雨がやむ直前、校庭には水たまりが光っていた。歩くたびに小さな波紋が広がり、空を映す水面は揺れながらも確かに青かった。
悠は傘を持たずに、教室から出たばかりの廊下を歩いていた。雨の日の帰り道はいつも静かで、人の声が遠く感じる。誰も気に留めてくれないことに慣れているつもりだったけど、今日は違った。
「悠くん!」
声の方を見ると、クラスメイトの陽翔が駆け寄ってきた。雨で濡れた制服が体に張りついて、少し狼狽した様子が見て取れる。
「大丈夫?」
陽翔の声には、何か温かいものが含まれていた。悠はただ小さくうなずくしかできない。言葉を返す勇気が出ないまま、二人は一緒に歩き始めた。
雨上がりの空気は甘く、草の匂いが鼻をくすぐる。水たまりの中には、青空と雲が交互に映っていて、まるで世界が二重に存在しているみたいだった。
「ねぇ、あそこに行こう」
陽翔は指さす先に、小さな公園があった。濡れた砂場にまだ雨の跡が残っていて、風に揺れる木々の影がゆらゆら揺れている。
悠は躊躇したけど、なんとなくついていくことにした。
座るベンチもない小さな公園だったけれど、二人だけの空間がぽっかりと開いているようだった。
「見て」
陽翔は靴の先で水たまりをつつき、小さな波紋を作った。それはあっという間に広がり、やがて水たまりの中の空を飲み込んでしまう。
「なんだか、世界が変わったみたいだね」
悠は小さな声でつぶやいた。
「変わったのは、僕たちだけかも」
陽翔が笑った。雨に濡れた髪が額に張り付いて、笑顔が少しだけぼやける。でも、それが不思議と心地よかった。
しばらくの間、二人は何も話さずにただ水たまりを見つめていた。言葉にしなくても、互いの存在がそこにあることだけで十分だった。
「悠くんさ、昔からずっと思ってたんだ」
陽翔の声は少しだけ緊張していた。悠はその声に耳を傾ける。
「何?」
「僕ね、君のこと、守りたいって思ってた」
その言葉は、雨上がりの空気の中で不意に重く落ちてきた。悠は言葉を失い、ただ息を呑むだけだった。胸の奥がぎゅっと締め付けられる感覚に、どう反応すればいいかわからなかった。
「怖くないよ。僕がいるから」
陽翔の手が、そっと悠の肩に触れた。冷たく濡れた制服の感触が、心の奥まで届く。悠は少しずつ、しかし確実に、心の中の壁が崩れていくのを感じた。
その瞬間、水たまりの中の空は一層鮮やかに映った。青と白が混ざり合い、まるで未来の可能性そのものを映しているみたいだった。
雨が完全に上がり、太陽の光が二人を照らす。悠は初めて、声を出す勇気を少しだけ持てた気がした。
「ありがとう」
小さな声だったけれど、確かに自分の言葉だった。
陽翔はにっこり笑って、手を差し出す。悠も迷わずそれを取った。
握った手の温もりが、雨の匂いと混ざって、優しく心に沁みる。
「一緒に帰ろう」
「うん」
二人は手をつないで、夕日の中を歩き出した。水たまりの上に映る自分たちの姿が、揺れながらもまっすぐ前を向いていた。
それは、雨が止んだ後の、少しだけ特別な午後の物語だった。