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「お母さま。この場が王宮の宴に仮託した私のお見合いの席だとは、十分すぎるほど十分に察しているつもりです。それでもあえて申し上げさせていただきますが、私はラヴィオンさまと政略結婚をしたくはありません」
私ことルナリア・サマーグロウが母におずおずとそう申し出たのは、この世界で彼――ラヴィオン・ウィンターベールさまの姿を初めて目の当たりにした、九歳のとある春の日のことであった。
「どうして? ラヴィオンくんのこと、そんなに気に入らなかったのかしら?」
こてりと首を傾げた私の母・マリアベルは、困ったように微笑みながら、そっと私と視線を合わせて問いかける。
「いいえ!」
対する私はぶんぶんと首を横に振り、はっきりとした口調で「違うんです、そうではなくて!」と呟いた。
「むしろ、好きです。ラヴィオンさまのことはとっても気に入りました」
「じゃあ、どうして?」
「……したくって」
「うん? なあに?」
「好きだから! 好きだからこそ私は絶対に、ラヴィオンさまと恋愛結婚がしたいと思っているのです!」
思い切って叫んでから、一秒、二秒、三秒。
永遠にも思われた静寂は、母のふっと吐き出した笑い声によって不意に破られたのだった。
「ふ、ふふっ! そう、そうなのね……!」
「ラヴィオンさまのことは、私が必ず落としてご覧に入れます! 婚姻自体はお母さまが思っておられる通りにきちんと結んでみせますから! だから、だから……っ!」
焦って言葉を重ねる私の頭を、母は優しく撫で擦ってくれた。
そして、私を安心させるように、穏やかな笑みを浮かべて言ってくれたのだ。
「良いわ、ルナリア。全てあなたの言う通りにしましょう」
「ほ、本当?」
「ええ。その代わり、そこまで言ったからにはきちんとラヴィオンくんを落としてご覧なさいな。サマーグロウ公爵家とウィンターベール公爵家の婚姻は、政略的にも大きな意義があるのだからね」
「はい!」
元気よくそう返事をしたときの私は、自分の未来は自分自身の力でいかようにでも切り拓けると、子供らしい無邪気さで本心から信じきっていたのだ。
しかし――。
「ルナリアお嬢サマ、まだお掃除が終わっていないんですかぁ?」
「申し訳……」
「ったく、これだから『無能』は困るのよ」
――あれからしばらくの時を経て直面した現実は、想像以上にあまりにも恐ろしく、無情なものであった。
ルナリア・サマーグロウ、十八歳。
今の私には、好きな人との結婚どころか、心穏やかに過ごす日々すら夢のまた夢である。
***
「悪鬼」――それは人に災いをもたらす、恐ろしい異形の存在のことである。
いつから、またどのようにしてこの世に現れたのかは、誰一人として知らない。
ただ気付いたときには私たちの隣にいて、本能がおもむくままに人間を貪り食らうようになった。
人間と悪鬼は何百年にもわたり、血で血を洗う苛烈な戦いを繰り広げた。
そんな中で、やがて人間の一部に、悪鬼との戦闘に役立つ特殊な能力を発現出来る者が現れるようになった。
それが「魔法」であり、魔法を駆使して戦う「魔術師」と呼ばれる人間の起こりであると、ここシュゼンタール王国の歴史書には記されているという。
今この国では、王家を頂点として、四つの魔術師家門が社会の中で圧倒的な権勢を誇っている。
「水」の魔法に優れた者が多い、スプリングフィールド公爵家。
「火」の魔法に優れた者が多い、サマーグロウ公爵家。
「土」の魔法に優れた者が多い、フォールブルーム公爵家。
「風」の魔法に優れた者が多い、ウィンターベール公爵家。
その中で私ことルナリア・サマーグロウは、四大家門の一角を占めるサマーグロウ公爵家の、しかも本家の長子としてこの世に生を受けた。
