テラーノベル
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――ああ、私、貴方を捨ててとても幸せよ、セオドール。
その言葉を、胸の奥で静かに噛みしめながら、ジェニエルは濃紺のドレスを身にまとった鏡の中の自分を見つめていた。
「美しいですわ、ジェニエル様」
メイラードのうっとりした声が、陽光に満ちた控室に溶けていく。
「ドレスが綺麗だから、そう見えるのよ、メイラード」
「いいえ、着る人が輝いてこそドレスは美しさを増すのです」
真剣に訴えるメイラードに、ジェニエルは小さく笑って肯定した。
昔ならメイラードの言葉を否定していただろう。
けれど、今のジェニエルは違った。
この幸福を、もう誰にも譲る気はなかった。
「私はずっと、この日を待ち望んでいました」
メイラードは珍しく目元を潤ませながら仕上げに、唇へ艶やかなグロスを引いた。
チューベローズの濃厚な香りを纏うと、鏡の中には幸福に微笑む花嫁の姿があった。
その時、扉が開いた。
「……ママ」
泣きそうな顔でドレスに抱きついてきたのは、幼い少女だった。
「ターニャ……」
「こら、ターニャ!ママのドレスに皺がついちゃうだろう」
後ろから慌てるような声と共に少年、ロベルトが飛び込んできて妹を叱るが、彼自身もジェニエルを見上げた瞬間、言葉を失っていた。
「……とても綺麗だ、ママ!天使様かと思っちゃった」
「ありがとう、ロベルト。ターニャも、待たせてごめんなさいね」
ジェニエルはドレスが汚れる事も構わずに二人をそっと抱き寄せた。
「お前たちだけ、ずるいぞ……」
メイラードの微笑ましそうな声と共に、低く拗ねたような声が響いた。
「「パパ!」」
三人が振り向いた先に居たのは、ゼツィオードだった。
わっと子供達がゼツィオードに抱き着き、そんな二人を抱えたゼツィオードはジェニエルを真っすぐに見つめた。
「ゼツィ……」
「……とても綺麗だ、ジェニー」
その一言とともに夜空色瞳に三日月が滲んでいて、ジェニエルの胸は締め付けられた。
――ようやく私は皇后としての全てを手に入れた。
愛しい者たちに囲まれ、ジェニエルは幸福を胸いっぱいに吸い込んで笑った。
それは、これまでの人生で得た全てを肯定するような、満ち足りた微笑みだった。
♢♢♢
1話
侯爵家令嬢ジェニエル・フィンガルドは、幼い頃から皇后候補として育てられてきた。
数多くの候補者の中でも、ジェニエルは頭一つ抜きんでていた。
帝国に忠実な家臣を父に持ち、生まれながらの美貌を備えたジェニエルにとって、セオドール皇太子との結婚は、ほとんど定められた未来だった。
歳が一つしか違わないせいか、ジェニエルとセオドールは幼い頃から兄妹のように遊び、年頃になると周囲の貴族たちからも「お似合いだ」と噂された。
ひより
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#じれキュン
当麻月菜
338
鷹槻れん

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十六歳を過ぎた頃からセオドールは本格的に剣術や軍務に赴くようになり、毎日のように顔を合わせていた日々は、週に一度、月に一度へと少しずつ間隔を空けていった。
ジェニエルは、彼のために刺繍をしたハンカチを持たせ、朝も夕も皇后教育に励む日々を送るようになった。
いつしか二人が無邪気に笑い合う時間は減り、その代わりに国の未来について真剣に語り合う時間が増えていった。
恋と呼ぶには落ち着きすぎていて、けれど戦友と呼ぶには近すぎる。
そんな関係を、ジェニエルは自分たちらしいものだと受け入れていた。
セオドールを支えたいという気持ちは、いつしかジェニエルの行動原理そのものになっていた。
すべては、祖国セントヴェイル帝国のために。
ジェニエルは幼い頃から完璧であろうと、微笑みに全ての感情を隠して耐え続ける人生を歩んできた。
そして二十歳になったとき。
ジェニエルはセオドールと結婚した。
国で最も美しく、才知に優れた彼女にとって、セオドールとの結婚は彼女の決意が実を結んだ結果だった。
そんな順当ともいえる結婚式を終えて三年。
国の良き母であろうと努力してきたジェニエルに、ひそやかな噂が立ち始める。
『お世継ぎが生まれないのはジェニエル様に問題があるらしい』
その声はどこからともなく現れ、何の傷もなかった皇后像を簡単に打ち砕いた。
