TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
シェアするシェアする
報告する

 真夏の太陽が元気一杯に光り輝いている午後、今日はウーヴェが午後から休診の為に己も同じ様に午後から休みを取っていたリオンは、昨夜の出来事を思い出しつつウーヴェのクリニックに向かう電車に乗り込んでいた。

 ひと月前の、リオン自身は上司が映画祭に出席すると言うだけの関わりしか持たなかったが、スポンサーになっている映画祭で女優が狙撃されるというショッキングな出来事はバルツァーの社内でも今後の映画祭への関わり方についての議論を生み、その煽りを食らって多少は忙しくなっていた。

 だが忙しいと言っても所詮は他人の畑の出来事で今まで通りにのらりくらりと仕事をこなしていたのだが、昨日その事件で知り合ったノアという己に恐ろしく良く似た年下の青年と食事をし、一緒にいたウーヴェも珍しいほどの陽気さでその時間を楽しんでいたのだ。

 リオンにとっては自分よりも愛する人が楽しんでくれている事が単純に嬉しくて有意義なものになったのだが、酒が入って皆の口も軽くなり出した頃にノアが己とリオンに血縁関係が無い事が不思議だと言いだし、ウーヴェもアルコールの力を借りてかそのフリをしてか、兄弟では無く従兄弟という関係ならばあってもおかしくは無いと言い出したのだ。

 ひと月前の事件の夜、聴取を終えた警察署からの帰路の車内で肉親に関しての疑問をウーヴェが投げかけ、リオンが己でもどうすることも出来ない苛立ちから冷酷に返事をしたのだが、それをぶり返すつもりかはたまた発展させようとしているのか、ウーヴェがノアとの血縁関係を真剣に確かめたい、そんな思いをいつか口にする恐怖を無意識に感じ取り、その話はもう止めろと制止をかけたのだ。

 このままここでその話題になればきっと己は愛するウーヴェをこれ以上無いほど冷酷な言葉と態度で傷付けてしまう、ターコイズ色の双眸を悲しみに沈ませてしまう恐怖から頭を冷やしてくると席を立ったのだが、その時ホームのブラザー・アーベルから不明瞭な内容の電話が掛かってきた。

 体調不良の人をホームで預かっているがマザー・カタリーナが気になることを言っているので顔を出して欲しいとの事だった。

 体調不良の人の面倒を見ることや今日明日食うに困っている人を助ける事はリオンがホームで暮らしている頃から当たり前の光景だったが、己や他の子ども達にとって母のような、スタッフらにとっては精神的な支柱でもあるマザー・カタリーナが気になると言っている事を無視するなど出来ず、今食事をしているから終わったらそちらに向かうと返事をしたのだ。

 せっかくの楽しい、特にウーヴェが楽しんでいる時間にある意味水を差す様なそれはリオンを不機嫌にしてしまったが、それと同等にマザー・カタリーナが気になると告げられた言葉が引っかかり、考え事をしている時特有の不機嫌さを顔に出してしまっていた。

 そんなリオンを宥めるようなキスをウーヴェがし、後部シートにノアを乗せて雨が降り出した中をホームに向けて車を走らせたリオンだったが、ウーヴェがリオンの不機嫌さが何に由来しているのかを感じ取っているかのようにシフトレバーに置いた手に手を重ねていた為、ホームに着く頃にはリオンのイライラも多少は薄らいでいたのだ。

 不機嫌さを薄れさせてホームに着いたリオンを待っていたのはマザー・カタリーナの部屋で寝ている顔色の悪い男だったが、それがひと月前に対面したヴィルヘルム・クルーガーだと気付き、そこで初めて彼女らはここに連れてきたのがヴィルヘルムの息子だと説明する必要もないと思いつつもノアを紹介し、不安そうに眉を寄せるノアを父の傍に残してウーヴェと一緒にリオンはキッチンでマザー・カタリーナに、何故ここで彼の世話をみるようになったかの経緯を聞いていたのだ。

