テラーノベル
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僕がこのイカれた舞台で目を覚ましてから、すでに数日が経過していた。
ここがどこなのか、生前の自分が何者だったのか、記憶は一切ない。ただ、一つだけ確かなことがある。
この『サバイバーハウス』と呼ばれる奇妙な待機所にいる間だけは、僕は安全だということだ。
「……」
パチパチと暖炉の火が爆ぜるリビングの隅で、僕は少し大きめのダッフルコートの襟を立て、文庫本に視線を落としていた。
僕は、常に冷静で、論理的で、無表情な人間だ。
「よし。今朝も僕の脳波は、極めてフラットで合理的な数値を叩き出しています」
誰に聞かせるでもなく独り言を呟き、僕は本を閉じた。ちなみに、さっきから三十分ほど同じページを開いていたが、それは熟読していたからであって決して内容が頭に入っていなかったわけではない。
クールな人間たるもの、朝は優雅に紅茶から始めるべきだ。 立ち上がり、キッチンへと向かう。
「――Fauxさん、おはようございます」
「……おはようございます、エリオット」
キッチンでは、赤色のシャツを着た気弱そうな青年――エリオットが、山盛りのピザ生地を捏ねていた。朝からピザ。このハウスの住人の胃袋はどうなっているのだろうか。
僕は彼に軽く会釈をし、戸棚からお気に入りの紅茶の茶葉が入った缶を取り出した。
「手伝いましょうか? その缶のフタ、結構固いですよ」
「お気遣いなく。僕の握力と腕の筋肉構造は、この程度の物理的負荷を容易に処理できるように計算されていますから」
フッ、と無表情のまま口角をわずかに上げ、僕は紅茶の缶に手をかけ、フタを引っ張った。
……おかしい。異常に硬い。僕の計算された筋肉構造が悲鳴を上げている。
「ふんっ……! ぬぉぉ……っ!」
ダッフルコートを着たまま全力でフタと格闘していると、突然ポンッ!とフタが外れ、勢い余って手元が狂ってしまった。
パカッ、バシャァァッ!
「ひゃうっ!?」
缶から飛び出した茶葉が、キッチンの床に盛大に散乱した。
「あわわわ! だ、大丈夫ですかFauxさん!」
「ち、違いますエリオット! これは茶葉の乾燥度合いと湿度の関係性を、床に散布することで視覚的にぶんせ……ぶんっ、分析するための……っ!」
「いいですから! 僕が掃除しますから座っててください!」
エリオットに半泣きで宥められ、僕はほうほうの態でキッチンから撤退した。
おかしい。クールでスタイリッシュなモーニングルーティンになるはずだったのに、どうしてこうなったのだろうか。
「あっはははは! おいおい、朝から派手にやってんなぁ!」
キッチンからの敗走を見届けていたかのように、リビングの入り口から大きな笑い声が聞こえた。
黄色い肌に白いTシャツを着た男――シェドレツキーだ。彼は両手にいつものフライドチキンの山を抱え、大口を開けて笑っている。
「ほら、紅茶よりチキン食うか? 目が覚めるぞ!」
「……謹んで辞退します、シェドレツキー。朝から高カロリーな脂質の摂取は、次回の逃走時におけるパフォーマンスのていか、ていっ、低下を招きます」
「お前、また噛んでるぞ!」
シェドレツキーがバンバンと膝を叩いて笑う。
何故だ。完璧なタイミングで知的な返答をしたはずなのに。僕は顔に集まる熱に困惑しながら、「言語中枢のウォーミングアップです」と大真面目に答えた。
「まあ、そう虐めてやるなよShed。こいつなりの『武装』なんだろ」
ソファの方から聞こえてきたのは、呆れたような、けれどどこか面白がっているような声。
フェドラ帽を目深に被り、コインを指先で弄っているギャンブラー――チャンスだ。
彼のサングラス越しの視線と合うと、どうにも居心地が悪い。僕はごく自然に『自分自身』として振る舞っているだけなのに、彼は何故か「無理してサイズの合わない鎧を着ている」とでも言いたげな目で僕を見てくるのだ。
「……不毛な会話は切り上げます。僕はゲストと、次回の作戦会議がありますので」
僕は伊達の丸眼鏡を押し上げ、早足でリビングの奥へと向かった。
リビングの壁際では、迷彩服を着た屈強な軍人――ゲストが、黙々と片手での腕立て伏せを行っていた。