一度でも傷がつけば、噂は尾びれ背びれをつけながら宮廷の隅々にまで広まり、やがてぐるりと回りまわって、またジェニエルの元へと戻ってくる。
「ジェニエル様に問題があるだなんてぇ!!」
身支度を手伝うメイド、エレナが声を荒げた。
ジェニエルがセオドールと結婚した際に、新しく侍女としてつきたいと志願してきてくれたまだ18歳になったばかりの彼女は少々気性が荒かった。
「気持ちはわかりますが、ジェニエル様の前ですよ、エレナ」
「ああ……申し訳ございません、ジェニエル様!」
「いいのよ、いつもありがとう、エレナ。貴方たちが真実を知ってくれているだけで、私は十分嬉しいの」
嗜める言葉を発したのは、ジェニエルが小さい頃からずっと世話をしてくれているメイラードだった。
彼女は一人で皇室に行くジェニエルを心配してついてきてくれた心優しい女性で、エレナとは親子のようなやり取りをしてジェニエルを癒してくれる。
「私に問題があるのは間違ってはいないもの……」
そう言ってジェニエルは窓から見える所で親し気に女性と庭の散策をするセオドールにため息をついた。
♢♢♢
皇族の男子は皆、ギフトと呼ばれる異能を持って生まれる。
この国でそれを知らない者はおらず、ギフトを持って生まれる皇室を国民はとても敬っていた。
だが、強い力を持つことの代償についてはごく限られた者しか知らなかった。
――ギフトには代償がある。
瞳の色が原色に近ければ近いほどその力は強いとされ、必ず異能を持って生まれる代わりに代償として時には生活もできないほどの呪いに苦しめられる。
先帝はシアンの瞳をもち、水を操れたが力を使うと高ぶった感情のままに涙が止まらなくなった。
やがてその涙に吞まれるように心をやみ、彼は愛する妻が亡くなったのを期に、皇帝の座を明け渡した。
最後まで妻を愛した彼が妻の故郷で一人亡くなったと知らせが入ったのは、皮肉にもセオドールが皇帝について一月経った時だった。
まことしやかに行われた葬儀で、ジェニエルは彼が記した日記を譲り受けた。
妻への愛を語り、義娘のジェニエルを案じ、セオドールを心配する。
そんな彼の愛情が綴られた日記をジェニエルは一等大切にした。
時が来たら、頼りなさい。
そう記される言葉にジェニエルは励まされ、笑顔で先帝を見送る事が出来た。
これまで、先帝の力のお陰で土壌は枯れる事なく、国民は飢える事がなかった。
だからこそセオドールにもそれ相応の力が求められた。
しかし、彼の力は歴代に比べると弱いものだった。
セオドールの瞳はヘーゼル色だった。
風を操り、土壌を豊かにできる。
けれど、その力を使えばセオドールは酷い頭痛に悩まされた。
そんな彼らの呪いを鎮められるのは癒しの力を持つ者だった。
――癒しの力
相手の苦しみを全て受け入れる事が出来る器とも言うべき存在。
国に数人いる中で、一番セオドールに近い年齢で生まれたのがジェニエルだった。
そんな、魔法使いのような力を持って生まれたジェニエルの力に両親は喜んだ。
呪いを鎮められる力ともいえる力を持つ人が少しずつ減り、今では国の管理下で保護され守られる一族には力と引き換えに国の重鎮を担う事が許された。
しかし、ジェニエルの力は未熟だった。
呪われた皇族の苦しみを解き放つことが出来る唯一の令嬢として期待されたものの、ジェニエルの力は少し使っただけで動けなくなるほどに代償が大きかった。
深い黄色ともいえるトパーズ色の瞳を持っているのにも関わらず。
♢♢♢
月に一度。
決まった時間に行われる妊娠検査は、今回でとうとう三十回目を迎えようとしていた。
白い天井を見つめたまま、ジェニエルは自分のお腹に手を当てた。
どれだけ撫でても一向に膨らむ兆しのない、薄いお腹がそこにあった。
「陛下、今回も……」
結果を告げる医者が重い口を開くと、ジェニエルを見下ろすようにして立っていたセオドールの小さなため息がおちた。
言葉にしなくとも、彼の思っていることは手に取るようにわかる。
――また、駄目だったのか。
そんな、ジェニエルに期待すらしていないとわかるため息だった。
「ジェニエル、君ももう限界だろう」
「……そうですね」
静かに返したジェニエルの声は、自分でも驚くほど穏やかだった。
そんなジェニエルの態度にセオドールは一瞬だけ言葉を探すように視線を落とし、そして酷く緊張した表情をすると決めたように口を開いた。
「君は皇后として役に立たなかった。離婚してくれ」
その瞬間室内の空気が、凍りついた。
「陛下、それは……」
