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◆ 長編ストーリー:砂漠に響く、ふたりの最後の足音 ◆
薄曇りの朝だった。
砂漠を撫でる風はいつもより冷たく、史奈はその温度の違いだけで、今日が “別れの日” になることを悟っていた。
任務を終え、二人で砂紋の広がる稜線を歩いていた途中。
史奈は足を止める。
レイラも同じく、ほとんど音も立てずに振り返った。
「…レイラ。ちょっと、いい?」
レイラは無言で歩み寄り、史奈の横に立つ。
相変わらず表情は薄い。
けれど、史奈にはもう分かっていた。
この女傭兵の奥には、確かに “温度” があることを。
史奈は深呼吸して、心に刺さる痛みを押し殺す。
「あたし、一人で行くよ。」
その一言に、レイラの瞳がわずかに揺れた。
僅かな揺らぎは、誰にも気付けない程度の弱い光。
だが史奈には、はっきり見えた。
「迷惑…かけたくないからさ。あんたの足、あたしのせいで止めたくない。」
レイラは、ほんの一拍だけ間を置いた。
「―寂しい。」
小さな声だった。
砂漠の風がさらっていくほどに淡く、かすれていた。
史奈は驚き、言葉を失う。
レイラがそんな感情を口にするのは初めてだった。
だが次の瞬間、レイラは視線を逸らし、弱さを隠すように表情を再び消す。
「…でも、あなたが決めたことなら。私は尊重する。」
その言葉は、レイラなりの精一杯の理解だった。
史奈は唇を噛みしめ、持ち続けてきた“恐れ”を押し込める。
ほんの少し一緒にいただけなのに、別れるのがこんなに苦しいなんて思わなかった。
「ありがと…レイラ。」
レイラは頷き、小さな風紋の丘を指差す。
「ここまで、送る。」
二人はしばらく並んで歩く。
残された足跡は一直線に並び、その距離はこれまで以上に近かった。
やがて丘の頂点で足を止めると、史奈は荷物を肩に担ぎ直す。
「じゃあ…行くよ。」
「ええ。」
風が吹き抜け、史奈の髪が揺れる。
レイラはそれをじっと見つめ――そして、ほんの一瞬だけ、柔らかな眼差しを向けた。
「史奈。…また、どこかで。」
史奈の胸が強く締め付けられる。
「ああ…また、どこかで。」
笑ってみせたが、その声は震えていた。
史奈は振り返らずに歩き出す。
歩けば歩くほど、影は伸びて細くなり、やがて一本の孤独な線に変わる。
砂漠の中央で、史奈はポツリと呟いた。
「…また、一人か。
いいよ。一人の方が、あたしには合ってる。」
強がった声は風に消える。
寂しさは確かに胸にあった。
だが彼女は、再び自分の道を歩き出す。
その背中には、
マリア、陽菜、レイラ――
これまで出会ったすべての人の影が薄く残っていた。
こうして、史奈の新たな物語が静かに始まった。
史奈の孤独な夜
砂漠の夕暮れは早い。
日中の熱気を吐き出した大地は、夜になると嘘みたいに冷たくなる。
史奈は、小さく息を吐きながら、砂丘の影に簡易テントを張った。
ジッパーを閉めると、わずかに砂を弾く音が静かに響く。
冷たい空気を背に、史奈は荷物を漁って、薄いブルーのパジャマを取り出した。
「……はぁ。なんで、よりによってこんな色なんだか」
文句を言いながらも、袖を通す。
いつもの癖で、靴下を脱ぐ、足をテントの床に置く。
冷たさがじんわりと足裏に広がり、思わず肩が震えた。
「……さみぃ……」
ひとりごとが、小さな空間の中に落ちていく。
毛布を肩に引き寄せながら、史奈は思い返す。
今日――レイラに伝えた言葉。
**“あたし、一人で行くよ。迷惑かけたくないから”**
強がって言ったはずが、胸の奥がずっときしむ。
レイラの返事が耳の奥で蘇った。
**“寂しい…でも、あなたの決意なら尊重する”**
一緒にいた時間は長くない。
だけど、史奈の心に入り込むには十分だった。
「……あー…バカだな、あたし」
膝を抱え、額をのせる。
指先が冷えて、毛布に押し込んだ。
ふいに、別の記憶が浮かんできた。
マリア、陽菜――そして自分の過去。
■ 史奈の心に残る影
「なんで、こんな時に思い出すんだか」
児童養護施設。
狭い部屋。
薄手の毛布。
夜になるといつも風の音がした。
父は行方不明。
母は病死。
泣き叫びたかった夜もあったけれど、泣けば誰かを困らせる気がして声を出せなかった。
――あの日々の延長線に、あたしは今も立ってる気がする。
マリアはあたしを“史奈ちゃん”と呼び、距離を詰めようとする変人で。
陽菜は飄々としてるのに、どこか包み込むような優しさがあって。
レイラは無表情で何考えてるかわかんないけど、不思議と放っておけない存在だった。
けれど―いま、ここにいるのはあたしだけだ。
「また、ひとりかよ」
自嘲気味に笑う。
声が震え、笑えてるのかすら怪しい。
毛布にくるまりながら、史奈は天井を見つめた。
テント越しに、砂漠の風の音が静かに響いている。
その音は、昔の施設の夜を思い出させた。
静かで、冷たい。
けれど、どこか懐かしい。
■ 孤独に寄り添うように
「…あたしは、一人が合ってるんだよ。昔から、そうだったし」
そう言葉にしてみる。
けれど、その声は弱々しい。
自分に言い聞かせるための、空っぽに近い強がり。
胸が少しだけ痛む。
それでも史奈は、涙だけはこぼさなかった。
泣き方を忘れたわけじゃない。
ただ――泣いたら、今までの強がりが全部崩れてしまいそうで。
「……明日も行くか。この砂漠を。どこまででも」
パジャマ姿のまま、毛布をぎゅっと握った。
暖かさは足りないけど、それでも今夜はそれで十分だった。
目を閉じる前、史奈は小さくつぶやく。
「…また、いつか。会えんのかな」
その声は、誰に向けた言葉か分からないまま、静かな砂漠の夜へと溶けていった。
夜明け前、砂漠の空はまだ群青色の深みを残していた。
史奈は、簡易テントの前で無言のまま装備を整えていた。
**AKMの油膜を拭き取り、M9のサプレッサーを装着し、コンバットナイフを腰に差す。**
「あたし一人で十分…だろ。」
自分に言い聞かせるように呟く。
今度の任務は、砂漠の旧軍事基地に立てこもった武装勢力の指揮官を排除すること。
敵は重武装、地形も最悪。
だが――史奈は一人で行くと決めていた。
レイラとも、マリアとも、陽菜とも別れた。
孤独を選んだのは自分だ。
だからこそ、引き返すわけにはいかない。
◆ **砂嵐の中の突入**
軍事基地に到達すると、砂嵐が吹き荒れ、視界はひどく悪い。
だが、史奈は迷わなかった。むしろ、こういう状況の方が自分には都合がいい。
「…やるしかない。」
史奈は低く身を屈め、建物の死角に滑り込む。
その瞬間――
**ババババッ!!**
砂壁に銃弾が突き刺さり、砂が派手に散る。
敵兵が二階から撃ち下ろしてきた。
「ちっ!」
史奈は壁に貼り付き、AKMを構えて反撃。
**反動を殺しながらフルオート。**
敵兵の胸に弾が集まり、男は欄干から落ちていく。
史奈は建物へと突入した。
◆ **近接戦闘――刃の距離**
内部は薄暗く、湿った鉄と油の匂いがする。
史奈は足音を消し、静かに進んだ。
しかし――