両親ともに優れた魔術師として知られていたことから周囲の人々も、そして自分自身も将来は立派な魔術師になるのだと信じて疑ったことはなかった。
ところが運命の転換点となったのは、十歳で迎えた「使い魔召喚の儀」。
その際に私は、魔術師として覚醒するために必須となる「使い魔」を、どんなに下位のものですらもこの手で召喚することが出来なかったのだ。
魔術師は「使い魔」を召喚したのちに、初めて魔法を使用することが出来るようになる。
逆に言えば、使い魔がいなければ、どんなに些細な魔法であっても使うことは出来ない。
使い魔を得られなかった私がどうなったかと言えば、当然の帰結として、魔法を行使することが出来ずに終わった。
魔術師家系においては得てして「魔法が使えることこそが誇りであり、一族の人間としての存在価値だ」という意識が強いため、魔法が使えない人間など人間でないとみなされがちだ。
サマーグロウ公爵家は、殊にその傾向が強かった。
「無能」の烙印を押された私を、一体誰が歓迎するというのだろうか。
一日前までは「立派な跡取り」として期待の目を向けていたはずの一族の者たちは、この件で瞬時に私に背を向けてしまった。
それでも、実母が生きていた頃はどんな逆風の中でもいつだって味方になってくれていたからましだった。
しかし実母が早逝すると、私を擁護する者は一族の中に一人もいなくなってしまったのだった。
だから、こんなことだって屋敷の中で平然とまかり通る。
――ばしゃり。
「あらあら。ご自慢のぬばたまの御髪が濡れてしまいましたわねぇ」
「濡れていると、漆黒の艶めきがいっそう際立って見えますわぁ」
「むしろそれを――無能さを見せつけることを狙って、御自ら水を被ったのではなくって?」
「さあ行きましょ!」
くすくすとこれみよがしに嗤いながら立ち去っていったのは、屋敷に仕える侍女たちだ。
彼女たちは私が掃除用に置いていた汲んだばかりの水が入った木桶を、どう考えても悪意を持って、こちら側に向かってどんと蹴倒してきたのだ。
……一応は曲がりなりにも主家の令嬢である私に向かって。
それでもクビにならないどころか咎められることもないことが、現状の全てを物語っている。
「……って、呆けていては風邪をひくわ。早く着替えないと」
呟いた私は、とりあえず辺り一帯に撒き散らされた水を粗方片付けると、いったん私室……という体裁の公爵邸の離れの片隅にある物置部屋へと戻り、濡れた衣服を脱いで手早く身支度を改めていった。
一つに縛っていた髪も、一度ほどいで絞ってから、もう一度軽く結び直した。
幸いにして水自体は汲んだばかりのものだったから、あとは自然乾燥で問題ないだろうと思いながら。
……ちなみに侍女たちがやたらと私の黒一色の髪に言及していたのは、魔術師として覚醒した人間は髪の一房が自分の使用できる魔法の属性にちなんだ色にがらりと変化するからだ。
火の魔法を操る人間は「赤」。
使い魔召喚を終えていない幼子以外、サマーグロウ公爵家では一族の誰もが一房の赤い髪を持ち、それを過剰なまでに誇りとしている傾向がある。
そういえば、幼少期の私は母の髪に交じる鮮やかな赤の煌めきに憧れて、贈り物としていただいた舶来の真紅のリボンを髪の一房に編み込んでとよく母にねだっていたなあ。
……ということは、今は特に関係のない話だからこれ以上の無駄口は慎むけれど。
とにかく見事なまでに黒一色な私の髪色を強調することで、彼女たちは私の劣等感を煽ろうとしていたわけだ。
とはいえ私も、何年も毎日同じようなことを言われていれば、もう慣れたものである。
「あの人たちがどれほど私の心を傷つけようとしていたところで、これ以上傷つく心なんてもうどこにも残っていないんだからお生憎様」
とりたてて落ち込むこともなく、私はすぐに思考を切り替える。
