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天海千代《あまみちよ》の義父、天海源蔵《あまみげんぞう》が逝去したのは今から数週間前の話だ。


幼い頃に両親を亡くした千代を引き取り、正式に養子として華族の娘にしてくれた源蔵を、千代は心から慕っていた。当然他の家の者、特に義母や姉には冷たくされていたが、それでも千代は源蔵への恩もあって耐え続けていた。源蔵だけは千代を実の娘のように愛し、女学校にも通わせてくれていた。


その源蔵が、病で亡くなってしまった。


沢山泣いて沢山悲しんで、それでもどうにか立ち上がろうと足掻いていた千代だったが、義母達は容赦しなかった。源蔵という後ろ盾を失った千代は、最早天海家に居場所などなく――――



***



「折角かわいらしいお顔なんですから、もう少しだけ元気を出して、笑って見てもらえませんか?」


三つ揃いの洋服に山高帽、と言った風貌の男、龍之介が隣で困ったような笑顔で言う。それでも千代は笑おうだなんて気にはなれない。

重たい表情のまま、車夫の背中の向こう側ばかり見ていた顔を、千代は適当に龍之介へ向ける。


「おべっか使ったってダメよ。今はそんな気分にはなれないわ……」

「ああいえ、おべっかというわけではないんですが……。でも、暗い顔したお嫁さんというのはちょっと……」

「……お嫁さんという言葉は到着する寸前まで使わないで……あまり考えたくないの……」


そう、お嫁さんなのだ。


天海家は華族ではあったがあまり裕福な方ではない。千代の学費も源蔵がどうにかやりくりして捻出していたもので、そのせいで生活面で割りを食っていたのが義母達なのだ。ただでさえ気に入られていない千代が、学費で生活を圧迫しているとなれば恨まれるのは当然とも言える。もっとも、生活面で割りを食っていたとは言っても派手な贅沢が出来なくなっただけで、庶民と比べると裕福な生活だったのだが。


そんな折、年の離れた千代の兄が事業に失敗し、大きな借金を抱えてしまう。その上源蔵が亡くなってしまい、大混乱に陥った天海家は、家長となった兄の提案でどさくさに紛れて厄介者の千代を借金の形《かた》に売り飛ばすことになったのである。


それを知った龍之介が信用出来る知り合いを虱潰しに当たり、縁談という形で千代の引取先を見つけ出したのだ。


「……でも、龍之介さんには感謝しているのよ? あのままだと私、どこに売られてしまうのかわからなかったもの」

「そうですね……流石に私もそれはどうかと思ったので……。すいません、いっそのこと私が引き取れれば良かったのですが」

「それはすごく素敵な提案だけど、龍之介さんのお嫁さんは嫌だわ私」

「えぇ!? どうしてです!」

「龍之介さん、よく女性の方と一緒にいらっしゃるから気が気でないもの」

「はぁ……それは……。でも私は浮気なんてしませんし……」


不服そうに色々呟く龍之介の顔を見つめ、千代はため息をついてしまう。東洋人としては背が高く、洋服が様になっている龍之介はスタイルも良い。線は細いもののくっきりとした、凛とした顔立ちだが、眼鏡の向こうの大きめの瞳はどこかかわいらしい。おまけに舞台役者だというのだから周りの女性は放ってはおかないだろう。


正直なところ、幼い頃は千代も憧れていたのだから。


「でも、黒鵜《くろう》さんという方……すごい方ね? お医者様だと聞いているけれど、よくお母様の要求に答えられたというか……」

「ええ。黒鵜はお金には困っていませんからね。私が話をすると、わりと二つ返事で了承してくれたんです」


最初はただの縁談、という形だったのだが、黒鵜が平民だと知った途端千代の義母は相当な金額を要求したのだ。元平民とは言え、華族の娘を嫁に出すのだからそれなりの金を出せ、と。

