テラーノベル
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#ドライ
#地雷系
尾津嘉寿夫 ーおづかずおー
1,395
第5話:夕暮れの残像
朱に染まる商店街。惣菜屋の香ばしい油、威勢のいいアーケードのアナウンス、すれ違う自転車の澄んだベル音。活気に満ちた、どこにでもある夕暮れの光景。
それなのに、凪の歩みは重い。
「……ッ」
買物袋を提げた主婦の肩口。自動販売機の裏にできた濃い影。
街のあちこちで蠢く、黒い脂のようなモヤ。視界を遮ろうとしても、一度「見ないフリ」をやめた目には、世界の歪みが嫌でも飛び込んでくる。
喉の乾きを覚えながら辿り着いたのは、夕飯の材料を頼まれていた精肉店の前。
そのガラスケースの前で、ぴたりと動きを止めている背中があった。
短く切り揃えられた髪に、紺色の制服。クラスメイトの白石琴音だ。
小さな両手で小銭入れを握りしめ、吸い寄せられるようにケースの中身を見つめている。
「……白石?」
「ひっ……!?」
声をかけた瞬間、跳ね上がる小さな肩。
丸い目をさらに見開き、ぎこちない動きで振り返る。
「ひ、日向……くん……!? こ、こんばんは……こんなところで、奇遇ですね……」
蚊の泣くような声、おどおどと縮こまる仕草。先日、教室の出口ですれ違いかけた時の印象そのままだ。
「精肉店の前で、すごい顔をしてたから」
「あ……その、実は……」
琴音は耳まで朱に染め、小銭入れで口元を覆う。
視線の先にあるのは、『特製手作りコロッケ 1個120円』のポップ。きつね色に揚がった衣が、夕日を受けて香ばしい匂いを放つ。
「……昨日、お母さんに『ちょっと太ったんじゃない?』って言われてしまって……。今夜はヘルシーなお肉だけにしようって、固く心に誓っていたのに……」
眉を八の字に下げ、本気で頭を抱える琴音。
そのあまりにも等身大で平和な葛藤に、凪の口元から小さく吐息が漏れる。
「あ……笑いましたね!? 私は至って真面目に人生の分岐点に立っているんです……!」
「いや、ごめん。……白石らしいなと思って」
胸の奥を締め付けていた冷ややかさが、すっと薄らいでいく。
影の気味悪さも、メアリの厳しい眼差しも、母親への不安も。コロッケの匂いと目の前の同級生の言葉が、どこか遠くへ追いやってくれた。
「……日向くん」
不意に、琴音が顔を上げる。柔らかな気遣いを宿した瞳が、凪の表情をじっと捉えていた。
「なんだか……すごく疲れたお顔をしていらっしゃいますね」
言葉に詰まり、曖昧な苦笑いを返す凪。
「……いろいろ、考えごとをしててさ」
琴音は少しだけ困ったように微笑み、小さな声で言葉を紡ぐ。
「私、要領が悪くて気の利いたことは言えないんですけれど……日向くんは、すごくお優しい方だから。あんまり一人で抱え込まないでくださいね」
ただの親切な同級生から掛けられた言葉。それが、尖っていた凪の心には温かく滲んだ。自分はまだ、この日常の側に踏みとどまっている――そう思えた。
「それじゃあ……誘惑に負ける前に帰ります。また明日、学校で」
ぺこぺこと頭を下げながら、夕闇の迫るアーケードの雑踏へ溶けていく背中。
その小さくなる姿を、凪は穏やかな心地で見送っていた。
――だが。
首筋を、ひやりとした冷気が撫でる。
商店街の喧騒から外れ、薄暗い路地裏へ足を踏み入れる直前。
琴音が、ふと足を止めた。
十数メートル先、街灯の影が落ちる境界線。
(……白石……?)
振り返った彼女の瞳。その視線が射抜いていたのは、路地裏の暗がりに蠢く「黒いモヤ」だ。
教室で縮こまっていた気弱な少女の面影はない。
そこにいたのは、街の陰影を冷徹に見通す、氷のように鋭い眼差し。
隙のない立ち姿は、静けさそのものを纏っている。
ほんの一瞬。
彼女の視線が影の暗がりから外れ、見送っていた凪の瞳と交錯した気がした。
瞬きを一つ。
次の瞬間には、いつものおとなしい背中に戻り、夕闇の奥へと消えていく。
残されたのは、わずかな温もりと、言葉にならない深い違和感。
ざわめく商店街の真ん中で、凪はただ、立ち尽くしていた。
コメント
9件
うわああ第5話もめちゃくちゃ良かった…!!😭💕 白石琴音ちゃん、コロッケの誘惑に葛藤してる姿めっちゃ可愛いのに、あの最後の冷徹な眼差し!! ギャップに持ってかれたわ…「見えてる側」だったんだね…。商店街の賑わいと影の対比がエモすぎて、凪くんの気持ち分かるよ、心臓バクバクした…! この2人の距離感、これからどう変わるんだろ、もっと読みたい…!!🌸✨