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2話目。
▫︎ ▫︎ ▫︎
気付いた時には遅かった。スマイルにはきんときを呼ぶ手立てがなかった。もっと早く行動を起こすべきだった。そうすれば少なくともここまで怒られる前に弁明もできただろうに。
人間としての機能を忘れるほどには甘やかしてくれるきんときに、スマイルも甘えてしまっていたのだろう。最も単純で死に直結する飢えという概念が消失していた。当たり前のように毎日焼き鮭を与えられ、眠る。そんなことを繰り返していた結果がこれとは、笑える話だ。
きんときが家を開けたその日のうちに空腹は襲ってきた。しかしスマイルは待った。言われた通り外には出ず、本を開いて、取り憑かれたように活字を追って空腹から気を逸らしながら、きんときの帰りを待った。
二日目になると、やはり自分は捨てられたのではないかという疑念が頭を過った。まだたいして時間は経っていないはずだったが、一ヶ月ほとんど肌身離さずそばにいてくれた存在は、自分で思っているよりもスマイルの中で大きくなっていたようだった。本の内容はあまり頭に入って来なかった。
三日目になってきんときは帰って来ないだろうと勝手に確信してしまった。スマイルは泣いた。水中で泣いたって涙は見えないということを初めて知った。この歳になってこんなに大泣きするなんて、スマイルもめっぽうきんときに惚れ込んでいるのだということも初めて自覚した。
そうだ、好きになっちゃったんだ。優しくて、頬を包んでくれて、頭を撫でてくれて、抱きしめてくれて、キスをしてくれたきんときを。
初めて自覚した恋心と、しかしその恋心はもう叶わないという事実で酷く打ちのめされた。一ヶ月でこんなに好きになるなんて、一目惚れをしたきんときを笑えない。
書庫に行かないと。帰りがないとしても。それがきんときの好いてくれた自分の姿なら。泣いて体力を消費したこともあっただろう、きんときがくれた力ももううまく使えなかった。壁を伝うようにして書庫に向かったが、途中で力尽きた。
次に目覚めたとき、何日目かもうわからなかった。何も考えられないままに地面を這って、外を目指した。きんときにあいたい。
「は、っ、……は、」
呼吸がままならなくなってきた。嫌だ、あいたい。何とか神殿の外に這い出すと、入り口を漂っていたガーディアンが慌てたようにスマイルの元に泳いできた。
「ッはぁ、っ……やさ、しい、ね……」
体を支えるように寄り添ってくれるガーディアンに、その背中を撫でる。あぁでも、もう、だめかも。せっかく助けてもらった命なのに、こんなことで終えてしまうなんて。
「……何をしてるの?」
低い声が聞こえて、体を震わせた。一瞬誰のものなのかわからないほどには恐ろしく、怒気を孕んだ声だった。きんときが怒ってるところを初めて見た。こんなに怖いんだ。体が勝手に震えだす。遍く人間が有する根源的恐怖を呼び起こされているようだ。けれどこれがきっと本来の神のあるべき姿なのだろう。スマイルは今までそれを知らなかっただけ。
「どうしてこんなところで寝てるの?」
ちがうんだよ、人間は少し食べないだけで死んじゃうの。なんて、きんときは知らないだろうな。勘違いされたまま死ぬなんて、やはり悲劇で終わるはずだった人生の続く末は悲劇でしかないのだろう。
でも、捨てられていなかった。その事実にスマイルは頬を緩めた。
きんときは最期の最期に来てくれた。それだけでよかった。
「、え?スマイル?」
結局何も返せなくてごめん、と謝って意識を手放そうとしたとき、ふと抱きしめられ、頭を撫でられる感覚があった。
「……っ、あぁ……ッ」
そのときようやくきんときは知った。なぜスマイルが外に出ようとしたのか。人間は食べなければ死ぬなんて知らなかった。お腹が空いたと言われれば焼き鮭を与えていただけという感覚だったが、確かにその周期は1日に3回程度だったかもしれない。
いずれにせよ、どんな言葉も瀕死の状態にさせてしまった言い訳には足りない。
「ごめん、…….ごめんね、スマイル、っ」
まだ足りなかった。もっと早くから力を与えるべきだった。きんときは脱力した体を支えながら、息も絶え絶えのスマイルの唇に三度目のキスを落とした。そして、その口内に息を吹き込む。
