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闇の中に、嘲笑う声が響いた。
——いや、声ではなかった。
それはまるで
耳元で冷たい爪が
そっと皮膚をなぞるような
背筋を凍えさせる感覚だった。
闇の奥で、不死鳥が笑った気がした。
意識が闇の奥底に沈み込んでいく。
深い痛みが全身を蝕み
まるで魂ごと
焼き尽くされるかのようだった。
だが——
次の瞬間
その痛みがふっと消え去っていく。
不死鳥の再生の力が
激痛の残滓すらも
跡形なく消し去っていた。
けれど、あの苛烈な痛みは
まだ何処かに
こびりついているように
身体が覚えている。
「⋯⋯⋯っ」
黄金の睫毛が僅かに揺れ
アリアの瞼がゆっくりと持ち上がる。
視界はまだ
ぼんやりとしていたが
その朧げな景色の中に
見慣れた顔があった。
時也——
その顔が
視界いっぱいに広がっていた。
時也は泣きそうな笑顔を浮かべ
アリアの顔を覗き込んでいた。
「⋯⋯アリアさん」
その声は震え
今にも涙が零れ落ちそうだった。
「⋯⋯お前と⋯私の⋯⋯子は⋯⋯」
掠れた声で
アリアはそう問いかけた。
唇は乾ききっていて
言葉を紡ぐだけでも力が必要だった。
それでも
言わずにはいられなかった。
——この腕に
もう二度と抱けなくなっていたら。
その不安が
胸にしこりのように残っていた。
アリアは
ゆっくりと時也に向けて手を伸ばした。
震える指が、ふわりと宙を彷徨う。
時也は
その手をそっと取り
両手で優しく包んだ。
「⋯⋯えぇ、えぇ!
二人とも元気ですよ⋯⋯っ!」
言葉が震えていた。
「本当に
良く頑張ってくださいました⋯⋯」
その言葉が終わると同時に
時也の目から大粒の涙が零れ
アリアの頬に落ちた。
その涙は
ゆっくりと肌を伝い
冷たい汗と混じりながら
流れ落ちる。
アリアは瞳を細め
その感触を確かめるように
目を伏せた。
——温かい。
涙の通った跡も
握られた手も
そして心も——。
(⋯⋯あぁ⋯⋯)
ふと
アリアの胸に
淡い願いが生まれた。
(⋯⋯私の⋯⋯死の、間際に⋯⋯
この光景が見られたら⋯⋯)
時也と、我が子達が
こうして自分の傍にいてくれたら。
それがどれ程、幸福なことか。
アリアがそう願った時
時也は彼女の心の声を聞いていた。
「⋯⋯アリアさん⋯⋯」
時也の胸がギシリと痛む。
それは
感情の所為だけでは⋯⋯なかった。
胸の奥
心臓に僅かに走る鈍い痛み。
それはまるで
不死鳥の嘴が
少しずつ啄むかのような
不吉な痛みだった。
時也は
その不快感を押し殺すように
アリアの手を、さらに強く握った。
⸻
「アリア様。お目覚めになられましたか」
青龍の声が静かに響いた。
小さな身体の腕の中に
丁寧に洗われたばかりの
双子が抱えられている。
産着に包まれた赤子達は
まだ静かに眠っていた。
「私の⋯傍へ⋯⋯」
青龍はアリアの脇に
そっと双子を横たえた。
アリアは
その小さな二つの存在に
ゆっくりと手を伸ばした。
まだ力の入らない指先が
赤子の柔らかな頬に触れる。
「⋯⋯」
その瞬間
胸の奥が締めつけられた。
苦しみではない。
言葉にできない
熱く込み上げる想いが
波のように押し寄せてきた。
「⋯⋯⋯っ」
アリアの瞳から
一筋の涙が流れ落ちた。
それは
透明に煌めく美しい宝石へと姿を変え
布の上に落ちた。
「⋯⋯愛しいな⋯⋯」
それは、掠れた声だった。
けれど
その短い言葉には
数え切れぬほどの想いが
込められていた。
苦しみも、痛みも、不安も
全てを包み込むような温かさが
其処にはあった。
時也は
アリアの震える手に
そっと自らの手を重ねた。
「⋯⋯えぇ、えぇ⋯っ」
その言葉に
涙が再び零れそうになるのを
彼は堪えた。
——アリアが守り抜いたこの命。
彼女が
母として初めて示した強さと
愛おしさ。
それは
間違いなく
かけがえのない〝光〟だった。
瞬間——
希望の光を
絶望に塗り潰そうとするかのように
アリアの意識が闇に引き摺り込まれた。
視界が急速に暗転し
耳鳴りのような不快な音が
頭蓋の内側に響き渡る。
その闇の中に
けたたましい笑い声が響き渡った。
——不死鳥。
あの忌まわしい存在が
冷たく、耳障りな音を立てて
嗤っていた。
「⋯⋯貴様⋯何が、可笑しい⋯⋯っ?」
アリアは深紅の瞳を鋭く光らせ
闇の中に浮かぶ
その巨躯を睨みつけた。
不死鳥は
炎の如き羽毛に覆われた巨躯を揺らし
両翼を広げた。
炎の羽根が弾け
紅蓮の閃光が闇を照らす。
再び、不快な笑い声が木霊した。
《我ハ⋯
オ前ノ更ナル絶望ヲ待ッテイル》
ぞわりと
背筋に氷の針が突き立つような感覚が
アリアを貫いた。
頭骨の内側を
拳で打ち砕かれるような激痛と共に
不死鳥の意思が流れ込んでくる。
「⋯⋯どういう、ことだ?」
アリアは息を切らしながら
不死鳥を見上げた。
額からは汗が伝い
全身から力が抜けていく。
不死鳥は
炎を纏ったその嘴を
ニタリと歪ませた。
まるで、人の笑みのように——。
⸻
「⋯⋯アリアさん! アリアさんっ!」
意識の奥で
遠くから時也の声が聞こえた。
——時也⋯⋯?
