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今日は三宅兄妹と風太が通う高校の学園祭。
梅子以外は上手い具合にスケジュールが空き、揃って遊びに来ていた。
「懐かしいなぁ、この雰囲気」
大勢の人で賑わう校舎内を見回し、泉樹は感慨深げに目を細めている。
「卒業したら、学校くる機会なんてそうそうないからな」
この独特の雰囲気を味わうのは何年ぶりだろう、と考えながら、星良はミックスフルーツのクレープを一口かじった。
「星良くん、いつの間にクレープなんて買ったの?」
そう言う千詠も、いつの間にか片手にカラフルなポップコーンが入ったカップを持っている。
「学校の中は禁煙だろ? なんか口寂しくなって、つい、な」
校内には様々な模擬店が並んでいる。星良はたまたま目に付いたクレープを買ったのだが、たっぷりのフルーツとホイップクリームにチョコソースとカスタードも入っていて、素人が作ったにしては良い味だった。
「星良、あんた最近タバコの本数増えてるよね。ちょっとは控えなよ」
希以に軽く睨まれてしまい、星良は聞こえないフリをして目をそらした。
シェアハウス【Felice(フェリーチェ)】では、成人の喫煙に関して制限はない。しかし、喫煙者なのは星良と管理人の梅子だけで、若干、肩身が狭い。
「直里くんたちはどこかな? 三人とも同じクラスだったよね」
ポップコーンをつまみながら千詠が呟く。
「あそこだよ、風ちゃんがいる」
時彦が指さした先に、奇妙な着ぐるみを着た風太の姿が見えた。高く上に伸びたその着ぐるみ衣装のせいで、もともと190を越す長身の風太が更に大きくなり、衣装の上部が天井に付きそうになっている。
「あ、みんな来てくれたんだ!」
ぞろぞろと歩く仲間たちに気付いた風太が、ぶんぶんと元気よく手を振る。
「おまえ、なんだその格好」
「どーもー、広告塔でーっす!」
星良の冷ややかな目を気にも留めず、風太は陽気な声で答えた。
「いや、広告塔っつーか……」
風太が身を包むその着ぐるみのフォルムは――
「通天閣……だね」
時彦の言うとおり、どう見ても、大阪の観光スポットとして有名な展望塔・通天閣だった。
「なんで通天閣? どうせやるなら東京タワーかスカイツリーでしょ」
「きぃちゃん、そういう問題じゃないと思う……」
希以の的外れな指摘に、陽出が控えめなツッコミを入れる。
「でもまぁ、確かに風太のデカい図体は宣伝向きだよな」
風太の着ぐるみの前面には、通常の通天閣の文面の代わりに『2-A cafeハピネスはこちら!』と書いてある。
「風ちゃんはどこにいても目立つからね」
時彦は何故か自分のことのように自慢げだった。
「泉樹くーん!」
2-Aの教室からメイド服姿の冴里が出てきて、満面の笑みで泉樹に飛びついた。
「冴里ちゃん、今日はメイドさんなんだね。よく似合ってるよ、すごく可愛い」
「もう、泉樹くんったら~」
人目もはばからずにイチャイチャし始めた二人は、周囲の白い目も全く気にしていないようだ。
「おーおー、周りからリア充を憎む視線が集まってんぞ、お二人さん」
星良の皮肉も二人の耳には届かない。やれやれ、と思いつつ、クレープの最後の一片を口に放り込む。
「ところで直里は? まさか直里までメイド……」
「んなわけあるか!」
希以の言葉を遮って、直里も教室から出てきた。
直里はかっちりした黒いジャケットの執事服を着用していた。
「あ、やっぱり男子は執事なんだ」
希以は何故か残念そうな顔をしている。