角を曲がった瞬間、黒い影が飛びかかってきた。
「ッ!」
ギラッと光る刃。
反射的に史奈はナイフを抜き、刃と刃が激しくぶつかり合う。
**キィィィン!!**
男は巨躯で、片腕で史奈を押し潰さんばかりの力。
史奈は押され、床に背中を打ちつけた。
「この…っ!」
男のナイフが降り下ろされる。
史奈は横転。刃は床を抉った。
隙を逃さず史奈は男の腕を蹴り、ナイフを弾き飛ばした。
しかし敵も素早い。
史奈の胸倉を掴んで壁に叩きつける。
「ぐっ…!」
呼吸が止まりそうになる瞬間、史奈は腰のM9を抜き、**至近距離で一発。**
消音された銃声とともに男の力が抜け、崩れ落ちた。
息を荒げながら、史奈は呟いた。
「油断も隙もないんだから。」
◆ **指揮官との対峙**
奥の作戦室に踏み込むと、そこには指揮官らしき男がいた。
黒い防弾ベストに身を包み、AKをこちらに向ける。
「誰だ…!」
史奈は返事もせず走り込む。
同時に敵の銃が火を噴く。
**ダダダッ!!**
肩にかすり傷が走るが、史奈は止まらない。
机を蹴り倒し、その影に滑り込み、AKMを構える。
**ひと呼吸。**
「…終わりだ!」
史奈は机越しに飛び出し、正確に3発叩き込んだ。
指揮官は後ろに倒れ込み、動かなくなる。
任務、完了。
◆ **静寂の帰路**
史奈は深い息を吐き、傷口を軽く押さえながら砂漠を歩き出す。
基地が遠ざかり、風の音だけが耳に残る。
「…あたしは一人でいいんだ。」
そう言いつつも、胸の奥がわずかに疼く。
レイラの無表情な横顔、
マリアの破天荒な奇行、
陽菜の優しい笑顔。
**あたしは結局、誰かと居るのが好きだったのかもしれない。**
その思いを、史奈はかき消すように空へ吐き出した。
「…バカみたい。」
砂漠の風は答えない。
ただ、彼女の孤独をさらっていくだけだった。
史奈の旅は、まだ続く。
◆ 史奈、孤独の夜 ― 傭兵の静かな時間 ◆
夕焼けが完全に沈みきる前に、史奈は砂漠の高台に小さな簡易テントを張った。
今日の任務は想定以上に激しかった。
右肩には銃撃戦で負った擦過傷、太ももにはナイフ戦で切り裂かれた浅い傷。
テントの中に腰を下ろすと、彼女は息をつき、
「…痛ってぇな、もう。」
と、誰にも聞かせるつもりのない声を漏らした。
◆ 武器の手入れ ― 史奈の儀式
まずは応急処置。止血と消毒を終えると、史奈はおもむろに**AKM**を膝の上に置いた。
アイアンサイトの土埃を払い、レーザーサイトの点検を行い、
手慣れた動作で分解・清掃していく。
砂漠の乾いた夜気の中、金属が擦れる軽い音だけが響いた。
続いて**M9(サプレッサー付き)**の分解清掃。
薬室の中を布で丁寧に拭き、サプレッサー内部の煤を落とす。
そして最後に、愛用の**コンバットナイフ**。
布で丁寧に刃を磨きながら、史奈はふと呟いた。
「…あんたらが無きゃ、あたしすぐ死んでるよね。」
そう言って小さく笑うが、その笑顔には疲労と少しの寂しさが滲んでいた。
◆ パジャマに着替えて、一人の夕飯
武器の手入れを終えると、史奈は荷物の奥から
薄いブルーのパジャマ
を取り出した。
砂漠の夜は冷える。
しかし、**パジャマに着ないと眠れない**という妙なこだわりは、どれだけ戦場を渡っても変わらなかった。
素足に触れる冷たい砂の感触に、
史奈は少しだけ肩をすくめた。
「…冷てぇ。」
簡易コンロで炙った缶詰のスープを啜りながら、
彼女は静かな夜を過ごしていた。
◆ 思い出す ― マリア、陽菜、レイラ
食事が進むにつれ、史奈の思考は自然と過去へ向かう。
**マリア**。
騒がしくて、変わっていて、妙に温かい人だった。
あの破天荒さにはついていけないが…正直、少し恋しかった。
**陽菜**。
自分よりずっと長く戦場に生きてきたのに、笑う時は子どものように明るい。
自分を助けてくれた借りは、まだ返せていない。
**レイラ**。
かつてのあの柔らかい雰囲気とは違い、別人のように冷たい。
だが――
あの狙撃の腕は、本当に圧倒された。
彼女たちは自分から去ったわけではない。
自分が、そう選んだのだ。
一人でやっていくと決めた。
その選択に嘘はなかった。
……それなのに、
胸の奥が少しだけ冷たい。
◆ 児童養護施設での記憶
寝袋の上で膝を抱えながら、史奈は目を閉じる。
父はいなかった。
母は幼い頃に病死した。
施設では、皆優しくはしてくれたが……
家族ではなかった。
『あたしは、ずっと一人だ。』
その感覚は、傭兵になってからも変わっていない。
孤独は、慣れたはずだった。
なのに――
マリアや陽菜と過ごした日々が、胸の奥に温かい痕跡を残している。
「なんで、離れたんだろ。あたし。」
吐き出した言葉は、砂漠の冷気に溶けて消えた。
◆ 静かに沈む夜
史奈はパジャマの袖をぎゅっと握りしめ、寝袋に潜り込む。
素足が冷たい。
でも、これが落ち着く。
外の風は冷たく、テントは静か。
その静けさが、少しだけ寂しさを大きくする。
だが――
目を閉じた史奈は、かすかに笑った。
「……また、明日が来るし。」
そう言い聞かせるように呟き、
小さく息を吐き、彼女は孤独な夜へ身を委ねる。
そして、新たな1日がまた始まる。
夜の砂漠は、昼間の熱をどこへ置き去りにしたのかと思うほど冷え込んでいた。
史奈は小さな焚き火の前で、ぼんやりと揺れる炎を見つめていた。
その光は、彼女の胸の奥深くにしまい込んでいた記憶を照らし出す。
◆ 幼い日の史奈
史奈が児童養護施設に引き取られたのは、6歳の時だった。
父は行方不明のまま戻らず、母は病で亡くなった。
彼女の手を握る大人は、もう誰もいなくなっていた。
施設の入り口に立ったあの日、史奈は小さなリュック一つしか持っていなかった。
中身は、母が最後の日まで傍に置いていた手鏡と、小さな折り紙だけだった。
“今日からここで暮らすのよ。みんな仲良くしてね。”
職員の女性は優しく微笑んだが、
史奈はただ頷くだけだった。
◆ 友達の輪に入れない少女
施設の子ども達は、年齢も性格も様々だった。
同じ境遇の者同士、自然と支え合っていく子も多かったが…
史奈だけは、輪に入れなかった。
「入れてあげない!」
「史奈って、なんか怖いんだよね」
「ずっと黙ってるしさ」
理由はあまりにも幼稚で、しかし残酷だった。
史奈は言葉が少なく、感情を表に出すのが苦手だった。
心を閉ざしてしまっていたから、どう接すればいいのか自分でも分からなかった。
遊具のある裏庭で、皆がボール遊びをしている横で
史奈はいつも、一人でベンチに座り空を見ていた。
職員に
「みんなと遊んできたら?」
と背中を押されても、首を横に振るだけ。
孤独は、彼女の日常になっていった。
◆ 初めての夜の泣き声**
施設で迎えた最初の夜。
消灯時間のベルが鳴り、子どもたちがベッドに入る頃。
史奈は布団に潜り込んだものの、眠れなかった。
天井を見つめ、母が生きていた日のことを思い出してしまった。
「お母さん…」
その一言を口にした瞬間、
涙が溢れ、止まらなくなった。
声を殺し、必死に息を詰めた。