(……泣きながらキスしてる。器用なやつ)
気管に生温い空気が入り込むが、もう前回のようにきんときを拒絶することはなかった。
(なんか癖になりそう、この感覚……)
今度のキスは長かった。なかなか唇は離れない。絶えず空気は送り込まれ続ける。
(てか、)
ゆっくりと瞳を閉じながらスマイルは思った。
(かみさまも、泣けるんだな)
よかった。泣けないのはつらいから。
▫︎ ▫︎ ▫︎
次にスマイルが目を覚ましたとき、そこにはもうすっかり見慣れたプリズマリンの天井が広がっていた。
(……生きてる)
上半身を起こす。ちゃんと自室のベッドに寝かせてくれたらしい。布団から出れば、体が前にも増して軽い気がした。水中を泳ぐ速度も速いような。
きんときはどこに行ったのだろう。廊下に出て少し思案したが、思いのほかすぐに行き先は定まった。
「きんとき」
床に本が散乱した書庫。一体何日間眠っていたのだろう。スマイルが眠っている間、この神様はずっとこうして本を読み続けていたのだろうか。
「……スマイル、」
「何読んでるの?」
座り込んだきんときの背中越しに本を覗きこむ。どうやら中身はヒューマンドラマのように見受けられた。
「へぇ。こういうのが好き?」
「……いや。人間について勉強しなきゃなって」
「なるほどね。その本はどういう話なの?」
「……わからない」
「見せて」
手渡された書籍の裏面にあるあらすじを読んでみる。要約すると愛する人に旅立たれたある男の半生を描いたものらしい。
「これを読んでどう思ったの?」
「……スマイルも俺より先に死んじゃうんだよな、って考えて、……寂しくなった」
スマイルはぱらぱら、と手持ち無沙汰にページを捲った。
男はどうにも彼女のことが忘れられなかった。
彼女が愛してくれた分だけ弱くなってしまったようだ。
こんなことをして彼女は許してくれるのだろうか。
自分が酷く最低な人間に思えた。
飛ばし読みするから記憶に残るのはせいぜい一節が限界だ。それでも葛藤の末に他の女を抱いたらしいということはわかった。まぁ、スマイルとて本の展開にけちをつけるつもりはないが。
「……っ、!」
水中に本を投げ捨て、きんときの唇を奪う。初めてスマイルからした口付けだった。紫苑は驚いたように見開かれた深海の瞳だけを映す。
「……キスはこうやってするんだよ」
数秒で唇は離した。ここから先は教えてやらないけれど、それでもほら、これであなたはまた少し弱くなった。
「きんときは俺以外の人間を好きにならないで」
本はまだ床に落ちることなく水中を揺蕩っていた。
早くおちてしまえ。
スマイルはきんときの体を抱きしめる。
「おれ以外の人間を愛しちゃだめだよ」
柔らかく微笑まれ、きんときは一度開きかけた口を閉じる。こぽり、小さな気泡が生まれて消えた。
「……うん」
スマイルの背中に腕が回されるのと、とさりと音を立てて本が落ちたのはほとんど同時だった。
▫︎ ▫︎ ▫︎
「スマイル」
「ん。早かったね」
本から顔を上げるスマイルの唇にキスを落とす。教わった通りに空気は送り込まずに数秒で離すと満足気な表情が見れて、きんときはそれが嬉しかった。
人間は食べない、眠らないと死ぬことを知ってから、以前にもましてスマイルのそばにいるようになった。いっそしつこいほどに食事と睡眠を勧めるきんときだったが嫌がる素振りは見せなかった。人間初学者である神様なりの優しさであることは十分伝わっていた。
「ごはん食べる?」
「うん。食べる」
スマイルを瀕死にさせてしまったあの日、本来は食事を必要としない体にするつもりで力を分け与えたが、その力は全て容態を安定させるために消費されてしまったようだ。
しかしそれで良かったかもしれない、と小さい口を一生懸命動かして鮭を頬張るスマイルを見ながらきんときは思う。人間は歴とした人間としてその生を終えたいという願望があることまで本から学んだ。愛する人の望まないことをしてしまうのは本望ではない。スマイルが永久の命を望まないなら、きんときは勝手にその体を作り変えるようなことはもうしない。
例えきんときがいずれ一人になってしまうとしても。
(最期までスマイルが幸せなら俺は幸せだ)
ごちそうさま、とスマイルが手を合わせる。以前聞かれた、鮭の命を奪うことについて何も思わないのか、という問いの意味も今ならわかる。