 マザー・カタリーナが命の水と皆が呼ぶ飲み物を作っている背中に気になることってなんだとタバコに火をつけつつ問いかけたリオンは、隣でウーヴェのメガネの下の目が何かを閃いた時の様に光ったのを見逃さなかったが無視をし、タバコの煙を天井に向けて吐き出す。

『……何処かで見たことがあるのです』

 彼女の言葉に小首を傾げたリオンは、先月の事件をテレビで見ていたそうだからその時に見たんじゃないのかと伝えると、マザー・カタリーナの眉が寄せられて顔が曇る。

『そうかと思ったのですが……リオン、ヤーコプを覚えていますか?』

 まずはウーヴェに、ついでリオンに命の水を満たしたマグカップを差し出したマザー・カタリーナは、別室にいるクルーガー親子の為にもカップを用意し、自らは一番小さなカップにほんの僅かの残りを注いでカップの透けて見える底を見つめつつ本当に見ているのはそれでは無いと言いたげな横顔で呟いた名前にリオンの眉が寄せられるが、程なくして謎が解明されたかのように開く。

『ヤーコプじいさんの事か?』

 面倒見が良くていつも誰かが彼を頼ってここに来ていたがそのヤーコプかと問いかけると、マザー・カタリーナが軽く目を伏せて小さく頷く。

 今は眠っているヴィルヘルムだが、彼がここに到着すると何事かに驚いたように身体を震わせた後、ヤーコプはどうしていると問いかけたこと、彼はもう随分と昔に病気で亡くなった事を伝えたのだが、僕とマリーは悪くない、悪いのはヨハンだと叫んでそのまま気を失ってしまったと教えられ、聞かされたその行動にリオンが蒼い目を見開くが、無意識の動作で立てた人差し指でこめかみを指で突く。

『リオン』

 さすがにその行為を見過ごすことが出来なかったのかウーヴェがリオンの手首をそっと掴んで動きを止めさせると、バツが悪そうにリオンがタバコの煙を明後日の方へと吐き出す。

『何でノアの親父がヤーコプじいさんを知ってるんだ?』

『そうなのです。私が引っかかったのはそれなのです』

 あの時彼がヤーコプの名を出さなければ思い出すことも無かったかも知れないとリオンの向かいに腰を下ろした彼女は、マグカップをじっと見つめつつ随分昔に一度会っている気がすると呟き、ふぅと溜息を零す。

『マザー、考え込むなよ』

『……マリーとヨハン……リオン、やはりわたくしは彼と会ったことがあります』

 口の中で小さく何人かの名前を呟いたあとに確信を得たと顔を上げたマザー・カタリーナは、目を丸くするリオンとウーヴェの顔を順に見た後、思い出しましたと告げてマグカップをテーブルに置く。

『昔、ここに泊めたことがあります』

『は!?』

 マザー・カタリーナの言葉にリオンが素っ頓狂な声を上げ、泊めたことがあるとはどういうことだと身を乗り出し、ウーヴェがリオンのシャツの裾を軽く引っ張る。

『……あれはまだベルリンに壁があり、ドイツが東西に分裂していた頃です』

 彼女が語り出したのは経緯などは全く分からないがベルリンの壁を越え亡命してきた若い男女三名がヤーコプと彼の友人であり教会の協力者でもあったゲオルグの紹介で夜遅くにやってきた事、彼らはヨハンとマリーと名乗り、ノアに良く似た男性がヴィルヘルムと名乗ったがウィルと呼ばれていた事を告げると、リオンの身体から力が抜けたように椅子に座り込む。

 幾らでもいていいと伝えたが所用で出ていたヤーコプが戻ってきた事もあり、翌朝迎えに来たゲオルグと一緒に三人が出て行った以降の消息は耳に入ってこなかったが、叶えたい夢がある事、それを叶えるために他国に行ったことを風の噂で聞いた事を告げると、リオンとウーヴェが顔を見合わせる。