泣き声が漏れたら、他の子どもに嫌われる。
そう思いこんでいた。
隣のベッドの子が
「泣いてる?」
と囁いたが、史奈は返事をしなかった。
暗闇の中で、ただ一人、震えていた。
◆ 少女が心を閉ざした理由
翌朝、史奈の枕元に置かれていたのは
涙で濡れた折り紙だった。
母が折ってくれた最後の鶴。
史奈はそれを強く握りしめ、心の中で誓った。
――もう泣かない。
――誰にも迷惑をかけない。
――一人で生きていく。
その日からの史奈は、
子どもとは思えないほど無口で、冷静で、表情を消した。
職員たちは心配したが
史奈は決して心を開かなかった。
◆ 武器に憧れた少女
施設には月に数回、ボランティアで自衛官が訪れることがあった。
彼らの訓練の話や装備の説明は、子ども達にも人気だった。
史奈は唯一、その時間だけは目を輝かせて聞いていた。
“強くなれば、誰にも奪われない”
幼い史奈の胸に芽生えたのは、
復讐でも怒りでもなく
ただ「強さ」への渇望だった。
その後の史奈の成長、傭兵としての道は
この瞬間から始まっていたのかもしれない。
◆ 孤独が作った、戦う少女
学校に上がっても、友達はできなかった。
いつも一人。
教室の隅。
帰り道も一人。
だが、泣きはしなかった。
施設の裏庭で、一人で腕立て伏せや懸垂を始めたのもこの頃。
周りの子は気味悪がったが
史奈は気にしなかった。
「強くなれば、誰にも縛られない…」
孤独は、彼女の鋼を作り上げていった。
砂漠の夜風が、史奈の頬を撫でる。
焚き火の火がパチパチと弾け、
彼女はその光を見つめながら小さく息を吐いた。
「……あの頃から、あたしはずっと一人か」
マリアと陽菜、そしてレイラ。
出会ってしまったからこそ、
今の孤独が少しだけ胸に刺さる。
だが――
史奈は小さく、苦笑いした。
「ま、いいさ。一人の方が慣れてるし…楽だし」
そう呟いた声は、どこか弱く、どこか強かった。
焚き火の明かりに照らされたその横顔は
かつて施設で強さを求め続けた
あの孤独な少女の面影を残していた。
◆ 市街地に差した、ひとときの灯り
任務帰りの夕刻。
砂漠の乾いた風を背に、史奈は市街地の入り口に立っていた。
砂の匂いと排気ガス、遠くから聞こえる車のクラクション。
どこか生ぬるい空気。
――戦場の緊張が少しだけ薄れる世界。
史奈
「……酒でも飲まなきゃ、やってらんないわね」
背中の **AKM** をケースにしまい、腰の **M9** とナイフだけを隠せるようにして、小さな飲み屋へ入った。
◆ 小さな飲み屋にて
薄暗い照明。
壁には古いテレビがかけられ、ニュースが砂嵐混じりで流れている。
史奈はカウンターの隅に座り、ロックの酒を注文した。
グラスの中の氷が、カラ…と乾いた音を立てる。
一口飲むと、じんわりと喉が熱くなる。
戦場での緊張が、少しずつ解けていく。
その時―
???
「……あれ? あんた、日本人かい?」
突然、隣の席から声がかかった。
史奈
「……あんた誰よ」
声の主は、細身で黒縁メガネの男。
妙に気弱そうで、まるで戦場とは縁のなさそうな“チー牛”風の顔つき。
だが、背中には **サイガ12K(10連マガジン)** の大型ケース。
腰には **SIG P226(レーザーサイト+サプレッサー)**。
意外と武装は本格的だ。
男
「俺は **村上 皇輝(こうき)**。歳は28。北海道から来た、ただの傭兵さ」
史奈
「村上…? あたしと名字一緒じゃん」
皇輝
「あ、ああ、そだな。でも血縁偶然よ、偶然」
史奈
「…ふぅん」
皇輝は弱そうに見えるわりに、鋭い観察眼を持っていた。
じっと史奈を見て、眉を寄せる。
皇輝
「…あんた、戦場帰りだべ? その目、普通じゃねぇ」
史奈
「……戦場に普通なんて無いでしょ」
皇輝
「まあ、そりゃそうだ」
気弱そうに見えたが、話し方は妙に淡々としている。
北海道の訛りが、どこか柔らかい。
◆ 史奈、無意識の警戒
史奈はグラスを指で回しながら、男を横目で観察した。
(――こいつ、弱そうに見せてるけど…
腰のSIGの使い方、慣れてる。
あの目、何人か殺ってる目だ)
警戒が僅かに強まる。
史奈
「何の用なのよ。ナンパなら殴るわよ」
皇輝
「いやいや、そんな度胸ねぇさ。
ただ……日本語聞いたら、つい嬉しくなってしまってな」
史奈
「…あたしは一人で飲みたいの。分かった?」
皇輝
「わかった。邪魔すんなら、向こう行くわ」
と言いながら、彼は席を立とうとした――
だがその時、店の外で遠く爆発音が響いた。
**ドンッ――!**
店の照明が一瞬だけ揺れる。
皇輝の動きが一変する。
さっきまでの気弱な雰囲気が消え、
腰のSIGに手を添え、目つきが鋭くなる。
皇輝
「……あちゃー。市街地で小競り合いかい。面倒だ」
史奈
「…あんた、やっぱり“ただのヘタレ”じゃないわね」
皇輝
「こう見えて、火力は高い方なんだわ。
サイガ12Kの扱いなら、一級品よ」
へらっと笑う皇輝だが、その背中からただ者ではない気配が漂う。
史奈はグラスを空け、カウンターに置いた。
史奈
「……まあいいわ。絡んでこないなら勝手にしてて」
皇輝
「お互い、生き残れればそれで十分だ。」
2人はしばらく黙って酒を飲んだ。
爆発音も銃声も、戦場にいる者にはただの“日常”でしかない。
◆ 史奈の胸に差す、微かな孤独
グラスを見つめていると、ふと胸が寂しくなる。
マリアのこと。
陽菜のこと。
レイラのこと。
みんな、どこかへ消えてしまった。
皇輝
「…あんた、なんか寂しい顔してるな」
史奈
「……してない」
皇輝
「してるっしょや」
史奈
「…あたしは一人でいいの。ずっとそうだったし」
皇輝
「そっか。でもな――
“一人でいるのが得意な奴ほど、本当は誰かを必要とする”
って、昔言われたことあるんだわ。」
史奈
「……あんたが言うと、説得力ゼロね」
皇輝
「ほっとけや」
不思議な夜だった。
初対面なのに、なぜか居心地が悪くない。
史奈は気づかない――
自分が、ほんの少しだけ **誰かの声を求めていた** ことに。
「夜の路地裏にて ─ 皇輝の正体」
市街地の小さな飲み屋で酒を飲み、少し頬を赤くした史奈は、会計を済ませて外に出た。
夜の風は冷たく、砂漠帰りの身体には心地よい刺激だった。
(さて帰るか……)
と、足を動かした時だった。
薄暗い路地の奥で、複数の怒鳴り声が響いた。
「オイ、チビ! 財布だけで済むと思うなよ!」
「お前みたいな弱そうなの、久しぶりだわ!」
聞き覚えのある声が混じっていた。
史奈
「……あんた、嘘でしょ」
街灯の下で、細身で黒縁メガネの男が三人の男に囲まれていた。
昼間、飲み屋で話しかけてきた日本人傭兵―― **村上皇輝**だった。
身長は160cmほど。線は細く、傭兵というよりオタク大学生のよう。
北海道訛りで、のほほんと話す姿からは、とても腕が立つように見えない。
今も不良たちに胸倉をつかまれ、引きずられていた。
皇輝
「や、やめれって……! そ、その財布は大事なもんなんだわ……!」
史奈
(マジで何やってんのよ……!)