理解した上できんときは命を奪う。代わりに自分自身もスマイルに倣って手を合わせた。
「寝る?」
「もう少し本を読んだら」
「俺も読む」
書庫の床に並んで座って本を読むのは二人の日課と化しつつあった。スマイルは自分用に哲学書を一冊手に取って、それからきんときのためにもう一冊の本を探す。
今日は純文学でも読んでもらおうか。詩集なんかも良い。
人間の機微を学べる本が好きなようだから、この辺りだろうか。本を引っ張り出して捲ってみて、元に戻して、また別の本を引っ張り出して、を繰り返す。この時間がスマイルは好きだった。他の誰かのために本を選ぶ。こんなに素敵なことはない。
ましてやその誰かが自分の想い人ならば。
(……やっぱり恋愛小説にしよう)
昨日もこんな思考の末に同じ結論に至った気がする。そしてやはりきんときの手に渡ったのは今日も恋愛小説だった。
それがスマイルなりの愛情表現でもあるということに気付けるほど人間に詳しいわけではないようだ。いつ気付くかな、と密かに笑って哲学書を開いた。
一時間ほど無言で紙を捲る音だけが部屋に響いていた。
「そろそろ寝ようかな」
「そうしな」
欠伸をしながら立ち上がるスマイルに付き添う。眠りに落ちるところを見るまでは安心できない。
「……きんとき、おやすみのキスは?」
目を擦りながら問うてくるスマイルが愛しくて、じんわり目を細めた。
「ん」
「……ん……、……おやすみ、」
「おやすみ。また明日」
さらりと頭を撫でて、部屋を出た。神に睡眠は必要ない。今日はスマイルが眠っている間に何をしようか。久々にガーディアンたちと戯れてやろうか。
そう思いたってきんときは神殿の外へと出た。
▫︎ ▫︎ ▫︎
珊瑚礁が見える。綺麗だ。無意識に伸ばした手に違和感があったが、その正体は分からなかった。日光が差し込んでいる。水面が揺らぐ。
ふと、何か下から力がかかって体が押し上げられた。視線を下げる。そこには懸命な顔をしてこちらに手を伸ばす男性がいた。
(だれ?)
開いた口からはこぽこぽと泡が溢れるだけだった。瞳を閉じる。
次に視界が開いたときには、眼前に砂浜が広がっていた。
(……暑い)
立ち上がって、裸足のまま砂浜を歩いた。一歩ずつ足を踏み出すたび指すような痛みが襲う。直射日光が肌を焼くように照りつける。
足を引き摺るようにして、どれだけ歩いたか。体力も尽きかけたとき、開けた場所に出た。そこには家が立ち並んでいて、人もたくさんいた。
限界を迎え地面に倒れ込むと、何人かの大人が慌てたように駆けてくる。
「……!!」
誰かが何かを叫んでいる。あまりよく聞こえない。視界の端でどこか見覚えのある蜂蜜色が不安げに瞳を揺らしている。
「お父さんとお母さんはどうした?」
ふいにはっきり聞こえた言葉があった。低い、少し嗄れた声をしていた。
『スマイルは本が好きなんだな。きっと賢い子になる』
頭を撫でる暖かい大きな手。
『サンタさんに生物図鑑もらったの?良かったねぇ』
鈴を転がすような優しい声。
「俺の娘と婿をどこにやった!!!」
あぁ。
おれは両親を殺した。
「どうしてお前だけ生き残ったんだ」
ごめんなさい
「私の子を返して……」
ごめんなさい
両親は優しかった。本が大好きなスマイルに絵本を読んで聞かせてくれたことも、街にある大きな図書館に連れて行ってくれたことも覚えている。
両親は最期まで優しかった。海に強い興味を示したスマイルを実際に海に連れて行ってくれた、その帰り道で海難に遭って帰らぬ人となった。もちろんスマイルも巻き込まれたが、両親の決死の努力により助けられた。
その事実を孫の口から聞いた祖父母は烈火のように怒り、そして悲しんだ。我が子を失ったことに対する激情はやがて罵詈讒謗と化し、そしていつしか暴力へと変わった。
「泣きたいのはこっちだ」
怒号に痛みに耐えきれず涙を流せばそう言われ、いつしか泣き方も笑い方もよくわからなくなっていた。感情の発散ができないことはまだ幼いスマイルにとって酷いストレスになった。
「なぁ、大丈夫?」
顔を覗き込まれて、思わず後退りした。スマイルより少し背の高い、眼鏡をかけた癖っ毛の男の子が蜂蜜色の瞳を瞬かせる。
「ぇ、あ、あぁ……?」
「ほんとに?おまえボロボロじゃん」
