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大野牧場牛舎前で十九年前に撮影された、大野和恵、山下五雄とその胸に抱かれた一歳から二歳と推定される子どもの家族写真を基に、警察による河北潟干拓地区での聞き込みが再開された。
近隣酪農家や農家の証言によると、大野和恵と手を繋いで歩いていた五歳から六歳の男児は風貌からしてこの子どもであると皆、口を揃えた。この男児は十年から十三年前まで大野牧場に存在していたと考えられる。
「そうそう、この子」
「色白で可愛らしいから覚えてるわ」
「うちの子と一緒に遊んだ事があって同い年ねって話したの」
『大野和恵さんとお話をされたんですか?』
「そう、ソフトクリームを食べに行った時、確か、六歳、七歳頃かな」
「小学校の入学式に来ないわねって話してたわよね」
「そうそう。引っ越したのかと思ってたわ」
「遠縁に預けたって言ってなかった?」
山下五雄に関しては住み込みで手伝いに来ている遠縁の男性で、大野和恵は「大野牧場が経営赤字で給与が払えないから能登に帰ってもらった」と隣の酪農家の主人に話していた。
「そうやなぁ、その頃は親類縁者も出入りしとったし」
『この山下五雄さんが大野牧場をお辞めになられたのはいつ頃ですか?』
「十年、そんくらいかもしれん、よう覚えとらん」
『この男の子の事はご存知ですか?』
「ん、あぁ、この坊主な。おった、おった、牛にちょっかい出して和江さんに叱られとったわ。」
『名前は覚えていらっしゃいますか?』
「確か、けい。そうや、けいくんや」
『漢字は』
「さぁ、そこまでは分からん。なんや、あんたら警察でも分からんがんか。どくしょな。ほんなんやから犯人捕まらんのやろ」
※どくしょな(情けない、困った)
この聞き込みで共通する点は遠縁、大野和恵は山下五雄の事も、息子の事も十年から十三年前を前後して「能登に帰ってもらった」「遠縁に預けた」と周囲に話している。山下五雄は九州の福岡県出身で、能登とは縁もゆかりも無い。
トルルルル トルルルルル トルルルル トルルル
「はい、北陸交通 佐々木です」
「遅い!」
「は?」
「着信二回で出ろや!」
「あっ、井浦!なに、なんの用!?」
「アホか、タクシー会社に電話して(うどん)の出前でも注文すんのか」
「うるさい!」
「タクシー一台、県警まで頼むわ」
「はぁ?」
カチ、カチカチ
佐々木咲は北陸交通配車室のパソコンモニター上でマウスをクリックし、金沢市内中心部から郊外へと画面を移動させた。石川県警、石川県庁タクシー待機場には124号車が(空車、緑色)表示で順番待ちしている。
「そこに一台、停まってるからそれに乗りな!」
「やだ」
「子どもか!」
「101号車だよ、ご指名だよ!げんじろーを早く寄越せ!」
もう一度佐々木咲がパソコンの画面を確認すると、源次郎が運転する101号車は(空車、緑色)表示で金沢駅を目指して直進していた。
「ぐぬぬぬ」
「いるんだろ、近くに」
「ぐぬぬぬ」
井浦はまるで恋人に囁くかのように柔らかな声色で行き先を告げた。
「能登」
「何」
「しまじろーと能登にドライブに行っちゃおうかな」
「能登!」
「そう、能登、往復で80,000円越しちゃうかもね、越すね、確実」
「能登!」
「しまじろーの稼ぎアーーーーーーップ」
「能登!」
「おう」
「101号車どうぞ!」
佐々木咲は嫉妬心よりも目の前の報酬に目が眩み、源次郎を井浦に売った。
井浦と源次郎は石川県珠洲市、能登半島の突端にある断崖絶壁、見下ろす波間はコバルトブルー、眩しい太陽に手を翳し、禄剛崎ろくごうさき灯台を見上げていた。タクシーを停めた駐車場の看板には(道の駅 狼煙のろし)とあり、井浦は豆乳ソフトクリーム、源次郎はおからドーナツを頬張っていた。大豆は珠洲の名産品である。
「しまじろー」
「はい」
「それ、美味いか」
「はい、もそもそしますが優しい味がします」
源次郎が一口頬張ったドーナツの穴から井浦を見た。