取り返そうと一歩踏み込んだ瞬間――
皇輝が、ふっと表情を変えた。
寒気が走るほど、静かな目だった。
男A
「何黙ってんだよチビッ!」
拳が皇輝に向かって振り下ろされる――
次の瞬間。
パシッ。
皇輝の手が、迷いなくその腕を掴んだ。
細い指とは思えない強い握力。
驚く暇もなく、彼は相手の肘に膝を叩き込んだ。
ボギッ!!
男A
「ぎゃああああ!!」
そのまま腕を捻り、地面に叩きつける。
動きが滑らかで、無駄が一切ない。
(軍隊式の関節技…!? いや、あれはもっと…)
史奈の目が見開かれた。
男Bが怒り狂って踏み込む。
だが皇輝は一歩も引かず、むしろ小柄な体を武器にして懐へ潜り込んだ。
軽いステップ。
重心移動が異常なほど滑らか。
そして――
ドゴッ!!
拳が男Bの鳩尾に深く突き刺さった。
呼吸を奪われた男は、そのまま白目を剥いて崩れ落ちる。
男C
「ふ、ふざけんなッ!!」
最後の一人がナイフを抜いた瞬間、皇輝は薄く呟いた。
皇輝
「……あんま、俺を怒らせんなよ」
声は低く、飲み屋で話しかけてきた柔らかい口調とは別人だった。
その瞬間、史奈の背筋がゾクリとした。
皇輝は最小限の動きで腕を絡め取り、逆にナイフを男に突きつけた。
まるで、何百回もその動きを練習してきたように迷いがない。
男C
「ひっ…!」
ナイフが地面に落ちる。
皇輝
「財布、返せ」
怯えた男たちは即座に財布を差し出し、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
路地に静寂が戻る。
皇輝は眼鏡をクイッと直し、
まるで何事もなかったかのように財布をポケットへ入れた。
皇輝
「んじゃ、俺 帰るわ」
踵を返した。
史奈は声を失ったまま、その姿を見送る。
(……は? なに、あいつ……)
弱そうで、気の弱いチー牛みたいな男。
だがその裏には――
恐ろしく洗練された武術と、静かな殺気を秘めていた。
まるで氷のような眼。
冷静すぎる判断力。
史奈
「…わけわかんない…」
あまりのギャップに、思考が追いつかない。
だがひとつだけ確かだった。
(あいつ、やばい…本物だ…)
史奈の胸に、奇妙な感情が渦巻いた。
警戒。
興味。
そして…かすかな期待。
(また会う気がする…厄介なのに)
夜風が吹き抜ける。
彼女の孤独な旅路に、新たな不穏な影が忍び寄っていた。
妙に気になった史奈は、そのまま皇輝の後を距離をとってつけた。
彼はまったく気づかない。
(警戒心ゼロじゃん…大丈夫?)
砂漠の外れ、小さな岩陰。
皇輝はそこで簡易テントを張っていた。
中に入ると――
史奈は双眼鏡越しに見て、盛大に顔をしかめた。
「…ちょっと、嘘でしょ」
**皇輝、大人向け雑誌を読みながらニヤついていた。**
「ほぉ〜…このグラビアは…たまらんなぁ…」
史奈の顔が一気に赤くなる。
(見ちゃったよ……見ちゃったよ……最悪…!
なんであたし覗いてんのよ馬鹿…)
しかし、なぜか目を離せない。
皇輝はページを捲りながら、ふと雑誌を閉じた。
「……それにしても、さっきの史奈ちゃん、めんこかったなぁ…」
「顔ちっちぇし、銃の構え方もかっこよかったべ。
…あぁ、また会いてぇな。」
史奈の心臓が跳ねた。
(な、なに言ってんのアイツ……)
耳が熱い。
酔いは完全に醒めていた。
皇輝の言葉は、軽いもののように聞こえるのに、不思議と胸の奥がざわつく。
「…馬鹿みたい」
小さく呟くと、史奈は踵を返した。
夜の砂漠の風が冷たく、素足に近いブーツの中で足先がひんやりする。
(なんでドキっとしてんのよ、あたし…)
自分でも理由がわからないまま、史奈はテントへ戻っていった。
砂漠の夜空には、星が静かに瞬いていた。
任務を終えた夕暮れの砂漠。
低い風が、史奈の頬を撫でる。
彼女は一息つき、双眼鏡を取り出して遠方を眺めた。
その視界の中に、小さな簡易テントがひとつ。
「…あいつだ。」
そう。皇輝のテントだ。
史奈は、少し離れた砂丘の影に身を伏せ、双眼鏡を覗き込む。
テントの前で、皇輝は黙々と腹筋をしていた。
細身の体からは想像もつかないほど、腹筋は深く割れ、背中にも古い傷がいくつも走っている。
彼の装備はしょぼく見える。
黒縁メガネをかけ、細っこくて、どこか頼りなくて、チー牛みたいな雰囲気。
――だが、身体だけ見ると、まるで別人だ。
史奈は、思わず息を飲んだ。
(あたしと……同じくらいの傷あんじゃん)
任務で得た傷は、彼がどれだけ死線を越えてきたかを示していた。
皇輝は、史奈の視線になどまったく気付かず、腕立て伏せ、スクワット、ランニングへと次々に移る。
黒縁メガネのまま走る姿は、どこかマヌケで、だけど妙に一生懸命で――少しおもしろい。
そして彼は独り言を言う。
「そういや…昨日会った
史奈ちゃん、胸大きいよなぁ…」
史奈の顔が真っ赤になった。
「……はぁぁ!? 何言ってんの、あのチー牛ッ!」
怒鳴りつけたい。
しかしここでバレると
監視の意味がない。
拳を握りしめながら、なんとか怒りを飲み込む。
(はぁ……ほんっと、信じらんない。)
昨日、酔っ払いの男3人をあっさり倒して見せた皇輝。
細身で優しそうに見えるのに、あれは完全に“プロ”の動きだった。
(……ミステリアスすぎでしょ。アンタ)
気付けば、史奈はもう30分近く彼を観察していた。
砂漠の夜風が、彼女の髪を揺らす。
皇輝は、トレーニングを終えるとテントに戻り、また
雑誌を開いてニヤついた。
「……もぉぉぉぉぉ……」
史奈は頭を抱える。
そのとき――皇輝の独り言が聞こえた。
「はぁ…史奈ちゃんに会いたいわ…」
史奈の鼓動が跳ねた。
(な、なに急に……っ)
怒りでもなく、呆れでもなく――
胸の奥が少しだけ熱くなる。
史奈は、その場を離れようと背を向ける。
(……バカ。あたしは傭兵で、孤独が一番合ってるの。誰かとつるむなんて……。
……なのに、なんでアンタの事、こんなに気にしてんのよ)
深呼吸をひとつ。
砂漠の夜空は、冷たく澄んでいた。
史奈は、自分の簡易テントへ歩き出す。
背後では、皇輝の朗らかな鼻歌が小さく続いていた。
―夜明け前の砂漠。
地平線が紫色に染まる頃。
史奈は、砂丘の上から双眼鏡を覗き込み、皇輝の姿を追っていた。
皇輝は例の黒縁メガネをかけ、いつもの細身の体。
だがその動きは軽く、無駄がない。
胸元からチラリと見える筋肉はしっかり鍛えられている。
「……気付かれてない。ほんと、警戒心ゼロだな、あいつ。」
史奈は呆れながらも、なぜか目が離せない。
皇輝の任務は、内戦地域の廃工場に潜む武装勢力の情報奪取。
単独潜入が基本のタイプらしく、仲間を頼らず黙々と砂漠を進むその背中は、妙に孤独で、妙に逞しかった。