『ノアは両親のことを名前で呼んでいたな?』

『ああ……マリーとウィルと言っていたな』

 ゲートルートで食事をしているとき、リオンとウーヴェの仲の良さを見て己の両親の仲の良さを思い出していたらしい彼の口からウィルがマリーに惚れているとの言葉が流れ出した事を思い出した二人は、間違いが無いのかとマザー・カタリーナの顔を見つめると、彼女が穏やかな顔で断言するように頭を上下させる。

『間違いありません。今ベッドで寝ている彼は昔ここに来たことがあります』

 そしてしばらくの間はヤーコプと交流を持っているようでしたと、教会には無くてはならない人と称した割には曇った表情で頷いた彼女は、リオンが咥えたままのタバコから灰が落ちたことに気付いて慌てて灰皿を差し出す。

『……これも神の思し召しですね』

 灰皿に慌ててタバコを押しつけたリオンが40年近く前にこの教会に縁があった人が何の因果かは分からないが時を経て同じ場所に集まったのかと呟きながら新たな一本に火を付けたとき、マザー・カタリーナがマグカップを二つ乗せたトレイを手に立ち上がる。

『様子を見てきますね』

『あ、ああ』

 出て行く母の背中をぼんやりと見送ったリオンはウーヴェが何かを言いたげに見つめてくる事に気付き、紫煙を天井に向けて細く吐き出す。

『……ベルリンの壁が壊れた時ってさ、オーヴェはギムナジウム?』

『そうだな……教師達が随分と大騒ぎをしていたのを覚えている』

 ギムナジウムというある種の閉鎖空間で世界に波紋を投げかけるだけでは無くその後の世界を大きく変化させる事になる事件についてテレビを見ながら教師達が一種の狂乱状態に陥っていた事を思い出し、お前は覚えているのかと問いかけると、リオンの首が傾ぐもののぼんやりと覚えていると返される。

『テレビで毎日壁が壊される光景がニュースで流れてたけど、時々亡命してきたって人がホームに来てたんだよ』

『そうなのか?』

『さっきマザーが言ってたけど、ノアの両親とヨハンって男もそうだったみたいだな』

 ノアの両親が亡命者である事は既知の事実だったが亡命後にこの街で暮らしていたどころか一晩とはいえここに来ていたとは知らなかったと椅子の背もたれにずるずるともたれかかりながら足を伸ばしたリオンは、ノアは知っているのかと呟きどうだろうなとウーヴェが腕を組む。

『ノアの両親は自分の家族についての話を彼にはしていなかったようだし……』

 亡命後にこの街で暮らしていた事実を彼は親から聞いているのだろうかとも呟いたとき、マザー・カタリーナがノアと一緒に戻ってくる。

 ヴィルヘルムは目を覚ましたが随分と混乱している様子だった事を報告しながら不安な顔で父がいる部屋の方へと顔を向けるノアに椅子を勧めたマザー・カタリーナだったが、この時初めて気付いたと言う様に目を見張り、二人とも随分と似ているのですねと驚きと感嘆の声に笑いを混ぜ、ノアには無言でリオンには今気付いたのかと呆れたように呟かれる。

『ええ、今気付きました……二人とも本当に良く似ていますね』

 ロイヤルブルーの双眸も柔らかなくすんだ色合いの金髪も本当に良く似ていると笑う彼女にウーヴェも絶妙な具合で同意を示すが、さっきは動作を止めさせた手に今度は掌を重ねて包み込むように指を折ることでリオンの感情の暴発を未然に防ごうとする。

『……オーヴェも初めてノアを見た時俺と間違えたよな』

 ウーヴェの手から伝わる思いをしっかりと読み取り、母に向けて感情を暴発させることは無い、大丈夫だと伝える代わりに空いた手で頬杖を着いていつもの太い笑みを浮かべたリオンは、隣から微かな安堵の気配が伝わってきた事に目を細め、初めて見たときはかなり驚いたそうだとも笑うとウーヴェがその夜のベッドでの出来事を思い出してくっきりと眉を寄せる。

