コメント
0件
【肆と診療所】
六ノ巻〚屋敷で〛
*
「はぁ?!最後の三日は遊んでいただと?!」
『当り所の診療所』内の食堂のすぐ近く。
毎朝毎晩、年がら年中怒声の響き渡るあの個室。
普段は誰も入らない、なんの意味もない部屋。
だが、組長、武次郎に叱られる四天王の説教部屋として使われることが多いため、仕事は多いあの個室。
食堂に出向いた診療所の医師やその卵たちが、怒声に慄く。
しかし、その怒声を向けられた張本人たちは何食わん顔で正座していた。
「組長、でも、将軍様から頂いたお金を受け取らないわけにはいかないでしょう?」
唯はニコニコだ。
いつも叱られるとき、この人は楽しそうだ。
「とはいえ、それでまた病気が蔓延したらどうしたつもりだ」
青筋どころか赤筋を立てまくる武次郎を前に、管太郎は穏やかな口調で言った。
「その際は、十日を超えても城に滞在するつもりでした。しかし、食生活の改善や城内の消毒などで、感染はしづらい状況でしたので、心配はありませんでしたよ」
彼も彼で口が達者である。
なだめるどころか、ああ言いやこう言う四天王たちにキレ気味な武次郎。
その事態を察した葉色は縮まって俯く。
が、その横で伊崎は欠伸をひとつ。
「伊崎!欠伸をするとは、いい度胸だな!!」
「でしょう?こう見えて、侍魂キラッキラなんだよな」
「ふざけるな!!」
今にも殴り出しそうな武次郎の隣で、「まあまあ」となだめる霜月。
その顔は、慣れたような笑顔だ。
「いいじゃないですか。元気に無事に帰ってきてくれて。もしかしたら、首一つはねて帰ってきていたかもしれませんよ?」
「佑誠、お前のその甘えがこいつらを生んでいるんだ」
「厳しすぎるのもいけませんよ、武次郎さん」
にこりと微笑む優しい笑顔。
名前で呼び合うほどの仲なのだから、二人にはそれ相当の絆と信頼がある。
お互い、相手の意見には耳を傾けるだろう。
結局、折れたのは武次郎だった。
ため息をつき、腕を組んだ。
「まぁ、病による死者を一人たりとも出さなかったこと、それは褒める」
喜ぶ唯の横で、伊崎は目を細めた。
(随分と上から目線だことで)
*
四天王が自室へ変えると、武次郎と霜月は二人で話していた。
「内心喜んでいるでしょう。無事に帰ってきて」
「喜ぶことか。だが、首がはねなくて済んで良かったな。もしそんな粗相があれば、診療所の名に響く」
「もう、そんなこと言っちゃって」
「あいつらなら何でもやり兼ねんだろう。高級な襖を破いたり、将軍様に熱い茶を淹れて火傷させたり」
「元気が良いのはいいことですよ」
「それでこの世とおさらばしたとなると、元気とかの話ではなくなるぞ」
「ほら、心配してる」
にこにこと掴みどころのない笑みを浮かべる霜月。
武次郎は「もういいや」と言わんばかりの顔で、霜月の頭をくしゃくしゃに撫でた。
彼の黒いポニーテールが手で荒らされるが、霜月はまた笑った。
「なんですか」
「いや、なんとなく」
と、襖の奥から声が聞こえた。
「組長、副長、ここに居られましたか」
下っ端医師の若い男が二人を見比べた。
「引き続き、四天王への依頼案件です」
*
久しぶりの診療所の布団で一夜越え、朝が来た。
朝餉時間にきちんと遅刻した四天王は、またも朝から雷を落とされる。
それが終わると、怒った本人と、にこにこ見守っていた奴と、怒られた四人で食事だ。
昨日も今日もこの個室で怒られた。
だが、四天王と組長、副長が食事を摂る部屋にもなっているため、嫌な思い出にはならない部屋だ。
と言いつつも、怒られたことがいい思い出になるつつあるのが四天王である。
「うぉ!久し振りの診療所のご飯だぁ!」
唯はもぐもぐと美味そうに喋る。
「栗ご飯、葉色が好きだったよね」
管太郎が葉色に声をかけると、その栗ご飯の茶碗片手にこくんと頷く。
「じゃあ俺のも少しあげるよ」
箸で栗ご飯を葉色の茶碗に入れようとするのを、伊崎が睨んで阻止。