銃器を持たず、己の肉体そのものを武器であり『盾』とする彼にとって、日々のストイックな鍛錬は欠かせない日課なのだ。
彼は戦場に出れば、どんな凶悪なキラーの攻撃も正面から受け止める『最強の盾』だ。僕がこの世界で初めて目を覚ました時、足がすくんで動けなくなった僕に「走れ」と指令を飛ばし、前へ進ませてくれたのも彼だった。
「……おはようございます、ゲスト。大胸筋および上腕三頭筋のコンディションはいかがですか」
僕はダッフルコートのポケットに両手を突っ込み、できるだけプロフェッショナルな響きになるように声をかけた。
「おはようございます、Fauxさん。問題ありません。いつでも実戦であなたたちの盾になれる状態です」
ゲストはトレーニングの手を止めることなく、静かな敬語で答えた。
「それは何よりです。僕の戦術的見地から言わせてもらえば、現在のハウスの防衛力は――」
鼻にかかる少し大きめの伊達の丸眼鏡を中指でクイッと押し上げ、彼と高度な軍事トークを展開しようとした、その時。
ズリッ。
「ひゃうっ!?」
何もない絨毯の継ぎ目に見事に躓き、僕は盛大に床へダイブした。
「……」
「……」
沈黙。
僕は顔から絨毯に突っ込んだ状態のまま、ピキリと固まった。
「……怪我はないですか」
「ち、違います! これはハウスの重力異常を調査するための、すい、推量的な行動で……っ!」
「そうでしたか。ハウスの重力場に異常があるならば、私のトレーニングメニューも重力の負荷を再計算して修正する必要がありますね。貴重な報告に感謝します」
「えっ」
ゲストは、僕の苦し紛れの言い訳を、一ミリも疑うことなく真顔で受け止めた。
いや、嘘だ。彼は分かっている。分かっていて、僕のこの痛々しい虚勢を「そういうもの」として扱ってくれているのだ。
それが優しさなのか、単に彼が真面目すぎるのかは分からない。しかし、僕は真っ赤になった顔を隠すように俯きながら、もそもそと立ち上がった。
「ほーら見ろ! またギャグみたいなコケ方しやがって!」
遠くのソファから、シェドレツキーの容赦ない笑い声が飛んでくる。
「笑い事じゃありません! 僕の脳内GPSは常に――」
いつものように反論しようとした、その時だった。
足元の空間が、不意にぐにゃりと歪んだ。視界の端に、血のように赤いデジタル時計のタイマーが浮かび上がる。
【04:00】。
「……チッ、時間か」
チャンスの声が一段と低くなる。次の瞬間、僕たちの体は眩い光に包まれ、強制的にもう一つの日常――終わりのない『ゲーム』へと転送されていった。
光が収まると、そこは甘ったるい匂いと鉄錆の臭いが混ざり合う、不気味なケーキ工場のマップだった。
止まったままの巨大なベルトコンベアや、錆びついた機械が立ち並んでいる。
このゲームのルールは単純明快だ。空に浮かぶタイマーが『0:00』になるまで、マップ内を徘徊する『キラー』から逃げ切ること。ただそれだけ。
「……システム起動。『Vital Sync』」
僕は開始早々、すぐさま分厚い機械の陰――遮蔽物の裏へと身を隠し、ポケットから端末を引き抜いた。
そして、通路の中央へ進み出たゲストの背中に視界に捉え、淡い緑色の生体リンクを繋いでおく。
僕のアビリティ――Vital Syncは、視界内に捉えている味方一人に、使用者自身の体力を徐々に分け与えることができる。自らが姿を現さずとも、遮蔽の裏から回復できるのが強みだ。
『みーつけた! あーそーぼ!』
無邪気で甲高い、しかし酷く歪んだ子供の電子音声が響いた。
コンベアの奥から現れたのは、赤い角を生やした巨大な異形、キラー『c00lkidd』だった。彼は楽しそうに跳ねながら、純粋な悪意のない笑い声を上げている。
(……正面。距離20メートル。一直線に向かってくる)
心臓が早鐘のように鳴っている。手には冷や汗が滲む。
それでも、僕の頭の中は冷たく計算を続けていた。理解不能な亡霊でも、純粋な殺意でもない。これは『制御不能な子供との鬼ごっこ』だ。子供の衝動なら、僕の脳でも十分に計算できる。
「迎撃態勢!」
ゲストの号令と共に、サバイバーたちが一斉に動いた。