 だがそんな二人の前で穏やかに笑みを浮かべたマザー・カタリーナが、胸元で手を組んで短く祈りを捧げた後に若い頃の彼にも似ていますと答えて三人の視線を一身に浴びる。

『マザー?』

『若い頃のヴィルヘルムにも似ていますよ、リオン』

『リオンがウィルの若い頃に似てる?』

 ノアは言わずもがなだが、あなたも彼に本当に良く似ていると頷かれて何か重量のあるもので頭を殴られた気がしたリオンは、冗談だろうと呟くことが精一杯で、無意識にウーヴェの手を強く握り返してしまっていた。

 目の前にいるノアと似ていると言われる事に漸く慣れてきたばかりなのにその父親の若い頃に似ていると言われてもどう受け止めればいいのか分からないと顔を引きつらせ、もう一方の対象者であるノアもまさか父の若い頃に似ていると、初対面のマザー・カタリーナに告げられて鳩が豆鉄砲を食らったような顔で彼女を見つめてしまう。

『良く似ています』

 もしもノアが若い頃のお父さんの写真を持っているのなら見せて貰えば良いと笑う彼女に何も言えなかった三人だったが、その時、さっき微かに聞こえた声とは比べられない程の大きな、まるで命が危険にさらされている人のような声が響き渡り四人が顔を見合わせる。

『ウィル!』

 声に反応して部屋を真っ先に飛び出したのはノアで、別室にいたブラザー・アーベルも部屋を出てきてヴィルヘルムがいる部屋へと向かい、少し遅れてマザー・カタリーナが部屋に入る。

 慌ただしくキッチンを出て行った二人を見送ったリオンだったが、彼の様子を見に行くかとウーヴェが己の手と一緒にリオンの手も口元に引き寄せてキスをして立ち上がろうと椅子を引くと、すかさずリオンが立ち上がってウーヴェを支えるように腰に腕を回す。

 その様子がいつもと比べれられないほどの弱さを含んでいて、何か気になるのかと問いかける代わりに少しだけ上にある顔を見ると、いつも表情豊かなリオンの顔から表情らしいものが消えていることに気付く。

『……リオン?』

『……行くぜ、オーヴェ』

 その呼びかけに上の空で返事をしたリオンは疑問を顔中に広げるウーヴェに気付きながらも無視し静かに室内に入るが、ベッドの上で錯乱状態になっているヴィルヘルムの側には決して近寄らず、ドアのすぐ横の壁にもたれかかって室内の様子を半ば閉じた瞼の下から見つめていた。

 ただその手はウーヴェの手をしっかりと握りしめていて、狂ったように叫ぶ男とそんな彼を息子やマザー・カタリーナらが落ち着かせようとしているのを目の当たりにし次第に力が篭ってしまったようで、ウーヴェの手が白くなってくる。

 手の色が変わるほど握りしめられている為に痛みを感じているはずだが、それを口にも顔にも出さないでただ静かに様子を見守っていたウーヴェの横でリオンも力を込めていることに気付いていない顔で見つめていたが、ベッドの上からまるで何かを発見した時のような顔でヴィルヘルムが見つめてきた事に気付き、若い頃の己に似ているとつい先ほどの母の言葉を脳裏で反芻しつつまっすぐにヴィルヘルムの顔を見つめ返す。

 何かを囁いているように口が動くが読唇術など覚えていない為にヴィルヘルムが何を呟いたのかを読み取れるはずもなく、ただ、マリーとノア、お前を愛しているという言葉だけは何故か聞き取れてしまい、意味のわからない溜息が零れ落ちる。

『……リオン、リーオ……』

『あ?』

『少し、力を緩めてくれないか?』

 手が痛いんだとリオンの様子が変化したのを見計らい握りしめられたままの手をそっと持ち上げたウーヴェにリオンの蒼い目が見開かれ、ああ、悪いと詫びつつ手を離されるが、すかさず離れた手を今度はウーヴェが握りしめ、手を組み合わせて指を折り曲げる。

