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広瀬くんの名前が、部室で出ない日はほとんどない。それまでは私にとって、ただの雑音みたいなものだった。
でも今は、違う。
「また断ったらしいよ」
「え、あのバンド? メンバー足りてないのに」
ドラムのスティックを弄びながら、誰かが言う。 その声が、やけに耳に残った。
「広瀬くん、ほんと選ぶよね」
「NGリストあるって噂、本当なんだ」
NGリスト。
その言葉を聞いた瞬間、
私の指が、無意識に止まった。
(……また、その話)
知っている。
前から噂にはなっていた。
でも今までは、
「へえ、そうなんだ」
それだけで終わっていた話だ。
「基準がさ、ちょっと変なんだよね」
別の部員が、声を落とす。
「距離感おかしい人、無理らしい」
「馴れ馴れしすぎるのとか」
「あと、音楽以前に人として無理なやつ」
笑い混じりの口調。
悪意はない。
それなのに、胸の奥が、きゅっと縮んだ。
(距離感……)
昨日、今日の自分の態度が、ふと頭をよぎる。
変じゃなかっただろうか。
変に意識して、ぎこちなくなっていなかっただろうか。
「奈央?」
不意に名前を呼ばれて、びくっと肩が揺れる。
振り向くと、同級生が少しだけ真剣な顔をしていた。
「さっきの話、聞いてた?」
「……うん」
「奈央はさ、気にしなくていいと思うけど」
前置きが、やけに慎重だった。
「広瀬くん、奈央のことはNGにしてないでしょ」
その言い方に、一瞬、言葉を失う。
「え……なんで?」
「だって、見てれば分かるよ」
軽く笑って言われたその一言が、
妙に胸に引っかかった。
「奈央と話すとき、あの人、全然壁ないもん」
「……そんなこと」
否定しかけて、止まる。
思い返せば、確かにそうだ。
広瀬くんは私に対して、妙に自然だ。
先輩として持ち上げることも、距離を取ることもない。
「でもさ」
同級生は続ける。
「NGに入ってない人、他にもいるよ?
でも奈央は、その中でもちょっと違う」
「違うって……」
「説明できないけど。
奈央と話すときだけ、何も考えてない感じ」
その言葉が、胸に落ちる。
何も考えていない。
それは、昨日までの私なら、
何とも思わなかった言葉だ。
でも今は。
(それって、いいことなの?)
安心なのか。
それとも、ただの対象外なのか。
「……そんなことないよ」
私は笑って、話を切り上げる。
「私なんて、ただの先輩だし」
その場では、そう言えた。
でも、心の中では、別の声が止まらない。
(もし、私が距離を間違えたら)
(もし、変に意識してるのがバレたら)
(NGに、入るのかな)
そんな考えが浮かんで、慌てて首を振る。
違う。
考えすぎだ。
部室の向こうで、広瀬くんがギターを抱えて誰かと話している。
表情はいつも通りで、特別な変化はない。
私の視線に気づくこともなく、
ただ、音の話をしている。
その姿を見て、
はっきりと理解してしまった。
広瀬くんの「NGリスト」は、
遠い世界の話じゃない。
すぐ隣にあって、
静かに線を引くものだ。
そして今の自分は、
その線のどちら側にいるのか、
分からなくなってしまった。
昨日の一言が、
こんなところまで連れてくるなんて、
思ってもいなかった。