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私が小学二年生の時、 ママが出て行った。
子どもながらに両親があまり仲良くないことには気づいていた。
ママが誕生日プレゼントに買ってくれたガラス製のオルゴール。螺子を巻くと透き通った天使がハートを抱えてクルクルと回りだす。
優しく奏でられるのは、昔ママがよく歌ってくれた子守唄。
それを抱きかかえるように毎晩眠る。
「ママ……」
その度にママとの思い出が頭に浮かんで涙が溢れてきた。朝起きたらいつもみたいにママが起こしにきてくれる。
「ましろっ、遅刻しちゃうよ」
夢を見ては、目覚ましの冷たい機械音に起こされた。
それが小学二年生の私の現実だった。
「ただいま」
「おかえりなさいっ!」
笑顔で駆け寄ると決まって微笑みながらパパが私の頭を撫でてくれる。
私はそれが一日の中で一番幸福なことだった。
「おふろのよういしたよ!」
「ありがとう、ましろ」
「えへへへ」
パパはいつも疲れきった顔で帰ってくる。だから、少しでも楽をしてもらおうとお風呂掃除やお湯の張り方を覚えた。
そうすると褒めてくれる。それがすごく嬉しい。
「いつもできているご飯ばかりでごめんな」
「ううん!パパおしごとで疲れてるんだからいいの!」
「……ごめんな、ましろ」
お惣菜のパックをテーブルに広げながら申し訳なさそうに謝るパパ。
その様子を見ていると胸が苦しくて、私がパパを笑顔にしてあげたいって思った。
だから子ども用の料理の本を読んで、不慣れな料理にも挑戦した。
最初は簡単にお米を炊くことから初めて失敗を重ねながらも次第にお味噌汁まで作れるようになっていた。
味はちょっとしょっぱかったけれど……パパは毎回美味しいねって言って食べてくれていた。
そんな寂しいけれど、優しい日々が続いた小学四年生の時だった。
パパが知らない女の人を連れてきた。
「ましろ、新しい お母さんになる人だよ」
切れ長の目が特徴的な美人な女の人だった。ダークブラウンの髪に少し露出多めなミニワンピース。
子どもながらに私は圧倒された。母親というよりも、女性という方がピンとくるような印象だった。
「はじめまして、ましろちゃん」
私はそのとき緊張していて正確にはなんて答えたかは覚えていないけれど、きっと「こんにちは」と返していたんだと思う。
それから一ヶ月くらいして、家に人が二人増えた。
新しいお母さんと、義理の姉となった美咲ちゃん。私は本当のママと区別を付けたくて、呼び名をお母さんにした。
……忘れたくなかったんだ。ママのことを。
「それでね、スーパーに行ったら売ってなかったのよ」
夕ご飯の時、お母さんが困ったように微笑みながら話をしていた。よくある食卓の平凡な風景。
けれど、お母さんは私だけを見ない。
話す時は、美咲ちゃんかパパのことしか見ていなくて、私のことは見てくれない。最初はあからさまなものではなかったけれど、案外本人からしてみればわかりやすいものだった。この人は私に向けて話していない。
「明日は別のスーパーに行ってみようかしら」
ねぇ、どうして……
「あら、美咲おかわりは?」
私を見てくれないの?
そんなことを思いながら、私はじっと耐えていた。
怖くて何も言えなかった。
私の発言で、お母さんが怒ってしまったら? ママみたく出て行ってしまったら?
きっとパパが苦しむ。そんな顔みたくない。
ある日のことだった。
「あの、お母さん……」
リビングでテレビを見ているお母さんに恐る恐る話しかける。
授業参観のお知らせのプリントを背中に隠し、紙の端っこぎゅっと握りしめた。
この間美咲ちゃんのは行ったって言ってたから、お願いしたら私のも来てくれるといいな。
おかしいな返事がない。
「あ、あのね授業参観が今度あるの!」
笑顔でお母さんの前に回り込み、プリントを手渡す。
怖いくらいに、見つめられている。切れ長の目がいつもよりも少し鋭く私を捕らえていた。
「……見れば見るほど、そっくりね」
「え? そっくり?」
「あの女に」
忌々しそうに吐き出された言葉。
その言葉で全てわかってしまった気がした。“あの女”とは、私の血の繋がったママのこと。
そして、お母さんの言葉には深い感情が込められているような気がして、おそらく顔見知りなのだろうと悟った。
「……授業参観、行けたら行くわね」
そう言ってお母さんは目を細め、綺麗な笑みを顔に貼付けた。
――授業参観の日、お母さんが教室に現れることはなかった。
小学五年生になった時にはわかっていた。
自分がお母さんに好かれていないこと、美咲ちゃんには鬱陶しいと思われていることを。
自分の家のはずなのに家が物凄く窮屈に感じて、自分の部屋でないと落ち着けなくなっていた。
「パパ……」
ベッドの上で踞り、唯一頼れる存在の名前を口にする。
一人で抱えていくのは苦しすぎて、自分が壊れてしまうような気がしていた。だから、聞いてほしかった。心配してほしかった。パパだけは私のことを見てほしかった。
意を決してベッドから起き上がり、パパの部屋の前までいった。
他の人に気づかれないようにそっとドアをノックをする。
「どうぞ」
聞こえてきた声に安心して、ドアを開けた。目に映ったのは、黒い椅子に座り仕事をしているパパの後ろ姿。
私が入ってきたことに気づくとパパは振り返り、きょとんとした顔で首を傾げた。
「どうしたんだ?」
「あの、ね……」
言いにくい。私を見てくれない、とか。ママに似ている私の顔が凄く嫌みたいだ、とか。
「お母さんのことなんだけど……」
でも、今言うしかない。きっとパパならちゃんと聞いてくれる。
一通り話し終わると、パパが徐に口を開く。
「ましろはママに似ているからな」
今のパパの口から出たのは、別れたほうの私の本当のママのことだ。
そして、パパは平然とした表情で言った。
「嫌われても我慢してくれ。ちゃんと仲良くしてくれないと俺が間で困るんだよ」
疲れ切ったため息が漏れて、びくりと体を震わせる。
……パパ、すごく嫌そうな顔してる。
「仕事がまだあるんだ。もう話はおわりでいいか?」
「な、んで…………私、私のことは」
もうどうでもいいの?
「あまり父さんを困らせないでくれ。ましろはいつもいい子だっただろう?」
……違うよ。いい子でいようとしていただけだよ。
いつの間にか、変わっていた。自分のことをパパと呼んでいたのに、美咲ちゃんやお母さんが呼ぶお父さんに。
もう私のパパはいない。
気づいたらもう色々なことが変わってしまっていた。
そして、私はその日からパパのことを、お父さんという呼び名に変えた。
部屋に戻り、涙を堪えながらガラス製のオルゴールの螺子を目一杯巻いた。
ぽろぽろと溢れる優しい音色が私の記憶を巡っていく。ママがいた頃の出来事。
「……あれ?」
ママの笑顔が大好きだった。なのに、もうママの顔も声も、おぼろげで思い出せなくなっている。
オルゴールはくるくる、くるくる……止まることなく回り続ける。
「……っ」
そして、哀しく響く。私一人を過去に置き去りにしたまま。