医者が非難の声を上げかけた医者が非難の声を上げかけた。
それより先に、セオドールが気まずさを隠すように鋭い視線で医者を制した。
これ以上、この件に口を挟むな。
そう言いたげな眼差しだった。
そんなセオドールと医者のやり取りに気がつかなかったジェニエルはゆるやかに首肯した。
3年間。
子供が産まれなければ、原因があるほうが去らなければならない事はこの国の決まりでもあった。
「……よろしいかと存じます」
穏やかな声だった。
まるで最初からそうなることを予め予想していた声で、ジェニエルは諦めにも似た微笑みを向けた。
「私達の間に子供が出来ないのであれば……仕方のないことです」
その言葉に、先ほどまで緊張で強張っていたセオドールの肩から力が抜けた。
「……わかってくれたか」
ほっとしたように息をつくその姿に、ジェニエルは内心でセオドールに語りかけた。
――最後まで、貴方が守りたいのは私ではなくて貴方自身だった。
出会ってからジェニエルは、セオドールと誰よりも長く共に過ごした。
彼が守りたいのは、皇としての自分だけ。
世継ぎをもち、先皇から託された国を治める。
形さえ保たれていればそれでいいというセオドールの考えは国政にも反映され、それはジェニエルに対しても変わらなかった。
「どんな難病も治せる癒しの力があっても、自分の体は治療できないようだな」
意地悪く笑う彼の言葉に、ジェニエルは俯いた。
それは、ジェニエルの知らない別人の顔だった。
かつて、癒しの力を誇らしく思ってくれていたはずのセオドールが、今はそれを嘲るための道具にしている。
その事実だけで、ジェニエルの中で何かが静かに終わっていくのがわかった。
「もうお話は終わりましたか?」
「……オリヴィア」
突然飛び込んできたのは、お腹が大きく育ったオリヴィアだった。
彼女は、当然のように部屋に入って来くると見せつけるようにセオドールの腕を抱いた。
ジェニエルを憐れむような表情を浮かべて、ベッド脇に立つと、ぽろぽろと涙を零し始めた。
「……お子様のこと残念でしたね、ジェニエル様」
「……ええ」
「でも、安心してください。オリヴィアが立派なお子を産みますから」
無邪気にそう言ったオリヴィアは歩み寄ってきたセオドールを見上げて微笑んだ。
自然な動作で、その腕に触れる。
セオドールもまた、それを拒むことなく受け入れた。
寄り添う二人の姿は、あまりにも親密だった。
「荷物は、いつまとめさせればよろしいでしょう」
ジェニエルの問いにセオドールは少しだけ驚いたように目を瞬かせ、それから口を開いた。
「いつでも構わない。君の気が落ち着いたときで――」
その言葉の途中で。
くつくつと、低い笑い声が室内に落ちた。
「……すまない。つい、面白くて」
そう謝罪を落として入ってきたのは、一人の男だった。
彼はゆっくりと歩み寄り、ジェニエルの傍に立った。
「……ゼツィオード」
ジェニエルは安堵したような声で彼の名前をよぶと、セオドールの表情が強張った。
自分の従兄であり、この国一番の剣豪が呼ばれてもいないのになぜここに居るのかと戸惑っている。
「お前は、また思い違いをしているようだ」
ゼツィオードはセオドールに鋭い視線を向けた。
それから、身体を寄せ合って立つ二人を馬鹿にしたように目が眇められる。
その視線にセオドールは、嫉妬が滲んだ目でゼツィオードを睨みつけた。
「何が言いたい、従兄上」
「それは私の口から語るより、彼女に聞けばいい」
ゼツィオードはジェニエルへ目配せし、静かに微笑みをむける。
ジェニエルはゼツィオードの支えを受けながらゆっくりと身体を起こし、ベッドの上からセオドールを見上げた。
その瞳に宿るのは、これまでと同じ穏やかな光。
けれど、その奥には隠し切れない意志が見えかくれしていた。
「ここを出ていくのは……私ではございません」
一拍。
空気が張りつめる。
「――捨てられるのはあなたです、セオドール」
コメント
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みぅです🤍🥀 第1話、読ませていただきました…! 冒頭の花嫁姿のシーン、すごく美しいのにどこか寂しげで、読んでるこっちの胸がぎゅっとなりました。ジェニエルがずっと我慢してきた王妃としての日々と、最後に「捨てられるのはあなたです」って静かに告げる瞬間の強さが、本当に印象的で。 ゼツィオードの登場シーン、あの空気感が変わるところ、好きです。続きが気になります…!