史奈は距離をとりつつ、砂漠の陰影を利用して後を追った。
◆廃工場潜入
皇輝は、廃工場近くの丘で一度停止し、サイガ12Kを確認。
その横顔は普段の頼りなさとは違い、妙に鋭い。
「……へぇ。やるじゃん。」
史奈は口元を緩めた。
皇輝は工場に入り、薄暗い廊下を素早く移動する。
彼は気付いていないが、史奈は天井の鉄骨を移りながら、ずっと皇輝を見下ろしていた。
その時――
**カシャン……!**
鉄扉が開き、武装した敵兵が三人現れた。
「やべっ」
史奈が身構えるより先に、皇輝が動いた。
◆激しい銃撃戦
バンッ! バンッ! バンッ!!
サイガ12Kの衝撃音が廃工場に響く。
皇輝は柱を遮蔽物に使いながら、敵の射線をきれいに切る。
「うわッ……この距離でショットガン使うかよ…」
史奈の愚痴をよそに、皇輝は冷静だった。
敵の弾が鉄骨を跳ね、火花が散る。
皇輝は一気に前へ走り――**側面に回り込み、三発で敵を無力化。**
史奈は息を呑む。
(…あんた、ほんとにチー牛かよ。どんだけ鍛えてんだ…)
だが敵はまだ終わらなかった。
奥の部屋から現れたのは、装甲ジャケットを着た屈強な男。
皇輝のショットガンでも一瞬で倒せそうにない。
敵がフラッシュライト付きのAKを構えた瞬間、
皇輝は床を蹴り、横へ転がり込み、距離を詰めた――!
「っ…!」
史奈の目が見開かれる。
皇輝はP226を抜き、敵の武器を叩き落とし、
反撃してくる巨体に対して、**格闘で膝を崩して首へ肘打ち。**
鈍い音。
だが巨漢は倒れない。
むしろ怒りで咆哮し、皇輝を掴み上げた。
「……っぐ!」
皇輝の細い体が軽々と持ち上げられる。
史奈が動きかけた――その瞬間。
皇輝は自分の体を軸にして敵の腕を極め、
**反動を利用して背中に回り込み、三秒で絞め落とした。**
ドサッ。
工場に静寂が戻る。
皇輝は息を整え、メガネを直しながら独り言を漏らした。
「うーん…史奈ちゃんが
こんな戦い見たら引くかな…。」
史奈(観察中)
「……は? あたしの名前……?」
顔がまた真っ赤になる。
皇輝は、史奈がこっそり後をつけていたことなど知らず、
回収したデータをジャケットにしまい、帰路につく。
史奈はしばらく鉄骨の上から動けなかった。
(……こいつ……普段とのギャップがデカすぎるだろ……)
怒っているのか、照れているのか、自分でもわからない。
ただ、一つだけ確かだった。
**皇輝の背中が、砂漠の夜明けの光の中で、やけに眩しかった。**
夜明け前。
史奈は AKM のスリングを肩にかけ、深く息を吐いた。
「……よし。今日も一人でやるだけ」
砂漠の風は冷たく、乾いていた。
レイラとも、マリアや陽菜とも別れた今、史奈は再び“ひとり”で歩いていた。
寂しさは胸の奥に沈んでいるものの、傭兵としての足取りは迷いなく任務地点へ向かう。
任務は、市街地近くで発生した武装勢力の補給拠点の破壊。
危険な内容だが、史奈にとってはもう慣れたものだった。
激しい銃撃戦を潜り抜け、
コンバットナイフでの近接戦闘も交えて、
丸一日の戦闘の末──ようやく任務は完了した。
「…ふぅ。終わった」
身体中が痛む。腕には切り傷、肩は打撲、脚には砂漠の石でできた擦り傷。
だが、命はある。
それだけで十分だった。
史奈は帰路につき、市街地へと歩き始めた。
日が沈む頃、街の外れに差し掛かったところで、
史奈の視界に小さな影が揺れた。
薄い茶色の髪を三つ編みにした、小柄な少女。
年齢は……十歳前後だろうか。
両手には大きめのカゴを抱えており、
その中には色とりどりの雑貨、手作りのアクセサリー、古びた髪留めが並んでいる。
少女は史奈を見ると、ぱっと顔を明るくした。
「こんにちは、お姉さん! 髪留め、買っていかない?」
史奈は思わず、視線をそらした。
あたしの髪を見ればわかるだろ?。
髪留めなんて使わない。
「悪いけど、あたしは──」
少女は史奈の言葉を遮り、にこっと笑った。
「知ってる。短い髪のお姉さんは似合わないよね。でもね…」
少女はカゴから、小さな銀色の髪留めを取り出した。
それは、砂漠の月を象った小さなアクセサリーだった。
「これは、お姉さんみたいに強そうな人がつけてるのを想像して作ったの。
売れなかったから…タダであげる。お金はいらないよ」
「…え? なんでタダなんだよ」
「だって、お姉さん…すごく疲れた顔してるから」
史奈は、言葉を失った。
胸の奥を軽く叩かれたような、そんな衝撃。
誰かにそんな風に言われたのは、いつぶりだろう。
「…余計なお世話だよ」
そう言いつつ、少女の手から髪留めを受け取ってしまう自分がいた。
少女は満足そうに笑う。
「ありがとうのお返しはいらないよ! あたし、弟と二人暮らしなの。
お姉さんみたいな強い人を見ると、ちょっとだけ勇気出るんだ」
「…弟と、二人?」
「うん。まだ小さいから、あたしがいっぱい働かないとね」
少女はそう言って、カゴを抱えて街の方向へと歩いていった。
その背中は小さいのに、とても強かった。
史奈は、しばらくその姿を見送っていた。
■史奈、静かな帰路──胸に灯るもの
少女が遠くに消えた頃、史奈は小さく息を吐いた。
「…ガキのくせに、生意気だな」
でも、口元がわずかにほころぶ。
手の中の髪留めを見つめる。
銀色の月が、夕日の光を受けてかすかに輝いていた。
その瞬間──
胸の奥の、かすかな孤独が少しだけ和らいだような気がした。
「…変な日だ」
史奈は髪留めをポケットにしまい、市街地の外れへと歩き出す。
冷たい砂漠の風が吹く。
いつもと同じ孤独な帰り道。
でも、今日だけはほんの少しだけ温かい。
「…あたしも、あのガキみたいに…誰かの役に立ててるのかな」
そんな小さな呟きが、砂漠にかき消されていった。
史奈の新たな物語は、静かに続いていく。
『砂漠の小さな家』
任務を終え、砂埃の舞う帰り道を歩いていた史奈は、昼間に出会った小さな少女の姿が頭から離れなかった。
ショートヘアの自分に髪留めを売れないと思った少女は、
「お姉さんには、タダでいいよ」
と無邪気に笑って差し出した。
あの笑顔が妙に胸に残っている。
――なんで、あの子が気になるんだろ。
理由は自分でも分からない。
だが気づけば、少女が帰っていった方向へ足を向けていた。
街外れの廃れた路地を進むと、少女の後ろ姿が見えた。
カゴを背負い、汗まみれの小さな肩が揺れている。
史奈は距離をとり、建物の陰に身を潜めながらついて行った。
気配を殺すのは得意だ。今さら苦労はしない。
しばらく歩くと、砂漠の風にさらされた小さな家が見えてきた。
壁はところどころ剥がれ、屋根は歪み、窓は紙のような布で補修されている。
