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「月子様。いずれは男爵家のご親族とも顔合わせするのです。良い機会だと思ってくださいませ」
凛とした声と共に、月子に深紅のドレスが差しだされた。
「奥様。月子様はお若いですし、これぐらい大胆なお召し物でも構わないのではないでしょうか?」
声の主は、自信たっぷりに芳子へ提案している。
一目で、派手なドレスと分かるものを胸元にあてがわれ、月子は、ますます困り果てた。
これを着ることになるのだろうか?こんな大人びた、そして、肌の露出もかなりありそうなものを自分が……。そう思うと、月子の面持ちは自然暗くなった。
「そうねぇ、清子。そうよねぇ。ドレスは、それにしましょうか!まあ!顔写りも悪くないわ!」
芳子は、張り切っている。
「では、月子様。こちらの衝立の後ろへ」
トントン拍子に話は進み、月子はどうやら、ドレスへ着替えさせられるようだ。
「月子さん、今日のところは、私のドレスでがまんしてね。ちゃんと、ドレスもお仕立てしましょう!」
芳子は笑みを浮かべご機嫌だった。
「うーん、私はどうしましょうかねぇ」
芳子が悩み始めると、次々に女中がドレスを持って来る。
そんな脇で、月子は導かれるまま、衝立の後ろへ行った。
「月子様。申し訳ありません。本来ならお部屋にドレスをお持ちすべきなんですが……衣裳部屋にお運び頂いて……」
「衣裳部屋……?」
「まあ、なんですね、納戸というか、物置というか……、とにかく、ここは月子様に本来お運び頂く場所ではないのです」
この部屋は芳子の衣裳を仕舞っている場所、裏方だと女中は申し訳なさそうに言った。
今回は、本当に急な話で、寸法直しもまともにできない。
ドレスを選んですぐ、針仕事が出来るよう、月子を呼んだらしい。
「ええ、本当に申し訳ございません。実は、月子様のお部屋も今、お支度中ですので、色々な事が重なり、こうゆう形に……」
言いながらも、女中は手際よく、あれこれ指示を出している。
そのきびきびとした姿は、月子は当然足元にも及ばず、芳子すら言いなりになるかのような雰囲気を醸し出している。
そういえば、芳子は、女中のことを清子と呼んでいた。
「あ、あの、清子……さん、ですよね?」
「はい。左様でございます。梅子ですね?」
ふふふ、と女中──、清子は、分かっているとばかりに笑った。
「まったく、梅子はお喋りなんだから。うるさいのがいなくなるからちょうど良いでしょうけどね」
「えっ!そんなことは!」
月子は慌てつつも、漂っているのは、女中頭としての貫禄なのだと思う。しかし、いくら頭がつくとはいえ、結局は、奥向きに仕える女中なのに、これ程、堂々としているとは……。
吉田といい、この清子といい、貫禄がありすぎる。ここは、男爵家で、平民、庶民の家とは異なるのだと、突きつけられているようで、月子は空恐ろしくなった。
自分は、とんでもない家と見合いをしてしまった。そして、結婚相手は、次男とはいえ、男爵家の人間で、人前で立派に演奏をこなす人。
自分なんか、と、月子は、弱気になってしまう。
「……月子様?大丈夫……と、言いたい所ですが、お越しになっている御前様は、それはそれは、厳しいお方です。気持ちをしっかりお持ちになってくださいませ。そして、どうしてもダメな時は、京介様をお頼りください。勿論、私達がおりますから、そうならないように、しっかり勤めさせて頂きますが……そうですねぇ、なんだかんだ言って、京介様じゃないと、あの偏屈な御前様には勝てないでしょうねぇ」
偏屈に対抗できるのは、偏屈しかいない。と、清子が、言い切った。
「偏屈……ですか……」
月子に、なんだかんだ理由を付けて、そっぽを向く岩崎の姿が過る。
「ええ、そこのところは、月子様が一番御存じでしょう?」
清子は、ふふふっと、笑ってくれる。
からかわれたのかと、思いつつも、答えに詰まる月子へ、
「さあさあ、お着物をお脱ぎください。そして、こちらを身につけて……ドレスを着たら、補正部分は、そのまま、目立たないようにまつり縫いますから」
清子は言うと、ドレスの下に着るいわゆる下着を月子に差し出した。
義父が買ってくれていた、少女雑誌の物語で見たことがある、晩餐会とやらが控えているのだと思えども、これは、物語の中の話ではない。
気難しそうな、岩崎家の親族と共に席に着かなければならないのだ。
そもそも、ドレスも、晩餐会、つまり、洋式の食事会も、月子にとっては初めてで、どのように振る舞えば良いのか分からない。
清子は、大丈夫だと言うが、その御前様とやらの存在が、月子に大きくのしかかって来る。
それでも……。
なんとしても乗り切らなければ。
岩崎には、恥をかかせたくなかった。
おとなしく座っていれば、なんとかなるかもと、月子は覚悟を決めて、清子に言われるまま着替えを始める。