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「ファタビー、庭行くぞー」
晩夏のゲリラ豪雨の日、日和美を泣かせた子犬は七か月余りが経った今では、もうすっかり立派な成犬だ。
体重二〇キロ弱は中型犬と言うには大きく、大型犬としては小ぶりなサイズ。
油を塗ったみたいに艶々した黒毛に全身を覆われ、手足としっぽの先だけ白いこの犬は、今でこそこんな風にぺったりと身体へ張り付いたみたいな短毛に包まれて黒光りしているが、子犬の頃は毛がもっと長めでふわふわしていた。
足袋を履いたフワフワちゃんからの連想で、日和美に〝ふわ足袋〟ちゃん→〝ファタビー〟ちゃんという名前を与えられ、ペット可の信武の家で面倒を見てきた女の子だ。
無理矢理ご縁が結ばれて拾ってしまったものの、ペット不可で自分の家では犬を引き取ることが出来なかった日和美は、ペット可物件に住まう信武を頼らざるを得なかった。
そこから半年以上。
ずっと通い妻よろしく自分のアパートと、信武のマンションとの間を甲斐甲斐しく行ったり来たりしていた日和美だけれど、一月中旬に信武が引っ越したのを機に、観念して新居に移り住んで来た。
日和美が信武のマンションへ住まうのを拒んだ最大の理由、通勤時間が倍になる問題が解決したからだ。
***
「信武ったら結局家、建てちゃうんだもん」
あの豪雨の翌日。
約束した通りペリー不動産に出向いた信武は、勧められた借家の見学を取りやめて日和美の職場まで徒歩一〇分圏内に土地を探してもらい直して。
三つ葉書店学園町店まで歩いて一〇分――。
そんな、山肌に面した少し奥まった場所に六〇坪ほどの土地を買って、4LDKの四人家族想定の一軒家を建てた。
マンションや借家をやめて庭付きの持ち家にシフトチェンジしたのは、ファタビーを飼い始めたことも大きい。
ルティと暮らしていた時にも思っていたのだが、信武は庭のある家で思いっきり愛犬を走り回らせてやりたいと思ったのだ。
あとは――。
不動産屋とともに視察に来た際、土地に面した山の中腹に見事な枝垂れ桜があったから。
あの桜が見える場所の近くなら、当初予定していた霊園とは違うが、ルティシアを安置してやるにふさわしいかなと思ったのだ。
***
「桜の花、すっごく綺麗ね」
「ああ」
信武の返事をかき消すみたいに花散らしの風がブワッと吹き抜けて、一〇メートルは離れている信武たちの家の敷地まで山肌に植わった枝垂れ桜が薄紅色の花びらを数枚、はらり、はらりと届けてきた。
「ね、信武。ホントにいいの?」
信武が手にした大ぶりの骨壺を見て、日和美が問う。
「ああ、いいんだ。あの桜が満開になったらって……ずっとルティとも話してきたからな」
家から見上げることの出来るあの枝垂れ桜が満開になったなら、信武はルティシアの遺骨を庭の片隅に埋葬しようと決めていた。
「最初はな、桜並木に面したペット霊園に預けちまうつもりだったんだ」
ルティシアとよく散歩で通った桜並木。
そこにほど近い霊園に、自分の気持ちの整理がついたらルティシアを安置しようと思っていた。
だけど――。
「自分家の庭ならいつでも会えるし絶対こっちんがいいだろ」
庭の片隅。
あらかじめ掘っておいた深い穴に骨壺ごとルティシアの骨を埋めながら、すぐそばにしゃがみ込んだ日和美をじっと見つめた。
飼い主が穴に入れたものが気になるらしく、ファタビーが興味深そうに穴の中を覗き込んで。
「こら、そんなに近付いたらお前も穴にハマっちまうぞ」
言いながら信武はゆっくりと骨壺に土を掛けていく。
真っ白な陶器のふたが、どんどん土に覆われて見えなくなってきて――。
さすがに寂しさにギュッと胸が押しつぶされそうになったとき、日和美がそっと信武の手に触れてきた。
「私も……手伝っていい?」
「ああ」
その声を合図にしたみたいに、ファタビーも飼い主二人を真似たいみたいに鼻先で土を掛けてくれるから。
信武はそんなふたりに囲まれて、小さく吐息を落とす。
――ルティシア。俺、もう一人じゃねぇから。
綺麗に土をかけ終わったルティシアの墓の傍、石屋に頼んで作ってもらった平べったい正方形の墓標に、ハート形をした薄紅色の花びらがひらりひらりと舞い降りた。
END(執筆期間2022/01/29〜2023/03/26)