ニ
「百合香さんって言うのか」
ベンチに三人で座り、クルルは葡萄ジュースを飲んでいた。サーフィーはこれまでの上方を全て並べて、メモ帳に書き出す。
「彼女らの家は栃木市……博啓は神奈川県生まれっぽいね」
ほら、とメモ帳を見せる。青ペンで書かれた文字は全て英語だった。そのことにグルは違和感を抱いたが、下を見る。
「へえ、なら博啓をボコせばいいのか! グルさん、やっちまいましょう」
クルルは清々しいほど軽く言う。
これまでの出来事を丸々忘れたかのように見えた。ああ、冗談じゃない。真面目にそう見えたのだ。
「……そう、苦しめるのが吉じゃないか」
そう答えて、バッグからパソコンを出した。パチパチとキーを叩いてアメリカの暗殺本部ホームページからドイツに移動しようとする。
そこでメッセージを見つけた。日本語の文章だ。
「郷に入っては郷に従え」
ぽつりと呟く。そしてこう続いていた。
「……自ら反みて、縮くんば、千万人といえども吾れ往かん」
「……グルさん?」
服を掴まれて、ふと我に返った。グルは「無知蒙昧」と返信してパソコンを閉じた。
「社会的に始末する、いいな。証拠はホコリ一つ残してはいけない」
ベンチから立ち上がってバッグを背負う。サーフィーも道具やらを仕舞って立ち上がった。せっせと二人が準備をするなかで、一人遅れていたクルルはスマホで連絡を取る。
『もう着きましたか』と。
「クルル」
「はい?」
「誰と連絡した?」
「えっと……パローマさんです」
「……何?」
その場は水を打ったように静まり返った。暫くは黙り込んで思考を巡らせる。
「嘘だ、俺が殺した。死んだのは明々白々だったはずだぞ」
静寂を破り立ち止まる。クルルはにやりと笑った。
「……それこそ嘘ですね。頸動脈に刺さらないあたりに毒を刺した。そしてそれはアルコールに弱い。だから、そこを狙ったんでしょう?」
サーフィーは「そうなの?」と首を傾げて訊く。その姿は疑問に思っているだけの青年だが、よく見れば推理をしながら相手の思考を読もうとする暗殺者だった。
グルは歩きながら口を開く。
「……俺は、いつかハニートラップをしたとき毒を投げた。その毒はパローマのもので、暗殺時に使用した毒も同じもの。壁についた液体の残りをポケットに入れて成分を調べた。あそこには色々あるからな。あと、毒を薄めて刺したから効果は吐き気くらいだろ」
まさか連絡を取っていたとは。そこまで勘付くことはできなかったらしく驚いていた。
「それで、パローマがどうした」
「こっちに帰ってきたら車とか家とか。くれるらしくって……お金もたっぷり頂きましたよ。準備はかなり前からしてましたから。PCなんかも。……あ、ほしいやつあります?」
キョトンとした顔で訊かれ、グルは指を親指から折り始めた。
「色々吐かせる薬の液と粉。暗器、武器、盗聴器、隠しカメラ」
そう答えると、クルルはメールして、親指を突き出した。三人は指定された駐車場まで行くと普通の格好でパローマが待っていた。
「久しぶり、ありがとね」
グルの肩を殴るかのように激しく叩く。激痛に一瞬声を出したがすぐに謝った。
「すまない。……で、住まいと金と車は」
壁により掛かりながら手を差し出す。何を偉そうにと苛ついた様子を見せつつ、出されたものは白いカード。金色の字で色々書いていた。
「住まいはここから離れたところ。メールに送ったから見て。そこなら何してもいいよー。店をやるでもなんでもね。……金はこのカード。車は一つ! 隣のやつね。ウチも金ないからさー……免許書とかぜ〜〜〜〜んぶ偽造。パスポートもあるでしょ。まぁ、名前も偽名でお願いね。グル、暗器共はその家にあるから安心して」
「んじゃ、アディオス!」
流れるように何も話さずに車に戻る。サーフィーは思わず引き止めた。そう、サーフィーからしてみれば育ててくれた師匠であり尊敬している人。暗殺の中でもハニトラを中心的に教えてくれた恩師である。
それが突然消えて、悲しんでいたのに……。それだけ?
