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#🐟️×🍇
ねぎ茶
27
午後は、予定がぽっかりと空いた。
「せっかくやし、俺と柔太朗さんは市場の方、覗いてきますわ」
舜太が柔太朗を連れて行ってしまうと、残された仁人と勇斗の間に、これといった目的のない空白の時間が生まれた。
「ジュマモスク、近いらしいよ。行ってみる?」
勇斗の誘いに、仁人は断る理由も見つからず、頷いた。
古い木の扉をくぐると、外の強い日差しが嘘のように遠のいた。
二百本を超える木の柱が林立する、森のような空間だった。
天井の小さな明かり取りから差し込む光の筋の中を、埃の粒子がゆっくりと舞っている。
観光客の姿もまばらで、二人の足音だけが、石畳に低く響いた。
光の差し込む一角で、仁人が何とはなしに足を止めると、少し離れた場所から、その横顔を勇斗が見ていた。
「──仁人」
「……何ですか」
普段より少しだけ柔らかい声で返されて、勇斗は、続く言葉を飲み込んでしまった。
この薄暗い静けさの中でなら、いつもは言えないことが言えてしまいそうな気がしただけだった。
「いや、何でもない」
「……そうですか」
そう返した仁人の口元には、笑ったような、笑っていないような形だけが残っていた。
三年間、ずっとこうだった。
何かが始まりそうになる度に、どちらかが言葉を飲み込む。
そのことに、慣れてしまっている自分がいる。
勇斗のスマートフォンが震えた。舜太からだった。
「そろそろ戻ってきてほしいって」
「……戻りましょうか」
何も起きなかった。その事実にどこかで安堵していた。
埋めようのない物足りなさが、胸の奥に残った。
市場の入口では、舜太が、露店の青いガラスの前で足を止めていた。
仁人たちに気づくと、何事もなかったように手を振る。
その隣で柔太朗は、少し呆れたような顔をして、けれど、どこか楽しそうだった。
その夜、四人はコーディネーターの案内で、旧市街の一角にある食事処を訪れた。
中庭を囲む形で作られた造りで、頭上には夜空がそのまま広がっている。
壁の窪みに置かれたランタンの灯りが、オレンジ色の光を石壁に落とし、昼間の乾いた暑さとは違う、穏やかな涼しさが漂っていた。
絨毯の敷かれた低いテーブルを囲み、羊肉の串焼きや、炉で焼かれたばかりのナン、緑茶が並べられていく。撮影を無事終えた安堵感も手伝って、四人の間には自然と寛いだ空気が流れていた。
「にしても、今日の撮影、めっちゃ良い絵撮れましたね」
舜太が満足げにモニターを振り返りながら言う。
「柔太朗さんの表情、あそこまで綺麗にハマるとは思わへんかったわ」
「舜太が粘ったからでしょ」
軽口を交わす二人を横目に、仁人はふと、ずっと気になっていたことを、コーディネーターに尋ねてみることにした。
「あの、少し伺いたいんですけど。ブランドの資料にあった、あの物語って、本当にこの町に伝わっているものなんですか?」
コーディネーターは、緑茶を一口含んでから、不思議そうに首を傾げた。
「どんな話ですか?」
「愛する人を失うのを恐れた男が、その人を迷宮に閉じ込めた、という話です。出口がなくて、最後に残ったのは、その人が纏っていた香りだけだった、と」
仁人が説明すると、コーディネーターは少し驚いた顔をしたあと、声を上げて笑った。
「ああ、それは……すみません、聞いたことないですね。たぶん、この景色から想像して作られた話だと思いますよ。旧市街を歩くと、迷宮みたいだとか、閉じ込められてるみたいだとか、外国の方はよくそうおっしゃいますから」
その言葉に、テーブルの空気がわずかに緩んだ。
ブランドが語っていたのは、実在の伝承ではなく、この町の印象から作り上げられた物語だったらしい。
「──やっぱり、あの話は、綺麗すぎたんだ」
「まあ、綺麗すぎる話には、大抵裏があるもんですね」
仁人が小さく呟く。
資料を初めて見た時に感じた小さな引っかかりは、間違いではなかった。
コーディネーターが続けた。
「似たような話でしたら、この町にも伝わっていますよ。もう少し複雑で、人間くさい話ですけど」
「それ、詳しく聞きたいです」
真っ先に声を上げたのは、柔太朗だった。
「今回の撮影の参考にもなるかもしれないので。話の中身が分かれば、表情の作り方とか、何か掴めるものがある気がして」
「それ、めっちゃええやん。柔太朗さん、そういうとこプロやわ」
「確かに、コンセプトの解像度が上がれば、こっちの演出にも活かせますね」
勇斗も乗り気な様子で頷いた。
「続きが気になるようでしたら、明日、もう少し詳しい方をご紹介しますよ。この町の古い言い伝えに詳しい方が、旧市街に住んでいるので」
コーディネーターがそう言って、話を一旦区切った。
コメント
1件
うわ、第9話めっちゃ良かった……! ジュマモスクのシーン、静けさの中で仁人と勇斗の間に流れる微妙な空気感が刺さったわ。「何かが始まりそうになる度に、どちらかが言葉を飲み込む」ってとこ、じれったいけどそれがまたリアルで……。 あと、ブランドの物語が実は創作だったってオチも好き。仁人の「綺麗すぎる話には裏がある」って言葉、なんか物語全体のテーマっぽくて深いな〜。明日の「人間くさい話」が気になりすぎる! 柔太朗が真っ先に食いついたのもプロだなって思ったし、次回が楽しみすぎる🔥