少女は戸口に立つと、
「ただいま」
と笑顔で中に入った。
すぐに小さな足音が迎えるように駆けてきた。
「ねえちゃん、おかえり!」
5歳ほどの弟らしい男の子が、嬉しそうに姉の腰に抱きつく。
少女が頬を綻ばせる。
「今日はね、お姉ちゃんね、髪留め3つも売れたの。晩ごはん作るから、ちょっと待っててね」
「うん!」
明るい声。
薄暗い家の中に、2人だけの世界が優しく灯った。
史奈は、物陰にしゃがんだままじっと見つめた。
少女は慣れた手つきで、古い鍋にわずかな野菜を入れて煮込み始める。
弟は床に座って、ボロボロになった玩具を眺めていた。
裕福には程遠い。
だが、そこには確かに“家族”があった。
史奈の胸に、知らぬ間に冷たい風が吹いた。
――いいな。
心の奥で、自分でも驚くほど素直な声がした。
児童養護施設で過ごした自分の幼少期が、ふいに蘇る。
誰も迎えに来てくれる人はいなかった。
遊ぶ相手もいなかった。
あたしは、“独り”が当たり前だった。
少女の家から漏れる兄弟の笑い声が、胸をくすぐるように痛い。
「あたしより、ずっと幸せじゃんか…」
ぽつりと呟いた言葉に、少しだけ苦笑が混じった。
羨ましいと思った。
そんな自分に、また驚いた。
煮込みの匂いが砂の路地に広がる。
少女が弟の皿にスープをよそう姿は、どこか母親のようだった。
弟は嬉しそうにスプーンを動かしている。
少女は自分の分なんてほとんど取らず、弟を見守りながら微笑んだ。
――強く生きてるんだな。
史奈は、拳をゆっくり握った。
自分にはなかったものを、2人は持っている。
貧しくても、苦しくても、隣に人がいる。それだけで十分だ。
「…すげぇな、あの子」
吐き出した声はどこか柔らかかった。
しばらくその光景を見つめたのち、史奈は立ち上がり、静かに踵を返した。
簡易テントへ戻る足取りは、なぜか少しだけ軽かった。
孤独は変わらない。
でも、“孤独だけじゃない世界”があることを、ほんの少し知れた気がして。
その夜、砂漠の風はいつもより少し優しかった。
任務を終え、砂漠の街の薄闇を歩く史奈。
最近は妙に胸がざわつく。
その原因は、紛れもなく—皇輝だ。
その足は自然と、あの少女の家へ向かっていた。
◆ 砂埃を巻き上げる風の中で
少女の家は街外れの、まるで今にも崩れそうなボロ家。
昨日見たあの光景が忘れられず、史奈は今日も足を運んでしまった。
「……様子だけ、見るつもりだったんだけどね」
つぶやきながら建物の影に身を潜め、そっと覗く。
**家のドアが開き、現れたのは……皇輝だった。**
黒縁メガネに細身のシルエット。
しかし
その足取りは妙に軽く、口元には微笑みすら浮かんでいる。
史奈(心の声)
(…な、なんであんたがここにいんのよ)
続いて少女が顔を出す。
年齢は…昨日見た印象よりもずっと大人びた眼差し。
弟も嬉しそうに皇輝に抱きついていた。
その光景だけでも胸がチクリと痛む。
◆ 小さな家の食卓 — 温もり
史奈は双眼鏡でのぞき、耳を澄ませた。
家の中では皇輝がエプロンを着け、
少女と弟と一緒に夕飯の支度を始めている。
「皇輝兄ちゃん、今日のスープ、昨日よりおいしくしてよね!」
「お、おう……任せてくれや……(緊張で声裏返る)」
「ふふっ。じゃあ私、パン焼くね」
慎ましいが温かい食卓。
三人の笑い声が狭い家に満ちてゆく。
史奈の胸に嵐のような感情が押し寄せる。
—羨ましい。
—自分にはなかったもの。
—温かい家族の時間。
喉の奥がつまる。
◆ 食後の時間
やがて食後になり、弟は少し離れた部屋で遊んでいる。
少女は皇輝のほうへ向き直り、頬を真っ赤に染めた。
「…皇輝兄ちゃん。私ね…ずっと言いたかったことがあるの」
史奈は気付けば息を止めていた。
皇輝
「ど、どうしたんだ…」
少女は指先をもじもじ絡め、小さな声で言った。
「……好き。皇輝兄ちゃんのこと……好き、なの」
皇輝の手が震えた。
少女は16歳。
見た目はもっと幼いが、年齢を聞けばぎりぎり大人に近い。
皇輝は目をそらし、耳まで真っ赤にして答えた。
「……お、俺だって…嬉しいさ。
でも……あと2年待ってくれんか…。
お前が子どもじゃなく、ちゃんと自分で選べる頃にな」
少女の肩が一瞬落ちる。
しかしすぐに顔を上げ、涙をこらえながら笑った。
「…うん。約束。二年後、また言うね」
その瞬間、史奈の胸はぎゅっと締め付けられた。
——あたしには、あんなふうに人を想ったことなんてなかった。
——あんなふうに想われたこともなかった。
何も言えず、ただその場に立ち尽くす。
◆ 風が冷たくなる—史奈の心
三人は、あたたかい家族のようだった。
皇輝は少女の頭を優しく撫で、弟は楽しそうに走り回る。
史奈
(…あたしは…)
気付けば涙がこぼれていた。
砂漠風がそれを乾かす。
——自分が羨んでいる。
——心のどこかで、あんな時間を求めていた。
「…馬鹿みたい。あたし…何してんのよ」
しかし足は動かない。
胸が痛くて痛くて、苦しくて……目をそらせなかった。
◆ 撤退の足音
ようやく家から視線を外し、史奈は静かにその場から離れた。
砂漠に沈む夕日。
風が寂しさを運ぶ。
史奈
「あんた…何者なのよ、本当」
皇輝の笑顔と、少女の涙が混ざり合い、史奈の胸に複雑な感情が渦巻いた。
歩きながら、史奈は自分の両手を見つめる。
傷だらけのその手は、ずっと戦いだけを握ってきた手。
「…あたしも、誰かと…」
その先を言う前に、声は震えた。
孤独だった児童養護施設の夜。
気配の消えたレイラ。
遠く離れたマリアと陽菜。
どれを思い出しても胸が痛む。
史奈
「どうしようもないじゃない…」
砂漠の夜は冷える。
史奈は肩を震わせながら、ひとり歩き続けた。
その背中には
**誰にも知られない、静かな孤独** が寄り添っていた。
砂漠の夜は、異様な静寂を孕んでいる。
昼の灼熱が嘘のように薄らぎ、冷気が地面から這い上がってくる。
史奈は
簡易テントの中で、AKMとM9のメンテナンスを終え、
いつもの薄いブルーのパジャマに着替えていた。
その布地は薄いが、彼女にとっては“眠りに入るスイッチ”のようなもの。
どれだけ過酷な地でも、どれだけ緊張を強いられる任務の後でも、
パジャマに着替えないと心が落ち着かなかった。
ただ、今日は少しだけ胸騒ぎがしていた。
理由は分からない。
ただ単に、風が冷たすぎるように感じただけかもしれない。
彼女は一人、温めた缶スープを啜り終えるとテントの入口を開けた。
「…ちょっと、歩くか。」
砂漠の夜風が素足を刺す。
史奈は少し眉をしかめながらも、ゆっくりと歩き出した。
◆夜襲
その瞬間だった。
──パアンッ!
