テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
アサの悪魔の誘いにランナは返事を濁すと、逃げるようにしてその場から立ち去った。
アサとモニカ、そしてヨルもランナを利用する目的で近付いてくるのは明白。本当の味方なんて誰もいない。
(私は、どうしたらいいの? 教えてヒルくん……)
ランナはヒルの城へと続く真っ白な連絡通路を全力で駆けているが、ドレスの裾が邪魔をしてなかなか視界の色彩が変わらない。
今はヒル以外の人に会いたくない。ヒルに会えるまでの時間が、こんなに長く感じるものだとは思わなかった。
ようやく金色の廊下に移り変わると階段を駆け上ってヒルの自室へと直行する。朝の時間帯は誰もいない部屋だからこそ一人で落ち着ける。
無我夢中でヒルの部屋の扉を開けてリビングに飛び込むと、思いがけない先客がソファに座って待っていた。
「おはよう、ランナ。待ってたわ」
「姉……さん……」
艶やかな長い黒髪と漆黒の瞳、黒のドレスを纏ったランナの実の姉は、上品に足を揃えてソファに座って微笑んでいる。
今は朝なのでランナとポーラは三つの城を自由に行き来できる。あんなに会いたいと思っていたポーラなのに、今は面と向かうのすら怖い。
「ねぇ、ランナ。私、分かってきたの」
「なに……を?」
ランナはソファの前に立ち尽くしたままで、ポーラの隣に座る気にもなれない。今すぐに逃げ出したいが、アサの城にもヨルの城にも行きたくない。
逃げ道を塞がれたランナの足と感情は不安定に揺れ動いて落ち着かない。ポーラは微笑しながら唇だけを動かす。
「私たちなら、ヴァクト様の人格を1つにする事ができるんじゃないかしら」
ポーラの意図は分かる。だからこそランナは怖い。ヴァクト陛下の人格が1つになる、それは人格の殺し合いに決着がついた時の事を指す。
逆を言えば、決着がつくまでは誰もこの殺し合いからは解放されない。それはモニカとポーラにかけられた呪いも同様。
「ねぇ、ランナ。私たちって聖力は弱いけど、力を合わせて薬を調合すれば……」
「やめて!!」
ランナは言葉ではなく声で拒絶する。最後まで聞かなくても、その続きは分かる。ポーラはヨルを生かすためにアサとヒルを殺したいのだと。
しかし命を共有する三人のヴァクトの『人格だけ』を殺す方法は魔法薬を使うしかない。それが三人格に共通する目論見だった。
一人では風邪薬くらいしか調合できない薬師の姉妹だが、『二人』で調合すれば人格を殺す毒薬を調合できる。
ランナは次々と見えてくる殺意や陰謀に巻き込まれていく恐怖に耐えきれない。ポーラまでもがランナを利用するために近付いてくる。
「姉さん、思い出して! 父さんと母さんから譲り受けた私たちの能力は、そんな事に使うためのものじゃないでしょ!?」
「じゃあ、どんな事に使うの? 私は愛するヨル様のために使いたいの」
ポーラは首を傾げて純粋に理解できない様子でいる。呪いのせいだとは分かっていても、変わり果てた姉を相手に感情を剝きだして理解を求めてしまう。
今は亡き両親の形見でもある、魔法薬の調合の能力。それは人々の幸せのためにあって、人を殺すものであってはならない。
ランナは金色の太陽の瞳に涙を浮かべてポーラの夜の瞳に訴える。
「もういい。ここは私の部屋だから、勝手に来ないで。出てって、帰ってよ!」
「……分かったわ。じゃあね」
ポーラは顔色を変えずに静かに立ち上がる。その所作も上品で美しく、いつの間に貴族になったのか……もはやランナの知る姉とは別人だった。
白いドレスの昼のランナと、黒いドレスの夜のポーラ。その相反する色は、別の城で別の時間を生きる姉妹の決して交わらない心の象徴。
立ち去るポーラの後ろ姿すら見送らずに、扉が閉まる音がすると脱力して両膝を床に落とす。そのまま這うようにしてソファの上に乗って寝そべる。
(私、どうしたらいいの……ヒルくん、はやく来てよ)
天井を向いたランナの瞳から雨の雫のように涙が目尻を伝う。ぼやけて歪んだ視界を瞼で隠すと、そのまま意識は暗闇の中に消える。
眠りに落ちたランナは幼い事の夢を見た。それは15年以上前、ランナが3歳くらいの頃の記憶の回想シーン。
辺境の街、モーメントに住むランナの一家。父は聖者の医師で、母は聖女の薬剤師。その頃から自宅のリビングを診察室にしていた。
患者を診ている両親の側にいた幼いランナは、そこで少し年上の男の子と出会った。たまに昼間に来る患者の息子だと思うが、名前は覚えていない。
