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来(きた)る木曜日。名論永(めろな)は少しだけ緊張し、謎に、無駄に鏡の前で綺麗な空色の髪を結ぶ。
変に跳ねていないかなどを見るためにいろいろな角度から見てみる。
髭は起きてから剃ったものの、念の為もう一度剃ることにした。
「…そういえば」
そういえばこんなことが昔にもあった。それは雪姫(ゆき)が入ると聞かされたときのこと。
雪姫のことを神羽から聞かされ
雪姫が来る当日も無駄に髪を綺麗に結んで、伸びていた無精髭も謎に剃ったのだった。
そのときのことを思い出し、鏡の前でクスリと笑う。
今や考えられないが雪姫に対して“ワンチャン”あるかもしれない。と思ったのだ。
プライベートでは女性との関わりがほぼない名論永。
「いやいやいや」
と呟きながらも、新しい出会いにワクワクと
そしてどこか少しだけ下心を持って居酒屋「天神鳥の羽」へ向かった。
夕暮れ。夜よりも暗い気がする影。いつもの引き戸なはずなのに
その引き戸をスライドさせるだけなのに、心臓がドキドキと加速しているのがわかった。
引き戸のすりガラスから店内の明かりが漏れ出ている。
ドアノブというか引き戸特有の指を引っ掛ける凹みに指4本を入れて
ガラカラガラと引き戸をスライドさせる。左から右に。
スライドさせるのと比例してドキドキがうるさいくらい加速する。
「お!お疲れ様です!」
ワイヤレスイヤホンの音楽の奥から神羽の声が聞こえる。ワイヤレスイヤホンを外す。
「お疲れ様でーす」
と神羽に言いながらも店内を見回す。
するとテーブルセッティングをしている見知らぬ女性がいた。女性が振り返り
「あ、お疲れ様です!」
と名論永に挨拶する。
「あぁ。お疲れ、様です」
「今日から入ってもらいます、金城崩(かなしろほう) 夏芽(なつめ)さんです」
神羽が紹介する。
「あ、本日からお世話になります。金城崩(かなしろほう) 夏芽(なつめ)です。
ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
ほんのり褐色肌の夏芽がダークブラウンの、肩にまではかからないくらいの綺麗な髪を揺らし、お辞儀をする。
「あ、一目好(ひともす) 名論永(めろな)です。こちらこそよろしくお願いします」
と名論永も頭を下げる。
「基本的にはこちらのめろさんにいろいろと教えてもらってください」
「めろさん」
「あ、あだ名です。ま、全員にあだ名ついてるタイプの居酒屋じゃないので安心してください。
…安心してくださいってのも変か」
と笑う神羽。
「よろしくお願いします」
「あ、いやいや。あ、まあ、はい」
「ま、教えることなんてほぼないと思いますけどね」
と話していると
「お疲れ様でーす」
と雪姫が入ってきた。
「おぉ!お疲れい!」
いつもと違う神羽の声に違和感を覚え、ワイヤレスイヤホンを外すときに
見慣れた店内に見慣れない女性がいるのを確認した。
「あ、本日からお世話になります。金城崩夏芽です。
ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします!」
とうるさくない程度の元気いい挨拶をする夏芽。
「うす。…梨入須(ないず) です。よろしくお願いします」
虚空に言うように、夏芽のほうを見ることなく言って、更衣室というか控え室へ消えていった。
「あ、気にしないでいいっすよ。あいつ人見知りなんで」
神羽がフォローする。
「あ、そうなんですね」
「じゃ、めろさんも着替えてきてもろて」
「りょーかいっす」
名論永も着替え、なんて大層なことはしないが、荷物を置いてエプロンをつけてホールに戻る。
話しかけようか迷ったが“仕事”ということで
でもやっぱりドキドキして、緊張しつつも意を決して話しかけることに
「…あぁ〜…」
と人に話しかける第一声ではない第一声が出た。
「まあ、基本的には」
「はい!」
「そんなに大きな居酒屋じゃないので、一気に注文が入るってことはないと思うし
常連さんも多いので、ある程度待ってくれると思うので、ゆっくり覚えてもらったらいいと思うんですけど」
「はい!」
「そんなに多く注文されることもないので、…ま、たまにありますけど。
飲み物はカウンターの店長、もしくは自分に言ってもらえたら作るので」