自分の体を見下ろして、すぐに視線を地面へと逸らした。布切れのような服から覗く手足は気味が悪いほど細くて、元の肌の色がわからないほど青黒い痣が並んでいる。
「……どうしておれに話しかけるの」
「話しかけたら悪い?」
こてんと首を傾げられ、困惑した。だって村の他の人たちは誰もがスマイルを避けて、話しかけるどころか近寄ろうともしない。
少し考えてから次の言葉を紡ごうとしたがその前にふわりとその男の子が破顔する方が早かった。
「おまえちょうこう型だな」
「ちょうこう……?」
「長いに考えるで長考!」
「!長考……」
「別に褒めてないけどな?」
腕を引かれて子供らしく走り回った。本が好きだと言ったら家から本を持ってきてくれた。スマイルがわからない言葉もその子は知っていた。
「おまえ、何ていうの。おれはきりやん」
「……すまいる」
「スマイル。よろしくな」
差し出された手を握り返す。両親がいなくなってから途端に色褪せて行った世界に、ひとつの色が光った。
「よ、スマイル。久々にやられたか?」
「……きりやん」
「ほら、こっち来いよ」
十年近くが経ってスマイルはそれなりに成長して、両親が亡くなってから月日も経って、少しずつ暴力や暴言は落ち着いていった。体の痣もようやくなくなってきたが、時々突然思い出したように殴られる。
「そろそろ避けらんないもん?」
「無理。急にやられるから」
「不意突かれんのか。そりゃあのクソジジイたちもやるな」
けたけたと笑いながら怪我の処置をしてくれるきりやんは、相変わらずスマイルにとって唯一無二の存在だった。持ち前の明快さがありがたかった。妙に辛気くさく接されていたらかえって居心地が悪く感じていたことだろう。
「これで痛くないだろ」
「痛くない」
「よし」
きりやんは頭が良く優しかった。しっかりした教育を受けさせてもらえない環境にあったスマイルに学校の教科書やノートを見せてくれたりして、そのおかげで平均以上に一般常識や学力を得ることができた。哲学への興味もきりやんから様々な話を聞く中で生まれてきたものだった。
「やっぱきりやんは医者になるの?」
「は?医者?ならないならない」
「?そんな頭良いのに?」
「いや、代々農家の家から急に医者なんか出ないから」
確かにきりやんの家は大きな農場を持っていた。そうか、農家になるのか。
「最近雨降ってないけど作物の方は大丈夫なの?」
「いやーそれがやばいんだよね。俺の代までに何とかしてくれ〜!じいちゃんか父さん頼む!」
その癖っ毛の金髪をがしがしと掻きむしるきりやんにスマイルは腫れた顔で少し笑った。星が輝く熱帯夜、二人で他愛ない話をしては笑ったのを覚えている。
翌朝、きりやんの姿はなかった。
「神隠しにあったんだ」
村の人たちはそう噂していた。そんなわけがない、そう言いたい気持ちをぐっと堪えた。何がなんだって、神様がそんなことをする意味があるんだ。
きりやんがいなくなって、スマイルはまた独りになった。
「……どこに、行くの?」
季節は二つ巡って、冬になった。きりやんのいない日々はなんだか早く過ぎ去った気がする。ある日の深夜、祖父母に起こされて村を出た。
「お前は昔っから穀潰しだ。少しは働けばいいものを本ばかり読んで」
「……ごめんなさい」
問いに対する答えはなかった。掴まれた腕が痛い。半ば引きずられるようにしてやってきたのは、あの日以来足を運んでこなかった海。恐怖に足がすくんだ。
「どうしてそう娘のようにかわいくないんだ」
乗せられたのは貧相な作りのボートだった。祖父だけが同乗した。祖母が岸辺から、こちらが見えなくなるまでスマイルのことを睨みつけていた。その恨みのこもった恐ろしい瞳を忘れることはない。
「お前が代わりに死ねば良かった」
はらり、スマイルの頬を涙が伝った。零れた雫は水面に波紋を作っていく。背中に強い衝撃があって、抗うこともなく海に落下した。
海は冷たくて、すぐに体温を奪っていく。こんなときでも珊瑚礁は綺麗だった。月光が見えなくなっていく。
際限なく、沈んでいく。
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「人間のことをよく知らない、時間感覚も異なる上位存在が人間を放置してうっかり死の危機に晒してしまう」という二次創作では有名なシチュエーションを一度は書いてみたかったので、今回書けてほくほくでした。