと軽くなる。
同時に、換気口の奥で潜んでいた黒い影たちが一斉にざわついた。
「照射、維持!」
城ヶ峰が叫ぶ。
強光が部屋を白く塗る。
影は前に出られない。
日下部が画面を見て、息を呑んだ。
「……止まりきってない」
「でも、落ちてる。確実に」
城ヶ峰は即座に聞く。
「向こうとの線は」
日下部が別の窓を開く。
ノイズだらけだった画面の中心に、一本だけ、さっきより太い線が通っていた。
《LINK / HOLDING》
「……生きてます」
日下部の声が震える。
「弱いけど、切れてない」
それが欲しかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸東区/中継管理棟外周】
外で記録を押さえていた木崎のカメラが、その瞬間を捉えた。
地味な管理棟の外壁を走っていた青白いノイズが、一斉に弱くなる。
建物の輪郭が、ようやく“ただの建物”に近づく。
完全ではない。
だが、異物感が薄れた。
同時に、若い警官の動線も、そこで一拍だけ乱れた。
「……止まったな」
木崎はシャッターを切る。
その一枚一枚が、後で証拠になる。
スマホが震えた。
城ヶ峰から短い連絡。
――《中継、半停止。向こうとの細線維持》
木崎は、濡れた髪をかき上げる。
「半分でも上出来だ」
そこへ、遠くからまたサイレン。
まだ終わってはいない。
でも、何か一つは、確かに奪い返した。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・夕方】
レアを閉じ込めた結界の中で、青白い数列が一斉に乱れた。
「……っ、なに、これ……!」
レアの身体を走るプログラムの列が、今度は以前のような暴走ではなく、
外側との接続を一瞬失ったようにばらつく。
右目の黒い影が、うまく広がれずに内側へ戻る。
ダミエの目が細くなる。
「……向こう、落とした」
リオが肩で息をしながら言う。
「完全じゃない。でも、届いたな」
ハレルも、主鍵の熱が少し落ちるのを感じていた。
さっきより、体育館の空気がほんの少し軽い。
ただの気のせいではない。
サキのスマホには、短い表示が出ていた。
《LINK / HOLDING》
《WEAK BUT STABLE》
「……安定した」
サキが呟く。
結界の向こうで、レアが荒く息をしている。
まだ封じ切れてはいない。
でも、さっきまでとは違う。
向こう側の“流れ”が少し変わったことで、こちらの箱も保ちやすくなっていた。
ハレルは、画面を見た。
リオも、ダミエも見る。
弱い。
でも、安定している。
雨はまだ止まない。
獣影も、人型の影も、片鱗も、全部まだ残っている。
それでも、一本の線だけは、今までより確かに通っていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/西区・夕方】
イデールの班は、雨の中で光を繋ぎ続けていた。
市場通り。
北通り。
宿屋裏。
どこもまだ暗い。
でも、完全な闇にはしない。
縛られた兵士の中の片鱗は、まだ小さく動いている。
猫影も、人型も消えていない。
街はまだ危ういままだ。
それでも、イデールはふと空を見上げた。
「……少しだけ、軽い?」
誰にともなく呟く。
ほんの一瞬。
街の光が通りやすくなった気がしたのだ。
気のせいかもしれない。
でも、その程度の変化でも、今は大きかった。
◆ ◆ ◆
中継管理棟は、完全には沈黙していない。
レアも、まだ砕けていない。
街も、駅も、学園も、まだ危うい。
それでも、現実と異世界の間に通った一本の線は、
もうただの偶然ではなかった。
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海の紅月くらげさん