ビルダーマンが手早くトンカチを振るい、キラーを迎撃するセントリーを建設する。そこに、タフが地雷を設置する。
それと同時に、ゲストがあえてキラーの直線上に飛び出し、アビリティの使用を誘った。
(キラーのアビリティは、主に三種……)
僕の脳内で、戦術データが瞬時に展開される。
岩の投擲によるダメージと鈍足付与。
驚異的なスピードでの突進と燃焼付与。
自動追跡するミニオンの召喚。
どれも当たれば強力だが、岩はスピードが遅く、他は予備動作が大きいため、見てからの回避が可能だ。
次の瞬間、狂気的な笑い声を上げながらc00lkiddが岩を投擲した。ゲストは飛来する岩をギリギリのステップで躱し、空振りさせる。
その投擲の隙を突き、潜伏していたツータイムがキラーの背後に回り込んでダガーを突き立てた。短いスタンが発生する。
「僕の計算に、狂いはありません」
遮蔽物の裏からこっそりと視線だけを通し、僕は丸眼鏡を押し上げる。強固な前衛、多彩な遊撃、そして途切れないサポート。これなら戦線は絶対に崩れない。
しかし、子供の飽きっぽさが牙を剥いた。
『つまんない!』
度重なる迎撃に腹を立てたのか、c00lkiddがぐっと身を沈める。
その視線が、前衛たちを通り越し、真っ直ぐに奥のエリア――せっせと発電機を修理しているヌーブの背中を捕らえた。
『僕だよ! 僕だよ! 僕だよお!』
狂ったような笑い声と共に、c00lkiddの姿がブレる。一時的に極限まで移動速度を引き上げ、当たれば剣で切り刻まれ、燃焼ダメージに苦しめられる。
(……視線固定。突進。方向転換、不可!)
僕の脳内が警鐘を鳴らす。
この開けた空間で一直線に走られれば、作業に集中して無防備なヌーブは避けきれない。
突進は止められない。なら、突進の軌道上に割り込んで強制停止させるしかない。
「ゲスト! 真っ直ぐ、ヌーブの延長線上です!」
僕は思わず遮蔽物の裏から声を張り上げた。
僕の意図を瞬時に察知したゲストが、キラーの突進の軌道上――ヌーブの少し手前に滑り込こんだ。
ブロックを使えば自身は無傷でいなせる。しかし、それではキラーは減速せずに通過して背後のヌーブに直撃してしまう。彼はあえて、自身の強靭な肉体をストッパーにしたのだ。
その瞬間、ダメージを予期したデュセッカーの魔法のシールドがゲストを覆う。
『捕まえた!』
「ぐっ……!」
シールドのおかげで、剣のダメージは大幅に軽減された。しかし、その強烈な衝撃と、追加効果の燃焼ダメージの炎までは防ぎきれず、迷彩服が焼け焦げる。
「ヴェロニカ!」
「任せて! (≧∇≦)」
ゲストをカバーするため、ヴェロニカがスケボーに乗って猛スピードで突撃し、突進を当てて隙を晒したc00lkiddを強引に押し出した。
その先には、先程設置されていたセントリーと地雷があった。起爆した地雷によってキラーが目を回し、一定時間の攻撃不可状態に陥った。
「Faux!」
「了解です!」
ゲストの声に、僕は素早く端末を操作し、もう一つの支援アビリティを起動した。
キラーの視界外かつ、ゲストから近い安全な死角。僕の脳内CPUが弾き出した最適な座標を指定する。
「『Heal Node』、設置完了!」
指定したポイントに、淡く光るデータが実体化する。キラーの近くには置けないという制約がある代わりに、触れた味方の体力を即座に中程度回復させ、状態異常を回復するノードを作り出すアビリティだ。
炎に焼かれながら、ゲストが素早くバックステップしてノードに触れる。淡い光が彼を包み込み、刻まれていた傷と燃焼状態が瞬時に消え去った。
「……ふう。完璧なタイミングと配置だ。助かったぞ、Faux」
「……ええ。これで戦線が維持できるはずです」
冷や汗でべたべたになった顔を隠すように、僕は丸眼鏡を押し上げる。
――カーン、カーン、カーン。
やがて空高くから、試合終了の鐘が鳴り響いた。タイマーが『0:00』を迎えたのだ。
『つまんなーい!』とキラーが子供のように地団駄を踏みながら霧散し、僕たちは再び光に包まれてサバイバーハウスへと転送された。
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