その男子は自分と同じ明るい金髪で、いつも弾けるような笑顔で話しかけてきた事だけは覚えている。
しかし、ある日突然。両親が幼い姉妹を残してどこかへ消えた。街の人から聞かされたのは、両親は亡くなったという事だけ。
幼い姉妹がそれを理解できるはずがない。悲しんだのか、泣いたのかさえ今ではもう覚えていない。
それでも近所の優しい人たちが家族同然に育ててくれたので不自由はなかった。それにポーラと一緒なら寂しくなかった。
あの男の子と会う事もなくなったが、今になって思う。
つい最近、あの男の子に似た金髪と笑顔を見たような……なんならキスしたような……。
そんな妄想のせいか、本当に唇に熱さを感じて夢から覚めてしまった。
ゆっくりと瞼を開けて瞳に光を取り入れようとするが、目に入ってきたのは金色の天井ではなく金髪の男だった。
(え、あれ? あの時の男の子? まだ夢の中かな……)
しかし、あまりに長すぎる唇の熱と強い圧迫で息苦しくなってきた。幼児のキスにしてはテクニシャンで濃厚すぎる。
次第に覚醒してきてランナが瞳を大きく見開くと、ようやく唇が解放される。それと同時に金色の前髪と赤い悪魔の瞳がランナの瞳を独占する。
「おはよう、ハニー。昼寝はベッドでしろよな」
「ヒル……くん……ヒルくん!!」
ニカッと白い歯を見せて笑うヒルの笑顔が眩しくて、ランナも笑顔で片手を振り上げるとヒルの頬を思いっきり叩く。
その衝撃でヒルはソファから転げ落ちた。少し大げさなのはヒルのノリの良さだ。
「おぉい! なんで嬉しそうな笑顔で叩くんだよ、お前はドSか!? 嫌いじゃないけどな!」
「だってヒルくん、遅いんだもん」
本当はキスの照れ隠しだが、やっとヒルに会えたのは素直に嬉しい。そして叩かれても嬉しそうなヒルは性癖を自らバラした。
王妃の自覚がないランナは、ヒルを国王としても夫としても見ていない。夫婦というより友達感覚のバカップルだ。
ヒルは床であぐらをかいて座ると、金髪をクシャクシャと掻いてバツが悪そうな顔をする。
「しかし、本当に呪いが効いてねぇんだな……って、ランナ、どうした!?」
ソファに両膝を揃えて座るランナは、膝の上に両手の拳を置いて顔を伏せている。その両肩は震えていて、拳の上に銀の雫が次々と落ちていく。
ランナが号泣していると気付いたヒルは、慌てて腰を上げてソファに飛び乗ると隣に座る。
「おい、泣きすぎだろ! どうした、何があった!?」
「もう……色々ありすぎで、グチャグチャだよぉ……」
ヒルは慰め方も下手で、ただ狼狽えている。それでも思い当たる節はいくらでもあるようで、ランナの肩を抱いて引き寄せる。
「あぁ、あれか……どうしようもないんだよ。体は1つだからさ」
ランナがなぜ心を乱されるのか。アサがモニカを愛する行為、ヨルがポーラを愛する行為。ランナを苦しめるのは、その愛や行為そのものではない。
今、肩を抱いているヒルの優しい腕も、重ね合ったばかりの唇も眼差しも。全てはヒルの別人格がモニカやポーラを愛して抱いた『体』と同一だという現実。
もしランナも呪いにかかっていれば、そんな疑問も苦しみも持たずにヒルを愛していたのだろう。その方が楽に生きられたに違いない。
「ヒルくんが呪いもかけられないヘタレだから辛いんだよぉ……」
「え!? なんだそれ、逆恨みだろ!」
そうは言うが、呪いの魅了の効果はないのに指輪は薬指から外れない。なんとも中途半端なヒルの呪いは滑稽で、もはや笑えてしまう。
ヒルはといえば、ふざけているようで大真面目な顔をしている。冷淡なアサとも冷酷なヨルとも違う、ヒルの純粋さは不安な心を明るく照らしてくれる。
「でもさ、愛って体じゃなく心に宿るものだと思うんだよな。だからオレの心はランナだけを愛してるぞ!」
「うぅ……ぷっ……ふふ……」
「泣いたり笑ったり、どっちだよ……」
ため息をついたヒルは、気を取り直してキリッと目を吊り上げる。ヒルにはゆっくりしている時間がない。これからの事を簡潔に決める必要がある。
ヒルはランナの両肩に両手を置くと自分の方に向かせる。ヒルの顔が近くて強制的に赤い瞳と視線が交わる。
「ランナ。改めて言う。アサとヨルを殺すためにオレに力を貸してくれ」
ヒルの口から放たれたのは、今もアサとヨルと同じで残酷な願望であった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!