『さっきあいつ何を言ったんだろうな』

『こんな時、読唇術ができればと思うな』

 リオンがぽつりとこぼす疑問に肩を竦め気軽さを装って返事をしたウーヴェだったが、確かにそうだよなぁと呟きつつも糸の切れたマリオネットのようにベッドに倒れ伏すヴィルヘルムに気づいたあと、目の前で蒼白な顔で何度も父の名を呼ぶノアとブラザー・アーベルがドクを呼びに部屋を出て行く様を見つめる。

 程なくして寝入り端を叩き起こされたらしいホームの健康を一手に担っている医者–リオンらは愛情を込めてヤブ医者と呼んでいた–がブラザー・アーベルと一緒に戻ってきた為、リオンがウーヴェに握られている手を逆に口元に引き寄せてキスをし、キッチンに行こうと囁いて同意の頷きを貰うとウーヴェがステッキを使って歩く速度に合わせてゆっくりと歩き出すのだった。



 ウーヴェのクリニックが入るアパートの階段を一段飛ばしに駆け上がったリオンは電車の中で考えていた昨日の不可解な出来事を一旦脳味噌の片隅に追いやり、今日の午後は何をしようかと休日の過ごし方へと意識を切り替えるが、診察終了の札がぶら下がった重厚な木の両扉の前で躊躇っている背中を発見して蒼い目を瞬かせる。

 その背中は今ではすっかり見慣れ、昨夜もホームでの一件が終了した後、ホテルに帰ると言ったためにリオンが送って行ったノアのもので、この背中も己に似ているのかと客観的に見ることが中々難しい背中に向けて微苦笑しつつ呼びかける。

「入ればどうだ?」

「!?」

 リオンの声にその肩がびくりと竦み、恥ずかしい場面を見られたと言いたげに顔を赤らめたノアが振り返る。

「あ、リオン……昨日はありがとう」

 今日も仕事なのに夜遅くまで付き合わせて悪いと頭に手を当てて申し訳なさそうに顔を伏せるノアにリオンが一瞬驚くが、気にするなと笑ってその肩を叩き入らないのかと顎で両扉を指し示す。

「……入っても、良いのかな」

「入らなきゃいつまで経っても会えないぜ」

 オーヴェに会いに来たのなら入らないとダメだと笑ってドアノブをグッと掴んだリオンは緊張に顔を強張らせるノアの前でドアを開けて室内に患者の姿がないかを確かめ、ドアが開いた事で来客かと思ってデスクから顔をあげたリアに片手を挙げて挨拶をすると、背後でモジモジしているノアの肩に腕を回して半ば強引にクリニックの待合室に引き摺り込む。

「……ノア・クルーガー……?」

「そそ。今ドアの外で不審者してたから引っ張り込んだ」

 リオンが突き抜けた笑顔で言い放った言葉にリアが絶句しノアも一瞬言葉を失うが、誰が不審者だとだけ言い返し、こんにちはと軽くリアに向けて頭を下げる。

「こんにちは。あなたの写真を以前見せてもらったわ。天国の階段だったかしら、あのポストカード、私好きだわ」

「あ、ありがとう」

 フォトグラファーという職業に限らずクリエイターと呼ばれる人達が言われると嬉しい言葉に素直に感謝の言葉を返したノアは、カウチソファに座ってくれと示されて頷いて腰を下ろすが、その時、室内に激しくドアを叩く音が響き渡り、座ったカウチの上で飛び上がってしまう。

「!?」

「……そろそろ良い加減にそれを止めればどう、リオン?」

「へ? ノックしないとオーヴェに怒られるだろ?」

 だから自分はウーヴェの言葉を守ってノックしているのだと再度拳で診察室とプレートの嵌められたドアを殴りつけると、ドアが開いて眼鏡の下のターコイズを不機嫌と諦めに染めたウーヴェが溜息を零しながら姿を見せる。

「……今のをノックとは絶対に認めないぞ、リーオ」

「えー、いつものことじゃん?」

 だから細かいことは気にするなダーリン、あまり気にしすぎるとハゲるぞと髪が薄くなる心配の少ないウーヴェにニヤリと笑いながら顔を寄せると、それでも半日仕事を頑張った労いのキスがリオンの頬にされ、リオンも同じようにウーヴェの頬にキスを返す。

