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#希望
#感動的
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◇◇◇◇
瘴気は、空気そのものに溶け込んでいた。
見えないはずのそれは、確かに存在を主張している。肺に入るたび、じわりと内側から侵食されるような不快感が残る。呼吸を重ねるほどに、身体の奥へと染み込んでくる。
ヴァルディウス王国。
かつては秩序に満ちていた国は、いまや静かに腐り始めていた。
その中を、三つの影が進む。
先頭を歩くのはセレナ。その後ろに、レオニスと近衛騎士クリスが続く。
バリスハリスの兵は一人もいない。
大軍で動けば、それだけで目立つ。魔族に察知される危険を避けるため、あえて最小限の人数で侵入していた。
セレナは足を止めない。
瘴気の濃淡を読み取るように、わずかに進路を変えながら、細い糸を縫うように王城へと向かっていく。
「……瘴気がきついですね」
クリスが呟く。
「ああ」
レオニスは短く応じる。
「セレナの浄化がなければ、王城に辿り着く前に動けなくなっていたかもしれん」
事実だった。
身体の奥に溜まる重さが、魔法によって辛うじて押し返されているのが分かる。
だが。
レオニスの視線は、通りの先へと向けられていた。
「……だが、妙だな」
歩く人影。
店先で言葉を交わす者たち。
子供が走り、誰かが笑う。
一見すれば、何も変わらない日常。
「この国の民は、普通に生活しているように見える」
その違和感。
セレナは迷いなく答えた。
「……いいえ」
視線を落とし、静かに言う。
「普通に見えるだけです。全員、魔族に操られています」
空気が、わずかに冷えた。
「……器用なものだな」
レオニスが呟く。
「はい。人を操るのは、魔族の常套手段です」
やがて、足を止める。
一軒の屋敷の前だった。
外見は、どこにでもある貴族の屋敷。しかし、周囲の空気だけが澄んでいる。瘴気の薄いところを進んできた。その終着点がこの屋敷。
「ここで休みましょう。魔女の結界が張られています」
「……魔女の結界?」
クリスが眉をひそめる。
セレナは答えない。
門へと歩み寄り、躊躇なく押し開ける。
ベルも鳴らさず、そのまま屋敷へと入っていく。
迷いのない足取り。
まるで、来たことがあるかのように。
レオニスとクリスも後に続いた。
屋敷の扉を押し開ける。玄関の先にいたのは、剣を構えた一人の青年だった。
「……セレナ?」
その声にセレナの身体が、ぴたりと止まる。
ゆっくりと、顔を上げる。
「……ジーク?」
名を呼んだ瞬間、時間が止まったようだった。
「なんで……」
言葉が、続かない。
死んだはずの人間が、目の前にいる。
現実が、認識に追いつかない。
「セレナ!」
ジークが駆け寄ろうとする。
だが、その間に。
「止まれ」
鋭い声とともに、レオニスとクリスが割って入った。
剣こそ抜かないが、その動きは完全に臨戦態勢だった。
「君たちは誰」
ジークの視線が、レオニスとクリスへと向く。
「待ってください!」
セレナが慌てて前に出る。
「レオニス様、この人は……ジーク。私の恩人です。生きて会えるなんて……思ってもなかった」
震える声。
その瞳には、すでに涙が滲んでいた。
ジークは、他の二人など見えていないかのように、まっすぐセレナだけを見る。
そして、掲げた剣をその場に捨てると、レオニスとクリス、二人の間をすり抜ける。
誰かが止める間もなく、セレナを、抱きしめた。
「……無事でよかった」
強く、確かめるように。
「僕は死んでもないし、どこも怪我していない。でも……また君に会えた」
その言葉に。
セレナの肩から、力が抜ける。
「……そうね」
小さく、笑う。
その瞬間。
「そこまでだ」
レオニスの手が、二人の間に割って入る。
やや強引に、引き離した。
「感動の再会は、その辺にしておけ」
「おいおい、無粋だな。君は誰だ?」
ジークが不満げに眉をひそめる。
レオニスは一歩前へ出る。
視線を外さず、名乗る。
「レオニス。レオニス・バリスハリスだ」
短く、だが十分だった。
「……王様か」
ジークは軽く肩をすくめる。
「リースペイトから聞いてる」
その名に、空気が変わる。
クリスが一歩踏み出した。
「陛下へのその口の利き方ッ!」
「いい、クリス」
レオニスが制する。
視線はジークから外さないまま。
「こいつは、俺の妻セレナの恩人らしいからな」
「妻?」
ジークが目を見開く。
「……え?」
同時に、セレナの声も重なった。
頬が、みるみる赤く染まっていく。
ジークはセレナの様子を見て、表情を曇らせた。
戸惑いと、理解と、納得しきれない何かが混ざる。
だが。
レオニスは気に留めない。
「それよりも」
声音が変わる。
「リースペイトはどこだ」
空気が、張り詰める。
ジークの表情も、引き締まった。
「……分からない」
正直に答える。
「たぶん王城だ。でも、生きてるかどうかは分からない。王城に行ってから、もう一ヶ月は経ってる」
「……そうか」
レオニスは短く応じた。
セレナが一歩前に出る。
「ジーク」
まっすぐに見つめる。
「……ここに、一日だけ泊めてくれる?」
「いいよ」
即答。
そして、少しだけ笑う。
「ただし、男女は別だ」
「……分かりました」
セレナは頷く。
そして振り返る。
「レオニス様、クリス様。決戦は、明日です。今は、休んでください」
クリスが大きく息を吐き、背負っていた荷を下ろした。
「助かります。まともに休めていませんでしたから」
「……明日か」
レオニスも、わずかに肩の力を抜く。
だが、その瞳の奥にある緊張は消えない。
「はい」
セレナは頷く。
そして、もう一度ジークを見る。
「ありがとう」
その言葉に。
ジークは、柔らかく笑った。
「セレナの頼みなら、なんだって聞くさ」
その声音は軽い。
けれど。
その奥にある感情は、決して軽くはなかった。