「……」
「なんだよ、星良。どーせ、似合わねぇ~って思ってんだろ」
つい見つめてしまっていた星良の視線に気付いた直里が、拗ねたように口を尖らす。
「フン、おまえのコスプレなんか見たって何も思わねぇよ」
――くそ……、結構カッコイイとか思っちまった……。
制服のブレザーかラフな普段着しか見たことがないだけに、執事服のタキシード姿は新鮮で、整った容姿をしている直里にはよく似合っていた。
その後、みんなして直里たちのクラスのカフェに入り、出来の良いケーキセットに舌鼓を打ちながら、しばらくの間まったりと談笑して過ごした。
「お客さん増えてきたね、そろそろ席を空けたほうがいいかも」
陽出の言うとおり、次第に客足が増えてきていて、もう満席に近い。それほど広くない教室に設置された席の一角を、六人もの人数で占領しつづけるわけにはいかないと、一旦出ることにした。
「じゃ、ここからはそれぞれ自由行動にしましょうか」
希以の提案に全員が同意する。子供ではないのだから、ずっと六人で固まって動く必要もないだろう。
文化祭終了間際の時間にまた2-A教室前で落ち合う約束をした一同は、各々で好きなように行動し始めた。
星良は特に目的もなく、一人でぶらぶらと校内を歩き回る。
「そういや俺は学祭で何やったっけ……」
自分の中学・高校時代を思い返してみるが、これといって楽しい想い出もなく、何をやったのかもうろ覚えだった。
「あの頃はあんま興味なくてサボってばっかだったからなぁ……」
今思うと、学生として過ごす限られた時間を無駄にしたようで、少しもったいなかった気もする。
適当に目に留まった出し物を見て回り、アート系の展示会場で泉樹と遭遇したり、窓から校庭を見下ろしてみると、華やかなバルーンで飾られたフォトスポットで一緒に記念撮影する希以と陽出の微笑ましい姿が見えたりもした。
「そろそろ合流する時間か……」
スマホで時間を確認すると、四時を少し過ぎたところだった。
約束した合流の時間は四時半。今から行けば、ちょうどいいくらいの時間だろう。
2-Aの教室に向かうために階段を降りようとしたとき、腹部に嫌な鈍痛を感じた。
「うっ……」
腸が激しい蠕動音を鳴らし始め、腹痛だけでなく便意も襲ってくる。
「はぁ……、タイミング悪すぎだろ……、いてて……」
方向を変え、今いる三階廊下の端にあるトイレへと向かう。
さほど長くない廊下を進んでいる間にも、星良の腹の状態は悪化していく。
「ぐっ……、う……」
本当は全速力でトイレに駆け込みたいが、人の多さと便意の強さがそれを許してくれない。
やや前屈みになりながら腹を抱え込むように押さえ、冷や汗をかきつつよろよろと歩いて、ようやくトイレに辿り着く。
不幸中の幸いというべきか、校内の人の多さのわりにトイレはすいていて、個室も空いていた。
一番近い個室に入って鍵をかけ、急いで荷物をドアのフックに引っかけ、カーゴパンツと下着を一緒に下ろす。洋式便器に座るのとほぼ同時に、水気の多い泥状の便が排出され始めた。
「ふぅ……っ、うぅ……、くっ……」
腸を悪意のある何者かの手できつく絞られているかのような痛みに、軽く目眩すら覚える。
「星良?」
突然聞こえた直里の声に、一瞬、心臓が止まりそうになる。
「な、直里!?」
ドア一枚隔てた場所に直里がいるという羞恥心から、必死に出口をぐっと締めて強引に排泄を止める。
「やっぱ星良か。それっぽい姿が見えたから、もしかしてと思って来てみて正解だったな」
――いや、何が正解なんだよ!