「お前、自分が少食で、どうにか周りに自分のを食べてほしいって思ってるの、そろそろ隠すのやめろ」
「は、あー……。えー?そんなこと、ないよ?」
「あーそかよ。じゃあ、私、栗ご飯好きじゃないからお前にやるよ」
伊崎が自分の箸で管太郎の茶碗へ栗を運ぶ。
「い、いらないよ」
「体を鍛える身としては、もっと食え」
「えー……」
茶碗に盛り盛りになった栗を青い顔で眺め、ぱくりと一口。
「美味しいけどね」
「全然」
伊崎は栗が嫌いなようだ。
「すまないが、四人に話がある」
重く響く武次郎の声。
ハッと四人は武次郎を見た。
霜月はいつものにこにこで四人を順に見つめた。
「少し嫌かもしれないけれど、遊郭への任務が決まりました」
「やっぱりか」
伊崎は目を伏せて三人からの目を避けた。
「その嫌な目を向けるな」
「嫌な目じゃないよ」
唯は頬を膨らませて伊崎を向く。
武次郎が咳払いをし、その場が静まると、低い声で話しだした。
「弓削家からの依頼だ。断るわけにもいかん」
「それと、薬箱、一つ預かっておきましたよ。後で葉色さんのもとへ届けますね」
「あ、ありがとうございます……」
伊崎はまたも目を逸らした。
(そいや一個しか取り替えしてないんだった)
診療所へこの依頼が来たということは、千六良は自分が治す意志がないということだ。
家の駒なのはたしかに嫌だろうが、よくご当主様に逆らえるものだ。
死の刑になることはないだろうが、悪い場合では本当にこれからの未来、千六良はお先真っ暗だろう。
もし当主が柔い性格をしたいたなら今まで通りだろうが、駒として次期当主を使うくらいだ。いい人だとは思えない。
(まぁ、考えてもどうにもならないけど)
遊郭任務といっても、流行病を治して、ある程度流行らなくなれば帰ってきていいのだ。
見た目は明るい割に本当はどす黒いあんな嫌な場所でも、気にしなければただの街だ。
「あの、任務はいつからですか」
管太郎は栗を食みながら聞いた。
武次郎は少し考えてから、
「明後日」
と言う。
「明日」と言われるよりはましだが、「明後日」も大変だ。
「泊まる宿などはあるのですか?」
段々心配そうに低くなる管太郎の声色。
「ある。遊郭の喜多原というところの『花がら』という店に泊めてもらう。安心しろ。店の方とは反対側に部屋を用意してもらっている」
「安心できませんね」
管太郎は顔を青くした。
「ものすごく嫌なのですが」
「同じく、私もだ」
「私もー」
「もちろん、私もです」
四人が真顔でそう言うと、二人は眉を下げた。
「とは言っても、一応、行ってきてみてはどうでしょう。案外いいかもしれませんよ」
「何が」
伊崎は霜月を睨みつけた。
「もう、伊崎ちゃん怖いよ」
「お前の口が悪い」
「それはすみません。ですが、私も引率で四人についていきますから、大丈夫ですよ」
霜月の隣で武次郎が頷く。
流石に四人だけで行くことは躊躇するらしい。
「まぁ、何と言っても行かなきゃならないんだし、腹括ろう」
「珍しく唯が大人っぽいこと言ってやがる」
「伊崎ひっどーい!いつも私は大人っぽいよ」
「その発言がガキ」
「うるさいなぁ」
*
たすき掛けを巻き、木刀を構える。
眼の前には伊崎が同じように立っている。
(俺の息はこんなに上がってるのにっ……)
凛と立つ彼女は、汗一つかいていない。
なのに、向かい合う管太郎は汗びっしょり。そして肩で息をしている。
ぽたり。
と汗が床に落ちた頃、管太郎はまた木刀を振るった。
が、綺麗に受けられ、しかも勢いよく首に木刀を向かわせてくる。
ピタッと当たる寸前で木刀を止め、伊崎はにやりと笑う。
「まだまだだな」
管太郎はムッとしたまま床に寝転がる。
「疲れたぁー」
「こわなもんで、何を」
伊崎が濡れた手拭いを管太郎に手渡す。
「ありがと」
寝転がる奴の隣に立ち、素振りを始める伊崎。
「なんでそんなに強いの?」
何度も投げかけた問いだ。
だがそのたびに伊崎は、今みたいに切ない笑顔を浮かべて、
