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幼い頃からやんちゃ盛りで、何事にも逆らいたがっていた。
母親の説く真実にも、父親の持つ信条にも。
我儘な性格だった。自分を抑えるもの全てが憎たらしかった。
そういう意味で言えば、何事にも従順な弟は真逆だった。
宗教、陰謀論、反ワク、左翼、フェミニスト、██████。よくある「関わりたくない人」筆頭みたいな夫婦に産まれてしまった僕たちは、既に終わっていた。
しかも、親は宗教の結婚制度で結ばれただけであって、愛のない夫婦だった。DVとまではいかなくとも、毎日口喧嘩をしていて、とてもじゃないが眠れなかった。
ただでさえ職場から煙たがれるから、定職には就いていなかった。給料の少ない最中産んだ子供が双子だったと知った時、両親はどんな表情をしたかなんて想像に難くない。
よく僕たちに当たってきた。そして、それと同時に”大層で低層な”陰謀を口伝してきた。
だから、僕たちは誓った。いつか逃げようと。この家から、両親から。
でも、それは叶わなかった。
奴らは常識を封じ込めたのだ。
スマホなんて買ってもらえず、メディアは全て止められた。学校にも行かせてもらえず、窓は閉めた上でガムテープ。
換気されていない空間は非常に不潔だった。カビが生えまくり、酸素濃度も薄かった。冬場はそれにストーブを炊くから、吟が喘息になってしまった。だけれども、陰謀論者に病院という概念はなくて、市販の薬だけでなんとかしなくちゃいけなかった。喘息は病院に行っていても十分辛い病気だと知ったのは最近だが、それでも酷い咳をする吟は痛々しかったし、無責任な親に怒りが湧いた。
やがて自分も喘息に罹った。しかも、それに併せて様々な合併症を引き起こした。それで年の割に重めの肺炎に罹ってしまった。昔熱になった時も吟と比べて重めの症状が出たから、多分そういう体質なのだと思う。
流石の親も責任を感じたのか、はたまた布教するのに具合が悪くてはまずいと思ってか、いつもの真実という名の陰謀おしゃべり会を焦音に対してやらなくなった。
そして、今まで焦音に注いでいたリソースを全て吟に使い始めた。
やばいと思ったころにはもう遅かった。焦音の身体は両親に歯向かえるほど正常ではなかった。吟は最初は耐えていたものの、やがてすっかり染まってしまった。吟からフラットアーサーだの人類再構築説だのが出てきたとき、体調以上に胸が苦しかった。
ある日、また自分の咳で目が覚めた。吟が染まってしまってから、合併症の眩暈や吐き気でボロボロだった。息が苦しかった。気道に何か大きいものが詰まっているような感覚だった。歩くのもやっとだった。時折視界から色がなくなったり、何も見えなくなったりした。それが日常と化していた。
でも、今日は何かが違った。
何が違うのか説明できないけど、とにかく何かが決壊しそうな予感がした。朝の4時だった。教祖による経典読み上げの儀式開始までまだ2時間もある。親は起きていない。選択肢は一つ。玄関まで走れ。
音を立てないようにと意識してはいても、咳の音は誤魔化せない。変にこらえようとして大きな音が出ることだけは避けたい。動け動けと脳内で叫んで、必死の歯ぎしりと口から漏れ出る咳。靴を履く時間も、服を着替える時間も全部すっ飛ばして走った。やがて、目的地に到着し、ドアを開けて閉めるまでに大して時間を要さなかった。
ボロアパートの二階、それも角部屋だった。元々真ん中あたりだったが、あまりにも家庭環境がアレだから角に追いやられた形になる。それがただただうざったかった。
病院の場所なんて知らないけど、行かなくてはならない気がした。
とにかく開けた場所に出たかった。別方向にある外階段に向かった。そして、そこの手すりを掴んだ瞬間、
喉につかえていた不快感が一気に取れた。