今度は誰にも妨害されなかったため、もう一度きれいな水を汲んだ後は屋敷の廊下をぴかぴかに磨くことができた。
その結果、どうやら私の監視に来た侍女頭も文句のつけようがなかったらしい。
「いかがですか?」
「……ふん。まあ、よろしいでしょう」
「そうですか。では……」
「ロゼットお嬢さまがお呼びです。すぐにお嬢さまのお部屋へと向かってくださいましな。ル、ナ、リ、ア、さ、ま?」
「……はい。分かり、ました」
とはいえ、手放しに褒めるなどということは決してありえない。
次なる頭痛の種を残し、侍女頭は足音高くこの場を去っていったのだった。
***
ロゼット・サマーグロウ――彼女は血縁上、私の異母妹であることに相違ない。
初めて出会ったのは、母が亡くなってからまもなくのことだ。
端的に言えば、父は母が生きていた頃からロゼットの母親・シスリーを愛人にしており、私とは誕生日が数カ月違うだけの娘・ロゼットとともに「もう一つの家庭」を作っていたということのようだった。
優秀で家内の差配も多く担っていた母に婿養子の父が劣等感を抱き、それゆえに夫婦仲は冷めきっていたことは幼心にも何となく察していた。
だがまさか母の死の悲しみも癒えぬうちから自分に新しい母と妹ができるとは予想外で、ひどく戸惑ったことは記憶に新しい。
それでも、そうなった以上は新しい家族とうまくやれるように頑張ろうと心に決めたのだ。
しかし、なるべく友好的に接しようとした私に対し、向けられたのは二対の凍るように冷たい眼差しであって。
……一瞬にして、鈍い私だってはっきりと理解できてしまった。
この先一生、彼女たちが私を受け入れることなどありえないに違いないという現実を。
その予感は的中し、すぐに私は彼女たちに召使い扱いをされるようになった。
主が主ならば、使用人もそれに倣ってしまうものだ。
加えて当主たる父も見て見ぬふりを決め込むとなれば、私の立場が落ちぶれていくのはあっという間のことであった。
「失礼いたします。……ロゼットお嬢さま」
「お姉サマぁ、遅ぉい!」
……ほら、こんなふうに。
自室で椅子に座り、緩く巻いた一房の赤髪を弄びながら、氷のように冷たい視線で私を射すくめてきた令嬢こそ私の異母妹であるロゼットその人に他ならない。
今日も今日とてまるで虫けらを見るような目で私を一瞥し、そしておもむろに椅子から立ち上がるやぞんざいに言い放った。
「あたし、十分後に出かけるわ。だから、お姉サマもそのつもりで随行の準備をしといて」
「……えっ?」
「なあに? あたしに口答えでもしようっていうの?」
「いいえ、そんなつもりは」
「だったら黙っていなさい」と言われてしまえばもはや、私には「はい」と頭を下げる以外の選択肢など残されてなどいない。
慌てて自室に戻り外出の支度を整えた私は、これ以上文句を言われる隙を与えないようにと、駆け足で庭を横切ってロゼットが出てくるはずの本邸のエントランス前へ先回りしようと試みることにしたのだった。
***
「あれ、ルナリア。これからどこかへ出かけるのか?」
そうして庭に入った私は、そこでこの屋敷で唯一の、私と普通に言葉をかわしてくれる人にばったりと行き合うことになった。
ディートリヒ・サマーグロウ――私の母の妹が産んだ一人息子で、私の父が婿養子であることを考えれば、私の母亡き後のこの家においては当主候補となっていてもおかしくないだけの血筋を持っている人物だ。
「無能」の私と違って、魔法の腕もとても立つというし。
ただ現実には、強固な後ろ盾となるべき両親を早くに亡くしたこともあり、一族の中であまり重んじられてはいない。
「うん。ロゼットお嬢さまの外出に随行するよう命じられちゃったから、少し出かけてくるわ」
そう言うと、彼は眉をひそめ、「お前、またロゼットからこき使われているのかよ」と心底不快そうに呟いた。
