リディアは廊下を走っていた。背中越しにハンナが「お行儀が悪い」とか叫んでいたが、それどころではない。
あの後、シモンが来て昨夜からディオンが体調が悪く床に伏せていると聞かされたのだ。
やはりあの時、マリウスからのお茶の誘いを断って帰ってくれば良かったとリディアは後悔した。
「ディオ……お兄様」
扉を軽くノックするが反応はない。
仕方なしに勝手に開けて中へ入る。普段なら、自分のことを棚に上げて文句の一つでも言われるだろう。
「……寝てる?」
頼りない洋燈の火に照らし出されて見えたのは、ベッドに横たわっているディオンだった。起こさない様にと静かに近寄り、シーツからはみ出ていた手に触れた。薄暗く顔色までは確認出来ないが、冷たい手からは脈打っているのを感じた。
「……ん。あれ、帰ったの」
目を覚ましたらしいディオンが呟く。目は伏せたままだがリディアだと分かっている様だ。
「うん」
「そう……」
意外だった。怒られるかと覚悟していたのに、ディオンは何も聞く事も言う事もしない。それとも気力がないだけかも知れないが。
「何も聞かないの」
「……殿下の所にいたんだろう。なら俺にとやかく言う権利はないよ」
別に怒られたい訳ではない。だがディオンの物言いに悲しくなる。
見放された……そんな風に思えた。
以前なら絶対怒っていた。それこそ嫌味ったらしくしつこく愚痴愚痴ネチネチ言って……。
「どうした? 何泣きそうな顔してるんだよ」
いつの間にか目を開きリディアを見遣るディオンと目が合った。
「リディア」
ディオンは握られていた手を静かに解くと、その手でリディアの頬を撫でた。目を閉じてディオンの手の感覚を確かめる。
「殿下と何かあったのか? それとも……いや、やっぱりいいや」
淡々と話すディオンからは何の感情も読み取る事は出来ない。
「あーお前まさか、マリウス殿下と喧嘩でもしたとかじゃないね? 王族相手に喧嘩売るとかさ面倒臭い事するなよ」
誤魔化して笑っている様に見えた。
リディアは答える代わりに首を小さく横に振った。そしてあの話の真相を聞きたいと口を開く。
「…………ねぇ」
「何だよ」
ディオンの手に自らのそれを重ねた。ただ怖くて目は閉じたままだ。顔を見る事は出来そうにない。
「ディオンは、その……私の、事……」
聞くのが怖い。でも知りたくて仕方がない。リディアは躊躇い一度口を閉じる。だがやはり聞かずにはいられない。
「愛している?」
ほんの少しだけ間があった。それが酷く長く感じる。
「……それは、この前言っただろう」
「それは……妹として? 家族として?……それとも……女性と、して?」
触れている兄の手が一瞬震えたのを感じた。だがその意味はリディアには分からない。そして直ぐに鼻で笑われる。
「何その質問。愚問過ぎて笑えるんだけど。そんなの聞くまでもなく、家族としてに決まってるだろう。お前は俺の妹でそれ以上でもそれ以下でもないよ」
頭が真っ白になっていく。期待が絶望に変わり大きく見開いた瞳から涙が溢れ出た。
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