──────数時間後
ドアが閉まる音が、静かに響いた。それきり、世界が止まったみたいに静かだった。
ノワレは床に座ったまま、しばらく動けなかった。
さっきまであった“他人の気配”が消えると、空気が一気に冷たくなる。
居たはずの人が、居なくなった。気にしていないはずなのに気にかけるようだった。
部屋の蛍光灯が、微かにジジッと鳴った。
「……帰った、か」
呟いた声が、自分でも聞き取れないほど掠れている。
机の上には、友人が置いていったペットボトルの水。
まだ封も切られていない。
ノワレはそれを手に取り、キャップを開ける。
一口だけ飲んで、また置いた。
味もしない。
そりゃそうだろう。ただの水だ。なにを期待していたんだろう。
窓の外で、救急車のサイレンが遠ざかっていく。
音の余韻が胸に響いて、ノワレは思わず笑った。
「俺じゃない、か……」
笑ってるのに、涙が勝手に出てくる。
目の奥がじんじんして、呼吸が浅くなる。
喉の奥から小さく嗚咽が漏れて、
次の瞬間、床に突っ伏して泣いた。
泣く理由なんて、もう分からなかった。
ただ、涙が流れるたびに、
どこかで自分がまだ“生きてる”ことだけは感じた。
涙が乾く頃、ノワレはベッドに倒れ込んだ。
頭の中が静まり返る。
天井をぼんやり見つめながら、
ひとつだけ思った。
「どうして帰らせたんだろ」
指先に残った涙の跡を見つめて、
ノワレはまた、かすかに笑った。
指先が震える。
きっとそろそろ切れるのだろう。地獄に帰って行くのだろう。いや、そもそも元々ここは地獄で、夢を見ていたのかもしれない。
そんな事を考えていくうちに意識が遠のいていく。
「……俺、どうなっちまったんだろ」
ふと、友人の声が脳裏に再生される。
その声の輪郭がぼやけていて理解ができない。
「なんだっけ……あいつなんて言ってたっけ」
また思い出せない。
友人に迷惑をかけてばかりで、心配をされているはずなのに、まったくそれを受け取れない自分がいる。
今はそれすら首を絞める感覚にさせてくる。
──────何か、なにか触れたい。
震える手で握っていたのは、何時間前に服薬した薬のシート。
それをそっと握りつぶした。
服薬前の、薬をとりだす音と似ている音が部屋に響いた。
だけど、薬がそこから出てくることはなかった。
手の中でシートが潰れて、プラスチックがパキパキ鳴る。
その音が、妙に遠い。
何度押しても薬が出てこない。
爪の間に食い込む銀色の縁、汗で滑る指。
呼吸が浅くなる。
吸えない。
胸の奥がギュッと縮んで、息を探しても空気が入ってこない。
頭が熱いのに、手足は冷たくて、視界の端が白くなっていく。
ノワレは喉の奥から笑いのような音を漏らした。
笑ってるのか、泣いてるのか、もう分からない。
ただ、手の中のシートだけがまだ潰れきらずに残っている。