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葬式から帰ってきた私は、脱いだコートを傍らに置き、仏壇の鈴を鳴らしてからゆっくりと手を合わせた。
おばあちゃん、ありがとう。
そして、さようならーー
目を瞑って、静かに祈る。
私の目尻から、小さな雫が垂れてくる。
まだ、慣れない。慣れることのない。
おばあちゃんのいない世界。
心の中にぽっかりと穴が空いている。
埋まることのない、寂しい空間。
葬式を終えれば、おばあちゃんの死への未練から踏ん切りを付けることができると思っていたのだが、ダメだ。
一層切なさが押し寄せてくる。
冷えた心をあたためようと、私は自分の胸に両手を当てる。心臓はドクドクと大きな音を立てて動いている。
生きるということが、こんなにも悲しくて、辛いことだったなんて、今まで全く知らなかった。
私はこれから生きていけるのか。
不安で不安で仕方がない。
仏壇に飾られている写真を見ると、昔からずっと変わらない、優しくて柔らかい微笑みを浮かべているおばあちゃんがいた。
今の私に「ハルちゃんなら、大丈夫」って言っているような、そんな表情でーー
私のおばあちゃんは、長い闘病の末、つい先日息を引き取った。末期癌だった。
病院ではおばあちゃんはいつも苦しそうな表情をしていた。
お見舞いに行ったとしても、私が来たことを認識できるような容態ではないことも多かった。
けれども、おばあちゃんが亡くなるその日は、おばあちゃんの表情はどこか穏やかだった。
私がおばあちゃんの隣に座ると、おばあちゃんは私の手を優しく握って「ハルちゃん、会いに来てくれてありがとうね」と嗄れた声で言ってくれた。
しわくちゃの手。
たくさんの苦と楽、そして幸せと不幸を経験してきたことが伝わる、あたたかい手。
小さな手だけれど、大きな包容力のある手。
私は小さい頃から、そんなおばあちゃんの手が大好きだった。
私が手をぎゅっと握ると、おばあちゃんは決まっていつも「ハルちゃん、小さなおててだねぇ」と言って、からかってきた。
「もう、小さくないもん」
そうして私は頬を膨らませ、それでも少し心地の良い気持ちになりながら、おばあちゃんにこう言い返すのだ。
おばあちゃんは笑いながら「あらあら」と私の膨らんだ頬を指で2回優しくつついてくる。
それが、私とおばあちゃんとの間の小さな”お約束”みたいで、なんだか嬉しかった。
おばあちゃんと会った最期の日も、その”お約束”をする場面があった。
その日、おばあちゃんの手には、赤と白の千鳥模様が施された巾着袋が握られていた。おばあちゃんの手に比べると、ちょっと大きめサイズの巾着袋だった。
「ハルちゃん。はい、どうぞ」
私はそれに見覚えがあった。おばあちゃんと一緒にお出掛けする時、よくおばあちゃんが身に付けていた巾着袋だった。
「私に?」と聞くと、おばあちゃんは目元を緩ませてにっこりと笑った。
「うん、ハルちゃんに」
私はおばあちゃんの手から巾着袋を受け取った。私は嬉しくなって、思わずぐっと握りしめる。
「私からのお守り。私のずっと大切にしてたもの、ハルちゃんに渡したかったの」
私はおばあちゃんのその言葉を聞くと、途端に頭の中でおばあちゃんと過ごした優しくてあたたかい記憶が駆け巡った。
一緒に近くの公園まで散歩した思い出。
一緒にお菓子を作って食べた思い出。
一緒にこたつに入ってお昼寝した思い出。
一緒にテレビを見て笑い合った思い出。
どれもが愛おしくて大切な思い出。
私の胸に感情が膨らみ、息が苦しくなる。
その苦しさに、私は泣いてしまいそうになる。
私はそれを誤魔化すために、おばあちゃんから貰った巾着袋をコートのポケットに仕舞ってから、今度はおばあちゃんの手をぎゅっと強く握った。
「おばあちゃん…」
おばあちゃんはそれに応えるように頷いた。
「ハルちゃんの手、まだまだ小さいね」
久し振りのおばあちゃんのその台詞を聞いた私は、ついに我慢できなくなってしまい、涙が溢れ出てしまった。
私はすかさず「もうおばあちゃんの手より大きくなったよ」と、泣きながら頬を膨らましたけれど、おばあちゃんの少し冷たくなった手は、そのまま動くことはなかった。
しばらくしてから、一輪健気に咲く花は、皆に見守られながらゆっくりと花弁を零した。