「お疲れ様、リーオ」

「うん、オーヴェもお疲れ」

 そして客を連れて来たと笑ってリオンが身体をずらすと、カウチソファでガチガチに緊張しているノアとウーヴェの視線が重なり、軽く驚きながらも歓迎してくれるようにウーヴェが手を伸ばすと、その手を掴んだリオンが己の腕に回させてノアの前にゆっくりと歩いて行く。

「ウーヴェ、お茶を入れるからゆっくりすればどう?」

「ああ、ありがとう、リア。書類の整理は終わったから明日の診察も頼む」

「はい」

 今日するべき事は何とか終わらせられたから明日の診察もまた頼むと終業時の挨拶をいつものようにリアに告げたウーヴェは、はい、明日もよろしくお願いしますといつもの言葉を返されて安堵に目を細める。

「こんにちは、良く来てくれたな、ノア」

「あ、ああ、こんにちは。仕事の邪魔じゃ無かったか?」

 カウチソファへと向かってくるウーヴェを出迎えるように立ち上がったノアが握手のために手を出し、さっきリオンにも言ったが昨日遅い時間まで付き合わせて悪かった、ありがとうと礼を言いながら握手をすると、リオンがそうとは見えなくても丁重な手つきでウーヴェをカウチソファに座らせてノアにも顎で座れと合図を送る。

「……親父の様子はどうなんだ?」

 ウーヴェが腰を下ろしたすぐ隣の床にカウチソファのクッションを置いて座ったリオンがウーヴェの膝に手を乗せつつノアに問いかけると、さっき様子を見て来たが何を聞いてもぼんやりしているし突然頭を抱えたりと様子が安定していない事、母に連絡をしたが心配させたくないから少し体調を崩して世話になっている事だけを伝えたと教えられ、ウーヴェが無意識にリオンの頭に手を載せる。

「そっか。まだ落ち着いてねぇか」

「ああ……昨日シスターが言ってたけど、ウィルが若い頃にあの教会にいたことがあるって……」

 その話は本当なのだろうか、彼女の勘違いではないのかと広げた足の間で手を組みリオンと同じように親指をくるりと回転させたノアの言葉にウーヴェが軽く目を伏せ、俺たちもそう思った、だから聞きたいことがあると告げ、てを振り向けるノアへと向き直るように身体を向ける。

「なんだ?」

「ご両親がこの街で暮らしていたという話を聞いた事は?」

「ああ、それはある」

「あるのか!?」

「長い間いた訳じゃないってマリーが言ってたから2、3年ぐらいじゃないのかな」

 この街に仕事を求めてやって来た若かりし頃の両親が寝る間も惜しんで必死に働き、父はフォトグラファーのアシスタントとして、母は女優を目指してナイトクラブで踊っていた事を何度か聞かされた事があるとノアが口にし、リオンとウーヴェが顔を見合わせる。

「ヨハンという名を聞いた事は?」

「いや、ヨハンという名は聞いた事はない」

 ウィーンにヨハンという名の俳優がいるがそれは母がテレビに出るようになってから知り合った友人でこの街に関係する人物の中にその名前はなく、ヤーコプもゲオルグも初めて聞いたとも答えるノアにウーヴェがリオンの髪を指に絡めては解く手遊びを無意識に始める。

「東ベルリンの事を聞けばウィルが不機嫌になるから聞いてはいけないってマリーに何度も言われていたけど、この街は少しの間だけ住んだことがあると言っていた気がする」

 今は地図上にも存在しない都市での暮らしを聞けば温厚な父が驚くほど不機嫌になった事を思い出しつつも、この街を話題にした時の父の様子を思い出して比べたノアは、東ベルリンでの話題を口にした時が激しい怒りなら、この街での暮らしを口にした時は記憶にないと言いたげな顔で見つめ返されたことも思い出すと、だからこの街の小さな教会に知己がいる事実にかなり驚いていると素直な感情を顔に出し、リオンがウーヴェの腿に軽く寄りかかりながらそれは確かに驚くなと呟くが、ウーヴェの手が己の頭の上で緩く動いている事から重要な事を考えていると察して蒼い目で見上げる。

