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ねむ
――これは、滅びゆく王国で出会った、ひとりの姫君とひとりの侍女の、儚くも美しい愛の記録。
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王都ルヴェリエの空には、いつだって白い鳥が舞っていた。
絹のような雲が流れ、黄金の尖塔を持つ王城は、まるで神に愛された場所のように輝いていた。
けれど、その輝きの下で。
すべてを失った少女、リュシエンヌ・ド・ヴァロワは、静かに心を殺していた。
かつては小さな領地を持つ貴族の娘。
だが父は政争に敗れ、母は病に倒れ、一族は没落。
名ばかりの家名だけを抱えた彼女に残されたのは、王城で侍女として働く道だけだった。
誇りも、夢も、希望もない。
ただ生き延びるためだけに、リュシエンヌは王城の大理石を踏んだ。
――その日、彼女は運命に出会う。
「あなたが、新しい侍女さん?」
鈴の音のような声だった。
振り向いた先。
陽光をそのまま人にしたような少女がいた。
雪より白い肌。
薔薇色の頬。
金糸の髪はゆるやかに波打ち、青い瞳は湖よりも澄んでいる。
フルール王国第一王女、アデル・マリー・フロランス。
齢十四。
その姿は、まだ幼さを残しながらも、誰もが息を呑むほど美しかった。
「顔を上げて。そんなに怯えないで」
彼女は微笑んだ。
春風のように優しく。
「今日から、あなたは私の大切な人でしょう?」
その言葉に、リュシエンヌは泣きそうになった。
没落してから誰ひとり、自分を“大切”などと言わなかったから。
⸻
それからの日々は、奇跡のようだった。
朝、アデルの髪を梳かす。
絹糸のような金髪に白薔薇の髪飾りを挿しながら、他愛ない話をする。
昼、庭園で紅茶を飲む。
姫は焼き菓子を半分こにして、「幸せも半分こよ」と笑った。
夜、寝台のそばで本を読む。
アデルはまどろみながら、いつもリュシエンヌの手を握った。
「あなたとこうするために、私は今日まで生きてきたのかも」
その言葉は冗談のようでいて、祈りのようでもあった。
姫と侍女。
主従でありながら、姉妹のようで、友のようで。
リュシエンヌの灰色だった世界は、少しずつ薔薇色に染まっていった。
⸻
けれど、幸福は永遠ではない。
民衆は飢えていた。
贅沢を憎み、王を憎み、貴族を憎んだ。
そして革命の火は、ある夜ついに王城を包んだ。
「王家を裁け!」
「贅沢な亡霊に死を!」
燃える門。
割れる窓。
響く怒号。
震えるリュシエンヌの前で、アデルはただ静かに立っていた。
「泣かないで」
彼女は最後まで、美しかった。
「あなたがいてくれたから、私は幸せだった」
伸ばした手は、兵士によって引き剥がされる。
「姫様ッ!!」
その叫びも虚しく、アデルは国王夫妻とともに牢へ送られた。
⸻
冷たい石牢。
かつて白薔薇だった姫は、少しずつ色を失っていった。
豪奢なドレスは粗末な囚人服に変わり、
金髪は艶を失い、
細い指は痩せ細っていく。
それでもリュシエンヌだけは通い続けた。
毎日、髪を梳かした。
スープをひとさじずつ飲ませた。
眠れぬ夜には子守唄を歌った。
婚約者だった隣国の王子も。
かつて忠誠を誓った侍女たちも。
皆、ひとり、またひとりと去っていく。
それでも。
リュシエンヌだけは、決して手を離さなかった。
「……ねえ、リュシエンヌ」
ある日、姫はかすれた声で言った。
「もし生まれ変われたなら……今度は、普通の姉妹になりたいわ」
リュシエンヌは泣きながら微笑んだ。
「はい。必ず」
⸻
そして、運命の日。
十二月二十四日。
雪。
牢の扉が開く。
「アデル・マリー・フロランス。処刑執行」
大きな男たちに連れられ、姫は立ち上がる。
もう、歩く力すらほとんど残っていなかった。
「姫様!!」
叫ぶ。
喉が裂けても。
血が滲んでも。
けれど姫は振り返らない。
否、振り返る力すら残っていなかった。
それでも断頭台へ続く階段、その一歩手前で。
ほんの少しだけ。
かすかに唇が動いた。
――ありがとう。
そう見えた。
「お慕いしています!!」
リュシエンヌは叫び続けた。
何度も。
何度も。
鐘が鳴る。
十二時。
刃が落ちる。
白薔薇は、散った。
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享年十四。
あまりにも短く、あまりにも美しい生涯だった。
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後年。
革命が終わり、焼け跡となった王城跡地に、小さな白薔薇園が作られた。
毎年、十二月二十四日。
ひとりの老女がそこを訪れる。
白薔薇に口づけ、髪飾りを供え、こう呟く。
「あなたとこうするために、私はあの日から生きてきたのかもしれません」
風が吹く。
白薔薇が揺れる。
まるで、あの日の姫君が笑ったように。