第5話
放課後。私とブリジットは街の中心部へと来ていた。衣料品やアクセサリーを売っている店から食べ物を売る屋台まで、さまざまな店が立ち並んでいる。
ブリジットと一緒にブティックを出た私は、とても気に入ったらしい薄手のコートを包んだ紙袋を腕に提げてご機嫌な彼女と共に、石畳の通りを歩く。
「素敵な上着が見つかって良かったわね」
「ええ! アディのおかげよ!」
私が声をかけると、ブリジットは嬉しそうに微笑みを返す。ゲームでは悪役令嬢であるアドリアナと一緒になってヒロインのリタを馬鹿にする役どころの彼女だったが、こうして見ると普通……いや、むしろ天真爛漫で可愛らしい少女の部類に入るのではないだろうか。
「そういえばアディも寄りたい所があるって言っていたわよね。どこに行きたいの?」
「ええと、パン屋さんなのだけど……学園の食堂にパンを卸してくれている……」
「ああ、あの店ね! 分かったわ」
ブリジットは頷いて私の腕を引く。そうして私たちは人通りの激しい大通りへと繰り出した。
「ここを真っ直ぐ行って、そこの角を右に曲がれば着くはずよ」
「そうなのね……あ、ブリジット、それならこっちの裏通りを使ったら早いんじゃないかしら?」
人混みを抜けていくのが少々嫌だった私は、薄暗いが通りやすそうな路地を見つけ、そちらを指差して提案する。しかしブリジットは「だめよ」と言って首を振った。
「確かに近道かもしれないけど……このあたりの路地は治安が良くないのよ。私たちみたいな女だけで入るには……アディなら大丈夫かもしれないけど……まあ何にせよ、危険すぎるわ」
途中小声で何やら言っていた気もするが、基本的に最もなことを述べるブリジットに従い、私は彼女とともに大通りを歩き出す。目的のベーカリーは人気店のようで、すぐに見つけることができた。店内には数人の客がおり、楽しそうにパンを選んでいる。
「いらっしゃいませ!」
私たちに気付いた女性店員が、にこやかに声をかけてくれた。黒い髪を肩のところで切りそろえ、笑顔が似合う店員の彼女は、どこか須藤リタに似ている。ゲームでもモブキャラクターとして一瞬だけ登場していた気がするが、名前は何と言っただろうか。
「ねえアディ、これ美味しそうね」
「え? ああ、そうね。買いましょうか」
ブリジットに声をかけられ、私はハッとして頷く。商品棚を見れば、クロワッサンやバゲット、ブリオッシュなど、いろいろな種類のパンがどれも美味しそうに陳列されていた。
「あ、あ……ロールパン……! 私これが好きで……!」
「確かに貴女、毎朝これを山盛りにして食べてるわよね」
好物を見つけておかしなテンションになっている私に、ブリジットは苦笑しながら言う。トレイにお目当てのパンをいくつか並べ、私たちは会計を済ませた。
「あ、あの、こちらのお店が学園にパンを卸してくれていると聞いて、私毎朝食べるパンが大好きで、その」
早口でそんなことを喋ってしまう私に、黒髪の女性店員は一瞬困惑の表情を浮かべたものの、すぐに「ああ、聖サリエール学園の!」と明るい声で答えた。
「こちらこそ、いつもご愛顧いただきありがとうございます! これからもどうぞご贔屓に!」
花が咲いたような笑顔で言う彼女に、私はお辞儀を返して店を出る。これは日々の楽しみが増えたかもしれない。
「あら、もう日が傾いてきたわね。そろそろ寮に帰らなくちゃ」
ブリジットに促され、私たちは再び大通りへと出る。寮までは来た道を戻ることになるので、あの人混みの中をまた歩くのかと思うと少々憂鬱だが、仕方がない。
ブリジットと喋りながら歩いていた時だ。裏路地の入口に差しかかったところで、女性の声が聞こえた気がした。
立ち止まった私に、「アディ?」とブリジットが心配そうに声をかけてくる。その時、今度ははっきりと、「いやっ、やめてください!」と叫ぶ女性の声が聞こえた。
「い、今のって……あ! ちょっと、アディ!」
「ごめんなさい! 貴女は先に帰っていて!」
私はそう言い残すと、ブリジットが止めるのも聞かずに裏路地へと駆け込んで行く。
声がした方へ進んで行くと、暗い道の先に少女が二人の男に囲まれているのが見えた。彼女は聖サリエール学園の制服を着ており、どうやら男の一人に腕を掴まれ抵抗しているところらしい。
「何をしているの!」
私が声を上げながら少女の傍に駆け寄ると、腕を掴んでいる方の男が下卑た笑みを浮かべてこちらを見た。
「何だァ? 姉ちゃんも一緒に遊びたいのかよ?」
「違うっての!! 私は止めに来たのよ! 二人がかりで、卑怯でしょ!」
私が反論すると、男は「けっ」と面白くなさそうに顔を背ける。その隙に私は少女の手を引き、その場から駆け出そうとした。
「待てやコラ!!」
だが案の定と言うべきか、男たちは追いかけて来る。何とか振り切って逃げ切ろうとしたのだが、「アディ!? 何をしているの!」と路地の向こうからブリジットの声がして、私たちは足を止めざるを得なくなってしまった。
「おっと新顔か? 何だよ、どっちもなかなか可愛い顔してんじゃねえか」
「いいねえ。全員まとめて可愛がってやる」
男たちは下卑た笑みを浮かべ、私たちに近づいてくる。後ろを見れば、ブリジットと先ほど男たちに絡まれていた少女が怯えた様子で身を寄せ合っていた。