「オーヴェ、何を考えてる?」

「……少し気になる事がある。ただ……」

「ただ?」

「今は言い方はあれだが、ご両親の事よりもお前とノアの方が気になる」

 リオンの手触りの良い柔らかな髪で手遊びをしていたウーヴェだったが、目を見張って同じ表情で見つめてくるリオンとノアを交互に見つめ、昨日ゲートルートで話をしていた事だと告げると一瞬でリオンの気配が変わる。

「……まだ言ってんのか、オーヴェ」

 大概しつこいなと頭上にあるウーヴェの右手を掴んで口元に引き寄せたリオンは、蒼い目を軽く伏せながら薬指のリングにキスをした後、眼鏡越しに見下ろしてくるターコイズを見上げて二人で話がしたいと小さく告げる。

「そうだな……ノア、申し訳ないがここで待っていてくれ」

 蒼い目に表情を浮かべずに見上げてくるリオンの思いを真正面から受け止める事は流石に慣れて来たウーヴェであっても力を必要とする事だった為、第三者の存在はその力を削ぐものだった。

 だから二人きりで話をしてくるからここで待っていてくれとノアに申し訳なさげに告げ、たった今まで会話の邪魔にならないようにデスクで仕事をしていたリアに後を頼むと伝えたウーヴェは、リオンの手が立ち上がる助けをしてくれた後、どれほど腹を立てていようが杖の代わりになるとの誓いだけは絶対に守ると教えてくれるように腕を回されて無意識に安堵に胸を撫で下ろす。

「……ちょっとオーヴェと話してくるから待っててくれ」

「あ、ああ、大丈夫だ」

 クリニックに来た直後にリオンが自己流のノックをした診察室に二人が姿を消しその背中を見送ったノアは、居た堪れない思いに帰った方がいいのかとそわそわするが、デスクからリアがそのまま待っていてあげてと微苦笑した為にその顔を見る。

「二人だけでちゃんと向き合いたい話があるのね」

「え?」

「あの二人、ちゃんと向き合わなければならない時には二人きりでああして話し合うのよ」

 そうして今まで色々な出来事を乗り越えて来た、互いの心が血を流すような辛い出来事もこうして乗り越えて来たのだと、家族よりも身近な場所で二人を見守って来たリアが過去の出来事を思い出しながら告げると、ノアの目が驚きに見開かれる。

 昨日の食事ではリオンがふざけたことを言いそれをウーヴェが窘めたり一緒に笑ったりしていた事が多かったが、真剣な話をする時にはあのようにして二人で互いに向き合うのかと呟くと、そうすることであの二人は色々なことを乗り越えて来たとリアが少しだけ目を潤ませる。

「喧嘩になるかも知れない、嫌なことを言わなければならないかも知れない、でもそれでも一緒にいたいのよね」

 どんな辛い出来事や難問が目の前に横たわっていてもリオンがウーヴェを支えウーヴェも支えられながらもリオンをしっかりと護りながら問題に一つずつ向き合い解決して来たのと、己の友人達の向き合う姿勢に感嘆したような吐息を零したリアは、ノアの視線に気づいて頬を赤らめてだから何も心配しないでお茶を飲んで待っていてくれと笑い、甘いものが嫌いではなければケーキを食べるかと問いかけ、素直に頷かれて一瞬だけ驚いてしまうものの、用意をするから待っていてと告げてそそくさとキッチンスペースに向かうのだった。

 ひと月前に知り合い、昨日食事をして以前よりも少しだけ知ることの出来た二人が、どんな問題があろうとも目を背けずに解決に向けて話し合い互いを支えて来た一端を感じ取ったノアは、己の両親もそうなのだろうかと天井を見上げるが、程なくしてリアがチーズケーキを出して横に腰をおろした為に二人でチーズケーキを食べ、昨夜の食事の様子を聞きたがる彼女にノアが丁寧に返事をするのだった。



Über das glückliche Leben.

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

33

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