テラーノベル
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水は、今日も静かだった。
世界は何も変わらない。
正しさは相変わらずで、
間違いは許されないまま。
それでも――
水の底だけが、少し違っていた。
⸻
僕は、沈んだまま、目を閉じる。
上に戻らない。
でも、消えもしない。
その選択は、
誰にも評価されないし、
正解とも言われない。
それでいいと思えた。
⸻
足音がする。
水を裂く音。
ためらいのない音。
来ると分かっていた。
「……いむくん」
名前を呼ばれる。
毎回、
同じ呼び方なのに、
同じ重さじゃない。
今日は、
少しだけあたたかい。
⸻
「今日は、何も話さなくていい?」
初兎ちゃんの声は、
水の中でも、ちゃんと優しい。
僕は、
首を横に振る。
「……聞いてるだけで、いい」
初兎ちゃんは、うなずく。
「じゃあ、そうする」
それだけ。
⸻
二人は、並んで座る。
触れない距離。
でも、遠くない。
この距離が、
一番壊れないことを、
もう知っている。
⸻
「ねぇ。」
初兎ちゃんが、ぽつりと言う。
「いむくんがいなくなったら、
世界は何も変わらないかもしれない」
胸が、少しだけ痛む。
でも、続く言葉があった。
「でも俺は、
毎日、名前を呼ぶ場所を失う」
僕は、
ゆっくり息を吸う。
水が、肺に入る。
それでも、
苦しくない。
⸻
「それってさ」
僕は、小さく笑う。
「……生きてるって、
言っていいのかな」
初兎ちゃんは、少し考えてから答える。
「少なくとも俺にとっては、そう」
その言葉は、
救済じゃない。
でも――
存在を、ちゃんと重さとして扱う言葉だった。
⸻
長い沈黙。
水の音。
でも、
孤独じゃない沈黙。
⸻
「ねえ」
いむくんが言う。
「もし、いつか……
ほんの少しだけ、
上を見たくなったら」
初兎ちゃんは、すぐに答えない。
急がせない。
「そのときは?」
「……名前、呼んで」
初兎ちゃんは、笑った。
「今も呼んでるよ」
⸻
水の底で、
僕は目を閉じる。
終わりじゃない。
でも、始まりでもない。
ただ――
続いていく場所。
沈んだままでも、
名前がある。
呼ばれる声がある。
それだけで、
今日を生きていい理由になる。
⸻
水の底でも、
僕の名前は呼ばれる。
そしてその声は、
いつか帰るかもしれない道を、
静かに照らしていた。
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