天海家としては借金をどうにかするための策だったので、何としてでも金をふんだくりたかったのだろう。


とは言え、結局の金額は華族の娘の嫁入りとしては大した金額ではない。


「そう、良い人なのね……」


言いつつも、千代の表情は晴れない。


天海千代の人生は、三百円だったのだから。



***



悶々としながら車に揺られること一時間弱。千代は嫁入り先の黒鵜家へと到着する。


「……まあ!」


思わず顔の前で手を叩き、千代は声を上げてしまう。


「大きいでしょう? 華族のお屋敷と比べても遜色ないと思いますよ」


黒鵜の屋敷は和装の屋敷で、天海家の屋敷と大きさはそこまで変わらない。


「さあ、これからはなるべく笑ってくださいね」

「……善処する、わ……」

「黒鵜は少し照れ屋ですが、決して悪い人間ではありませんので」

「龍之介さんのお友達だから、そこはあまり心配していないのだけど……やっぱり怖いし、三百円の人生は悔しいわ」

「気持ちはわかります。ですから、三百円で手放したことを、天海の家が後悔するような人生を目指しましょう!」


何とか元気づけようと明るい言葉をかける龍之介を見て、流石に千代も気合を入れる。折角龍之介がここまでしてくれたのだから、これ以上へこたれてはいられなかった。


「それに、黒鵜は千代さんのように髪の綺麗な方が好きだと言っていたので、きっと気に入ってもらえますよ。写真を見せた時も、かわいらしいと褒めていましたので」

「そ、そうなの……?」


慌てて長い黒髪を手櫛で整えながら手鏡で確認する。出発前に見た時よりは、表情もいくらかマシに見える。


牡丹柄の緋色の小袖、藍の行灯袴。乱れがないか確認してから、千代はほっと一息吐く。


「大丈夫大丈夫。お綺麗ですよ、安心してください」

「いつもそうやって誑かしてらっしゃるの?」

「違いますよ! 何だか私の印象悪くないですか!?」

「冗談よ、ありがとう龍之介さん」


こうして大げさに反応してくれるので、ついつい千代は龍之介をからかってしまう。でも、こうして龍之介と笑っていられるのも今日が最後だ。これからは亭主のいる妻として、男性との関わり方には細心の注意を払わなければならないのだ。


華族の家に引き取られた時から自由な恋愛のことは諦めていたが、まさかこんな形で急に結婚することになるとは思っても見なかった。まだロクに恋したこともないのにいきなり終着点にたどり着いてしまった気分である。


程なくして、大きな門の向こうから使用人の老婆が顔を出す。人懐っこい笑顔の、トミという老婆だ。


「んまあなんてかわいらしいお嬢さんでしょう! おまけに華族の娘さんだなんて、私も鼻が高いです」

「トミさん、名前はもう聞いてると思うけど、千代さん」


龍之介に紹介され、とりあえず千代は会釈する。


「えっと……天海……じゃなかった、千代よ。よ、よろしく……」

「硬くならないでくださいな。今日からここは千代様のご自宅ですから! 私、ここの使用人のトミという者です」


深々とお辞儀をして、トミは屈託のない笑顔を浮かべる。


「ささ、どうぞどうぞ。客間で旦那様がお待ちですから」


トミはそう言って千代を中へ案内しようとするが、足を踏み出せない。まだ見ぬ夫のことを思うと少し怖くなってしまう。黒鵜は写真もなく、肖像画もなかったため、千代はまだ顔を知らないのだ。


「それじゃ、私はこれで……」


笑顔で一礼して立ち去ろうとする龍之介だったが、その裾を千代が掴む。


「千代さん?」

「……お願い、もうちょっと一緒に来て……?」

「……はい、わかりました」


仕方ない、と言った様子で龍ノ介がはにかんで頷いたのを見て、千代はやっと一歩踏み出した。


トミに案内され、おっかなびっくり千代は客間へと辿り着く。少し心の準備をしたかったが、トミは何の躊躇もなく襖の向こうへ声をかける。


「旦那様―、千代様がいらっしゃいましたよー」

「……そうか、入れてくれ」


恐ろしく低い重低音が聞こえて来て、思わず千代は肩を跳ねさせる。隣で龍ノ介が苦笑していたが、怖いものは怖かった。


「……大丈夫ですよ」


小声で囁く龍之介に少しだけ安心しつつ、千代はトミが開ける襖をジッと見つめる。


「……っ!」


そして、そこに座る男を見て千代は思わず声を上げそうになった。


「…………君か」


体格の良い、肩までの長髪の男だった。口元や顎には薄っすらと太い髭が生えており、切れ長の三白眼はこちらをチラリとしか見ていない。どこか不機嫌そうに見えるその男の年令は大体――


「お、お……」


四十代手前くらいだろうか。


「……お?」

「お、お願いします……よろしく……お願いします……ち、千代です……」


おじさん、と言いかけたのを何とか誤魔化して、千代は言葉の順序の狂った挨拶をしてお辞儀する。


千代は生まれて初めて龍之介を恨んだ。


決して美青年を期待していたわけではない。

借金の形に売られかけておいて、今更満足のいく結婚が出来るだなんて思っていない。

けれども、十五の千代とこんなに年が離れているとは思ってもいなかった。


華族の世界では珍しくないかも知れなくても、少なくとも千代が最低限望んだのは年の差十年以内の結婚相手だったのだ。


「黒鵜《くろう》、継人《つぐと》だ」


お辞儀したままの千代の顔に、地の底から重低音が登ってきて耳に入り込む。ずぅんと重くなった気がして、千代は何も答えられない。


天海千代改め黒鵜千代十五歳。値段は三百円で、人生の終着点はおじさんだった。


頭を下げたまま中々上げない千代の異変に、最初に気づいたのは龍之介だった。継人とトミは首をかしげるだけだったが、龍之介はやってしまった、と言わんばかりの顔で狼狽えている。