無理やり排泄を止めたせいで、腸内で行き場をなくしたものが暴れまわっている気がした。
「ううっ……」
「腹痛い?」
「ち、違っ……」
間違いなく直里は気付いているとわかっていても、思わず否定の言葉が口をついて出る。
「隠さなくてもいいって、星良だけじゃないから」
「……? どういうことだ?」
直里の言葉の意味が理解できず、聞き返す。
「星良、クレープ食ったろ?」
「……ああ、そういや食ったな」
この学園祭に来て最初に口にしたものが、校庭に並ぶ模擬店の一つで買ったクレープだった。その他は直里たちのカフェでケーキセットを食べただけだ。
「食中毒っていうほど酷くはないらしいんだけど、模擬店のもの食べた後に腹壊したって苦情が何件も入ってるんだってよ。で、先生たちが症状出てる人に話聞いて、共通してた食べ物がクレープなんだ」
「ははっ……、マジかよ……、ピンポイントであたり引き当てるとか……」
自分自身のあまりの運の悪さに、冷笑が零れる。
「おまえ、LUK(ラック)のステータスだけ異常に低そうだもんな」
「うるせぇ……、何がステータスだ、ゲーム脳かクソガキ……、うっ……、ぐぅ……」
無理やり止めているのもそろそろ限界で、額から汗が流れ落ちる。
「食べた人みんなが腹壊してるわけじゃないって話だから、星良みたいにもともと胃腸弱いタイプの人がやられたんだろうな」
「希以たちは?」
「ああ、さっき会ったけど、きぃ姉たちは食べてないってさ」
「そっか……、そりゃよかった」
他の仲間たちが無事と聞いて、星良は少し安心した。
「おまえはよくねぇだろ、人の心配してる場合かよ」
「そう思うなら、いつまでもドアの前にいるのやめてくんねぇ?」
いい加減、腹の中で暴れている濁流を解放しないと、このまま意識を失ってしまいそうだった。
「なんで?」
「そんなとこにいられたら、音が丸聞こえだろーが!」
「はいはい、わかったよ。別に気にすることねぇのに」
「ほんとデリカシーの欠片もねぇガキだな……、うぅっ……」
直里の足音が遠ざかっていき、やっと出口を緩めることが出来た。
「はーっ……、はーっ……」
星良は苦痛に息を荒らげながら、排泄欲に身を任せる。
排出されるものは泥状から更に緩くなっていき、最後はほとんど水のような便が大量に出て、一旦は治まった。
「はぁ……っ……」
――なんとか治まってくれたな……。
いったいどれほど籠もっていたのか、自分ではわからない。
個室から出て手を洗っていると、直里が戻ってきて小さな一包の顆粒薬を差し出してきた。
「保健室で整腸剤もらってきた。食あたりのときは下痢止めで無理に止めるのは良くないんだってさ。即効性はないけど、飲まないよりはマシだと思う」
「ああ……」
粉や顆粒の薬は苦手だが、そんなワガママも言っていられない。星良は肩に下げたボトルホルダーからミネラルウォーターのボトルを取り出し、もらった薬を喉に流し込んだ。
本来なら、直里・冴里・風太の三人はカフェの後片づけで星良たちより帰りが遅くなるはずだった。
しかし、身内がクレープを食べて具合が悪くなったと聞いた他の生徒たちは、「後片づけはいいから」と直里たちも一緒に帰るよう促してくれて、フェリーチェには全員で帰宅。
星良はすぐ自室に戻って休み、それから何度かトイレに駆け込んだものの、日付が変わる頃にはほぼ回復した。
「ほんとにもう大丈夫か?」
直里は床に座って星良を見上げ、聞いてくる。
「ああ」
星良は二段ベッドの下段に腰掛け、煙草を吸いながら短く答えた。
「なんかごめんな、俺が学園祭誘ったせいで」
「別におまえのせいじゃねぇだろ」
「でも……」
珍しくシュンとしている様子の直里を見て、星良は溜め息と一緒にフーッと煙を吐いた。
「……執事の服、似合ってたぞ」
「マジで!?」
途端に直里の目がキラキラ輝きだす。
「結構カッコイイって思った……」
――あーあ……、こんなこと言うつもりなかったんだけどな……。
「ふおぉぉ!」
「なんだよ、変な声出して」
いきなり奇声をあげて立ち上がった直里を、星良は呆れ顔で眺める。
「喜んでんだよ、星良が俺のこと褒めるなんて滅多にねぇじゃん!」
「ああ、そういやそうだな」
ケンカで罵るのは日常茶飯事だが、直里を褒めた記憶はなかった。
「ありがとな、セーラちゃん」
直里の手が、星良の顔の左半分を覆い隠す前髪をすくい上げた。かと思うと、額にチュッと啄むようなキスをしてきた。
「なっ……!」
驚いた拍子に、星良の指からポロリと煙草が落ちる。
「テメェっ、どさくさ紛れに何して……」
「おやすみ! タバコの火消しとけよ!」
そう言って直里は素早く梯子を上がり、上段のベッドに逃げていった。
慌てて星良は床に落ちた煙草を拾い、灰皿に押し付けて火を消す。
「……ったく、クソガキが……」
頬が熱く火照るのを感じながら、キスされた額にそっと触れる。
早鐘を打つ心臓は、なかなか落ち着いてくれそうになかった。