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まえがき
スモンビー、それは、あなたのことを言っているのかもしれません。
由来はスマートフォン・ゾンビ。 スマホに夢中になり、前も確認せず歩いていく人々が街を埋め尽くす現象は、今や深刻な社会問題となっています。
デジタルの普及により、世の中が便利に、そして効率的に塗り替えられていく一方で、私たちの心を通わせる回路はどこか細く、乏しくなってきたような気がします。
この物語は、情報の檻を抜け出し、剥き出しの現実の温かさに気づいていく青年の記録です。
この一冊で空腹は満たせませんが、情報の過剰摂取でパンパンになった脳に、自分にとって本当に大切なものを見つける隙間ができるかもしれません。
そんな気づきを、あなたの日常に添えられたなら幸いです。
誰かにぶつかるだけの人生はもう終わりにしよう。
NAO TOKYO
第一章 ブルーライトの檻
渋谷のスクランブル交差点。
巨大なモニターから溢れる極彩色の閃光と絶え間なく鳴り響く広告の音楽、そしてアスファルトを叩く数百人の足音が混ざり合い、一つの巨大な生き物のようにうごめいている。
行き交う群衆のほとんどはお辞儀をするような不自然な角度で首を折り、視線を手元の約十五センチのガラス板に釘付けにしていた。
顔面を青白い光に照らされた亡者たちがあちこちで列をなし、前を見ることなく徘徊している。隣を歩く者の肩が触れようが、その視線は一秒たりとも液晶から離れることはない。
誰一人として顔を上げず、幾多の影が相手を障害物として避けながら、無機質にすれ違っていく不気味な光景。
まるで見えない糸で端末に釣られている操り人形の大行進だ。
そんな折れ曲がった首の列の真ん中で、カイトもまた周囲と同様の角度でうなだれていた。
カイトの意識は網膜を焼き続けるブルーライトの向こう側、無限に続くスクロールの海に溶け出していた。
指先が画面を弾くたびに、カイトの脳の奥ではかすかな熱が生まれる。
不意に指が止まった。
『【報告】28歳で起業しました!社会をアップデートしていく最高の仲間に感謝!』
流れてきた同世代の起業家の投稿。
画面いっぱいに広がったのは、突き抜けるように青い空を背景にした眩しい笑顔の集合写真。液晶の保護ガラスを突き抜けてくるような、あまりに鮮やかな生の充実感がそこにはあった。
自分と同じような年齢で自分とは違う澄んだ空気を吸っているような人間。
その無垢な多幸感がカイトの肺をわずかに圧迫した。
(……へえ、アップデートね)
沸々と湧き上がるわずかな苛立ちが、指先を匿名のアカウントへと滑らせる。
脊髄反射で罵倒を投げつけるのは簡単だが、プロの端くれである自分ならもっと効率的にこの薄っぺらな化けの皮を剥いでやれる。
そんな誰にも見せられない嫉妬心を募らせる中、画面の上部に赤いバッジが灯った。普段使っているアカウントではない。
通知設定すら忘れていたはずの「サブ垢」からのものだった。
(……なんだこれ)
不思議な胸騒ぎがしてカイトは指を動かす。
切り替わった画面には、かつて彼が絵描きを名乗っていた頃の残骸が並んでいた。そこには一年以上前に投稿したきりの未完成のスケッチが残されている。
『このタッチすごく好きです!続きは描かないんですか?』
見知らぬ誰かからのコメント。その一言が喉の奥に苦い鉄の味を運んできた。
かつて世界を自分だけの色で塗りつぶそうと躍起になっていた青臭い自分の亡霊がそこにはいた。
描きかけのまま止まっているのは、今の自分にとってもはやアナログの表現に一ミリの魅力も感じられなくなっていたからだ。
画面の中で完璧な解像度と計算された色彩、そして正解だけが並ぶ世界に慣れきった今のカイトにとって、自分の手で引いた生身の線はどうしようもなく不格好で、コントロールの利かないバグのようにしか感じられなかった。デジタルなら一瞬で修正し、最適化できる。それこそが進化だ。
それに比べてこの紙の上に残された揺らぎや微かな歪みは、自分の弱さや未熟さをそのまま見せつけられているようでただただ不快なだけだった。
誰かに否定される以前に、自分自身がその不完全な自己表現を切り捨てていた。
他人の人生を外側から採点する側に回ったその日から、カイトは自分の手が生み出す生々しい手触りから意識的に目を逸らし続けていた。
カイトは逃げるようにその通知を消し、再びメインのタイムラインという濁流へ戻った。