私は散りゆくその美しい花を、最後までずっと見守っていた。
「おばあちゃん、ありがとう」
私は本当に、幸せ者だよ。
大好きなおばあちゃんと、
一緒に居れたから。
世の中には家族の死に目に会いたくて仕方がなくても、どれだけ祈ったとしても、それでも会えない人が大勢いる。
その中で、私はおばあちゃんの最期を看取り、その生涯を終える瞬間に立ち会えて本当に幸せだと思った。
私はそうやって。
私なりの覚悟を持って、おばあちゃんと最期のお別れをしてきた。
おばあちゃんが、
私の背中をそっと押してくれた。
けれどーー
「やっぱり、寂しいよ」
写真の中のおばあちゃんを見る度、心の底から溢れ出てきそうになる感情には嘘を付けない。
「おばあちゃん、会いたいよ」
もう、到底叶うことのない願いを馳せてしまい、また涙が止まらなくなってしまう。
私は涙を拭くために、コートに入れていたハンカチを取り出そうとした。
「あっ…」
私はそのコートに、おばあちゃんの形見が入っているのを思い出した。
すぐにその巾着袋を取り出して、蝶々結びに締められていた紐を解く。
巾着袋の中を見ると、少しボロボロになった一冊の小さな手帳が入っていた。
私は震える手で、その手帳を開く。
その手帳には、おばあちゃんが入院していた頃の日記が綴られていたーー
“
XX月XX日 晴れ
入院中は日記を書くことにしました。
書くといっても、私は喋るだけで、看護師さんに代わりに書いて貰っています。
今日はハルちゃんが遊びにきてくれました。
ハルちゃんの学校であった出来事を話してくれました。
生き生きとしたハルちゃんの笑顔を見ると、私も幸せになります。
ハルちゃんは私に幸せのお裾分けをしてくれる、とても優しい子です。
”
“
XX月XX日 晴れ
今日もハルちゃんが会いに来てくれました。
ハルちゃんの陽だまりのようなにおいを嗅ぐと、心が晴れやかになって、まだまだ長生きできそうな気持ちになります。
毎日会いに来てほしいけど、ハルちゃんも勉強や部活で大変だからわがままは言えません。
また、会いに来てくれるかな?と、いつも心の中で待ち侘びています。
”
“
XX月XX日 曇り
今日はハルちゃんがお見舞いで、みかんを持ってきてくれました。ハルちゃんとみかんを見て、冬の寒い日におこたに入って一緒に食べたことを思い出しました。
あの時、ハルちゃんはあまりに急いで食べるので、そんなに急いで食べなくてもみかんは逃げていかないよと言ったら「逃げてくよ!」と、私のみかんを取って頬張りました。
あのハルちゃんの頬張った顔が可笑しくて、たまに思い出して一人で笑っています。
私の大事な思い出です。
”
“
XX月XX日 雨
今日はハルちゃんは来ていませんが、日記を書くことにします。ハルちゃんが来ないと、とても心が寂しくなります。
早く私の身体を良くして、ハルちゃんと一緒に公園に散歩に行ったり、一緒にクッキーを作ったりしたいなと思っています。
早く元気になってねというハルちゃんの言葉を糧にして、おばあちゃんも頑張ります。
”
“
XX月XX日 晴れ
ハルちゃんが遊びに来てくれました。
今日はびっくりした事がありました。
ハルちゃんのおててはまだまだ小さいと思っていたけど、久しぶりに握ったら、私の手よりもずっと大きくなっていました。
私はハルちゃんがすくすくと成長していることに、とても嬉しく思います。
大人になったんだね。
だから、今のハルちゃんなら、
きっと大丈夫。
その大きくて優しくてあたたかい手で、色々なことに触れて、色々な出会いをして、これからも素晴らしい人生を歩んでください。
私はハルちゃんと一緒に過ごせて幸せな人生でした。ありがとうね、ハルちゃん。
”
私はおばあちゃんの日記を読み終えると、手帳をゆっくり閉じて、そっと胸に当てた。
涙はまだ止まないけれど、心はどこか晴れやかな気持ちになっている。
「ありがとう、おばあちゃん。私もおばあちゃんと一緒に過ごせて幸せだったよ。いつまでも、いつまでもずっと、私の側にいてね」
私は手帳を抱きしめながら、そう願う。
ふと、おばあちゃんの手のぬくもりを思い出した私は、自分の手がまだまだ小さいことに気が付いて、ちょっとだけ頬を膨らませた。