「⋯⋯アリアさんっ!」
はっとして
アリアは目を見開いた。
視界に映ったのは
目を不安に潤ませた
時也の顔だった。
彼は不安と焦りに満ちた表情のまま
アリアの肩に手を添えていた。
「⋯⋯時、也⋯?」
声を発した自分が
どれほど冷たく汗ばんでいるのか
ようやく気付いた。
「あぁ⋯⋯アリアさん⋯良かった⋯⋯」
時也は肩の力を抜き
ふっと安堵の溜め息を漏らした。
「突然
目を開いたまま
動かなくなったんです⋯⋯。
心の声さえも
まるで閉め出されたかのように
何も聞こえませんでした⋯⋯」
その言葉に
アリアの背中が嫌な寒気に襲われた。
その瞬間
胸の奥から
激しい焦燥が
奔流のように押し寄せてきた。
「⋯⋯⋯っ!」
アリアは急に起き上がり
横たわる双子へと手を伸ばした。
無意識に産着の布を
乱暴に引き剥がしていた。
「アリアさん!? 何を⋯⋯っ!」
「アリア様、いかがされましたっ!?」
時也と青龍の声が響くが
アリアには何も聞こえていなかった。
震える指で
双子の身体を探るように撫でる。
幼い肌は柔らかく、ほんのりと温かい。
そして——。
「⋯⋯っ!」
アリアの指先が
双子の小さな臍の緒の痕に触れた。
臍の緒は
まるで何日も前に取れたかのように
すでに綺麗に痕跡が塞がっていた。
——不死鳥の再生力。
アリアの心が凍りついた。
「⋯⋯ま、さか⋯っ」
時也は息を飲み
呆然と固まっている。
アリアの視線は
双子から離れなかった。
その手は⋯⋯震えたまま。
「⋯⋯私達、ミッシェリーナ一族は……」
掠れた声が漏れた。
「⋯⋯不死鳥は、一子相伝⋯⋯」
声は静かに、淡々と紡がれていく。
「⋯⋯本来、双子であれば⋯⋯
どちらかの子にしか⋯⋯
不死鳥は⋯⋯宿らんのだ」
時也の顔が、恐怖に凍りつく。
アリアの瞳には
不死鳥の姿が映っていた。
闇の中で
不死鳥はその燃える翼を大きく広げ
なおも不快な笑みを浮かべていた。
ー相伝などされてやるものかー
その冷たい意思が
アリアの心に響いた。
不死鳥は
アリアの絶望が気に入っている。
彼女の絶望こそが、不死鳥の糧だった。
不死鳥は
自ら双子の胎内に入り
二人を不死にした。
さらに
それぞれに異能の力を与え
宿命にさらに重みを加えた。
ーもっと⋯もっと絶望せよ⋯⋯ー
不死鳥はアリアの胎内へと戻り
その嘴を曲げて嗤った。
さらなる悲劇を待ち望む
醜悪な嘲笑だった。
⸻
「な、んて⋯⋯事を⋯っ!!」
時也の叫びが
乾いた空気を震わせた。
「くそっ⋯⋯くそ⋯⋯っ!」
彼は拳を固く握りしめ
その拳が床に食い込む程に
力を込めた。
爪が割れ、皮膚が裂け
血が滲んでも
時也はその拳を解こうとしなかった。
「⋯⋯アリアさん⋯⋯」
声は震え
膝をつきながら
項垂れた時也の背は
怒りに震えていた。
青龍は
双子の小さな顔を見下ろし
そっと呟いた。
「⋯⋯強く⋯生きなされ⋯⋯」
静かな祈りの言葉だった。
アリアは
無言のまま双子を抱き寄せた。
二人の温もりが
冷え切った身体に沁み込む。
(⋯⋯私は⋯⋯)
アリアは、再び目を伏せ
双子を抱きしめた。
(⋯⋯どんな事があっても⋯⋯
この子たちを⋯⋯)
ー不死鳥を討ち、産まれ直させるー
そして⋯⋯
ー呪縛から解き放ってみせるー
その祈りにも似た誓いは
不死鳥の耳に届いていた。
闇の奥で
不死鳥は再びその嘴を歪め
静かに嗤っていた。