駅から少し離れた全面ガラス張りのオフィスビル。
カイトは自動ゲートにスマホをかざし、無機質な電子音と共に中へと滑り込んだ。
カイトが勤めているのは「株式会社デジタル・フロントライン」。
デジタルの最前線、などという仰々しい名前を冠しているが、実態はSNSの流行を分析しながら運用を請け負う小綺麗な下請け企業だ。
この社名を口にするたび、名付け親である社長の時代遅れなセンスに反吐が出る思いだった。心の中では『デジフロ』と略し、中身のない三流会社だと切り捨てている。
だがここで感情のハッカーとして振る舞うことだけは、彼にとって唯一の栄養源となっていた。
「カイト君。例のコラム投稿のABテスト、結果がもう出たよ。」
デスクに着く間もなく声をかけてきたのは、三つ上の上司である森下理沙だった。
彼女は今日も不釣り合いなほど高価なセリーヌのバッグをデスクに無造作に置き、身なりはマルジェラの白シャツを羽織っているが、肩のラインが浮いていてどこか服に着られている感が否めない。無理をして背伸びをしているのが透けて見えるその姿を、カイトは内心で失笑していた。
そんな蔑みを隠し、カイトはプロの顔を作った。
森下の数字に対する冷徹さと倫理観の欠如だけはカイトに似ていた。カイトにとって彼女は最も話が早い便利な駒だった。
「今回の検証、コラムAの『理想の働き方』を説く真面目な訴求は完全に死んでた。対してBの『あなたの周りにもいる、無能な上司の共通点』っていうネガティブ訴求の方が、クリック率が四・五倍の結果よ。」
森下が差し出したタブレットの画面には二つの異なる成果が残酷なまでの数値差で表示されていた。
「当然の結果ですね。人は自分を向上させる情報よりも自分より劣る誰かを見つけて優越感に浸れる情報の方に目が動く。綺麗事は適当に混ぜるだけでいい。メインはあくまでユーザーに『そうそう、こいつダメだよね』と一言言わせるための隙です。火種を置いてやれば、あとは承認欲求に飢えた大衆が勝手に拡散という名の風を送ってくれます。」
カイトは淡々と答える。その口調は氷のように冷ややかだが、胸の奥では狙い通りに大衆の心理をハックできたことへの高揚感がじっとりと熱を帯びていた。
カイトの仕事は純粋な宣伝ではない。誰よりも自分の方が賢いと証明したいという現代人が抱える肥大化した自尊心を効率よく刺激し、それをクライアントの利益に直結する拡散力へと変えることだ。
誰かがその投稿をシェアし、コメント欄に高説を垂れ流す度に会社のサーバーにはエンゲージメントという名の数字が積み上がっていく。画面の中で必死に持論を展開している連中も、カイトの目にはあらかじめ引かれたレールの上を走る、法則通りの反応にしか映っていなかった。
「さすがカイト君、わかってるじゃない。そう、みんな自分はマシな人間だって再確認したくて必死なのよ。だからこそ叩きがいのある隙は彼らにとって何よりのネタになる。」
森下はディオールのピアスを揺らして小気味よさそうに笑った。その笑顔には自分たちは操作する側の特権階級にいるのだという浅薄な選民意識が透けて見えた。
(……何が『わかってる』だよ)
カイトは手元の資料を整えるふりをして改めてブランドで固められた彼女の装いにさっと目をやった。結局この女も承認欲求という名の社会に踊らされている一員に過ぎない。
カイトは喉の奥で乾いた笑いが込み上げたが、それを微かな咳払いで誤魔化した。
カイトは昼食を摂るためにデスクを離れ、リフレッシュスペースの窓際の席に座った。
窓の外に見えるベンチでは自分と同じようにスマホの画面を見つめながら、食べ物を口に運ぶ人々がいる。誰も会話をしない。ただブルーライトに照らされた顔だけが幽霊のように白く浮き上がっていた。
カイトはコンビニのサンドイッチを機械的に口へ運んだ。
薄いプラスチックのパッケージを剥がす乾いた音が響くが、そこから食欲をそそるような香りが立ち上ることはない。
咀嚼しても感じるのは冷蔵庫の冷たさが残るハムの感触と、パサついたパンの無機質な歯応えだけだ。味覚さえも脳内でデータとして処理されているかのようだった。
ただ、今彼にとって必要なのは美味しさという感情ではなく、午後を乗り切るための効率的なエネルギー補給、ただそれだけだった。
ふとガラス窓に映った自分の顔に目が止まる。数百万人の脳を冷徹なロジックで動かしている男。自分の指先一つで世論の空気すら塗り替えることができる。
(下界を歩く者たちとは違う、俺はこの光を支配しているんだ)