歯磨きをした後の快感をさらに強くしたような感じだ。しばしの高揚感が押しかけてきた。普段外に出ないせいでもう上がっていた息は、そんなのが嘘みたいに収まって、もう少し走れるという希望を与えた。
しかし、そんな感動も一瞬で消え失せ、足元は現実色に染まっていた。
真っ赤なその液体が血液であることを自覚するのに、脳の神経は介さなかった。
猛烈に咳が出た。今まで聞いたことのないような音がして、宗教法人が出している何らかの音声かと思ったが、それの発生源が自分の喉であると分かると絶望感が一気に押し寄せた。
頭が痛い。何というか、頭の内部が痛い。脳みそなんだろうか、それともその血管なんだろうか。とにかく痛い。
怖い。何かがすぐそこまで来ている。まだ本領を発揮してない何かが。
死神。悪魔。閻魔。違う。もっと強大でおぞましいものが来ている。
手すりから力が抜けて、廊下に座り込む。誰かの罵声が聞こえる。どうせ両親だろう。誰かの悲鳴が聞こえる。今日はどっちが勝ってるんだろう。いつも吟と賭けをしていた。今日は父親に賭けていた。わからない。もう声が誰の物か分からない。
高い音が聞こえる。頭に響く。雑音でしかない。
廊下から声が聞こえる。近所の誰かだろうか。助けてくれとは言えないけれど、助けてくれ。
やがて、自宅からの声が止んで、か細い兄弟の声が聞こえた。
「パパー、ママー、何話してるの~?」
「ああ、吟ちゃん。ええとね、今は天道師様のーー」
「二人も要らないよなって」
「えっ?」
「ちょ、パパ……」
「お前みたいに真実にすぐ気づいてくれるいい子は、きっと将来認められる。例え今は辛くとも、やがて世界は天道師様の真実に気づき始めるからな」
「……」
「でも、お前のお兄ちゃんはそうじゃないだろ?」
「そう、だけど」
「今な、俺達家族は大変な事態なんだ。天道師様の危機を救えるのは俺達しかいないというのに、その資金がない。……真実に気づいてないあいつに使う金を天道師様に回せたら、と思うと……」
「ごめんなさいね、大切なお兄ちゃんを……。でも、全部世界を救うためだからね。吟が選ぶ道は、きっと希望で照らされてるわ」
だから追いかけてこなかったのか。流石に兄が出て行ったことには気づいていただろうが、それを探しに来なかったのは彼を捨てる為だったらしい。
吟はどうするんだろう。いや、もう答えなど彼の中で出ているに違いない。なんせ、彼は両親側の人間になってしまったから。
「でっ、でも、お兄ちゃんも大事なお友達だから~……」
「……さっ、お兄ちゃんにお別れしましょ!さぁて、どこ行きやがったかな……」
「え、ち、違」
「天道教第十四条、異端は矯正、さもなくば粛清」
「だっ、だって、家族……なんだよ?」
「異端は粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。粛清。」
「だめ、お兄ちゃん、逃げて」
「吟、お前も粛清か?」
*
「蝙蝠が序章とかヤバすぎー……って、吟さん聞いてます?」
「……違う。吟は死んでない。生きてる。生きてる。二人で、二人で逃げる……」
「え、一人称自分の名前キャラですか?」
「吟は死んでない、死んでない、死んでな……」
「どうすんだこれ……えーと。確か……焦音さん、でしたっけ」
吟?は、氷空の言葉に反応を示した。今にも泣きそうな、深い悲しみが刻まれた顔を上げた。
氷空としては、単にお兄さんのことで何かあったんですか、の意図で聞いたのだが、「吟は死んでない」の言葉を反芻する限り「今まで吟を名乗ってたやつが実は焦音だった」、そして本物の吟は既に……らしい。
今までは本当に実在した吟をモチーフにしていたのだろう。それが何かの拍子で抜けてしまって、元の焦音のしゃべり方になった。そこから一気に現実に引き戻された、といった感じだろう。
