この作品はいかがでしたか?
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そこには、『舞台に立つ者』というタイトルと共に、一人の役者の名前が書かれていた。
『アシュリー・ラティオ』
彼はその文字を指先でなぞった後で小さく微笑み、そっと目を閉じた。
今になって思うと、あの時、すでに自分は壊れかけていたのかもしれない。
何故ならば、あれほどまでに渇望した自由を手に入れた瞬間だというのに、自分は喜びよりも先に恐怖を感じていたからだ。
これまで信じてきた価値観が崩れ去り、何もかもが信じられなくなるような感覚……。
それでも、不思議と後悔はなかった。
むしろ清々しい気分でさえあった。
ようやくこの苦しみから解放されると思うと、胸の奥にあった黒い感情が消え失せたのを感じた。
だが、それと同時に気づいたことがある。
自分が望んでいたものは、こんなにもあっさりとしたものだったのかということだ。
「…………」
目の前にいる彼女を見ると、どうしてもあの時のことが思い出される。
あぁ……そうだ……確か、この辺りからだっけ……君と出会ったのって……。
あの時は本当に驚いたよ。まさかあんなところに人が倒れてるなんて思わなかったもん。
しかも見た感じかなりヤバそうな人だったしさ。ほら、僕ってこう見えて結構面倒見良い方だし、ほっとけないっていうかさ……まぁ……その……何より……僕自身が君のことを放っておけなかったというかね……? うん……やっぱり僕はさ、こういう性格なんだと思うんだよ。
困っている人は放っておけないし、助けられることがあるんなら何でもしたいしね……それに、今みたいに一緒にいて楽しい人と出会えたことは滅多にないしさ……だからきっと、これは運命とか奇跡みたいなもので……とにかく、僕は君と一緒にいたかったんだと思う。
えっと……それで……どこまで話したっけ……? ああ!そうだ!彼女が僕のことを好きになってくれて……嬉しかったけど……でも、すごく怖くてさ……だって僕なんかのことを好きだと言ってくれる女の子が現れるなんて、夢にも思ってなかったし……だから、もしもこれが偽物の恋人関係じゃなかったとしても、そのうち絶対に後悔するんじゃないかなって思ったりもして……でも、君はそれでも構わないって言ってくれたよね。僕はその言葉を信じたいと思うよ……。……あれ?ちょっと待ってくれ。どうして泣いてるんだよ。君らしくもないじゃないか。ほら、笑ってみせてごらんよ。いつもみたいに笑顔を見せてくれないかい? ねえ、お願いだよ。僕に君の笑った顔を見せてくれ。
だって、これから先もずっと一緒に居てくれるんじゃなかったのかい? それに、あの時の約束はまだ終わっていないはずだろ? もう一度だけ言うよ。僕は君を愛してるんだ。
だから、君からも聞かせてほしい。
僕のことが好きなんだろう? さあ、早く言ってくれ。
そして、また僕ら二人だけの世界で生きていこう。
ずっと一緒だ。永遠にね。
だからどうか泣かないでほしい。
僕はいつだって君の味方なんだから。
たとえ何があっても、必ず君を守るから。
ほら、大丈夫だ。何も怖いことは無い。
もうすぐ全てが終わるんだから。
だから、もう少しの間だけは我慢していておくれ。
それから数分後、ついに警察が到着し、辺り一帯は完全に封鎖された。
「…………」
男はその様子を見て、静かに目を閉じた。
これでようやく終わりだと思ったからだ。
しかし……終わってはいなかった。
「お前の身体をよこせ」
そう言って現れたそいつは、死んだはずのあいつの姿になっていた。
あの時の光景を思い出してしまい、全身が震えだす……。
怖い……逃げたい……嫌だ! 必死になって逃げるも、すぐに追いつかれてしまう。
「大丈夫だよ……君だけは助けてあげるからさ……」
優しく囁きながら近づいてくる……あいつの顔をした化け物。あの時の光景を思い出してしまった私は思わず目を逸らす。
「ねぇ、今どんな気持ち?」
楽しげに笑いながら問いかけてくる偽物の彼女を見てると無性に腹が立ち、同時に悲しくなってきた。
どうして彼女があんな目に遭わなければならなかったのか? 一体誰が悪いのか? 誰のせいでこんなことになったのか? 考えれば考えるほど怒りが込み上げてきて、涙が溢れ出てくる。
「ごめんなさい……」
謝罪の言葉を口にしながらゆっくりと立ち上がり、震える足取りで彼女に近づこうとする私だったが、どうしても最後の一歩を踏み出すことができずにいた。
それでもなんとか歩みを進めようとした瞬間、突然何者かに後ろから抱きしめられてしまい、私の動きは完全に封じられてしまう。
いったい何が起きたのか理解できずにいると、耳元で誰かの声が聞こえてきた。
「大丈夫だよ」
優しい口調で語りかけてきたその声を聞いた途端、不思議と安心感に包まれると同時に緊張がほぐれていくような感覚を覚えた。
そして次の瞬間、今まで感じたことの無いほどの幸福感に満たされていく中、意識は次第に遠退いて行き、そのまま深い眠りに落ちてしまうのであった。……ここはどこなのかしら? 辺り一面真っ暗で何も見えない……。
それになんだか眠いわね。
少しだけ眠ることにしましょう。
次に目が覚めた時にはきっと全てが終わっていて、いつも通りの朝が来るに違いないと信じていた。
だけど……、いつになっても何も起こらなかった。
代わりにやってきたのは……、激しい頭痛と吐き気だけだった。
何度試しても無駄だった。いくら待っても終わらないし、元にも戻らない。
もう……嫌だ……。疲れてしまったよ……。
どうして僕は……生きているんだろう? 何故、あの時に死ねなかったのだろう? 僕はただ……彼女にもう一度会いたいだけなんだ……。
僕が死んだ後、彼女がどうなったのかを知りたくて……。
でも、そんなことは叶わない……。
彼女に会うことも出来ずに……
誰にも知られずにひっそりと消えていくだけだ……。
そうだ……。もう……終わらせよう……。
楽になりたい……。苦しいんだ……。助けてくれ……。…………ああ……。これでやっと……。
その日を境に、街を彷徨う幽霊の噂が流れた。
幽霊は生前の記憶を失っており、記憶を取り戻すために誰かを探していたらしいのだが、その相手の名前だけはどうしても思い出せないのだという。
ある者は、そっとしておくべきだと言った。
また別の者は、話を聞いてあげるだけで幸せになれると言っていた。
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