「交換してくれ」
「美味しくないんですか」
「寒ぃ」
「こんな風の強いところで、そんな冷たい物を注文するからですよ」
源次郎は仕方なしにドーナツとソフトクリームを交換した。
「もう、仕方ないですね」
「おう」
源次郎はソフトクリームの先端をチュパチュパと音を立て吸い込んだ。井浦はその唇を眺めながら違う意味で震え上がった。
「何も収穫なしじゃないですか」
「それで良いんだよ」
「良いんですか」
「おう」
「何もねぇって事は、大野和恵の遠縁話はぜーーーーんぶ虚偽て事だ」
「なし、嘘」
「そうだ」
石川県警察本部から奥能登まで片道158km、片道乗車運賃は50,000円少々、片道所要時間は約3時間、聞き込みの間や休憩の時間は源次郎の好意によりメーターを止めてはいるが「何も収穫なし」で「往復100,000円」など良いはずが無い。
「井浦さん、いつも思ってたんですが」
「なんだ」
「なんで移動方法がタクシーなんですか」
「そりゃ、いつもげんじろーと一緒に居たいからに決まってるじゃねぇか」
源次郎はソフトクリームのコーンの尻尾部分をズズズと吸い乍ら、何事も無かったように、口元に付いたドーナツの食べカスを指先で舐める井浦を見た。
「血税ですよ」
「おう、俺も税金は納めてるぞ」
「井浦さん」
「なんだ」
「井浦さん、警察車両覆面パトカー、廃車にしたって本当ですか」
「ん」
「したんですね」
「あーーーー、ちょっと逃走車両にぶつけただけだ」
「だから、警察車両、貸して貰えないんですね」
「さ、帰るか」
「そうなんですね」
二人は日本海の断崖絶壁を駆け上がる風に凍え乍らタクシーに乗り込んだ。
井浦は大野牧場の牛舎前で撮影された家族写真を手に、大野和恵と元夫の大野達也の親戚筋をしらみ潰しに訪ねて歩いた。達也の親戚は勿論の事、和恵の血縁関係者は知らぬ存ぜぬで二十年前の事は思い出したくも無いという雰囲気を醸し出していた。その中で唯一の証言は「この男山下五雄が金の無心に来た」というものだった。
「それ以来、大野和恵さんは孤立してしまったんですね」
「みたいだな」
「それじゃ、男の子を預けたというのも、嘘」
「そうだな」
大野和恵は親類縁者から絶縁され、同居している内縁の夫からは日常的にタバコの火を押し付けられる等のドメスティックバイオレンスを受けていた。彼女は人気ひとけも疎な河北潟干拓地で孤立した暮らしを強いられていたに違いなかった。
「事ある毎に遠縁という言葉を使っていますが、能登に帰りたかったのかもしれませんね」
「望郷てやつか」
「はい」
井浦と源次郎はフロントガラスに広がるアスファルトの一本道を無言で眺めていた。夕日が傾き、日本海へと沈んで行く。
「さて、そうなると」
「さて?」
「もうひとりの遠縁人物の登場だ」
「あ」
「キラキラネームが誰かって事だ」
「芽来さん」
「今、県警と金沢中警察署の連中が片町界隈でキラキラネームを探している」
「それじゃ、すぐに見つかりますね」
「なら良いけどな」
内灘町、かほく市、津幡町、金沢東警察署管内の住民基本台帳を洗いざらい調べた所、芽来と言う名前は存在したが、二歳、五歳、八歳、九歳で「該当者無し」との報告が上がってきた。今後はその範囲を広げてゆくが膨大な数に上る。
能登からの帰路、牛丼を食う井浦の携帯電話に、大野牧場から1km離れた酪農家の牧場主が「そうや、思い出したわ」と連絡を寄越した。
「芽来ちゃんな、確か、五年か六年前くらいに和恵さんが連れて来たんや」
「遠縁の娘」
「そうそう、遠縁の子やて言うとった」
(また、遠縁か)
「それで」
「あんた学校行っとらんがかって尋ねたら、いじめられたから学校に行っとらんて言うとったわ」
「何処の、小学校、中学校、高校?」
「あんま、言うとうないみたいやった。ほやから聞かんかった」
「そうですか」
「背は高かったしなぁ、中学生、いや、高校生やと思うわ」
「ありがとうございます」
「またなんか思い出したらあんたんとこ、電話すればいいがけ?」
「お願いします」