一瞬だけ、氷空の脳裏に昔の記憶がよぎった。懐かしい、と言えるほど昔でも明るい記憶でもないし、思い出したくもない、と言えるほど苦しい記憶でもないが。それでも、どちらかと言えば思い出したくもないに寄っているのは事実だ。
左手の薬指の第一関節が光っている。これが光を失っていた時は、氷空も焦音みたいな状態だった。「名前+死んでない」が定型文だった。まるで昔の自分を見ているみたいだった。なんだか少し気恥ずかしい気分になって、いつもの調子に戻ろうと努力するが、仮にあの頃の自分に萎えぽよとか言ってたら余裕で自決しそうだったので、やめることにした。
「海里さん、えと、何の話、でしたか」
名字呼びかよ。ともあれ、氷空は視察の結果をそのまま話した。
「あの蝙蝠、追いかけてみたところあと三体居ました。んで、さっきまで俺達が対峙してたのが門番みたいな役割の奴で、奥に巣があります。桃蘭さんはそこに。それからーー」
「巣には蝙蝠が三体、人型が一体居ます。人型は男で、馬鹿デカいリップを持ってます」
「ば、馬鹿デカいリップ……?」
「ふざけてるわけじゃなくて、真剣に馬鹿デカいリップの存在を話してます」
「どれくらいですか……?」
「1mないくらい」
「でっか」
「それが武器ですね。よくわかんないんですけど、リップを振り回して威嚇してきました」
「え、うん……?」
「俺もよくわかんないんで、貴方ごときが分かるわけないですよ」
焦音は急に落とし穴に落とされたみたいな顔をした。吟を名乗っていたころと比べて表情豊かになっている。
「年齢が違うんでね」
「あっ、そういう……」
「それでですね?桃蘭さんは理屈は不明だけどとにかく巣にいます。足枷?がついてて動けないみたいでしたけど、カンフー的な動きで気合で人型を退けてました。まぁ助けに行きましょう」
「あ、はい」
「それで……動けるんですか?」
「……ちょっと戦い方が変わるんですけど」
「と言うと?」
「超異力が変わります」
「そんなノリで変えられるんですか……」
「魂がどうのこうのらしいです」
そう言えば、超異力の説明を須田からされた時にそんなことを言われたような気がする。
魂に起因する超能力が超異力。怪異の力を一部借りる際に、一つの力に対してスロットが一つあると仮定する。
Aという超異力があったら、それを入れるのに1スロット消費する。
そのスロットが魂に起因している。通常、人間に魂は一つしかない。だから、複数の超異力は基本的に持てない。
魂というのは、要は人格を指す。だから、焦音のように強いショックで人格が分裂した場合、魂が二つある=スロットが二つあることになるので、超異力を二つ持てるのだ。
別のと自殺させる能力で二つ持っているのだろう。オタク人格とコスプレイヤー人格で二つある桃蘭も、同様に超異力を複数所持している。
選抜試験の際、どうやって武器もない制御系能力だけで中間順位突破したのかと思ったが、焦音側の超異力でなんとかしていたのかもしれない。
「武装解除です、要は。敵の武器を落としたりとか、色々」
「それってエクスペクト」
「……だけじゃなくて!!その武器を使うことも出来ますし」
「はえー。難しいことよくわからんわー。つまりは、エクスペクトをパトローナムして南無るわけですね」
「???」
「萎えぽよの座は渡さないので南無南無アタック頑張ってください」
「えっと、はい……?」
*
「キャラ薄ない?」
「……俺がっすか?」
「薄いで。なんかすごく」
「それは久東さんが濃すぎるからじゃないんすか?」
「いやいや!私は極薄フィットサイズやで!」
「何にフィットなんすかぁ……」
「だって、東支店の子ら以外には名前すら覚えてもらえんかってんで?」
「うぇ、マジすか?!須田美王っすよ?”インパクトの鎌足”っすよ!」