「夢幻泡影」
と呟く。
「どう意味?」
「さあな」
聞いても答えてくれないのは知っている。
管太郎は素振りする伊崎の横顔を見つめた。
(……本当に、あの人に似てるなあ)
ハッとして気を紛らわせるために立ち上がって一緒に素振りをする。
(別に、似てない)
自問自答し、首を振った。
*
葉色はその頃、自室にて持って行く薬の整理をしていた。
(遊郭なら、梅毒……?だったらあの薬と……)
独り言がないのは彼女の性格を表している。
女にしては低いあの声。
あまり聞くことがないため、あまり違和感もない。
(感染症なら、次は感染らないように気を付けないと)
真面目。
それが葉色を表す一言である。
*
管太郎と伊崎が剣道稽古をし、葉色が真面目に準備をしている頃。
唯は診療所の屋敷内を彷徨いていた。
「隅田川、隅田川、初霜のきて、肌寒く」
こんな小唄を歌いながら。
四天王は屋敷内では大分高貴な方として扱われるが、歌い歩くこの十の幼子を見て、笑顔をこぼすものもいる。
医師と言っても、仕事がなくここに来たものも少なくない。
親に捨てられたというものも、ここで寝て起きて食って、ついでに医者になって金を稼ごうとする奴もいる。
「唯ちゃん、元気かい」
「いい歌だね」
「江戸城任務お疲れ様な」
「四天王みんな元気かぃ?」
声の小さい葉色や、人当たりと口の悪い伊崎よりは、このような温暖な性格の唯や管太郎のほうが話しかけやすいのである。
一人ひとりに答え、笑顔で接する。
そんな中、一人の女が唯を睨んでいた。
それに気づいた唯は、そちらへ駆け寄る。
「どうしたの?」
「どうもしてないわ」
ふんっと踵を返すその女は、診療所で医者として育てられている十の少女だ。
四天王と同い年である。
ここまで来た経緯は知らないが、随分と前からここにいるらしい。
それなのにあとから来た四人に先を越され、上に立たれるのなら、悪意を持っても仕方ないだろう。
「ねぇねぇ朝ちゃん、この小唄知ってるー?」
「うるさいわね。ついてこないで」
「朝ちゃんって、朝昼晩の朝って書いて『はる』って読むんでしょ?いい名前だね」
「知らないわよ」
「ねえ、何急いでるの?あ、もしかして、一文菓子(駄菓子)買いに行くのっ?私も連れてってー!」
「一文菓子なんて買わないわよ!ホント、アンタうるさい!!」
朝と呼ばれた彼女は振り返りざまに手を振り払った。
すると、長く伸びた爪が唯の頬を掠めた。
つう、と流れる赤い血。
朝の爪にも赤く滲むそれがある。
呆気に取られて唯が動けずにいると、朝は高く大きな声を上げた。
「いちいちうるさいのよ!何?底辺医師の私を笑いに来たの?いいわよ、笑えば?何?一文菓子みたいな安い菓子しか買えないくらい給金が安いって笑いに来たの?アンタ、アンタたち、ホント苛つく!!目障りなのよ!それに」
そこまで言うと、彼女の焦げた茶色の頭にぽん、と手を置かれ、口元も手で優しく覆われる。
そこには、あの笑顔を浮かべた霜月が立っていた。
「神無月さん、落ち着こうか」
「ふくちょっ」
「副長」という言葉を手で遮られ、朝は黙る。
その「副長」とやらは朝の耳元に口を寄せた。
「次、そんなこと言ったら、私怒るから」
その声は低かった。
が、それを言い終えると、またあの笑顔を浮かべる。
朝から手を離し、唯の頬の血を拭う。
「怪我はこれだけですか?」
「あ、うん」
「後でちゃんと手当してくださいね」
「わかった」
その様子を見つめた朝は思わず走り出した。
中庭に出、裸足で外を走る。
派手な赤の着物を土に汚されながら、走る。
その赤は甚だしい赤だった。
しかし高級な布ではなく、“高級に魅せる”赤の布。
丸々した、あの着物と同じ色の瞳から溢れる涙。
その涙には、色がついていなかった。
*六ノ巻〚屋敷で〛完
(漢字表記)
慄く(おのの−く)
粗相(そそう)
括ろう(くく−ろう)
夢幻泡影(むげんほうえい)
神無月朝(かんなづき はる)