「酷いよパローマぁ……」
「あ〜もう泣くな泣くな。ウチは仮本部のジャマイカに居るからいつでもおいで」
「ありがとぉ……色々……」
「うん、じゃ、またな」
苺の飴をサーフィーの口に入れると、パローマは車の座席に乗った。地下駐車場から去る赤い影を見送りながらふと思い返す。
これまで色々ありすぎたなぁ、と。隣にあるグルの車は333という縁起の悪い数字だった。
「仕方ない、一度家まで行くか」
「そうだね」
ここにいても仕方ない。三人共考えが一致したらしく車に乗り込んだ。さすが、新品の匂いがする。手袋をつけて運転席に乗ると、助手席にクルル。後ろの席にサーフィーが乗り込んできた。
「よし! 夫ぶっ殺し計画の準備をしよう!」
わーっとサーフィーは雄叫びを上げる。それは獣のようでもあり、喜びの歓声にも聞こえた。拷問に餓えた彼らからすればクズを撲滅することなんて、快感でしかない。グルを除いた二人はワクワクしながら外の景色を眺めた。
新居に着いてすることは一つ。武器の確認。全部棚の中に揃っていて、壁は回転式なため気づかれない。良い仕組みだとクルルは絶賛していた。
「ところで、暗器に盗聴器。それ以外に持っていきたいものがあります! それは何でしょう」
人差し指を立ててサーフィーが微笑んだ。一体なんだろうか。パソコン? それとも……
「配信するスマホとか?」
「流石ベストフレド!」
ガバっと音が出るほどに抱きつく。正解者は言うまでもなくクルルであった。そんなことを考えるなんてと恐怖したものの、親友同士なら通じるものがあるのだろう。
「惨めな姿を全世界に配信しようってことか」
「いや、裏の世界に」
「それが拡散されるから同じじゃないか」
馬鹿馬鹿しい、と鼻を鳴らす。グルはあまり乗り気ではなかったが最終的に了解した。たった五分ほど経てば道具を体の隅々に隠して家から出る。博啓らの家まで向かうのだ。 郷に入っては郷に従えという。彼のしていた酷いことをそっくりそのまま返すことがグルの目的だった。償わせる……たった数年刑務所に行くだけではなく苦しみを味わわせる。
家まで着くと車を空き地に停めた。ナンバーもすり替えておく。監視カメラの情報はクルルがうまく繋ぎ合わせた。
三人は手袋を交換するとブーツを履いて、コートを羽織る。顔は見えないように男の面を被った。 準備を 完了させて勝手に鍵を開ける。初めに動き始めたのはサーフィーだった。
「博啓さぁーーーーーん! はじめまして犯罪者ですぅ! 女居ますね? きゃっ、浮気。浮気だぁ〜〜きゃぁぁぁ!」
女声で叫ぶ。博啓は息を呑んだように振り返ったまま動かなくなった。上半身裸。中肉中背の男は風呂場から出てきたところである。風呂場には髪の短い女が湯船に浸かっていた。
グルは女など気にしないといった様子で風呂場までゆっくりと歩くと博啓の首に腕を絡めて頸動脈を刺激。失神させた。近くにあった服を無理やり着せた後は、抱き抱えてクルルに渡す。抵抗する女にも湯船から無理やり上がらせ、薬を飲ませる。如何にも慣れた手つきで狡猾に進めた。
裏道を辿って帰りまた新居へ。この作業に移動時間を覗いて一時間もなかった。重たい博啓の体をやっとの思いで椅子に乗せて手足を縛る。 クルルは配信の準備を始めると、サーフィーに合図した。体をムチで打つ。
「ゔ、ぁぁぁ!!」
意味のわからないことを叫びながら暴れる。口枷を口につけて何も喋れないようにした。
「レディース・アンド・ジェントルメン、これよりクズの公開処刑を行います。え〜〜、彼の自業自得履歴を早速紹介していきましょう!
彼は百合香さんと付き合っていますが、その他に晴美さん、綾香さん、鈴さんと浮気しています。あ〜それともう何人かともやってます。
そのうちの二人は子持ちです。更にこの男DV男! 百合香さんと連絡交換したんですけど録音とかあるんで。仲間たちはこのこと知らないんですけどね! あははは。自殺未遂まで追い込むクズさ! 粛清しなきゃですね! 」
「四名のご入場です」
その途端、女性の表情と同時にクラシックの音楽が流れた。ヴァイオリン協奏曲集『和声と創意の試み』 四季だ。こんな修羅場に流す音楽じゃない。
「おい、いつ呼んだ」
今後の展開を予想してゾッとしてクルルが掴みかかる。無理もない。殴り合いか自分たちも巻き込まれるであろう。サーフィーは飴を舐めながら甘く笑う。
「運転中♡」
この男がバレずに連絡先を特定したのは言うまでもなく博啓の連絡先からである。証拠なども見せつけて場所を貼り付けると、秒速で行くという返信が来た。それからは指示もしていないのに博啓はタコ殴りにされ、顔面がパンパンに腫れる。三人はその状況を嘲笑いながらリンチした。
コメント
1件
無知蒙昧…知恵や学問がなく、愚かなさま お前は知恵もない愚かな男だって言いたかったのか俺は愚かだと言いたかったのか……その真相は彼らのみぞ知ることです