乾いた銃声が夜空を裂き、砂が弾けた。
史奈は即座に屈み、反射的にM9を構えた。
「はっ…クソッ…!」
視界の先、砂丘の上に影が動く。
ひとつ、ふたつ──いや、もっと。
十、十五、二十…いや、もっといる。
(なんで…? こんな大人数、あたし一人のテントに?)
疑問に答える暇はなかった。
敵兵が一斉に駆け降りてくる。
「来やがれ…!」
史奈はM9で応戦。
抑えた呼吸、狙いすました二発。
一人の敵兵が倒れる。
次の瞬間、別の敵兵が飛びかかってきた。
肉弾戦に突入。
史奈はパジャマ姿で不利なはずなのに、
動きは鋭く、正確で、迷いがない。
右手のバックハンドで顎を打ち抜き、
敵兵が倒れた瞬間にその腕からナイフを奪う。
「借りるぜ…ッ!」
ナイフを構え直した瞬間、背後から銃声。
熱い痛みが右足首を貫いた。
「……ッ! くそッ!」
倒れ込み、砂に手をつく。
足が動かない、力が入らない。
血が砂に吸われて、黒い染みになっていく。
周囲にはまだ十数人以上の敵兵が迫ってくる。
(このままじゃ殺られる。今は逃げるしか…!)
史奈は歯を食いしばり、足を引きずりながら砂丘の影へと転がり込んだ。
心拍が耳の中でうるさく響く。
呼吸が乱れ、肺が痛い。
けれど止まれば終わる。
銃声が追いかけてくる。砂が跳ねる。
「クソッ…死ぬわけには…いかねぇんだよ…ッ!」
史奈は這いずるようにして、闇の中へ消えた。
◆夜明け
走ったのか、這ったのか、転がったのか分からない。
気付けば夜が明けていた。
空が藍から橙色に染まりつつある。
簡易テントに戻ると、そこには──
**敵兵二十人以上が集まっていた。**
彼らはテントを囲み、武器を構え、何かを話し合っている。
まるで獲物が戻ってくるのを待っているかのように。
史奈は遠くの岩陰からそれを見つめた。
(あの人数相手に…今のあたしじゃ無理だ。)
右足首は腫れ、血が乾いて肌にこびりついている。
医療キットも無い。
仲間もいない。
頼れる者もいない。
昨日の夜に少ししか飲めなかった水筒の残りを啜る。
冷たさが喉に落ちて、弱々しい生気が戻る。
だが、敵兵たちの笑い声が聞こえるたび、
意識が遠のきかける。
(誰も…来ないのか。)
マリアも、陽菜も、レイラも、この世界のどこにもいない。
史奈は砂の上に背を預け、空を仰いだ。
砂漠の朝日が瞼を焼く。
(…ひとりだな。結局。)
目を閉じかけた瞬間、足元の砂がかすかに揺れた。
何かが近づいている。
それが味方か、敵かも分からない。
ただ、史奈はM9を胸に抱きしめ、震える指で安全装置を外した。
「……来いよ。
あたしは…まだ死なない。」
砂漠に長い影が伸び、史奈の前に立つ。
砂漠の夜明け前――。
冷たい風の中、史奈は足を引きずりながら、必死に歩いていた。
パジャマの裾は破れ、素足は砂と血にまみれ、呼吸は荒い。
昨夜の襲撃で体力は限界。
**左足首は撃ち抜かれ、腫れ上がり、感覚がほとんどない。**
「…っ、まだ来てんのかよ…」
背後から、砂を踏む複数の靴音。
敵兵の声が砂嵐に混じって聞こえる。
「いたぞ! 逃がすな!」
「あの女だ、仕留めろ!」
史奈は振り返らない。
振り返った瞬間、心が折れそうになるからだ。
右手には、昨夜から握りしめている **M9サプレッサー付き**。
だが弾はもうほとんど残っていない。
ただの気休めだ。
史奈は砂丘の影へ転がり込むように倒れ込んだ。
呼吸が苦しい。胸もどこか打撲している。
「…くそ…なんでだよ…なんでこんな時に…」
助けを呼ぶ相手はいない。
味方は誰もいない。
久しぶりに、孤独を痛感した。
ふと、視界の端で砂が跳ね上がった。
**銃弾。**
次の瞬間、耳に刺す鋭い破裂音が連続する。
ダダダダダッ!!
敵兵のPKMが火を吹いた。
砂丘が抉れ、砂が爆発するように飛び散る。
史奈は身を縮め、必死に這いながら砂丘の裏へ隠れようとする――
だが遅かった。
ズドンッ!
ドスッ!