「えーっと……千代さん、ちょっと緊張してしまったみたいで……。少し、外で落ち着きましょう……ね?」


龍之介から出された助け舟に、千代はようやく顔を上げて小さく頷く。


「ご、ごめんなさい……」

「いえいえ、良いんですよ。旦那様、少々お待ちいただけますか?」


継人が軽く頷いたのを確認すると、龍之介はすぐに千代を連れて廊下に出て行った。


「……龍之介さん……っ!」


小声ではあったものの、確かな怒気の込められた千代の言葉に、龍之介は思わず後じさる。


「た、確かに黒鵜は怖い顔をしていますが、決して悪い人間ではないんです! 大丈夫ですから……」

「そ、そこだけじゃないわよぅ……」

「えぇ……?」


情けない声を出して泣きつく千代に釣られて、龍之介も情けなく困惑してしまう。


「おじさんだなんて聞いてないわ……! 少し年が離れているとは聞いていたけれど、全然少しじゃないじゃない!」

「ああ、いや、それはですね……」


そういうことか、と納得して説明しようとする龍之介だったが、それを遮るように襖が開いた。


「千代様、大丈夫ですか?」

「え、ああ……ああ!?」


千代と龍之介を見、ポカンと口を開けるトミ。龍之介に泣きついた千代の姿を見て、色々な想像をしてしまったのか、トミは申し訳なさそうに目を伏せる。


「ああいえ、これはその……あーもう!」


矢継ぎ早に問題が畳み掛けて来たせいで、流石の龍之介もつい悪態をついてしまう。千代の方は少し落ち着いたのか、龍之介から離れて顔を赤くしていた。


「ご、ごめんなさい……もう、大丈夫だから」


乱れた髪を整えつつ千代がそう言うと、トミは少し安心したような表情を見せる。


「……ええと、旦那様がお待ちですので……」


戸惑いがちにそう言われ、千代は再び客間へと戻る。それと同時に、向こうから他の使用人にトミが呼びつけられた。


「ああ、申し訳ありません。どうやらお客様がいらしたようですので、私はこれで……」


そう言ってトミはそそくさと玄関の方へと走って行く。そして客間には今にも頭を抱えそうな表情の龍之介と、相変わらずカチコチに固まった千代、そして仏頂面の継人の三人が残された。


「ああ……えーっと、黒鵜、ほら、怖い顔してないで挨拶くらいしなよ」


重たい沈黙に耐え切れずにそう言う龍之介だったが、継人は表情を変えない。どころか――


「……挨拶は、先程したハズだが……」


などと言い始めるものだから、怯えた千代がまた肩を跳ねさせた。


「あ、はは……うん、そうだったね……。千代さん、黒鵜はこんなだけど、優しい奴だからあなたのことを大切にしてくれるハズですよ」


これはお世辞でもなんでもない、龍之介の本心だったが千代は疑いの目を向けている。そして本当なのか、とすがるような目で継人へ微かに目を向ける。


「…………」


しかし継人は何か答えるどころか、千代から視線をそらす始末だ。


「さ、先程は……失礼、いたしました……私、その……人見知りなので……緊張してしまい……」

「……いや、いい」


何とか勇気を振り絞って謝罪する千代だったが、継人は突き放すような口調でそう答えて立ち上がる。


「黒鵜?」

「患者の様子を見てくる」

「いや、え、えぇ……?」


何故このタイミングで、と龍之介が問う暇も与えないまま継人は立ち去って行く。その後姿を、千代は呆けた顔で見つめていた。


継人が立ち去り、龍之介が頭を抱えていると、今度はバタバタと客間へトミが駆け込んでくる。


「龍之介さん!」

「あっはい! どうしたのトミさん!?」

「龍之介さんとこの劇団の人が今来ててね、すぐに龍之介さんを呼び戻して欲しいと……」

「……私今日、きちんと伝えておいたハズなんですが……」

「夕方の公演に出る主演さんが倒れたって話でねぇ、代わりが出来るのは龍之介さんくらいのものだって……」

「えぇ!?」


時計を見るともう午後三時過ぎ。すぐに戻らなければならないと判断した龍之介は、慌てて立ち上がる。


「ああもうこんな時に……! すいません千代さん、ちょっと急に戻らないといけなくなったので……! と、とにかく黒鵜は大丈夫ですから! 安心してください!」


うまく言葉をまとめることも出来ないまま、龍之介は千代の返答も待たずに立ち去っていく。


「あ……はい……」


千代はまだ、呆けていた。

龍之介に返事をしたのも、龍之介が客間を出てから数秒後のことである。


三百円の私と霊能外科医の夫

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