その歪んだ万能感だけが今のカイトを支える背骨になっていた。
彼は再びポケットからスマホを取り出し、自分が仕掛けたバズが狙い通りに世界へ浸透していくのを確認してわずかに口角を上げた。
ふと手元のスマホが短く震えた。画面上部に一通の通知が滑り込む。
『母:カイト、忙しい?従兄弟のタカシが結婚するんだって。お祝いの相談したいから今夜にでも電話もらえるかしら?あとお米と一緒に、あんたの好きな梅干しも送っておいたからね。』
カイトは無表情のまま画面を親指で弾いた。通知は既読になることもなく、視界の外へと追いやられる。
今の彼にとって母親という存在は、アップデートの止まった古いOSのようなものだった。送られてくるのは食い扶持や会ったこともない親戚の慶事といったアナログな話題ばかり。指先一つで社会をコントロールしている今の自分にとって、そんな個人の情緒や親戚付き合いの相談に付き合うのはひどくコストパフォーマンスの悪い作業に思えた。
(後でいいな)
そう自分に言い聞かせ、カイトは空になったサンドイッチの包装を無造作に丸めると、再び過去に投稿していた自身の記事に目を戻した。
画面の向こうにいる顔も見えない大衆にはあれほど熱心に反応するのに、たった一人の身内が求めてきた小さな助けには指一本動かそうとしなかった。
ランチから戻ったオフィスは、適温の空調とサーバーの微かな駆動音に満たされていた。
カイトは自席に深く腰掛け、デスクトップに向き合う前にもう一度スマホを取り出した。
午前中、スクランブル交差点の真ん中で見かけた二十八歳の起業家の投稿を呼び出す。あの時、脳の片隅で予約しておいた攻撃の実行に移る時だ。
『結局すぐ潰れるだろ』などという知能指数の低い罵倒はもう卒業した。今のカイトはより効率的に、より確実に相手を傷つける急所の叩き方を知っている。
カイトはまず、その起業家の企業のウェブサイトを舐めるように閲覧し、法人の登記情報や過去のプレスリリース、提携先企業の評判までを高速で漁り始めた。
欠陥を探し当てるたびにカイトの口角がわずかに吊り上がる。
自分には到底手に入らない眩しそうな世界を生きているような人間を、論理という名のメスで解体し、泥沼まで引きずり下ろす。
それはカイトにとって、どんな薬物よりも脳を痺れさせる最高の娯楽だった。
ターゲットが華々しく立ち上げた事業は、東南アジアの貧困層が作った伝統工芸品をフェアトレードとして都内の高級百貨店で販売するという、吐き気がするほど高潔な理念を掲げたプロジェクトだった。投稿された写真には現地職人と肩を並べて微笑む起業家の姿がある。背景にはいかにも社会貢献を感じさせる温かみのある工房と、その価値を正当化するための洗練されたロゴデザイン。
大衆はこうした物語に弱い。だが同時にその美しすぎる物語が、実は巧妙な演出(ハリボテ)に過ぎないのではないかという疑念の種を誰もが心のどこかに抱えている。
カイトはそのキラキラした集合写真のリプライ欄に用意していた爆弾を投下した。
『途上国支援を謳いつつ、現地への還元率は非公開。実態は中抜きのセレクトショップだよね。情弱な学生を集めたボランティア商法、いつまで続くかな?w #アップデート #実態 #意識高い系』
画面を更新するたびにリポストの数字が跳ね上がる。カイトが貼った「偽善」というレッテルは日頃から他人の成功に苛立っていた名もなき群衆にとって、格好の攻撃材料となった。
『確かに、応援する気なくなった』
『結局自分たちのブランディングのための慈善事業かよ』
『こういう奴らが一番タチ悪いわ』
見知らぬ誰か達が、カイトの書いた筋書き通りに憤りを剥き出しにしてその投稿を囲んでいく。証拠など必要ない。一度疑わしいという空気が醸成されれば、あとは大衆が勝手に情報のパッチワークを作り上げ、勝手に有罪判決を下してくれる。
カイトはそれを見て奥歯の裏で悦びに震えた。
指先一つでさっきまで「最高」と笑い合っていた彼らの居場所を、焦土に変えることができる。
神にでもなったかのような支配感が冷え切った指先を熱く焦がした。
断罪という名の刃を振るい、他人の人生を解体する快楽。その絶対的な優越感の中で、彼は自分の空虚さを一時的に忘れることができた。
画面の向こうで炎が上がる音まで聞こえてきそうな熱狂を眺めながら、カイトは無機質なブラックコーヒーを喉に流し込んだ。
だが、そんなカイトにとっての捻くれた日常は、駅の階段という名の奈落の入り口で唐突に終わりを告げようとしていた。