激しい衝撃が身体に突き刺さる。
熱い。
焼けるような痛みが胸や脇腹を走った。
「ぐ……ぅ……っ!!」
声にならない悲鳴が漏れる。
肺に空気がうまく入らない。
PKMの連射が続く。
砂の雨が叩きつける。
**二発、三発……何発かはもう分からない。**
砂に倒れ込み、史奈は荒い息を吐いた。
呼吸のたびに胸の内側が燃えるように痛い。
目の前に広がる砂がぼやけて見える。
視界が滲んでいく。
「……あたし……こんなとこで……」
地面に手を伸ばしても、力が入らない。
指が震えるだけだ。
ふいに、幼い頃の記憶がかすめた。
児童養護施設の、薄暗い部屋。
冷たい廊下。
誰も隣に座ってくれなかった食堂。
そして、いつも一人だった夜。
「……また……ひとりかよ……」
乾いた笑いが漏れ、すぐに咳に変わる。
視界の端で、敵兵の影が近づいていた。
ライフルを構え、慎重に砂丘を回ってくる。
「とどめを刺せ、逃げられない」
その言葉が、砂を震わせる。
史奈は最後の力でM9を持ち上げようとするが――
手が震え、砂に落ちた。
「……っ……!」
腕すら上がらない。
冷たい風が頬を撫でる。
まるで「もう休め」と言われているようで腹が立つ。
「……あたしは……まだ……」
目の前が揺れる。
砂の色が濃くなり、暗くなっていく。
PKMを構えた敵兵の影が、史奈へゆっくりと近づく。
砂漠の静寂。
史奈の荒い呼吸。
敵兵のブーツの音。
そのすべてが遠のいていった。
最後に漏れた声は、自分でも聞こえないほど小さかった。
「……誰か……」
そして――闇に落ちた。
**「砂漠を裂く影」**
砂漠の冷気が夜気に溶け込み、史奈の呼吸は浅く、荒く、そしてまばらになっていた。
乾いた砂の上に倒れ込んだ身体は動かず、視界には歪んだ星々だけが揺れている。
敵兵のPKMによる弾雨を受け、身体のあちこちが痺れ、力が入らない。
何度も砂に手を突いて這い上がろうとするが、そのたびに腕は震え、力は抜け落ちる。
――息が、重い。
耳鳴りと鼓動が混ざり合い、周囲の音は遠のいていく。
砂漠の風さえ、どこか別世界のもののように感じられた。
「……あたし……もう……」
史奈のかすれ声は、夜に吸い込まれて消えた。
敵兵が近づく
遠くで砂を踏む音がした。
ザッ……ザッ……
その脚音は複数。
敵兵が再び史奈を見つけたのだと悟り、胸に冷たいものが走る。
「いたぞ…まだ息がある…」
「トドメをさすぞ」
銃を構える金属音が、はっきりと聞こえる。
史奈は腕を伸ばしたが、指先は砂をかき、力が抜けてしまう。
目を閉じようとした、その時――
ハイエナの群れが現れる
砂を切り裂くような低い唸り声が響いた。
ガルルルル……ッ
敵兵が驚きの声をあげる。
「なんだ!? ハイエナか!」
暗闇の中、複数の影が砂を散らしながら飛び出してくる。
ハイエナの群れだ。夜目の利く彼らの瞳は闇に光り、敵兵を囲むように陣取った。
「くっ、撃て!」
銃声が鳴り、砂が弾ける。
ハイエナは怯まず、敵兵に飛びかかった。
その混乱に、さらに新たな影が割って入る。
2匹の狼
灰色の影が滑るように駆け寄り、敵兵の足元へ牙をむく。
狼だ。
ハイエナと狼は互いに敵対しながらも、獲物への本能によって敵兵へ襲いかかる。
まさに三つ巴の戦闘だった。
敵兵は必死に発砲し応戦するが、数的優位が崩れ、次第に撤退を余儀なくされていく。
「くそっ…こんな場所で動物に…っ!」
敵兵は怒号とともに後退していき、やがて闇に飲まれた。
史奈に迫る影
残されたのは、荒い息遣いのハイエナたちと、弱りきった史奈だけだった。
史奈は朦朧とした視界の中で、四つ足の影が近づくのを感じた。
ハイエナの1匹が、史奈の腕をくわえる。
鋭い痛みが走るが、抵抗する力は残っていない。
砂を引きずられる音。
重力に逆らえず身体がずるずると動かされていく。
―ああ……ここで終わるのか。
意識は薄れ、視界は完全に揺らぎ始める。
空に散らばった星々が、ぼんやりと伸びて見えた。
そのまま史奈の意識は、暗闇へと沈んでいった―。
砂漠の夜が終わりかけ、淡い紫色の空が広がり始めたころだった。
史奈の意識は、まだ底なし沼のような闇に沈んでいた。
身体中が焼けるように痛い。
特に (胴体)を撃ち抜かれた箇所から広がる熱は、もう自分のものではないように感じられた。
(あたし…もう、無理なのか…)
砂に頬をつけたまま、呼吸は細く、浅い。
耳鳴りに混じって、何かが **「ザ…ザ…」** と近付く音がする。
――敵兵?
――それとも、さっきのハイエナの仲間?
ぼやけた視界の端で、影が揺れ動いた。
史奈は本能的に M9 を探ろうとしたが、指先は痺れ、砂をかいただけだった。
(来る…)
影がゆっくりと、よちよち歩きで近づいてくる。
そこへ射し込む朝の光が、影の輪郭を照らし出す。
史奈の瞳がわずかに開いた。
――敵兵のシルエットとは違う。
――若者でもない。
――その歩幅はあまりに小さく、重たそうで、不安定。
砂を踏む足元は細く、痩せ、震えている。
一本の杖に頼って歩いていた。
**それは、一人の老人。
推定年齢――90歳近い、白髪の老人だった。**
史奈は錯覚しているのだと思った。
こんな戦場のど真ん中に、老人が歩いているなど、現実とは思えなかった。
老人はゆっくりと史奈の目の前に立つ。
深いしわだらけの顔。
目は濁りながらも鋭く、どこか軍人を思わせる静かな威圧感が漂っていた。
そして
腰のホルスターからは、**錆びついた SIG P226** が覗いている。
砂まみれで、打痕だらけ。
(なんだよ…この人…)
史奈の視界が揺れる。
口を開こうとしたが、声は出ない。
老人はそんな史奈をしばらく見つめ、やがて大きくため息をついた。
「…まだ、生きとるか」
その声は驚くほど低く、かすれ、しかしどこか懐かしさのある響きだった。
史奈は答えられない。
老人は膝をつき、史奈の身体を軽く持ち上げようとする。
その手は細く、骨ばっていたが、驚くほど力強かった。
「こんな若い娘が…わしらの時代と、なんも変わらんのう…」
老人が呟いた言葉だけが耳に残る。
史奈の意識は再び落ちていく。
(…やめ…危ない…あたしなんか助けても…)
心の中で言葉が途切れていく。
老人は史奈の身体を、まるで壊れ物のように抱え上げた。
小柄な少女の身体ですら、老人にとっては重く、何度も足がふらついた。
それでも老人はゆっくりと歩き出す。
目指すのは、砂丘の影に隠れた、小さな土造りの家。
おそらく老人が一人で住む、小さな避難小屋のような場所だ。
歩きながら老人は、誰に語るでもなくぽつりと呟く。
「…戦争は、終わらんのう…
なぜ、若い者ばかりが倒れていくんじゃ…」
その声だけが、史奈の遠のく意識の中に微かに届く。
史奈の身体が揺れ、老人の腕の中で頭が動く。
その瞬間――
最後に見えたのは、淡い朝日で縁取られた **老人の背中** だった。
細く、小さいが、どこまでも真っすぐな背中。
史奈はそこでついに意識を完全に失った。
老人は、倒れぬよう必死に史奈を抱え続ける。
「大丈夫じゃ…もう少しじゃ…」
その声は、
まるで何十年も前に亡くした家族へ向けた声のように優しかった。
そして――
**史奈は老人の家の前まで運ばれた。**
砂漠の風が静かに吹く中、
老人は少女の命を繋ぐため、家の扉を押し開けた。