「中々おもろいやんけ……。でもな、本名のがインパクトあると思うで?」
「ちょマジで無理っす!!」
「ほなしゃあないかぁ……。ともあれ、あんさん、ホスト時代はチャラ男キャラでチャラチャラしとったんやろ?」
「うっす」
「じゃあ最高にチャラ男な出方せんとなぁ?」
「えっ……最高にチャラ男な??」
「通話つないどいてやー」
「うぇぇ……」
相変わらずの上司からの無茶ぶりに、須田は苦笑するばかりだ。
本名じゃなくて源氏名でやっている理由は、ホストloveなわけではなく、自分の本名がかなり終わっているから。
俗に言うキラキラネームだ。それに違わず、親も自分も要望を子に押し付ける様な嫌な奴だった。
通話越しに久東が言っていた「本名の方がインパクトある」とはそういう意味である。正直あるとは思うけれど、美王の方がましだと思える程度にダサいから公表するわけにもいかない。
ホスト時代は大して売れていなかった。チャラい感じで売っているのにも関わらず、セリフや言い回しが棒読みで定型文とよく言われてきた。そんな初々しい姿がいいと言ってくれる客もいたが、たいてい仕事に疲れたOLで、いわゆるホス狂いと言われる奴らはもっと完璧でイケメンなホストに貢いでいた。
学生時代も、「顔はいいんだよねー」とばかり言われてきた。告白されることは一年に一回くらい、それも毎回蹴っていた。自分の話題が女子間の恋バナに上がっている時は、自分のことを好きになっている人を咎める内容ばかりだ。あいつ女の事なんとも思ってないよって、デリカシーないよって散々な言い回しだ。
それもそのはず、美王は女性なんて眼中にない。具体的には、美王の恋愛対象に女性は入っていない。
ホスト業界にそんなんが入ってきてどうするという話ではあるが、もし美王が女性を好きになれる体質でホストになっていた場合、客を本気にしていたような気がするのだ。かなりちょろい性格をしているからこそ、ホストのくせに手玉にとられそうだ。
「まだ本調子じゃないんすよー。幼馴染がそばにいる生活に慣れすぎてて、全然知らんやつが隣にいるの耐えらんねーっす」
「そんなに康明の事嫌いなん?」
「んー……嫌い、ってわけじゃないっすけどね?」
雨好は幼稚園からずっと一緒だ。高校まで一緒だった。卒業後、美王は都会に引っ越してしまい、それ以降は少し疎遠になったものの、月一くらいで遊びに行くほど仲は良かった。
雨好は本当にいい人だった。見た目だけはいい、と言われ続けてきた美王の内面を見ていた。そして、それを褒めてくれた。異世界に行ってしまっても、二人で強くなって死なないようにしようと約束して。雨好を壊とのことであんな目に遭わせてしまったのは美王のせいとも言えるが、それでも責めずにいてくれた。
雨好も美王も、お互いに性的な問題を抱えていた。雨好が男なのに女装をしているのも、それが原因。詳しくは聞かなかったし話してくれなかったが、そういう問題がある同士で仲良くなったところもある。
そして、そんな雨好を美王は好きだった。
それだけにショックが大きいのだ。康明が嫌いなわけじゃないし、まだ印象を測りかねているだけだが、とにかく雨好ロスが大きい。
「ほんなら仲良くしてくれへん?同僚なんやし」
「いやー、こう見えて人見知りなんすよ」
「あんさん、ホストやろが……。さては、雨好みたいにキラキラした女子っぽい奴としか話せへんの?」
「あー、まぁ……」
逆に見えて割と穿っている。
女性は恋愛対象じゃないから話せるけど、男性と話せないのは合ってる。
でも、雨好は。彼は特別だから。
「そんな感じっすかね」
右耳に開けたピアスをそっと撫でる。雨好がお揃いにしたいとか言ってきて、自分でもありえないくらい驚いたのはある意味思い出だ。
「人型が出たのと、桃蘭がやられとるらしいで。注意しとき」
「任せてくださいよ」
両刃斧を担ぎ、美王は走り出した。