テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
522
#希望
#感動的
室内にいる全員の視線が、ひとりに集まっていた。
重く閉ざされた執務室。積み上げられた魔導書の匂いと、張り詰めた沈黙。その中心に立つセレナ。
それでも彼女は、静かに口を開く。
「……今の人には、あまり馴染みがないかもしれません」
声は落ち着いていた。だが、その奥に微かな緊張が混じる。
「魔族は、人を食らう存在です。呪いに満たされた環境でなければ、徐々に衰弱し、やがて死に至る……そういう生き物です」
淡々とした説明。
だが、それは知識ではなく、実感のこもった言葉だった。
「ですから、本来であれば、この浄化された世界では、冥界から現れることすらできないはずでした」
言葉が続く度に、部屋の空気がわずかに重くなる。
ダルフィードが眉をひそめた。
「人を食う、ね……」
腕を組み、吐き捨てる。
「だとしても、こんな馬鹿げた規模の魔法を使う理由にはならんだろう」
窓の外に広がる夜の空を見る。
あまりにも大きすぎる。
あまりにも、意図的すぎる。
セレナはゆっくりと首を横に振った。
「この魔法は、魔女全体に向けた合図です。魔族が蘇ったことを知らせるための」
視線を空へと向ける。
星々が、静かに瞬いていた。
わずかな間を置く。
「……初代、星篝の魔女リースペイトが、そう定めたものです。現在のリースペイトは三代目。……おそらく、言いつけを守ったのでしょう」
クリスが息を吐く。
「だからといってですね」
理屈をなぞるように言う。
「魔族が蘇った程度で、ここまでのことをする必要があるのですか? 魔族など恐るるに足りません」
クリスの余裕を感じてセレナは口を開く。
「……魔族は一体で、一日あれば、大国を三つほど滅ぼせます」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
「それほどの脅威です」
淡々とした声音。
誇張も、煽りもない。
ただの事実。
「……そんな馬鹿な」
クリスの余裕が揺らぐ。
「いや」
短く、割って入る声。
レオニスだった。
「セレナが言うのなら、俺は信じる」
その一言は、あまりにも迷いがなかった。
「ですが、陛下!」
セレナが続ける。
「ヴァルディウス王国の王は、私の言いつけを守らず、王妃を好きにさせていたんでしょう」
ダルフィードの視線が鋭くなる。
「……お前が蘇らせたという、王妃か? その身体を器にして、魔族が冥界からこの世界へ出てきている……そういうことか」
セレナは、わずかに目を伏せた。
「……はい。連れてきたか。冥界の門が開いているか。経緯は分かりませんが、私にも責任があります」
その言葉が落ちた瞬間。
「ッ!」
ダルフィードの拳が振り上がった。
衝動だった。
だが、それは振り下ろされることはない。
途中で、止められた。
「やめろ、ダルフィード」
レオニスの手が、その腕を掴んでいた。
「……陛下」
「仮にだ。お前に、死者を蘇らせる力があったとして、俺が命じたら、どうする」
「……そんな力、私にはありません」
「あったらの話だ」
間を詰める。
「どうする」
ダルフィードは歯を食いしばる。
逃げ場のない問いだった。
「……王命は、絶対です」
「そうだ」
短く頷く。
「セレナも同じだ」
セレナは、息が詰まる。
責められると、そう思っていた。
だが。
向けられたレオニスの視線は、どこまでも穏やかだった。
責める色など、一欠片もない。
胸の奥に、わずかな熱が灯る。
「……ありがとうございます」
「いい」
レオニスは短く返す。
それ以上は何も言わない。
それで十分だった。
そして、視線を切り替える。
「問題は、これからだ」
空気が再び引き締まる。
「魔族をどうするか」
その問いに。
セレナは、一歩前へ出た。
「レオニス様たちは、何もなさらなくて大丈夫です」
覚悟をしている声だった。芯が通っている。
「ここから先は、私が対処します」
「……何を言っている。ダメだ」
即座の否定。
だが、セレナは揺れない。
「魔族を冥界へ送り返す方法を知っているのは、私だけです。魔女ですから。魔族の一体や二体……どうとでもなります」
軽く言った。あまりにも軽く。
まるで、本当に些細なことのように。
だが、レオニスはその裏にあるものを、感じ取っていた。
「……簡単なのか」
レオニスの問い。
セレナは微笑む。
「はい」
柔らかく。
「任せてください」
そして、くるりと踵を返す。
「それよりも……バリスハリスの皆さんに、この空は安全だと伝えてあげてください」
扉へと歩き出す。
その背は、小さい。止める暇もなく、セレナは、そのまま執務室を後にした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!