私は覚悟を決める。
「分かりました……。私が貴方たちの相手を引き受けます」
「おっ、話が分かるじゃねえか」
「その代わり、後ろの二人には手を出さないで。お願い」
「そいつはどうかね。俺たちゃお前も後ろの女も、逃す気なんざサラサラねえんだ」
私のお願いに男たちは笑う。そんな男たちを見ていたブリジットと少女は、不安げな表情で私を見つめていた。
私は二人に向かって微笑むと、購入したばかりでまだ温かみの残るパンの紙袋を両手で抱きしめる。そして上空に向かって、それを思い切り放り投げた。
「あ」
ブリジットと少女の声が重なった瞬間、私は右足を半歩引いて半身立ちになり、左足に体重をかけつつ膝の力を抜いて一気に男の方へ移動する。狙うべきは前方にいる男の鼻と口の間――人中――だ。左肘を支点に手首のスナップを効かせ、インパクトの瞬間、拳に硬く力を込める。
「がっ……!?」
パンの袋に一瞬気を取られていたらしい男の一人は、不意に顔面を襲った痛みに驚き、大きく仰け反った。
空手で言うところの裏拳正面打ち。さらにそのまま男の人中を打った左拳を円を描くように下に振り、したたかに彼の金的を殴りつける。
「なっ!? こ、この女!」
もんどり打って倒れ込んだ男を見て、残ったもう一人が掴みかかってくる。私はそれを避けることはしない。そのまま男の腕を取り、ダンスを踊るように密着しながら体を反転させる。勢いはそのままに彼の膝下目がけて足裏をあててやれば、男はあっけなく冷たい地面へと転がった。
膝車。実戦で使うのは初めてだったが、柔道場でこの技を師範に掛けられた時は一瞬何が起こったか分からなかったものだ。
「おっと」
ちょうど良いタイミングで放り投げたパンの袋が落ちてきたので、それをキャッチして無事を確認する。
というか私、また畳じゃない所でやってしまったわ。
「大丈夫かい、君たち!? 何だか苦しそうな声が聞こえたが……」
私が一人反省していると、街の自警団らしき数人の男性たちが駆け寄ってくるのが見えた。彼らは倒れている男たちを見て驚いた様子だったが、すぐに応援を呼ぶと言ってバタバタと駆けて行く。
「アディ!」
少女を庇いつつ物陰からこちらを見ていたらしいブリジットは、私のもとへ走り寄ってくるなり私の肩を強く揺さぶった。
「あのねえ、貴女が強いのはよーく分かったけど、見ているこっちはヒヤヒヤしたのよ!? 何かあったらどうするつもりだったの!!」
「ご、ごめんなさい。でもほら、みんな無事だったじゃない」
ブリジットの剣幕に私は思わずたじろいだが、負けじと言い返す私の様子に彼女は深くため息をつき、そして強く抱きついてきた。
「確かに貴女は強いわよ。だけど私は……貴女に何かあったらと思うと……」
「……心配かけたわね。本当にごめんなさい」
彼女の優しさが嬉しくて、でもちょっと恥ずかしくて。私は素直に謝ることにした。
「あ! あの!」
ふと少女の声がしたので振り返る。すると男たちに絡まれていた彼女が、私の服の裾を摘まみながら「助けていただいて……ありがとうございました」と言って頭を下げていた。
「ああいえそんな……って、リタ……!?」
「えっ……?」
よくよく見てみればこの黒い髪、白い肌、鳶色の瞳。
紛うことなきこのゲーム『暁のアネモネ』のヒロイン、須藤リタだ。
「わ、私のこと、覚えていてくださったんですか……!」
リタはぱあっと顔を真っ赤にし、感激した様子で瞳を潤ませる。そんな彼女に私は頷きを返しながら答えた。
「ああうん、まあね……」
「嬉しい! 私、歓迎会の夜にお姉様に助けられてから、ずっとお礼をしたくて……。何か良いお礼の品を、と探していたところを先ほどの方たちに絡まれてしまったんです」
「それはどうも……んん?」
今この娘、『お姉様』と言わなかったか?
「あら貴女、新入生の娘ね。アディ……アドリアナはグラジオラス家の令嬢なのよ。それをいきなり『お姉様』呼びなんて、少々不躾じゃなくて?」
眉をひそめたブリジットが、リタの発言を咎める。良かった。私の聞き間違いではなかったようだ。
「あ、すみません……。でもあの時のお姉、アドリアナ様、とっても格好良かったので……」
リタは恥ずかしそうに頬を染め、もじもじとしながらそれでも意を決したように私を見つめる。
「あの……それで、もしよろしければ……これからアドリアナ様のことを、『お姉様』とお呼びしても構いませんか……?」
「え? ううん……」
ヒロインをいじめ倒す役の私が、『お姉様』なんて呼ばれて良いのだろうか。はなはだ疑問だが、熱っぽい眼差しでこちらを見上げてくるリタと目が合ってしまうと、彼女のお願いを無下にすることはできなかった。
「まあ、それくらいなら……」
私が頷くと、リタは満開の笑顔で「ありがとうございます、お姉様!」と抱きついてくる。
果たしてこんな調子で良いのだろうか。私はいろいろな事柄を考慮して困惑した目でブリジットを見るが、彼女は生暖かい笑顔でこちらを見つめるだけだった。
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