「大丈夫なのか? だってあの女、今日は新しく召喚した使い魔の力を試しに行くって言っているのを聞いたぞ!? それってつまりは悪鬼がいるところに行くつもりなわけで、そんな場所に魔法の使えないお前を連れて行こうだなんてどう考えても正気の沙汰じゃあねえからな!?」
……うん。あれだけぞんざいに扱われた後だと、人の心の温かさというものというものがいっそう心に沁みるものなのね。
「まあ、これまでも色々あったけど、なんだかんだ結局は無事に生き残ってこられたんだから今日だってきっと大丈夫なんじゃないの? いくら嫌っていても、まさか命まで奪うつもりはないと思うし」
あまり心配をかけないようにとへらりと笑いながらそう応じた私に対し、ディートリヒはぐっと唇を噛み締めた後に思わずと言った様子で口を開いたのだった。
「なあ。もう、こんなとこ逃げちゃわないか?」
「……うーん」
実際のところ、そんなふうに考えたことがないわけではないし、いずれは……という気持ちもあることもまた事実だ。
母が最後まで私にくれようとしていた後継者の地位を取り戻したいとか、あるいは「無能」を排斥するサマーグロウの気風を変えたいだとか、そういう意欲や高尚な志のようなものは、昔はともかく辛酸を嘗めたこの数年を経た私の中からはすっかりと失われてしまっていたのだから。
だからこの家にそういう意味での未練は全くないのだけれど――。
「でも、今はまだ大丈夫かな」
というのも、私にはこの家に――というかもっとはっきり言えば「サマーグロウの娘」という地位に、まだ一つだけ心残りがあったもので。
だってこの家から出ていってしまったら、名門家の子息である「彼」に再会できる可能性は今以上に低くなってしまうと思ったのだ。
彼――私の初恋にして最愛、ラヴィオン・ウィンターベールさまその人に再びめぐりあうことが出来る可能性というものが。
無論、九歳のあの日からあまりにも周りの状況が変わってしまったことは、誰に言われずとも十分に承知している。
敵対意識の強い両家門の融和を推進していた互いの母が亡くなって、私自身も魔法を使えずに一族内での地位を失ってしまって。
今や優秀な魔術師として名を馳せている彼と私とでは釣り合いようがないことくらい、私だって重々承知しているのだ。
……だからもう彼と結ばれたいなんて、分不相応な夢は語らないわ。
それでも、どうかもう一度だけ。
ただ一目で良いから彼の顔をもう一度見たいと願うことだけは、どうか許してほしいと思うの。
それさえ叶えば心を整理して、サマーグロウ公爵家とは関係のない場所でしがない一平民として生きていってみせるから。
彼は私がこの家から逃げて平民身分に落ちてしまえば、きっと一生目にすることも叶わないであろう雲上人だ。
しかしロゼットのそばに仕えていたならば、いずれ四大家門の交流会などで彼の姿をちらりと見ることくらいは出来るに違いない。
だから、それまでの間だけの辛抱よ。
その一心で私はいくら嘲笑の的になろうとも、ぐっと唇を噛んで今の立場にしがみついているというわけなのだった。
「ルナリアはいつだって大丈夫って言うけれど、本当に大丈夫なときもあれば本当は大丈夫じゃないときもあるからなあ……」
「今日は本当に大丈夫なときの大丈夫! だから、私のことを心配している暇があったら自分のことでも心配してなさいよ!」
じゃあね、と手を振り私は本邸へ向かってぱたぱたと駆けていく。
「……頼むから、本当に頼むから、どうか無事に帰ってきてくれよ」
去り行く私の背に向かってディートリヒがぼそりと呟いた言葉は、私の耳には届かず風の中に溶けて消えた。
うーたん
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