「はい」
「で、食べ物はキッチンの、さっきの梨入須さんに伝えてもらえれば作ってくれるので」
「梨入須ってさっきの人見知りね」
と神羽が言う。
「あぁ」
となんと反応していいかわからず苦笑いで応える夏芽。するとキッチンの暖簾の下から足が伸びてきて
「イテッ」
神羽の足を蹴った。
「聞こえてたみたい」
と笑う神羽。
「とりあえず今日はそんな感じでいいですかね?」
と名論永が神羽に確認する。
「うん。いんじゃないっすかね。ま、初日だし、とりあえず注文聞いて伝える。だけやってもらえたら」
「わかりました!」
「じゃ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
ということで開店時間になったので
「あ、じゃあ、この暖簾を外の入り口の上にかけてきてください」
「わかりました!」
と全員で暖簾をかけたり、提灯のライトをつけたり、看板のライトをつけたりして、いざ開店。
夏芽はバイト初日で緊張しているが、開店してすぐにはお客さんは来ない。
しばらく待ちの時間があり、初めてのお客さんがご来店。
「いらっしゃいませ!」
元気のいい挨拶。
「こんにちぃ〜…お」
「あ」
「夏芽ちゃんじゃん!」
常連さんの奥樽家(オタルゲ)さんの娘の奥樽家鳥希(とき)だった。
「あぁ!鳥希さん!」
「ほんとに働いてる」
「鳥希ちゃん!割とひさびさじゃん?」
神羽もカウンターに身を乗り出す。
「いやぁ〜お父さんから夏芽ちゃんがここで働き出すって聞いて、仕事放り投げて来ちゃいました」
「カウンターでいい?」
「はい」
「じゃ、そうだな。ま、知り合い相手だし、練習としてはちょうどいいかな?
ちょ、金城崩さんカウンター来て?」
と夏芽をカウンターの中に呼ぶ神羽。
「はい!」
「おしぼりがカウンターのこの下にあるので1本取ってもらって」
「はい」
夏芽がビニールに入ったおしぼりを1本取る。
「んで、ビニール。端っこを引っ張れば取れるんで」
「はい」
夏芽がおしぼりを包んでいるビニールの端っこを引っ張る。
すると軽くパンッっという音がしてビニールが千切れる。
「で、中のおしぼり出して、ビニールはゴミ箱に捨てて」
言われた通りのする夏芽。
「でおしぼり置いてた場所の横に」
と言うと夏芽はしゃがんで指を指す。
「そう、それです」
夏芽はプラスチックのおしぼり置きを手に取る。
「それに乗せてお出しする感じっすね」
「なるほど。わかりました」
「で、お出しするときも「おしぼりになります」とかなんか一言添えてお出しする感じです」
「わかりました」
「じゃあ」
と鳥希に出すように促す。
「はい。…こちらおしぼりでございます」
ちょい硬いな
と神羽も名論永も鳥希も思ったが
まあ、初日だしな
とも思った。
「んで、ま、カウンターのときは基本自分がおしぼり出してくれた横でお冷を出すんですけど
テーブル席のときはまずおしぼり出して、で、お冷を出してって感じですかね。
ま、ホールに出てる人、ま、めろさんか金城崩さんかですけど
どっちかが飲み物とか食べ物お出ししてるときは、カウンターから連携してお出しするってこともしばしば」
「なるほど」
「ま、基本はさっき言ったみたいに自分かめろさんがお冷用意してお出しするけど
ま、鳥希ちゃんだし、少しくらい待たせてもいいから、やってみますか」
「おいおい」
ツッコむ鳥希。
「はい!」
「はいじゃない。はいじゃ」
ツッコむ鳥希を無視してカウンター内で神羽が説明する。
「これが普通の水道。ここはグラスとか空いてる時間に洗えそうな軽いものを置いたりとか
あとは手洗ったりとか。そんなとこ。でこっちのがお冷用ーというか
ま、飲むための水の水が出るとこって言ってて変なこと言ってると思いますけど
ま、例えば水割りとかそーゆーのにも使います。ま、お酒作りとかは後々覚えてもらうとして今は置いといて。
グラスをここのレバー部分に押し当てることで水が出るので」
「あぁ。あのファミレスとかの」
「そうそうそうそう。それです」
無言で「やってみて」と言われてやってみる夏芽。
「そんな感じでお冷入れてお出しすると。
外の気温によってはお冷にも氷入れたりするけどー…ま、今は氷なしでいいかな」
「はい」
「じゃ、お出ししてください」
「お冷でございます」
「はい。どうもでーす」
「てな感じです」
「はい」
「あ、ちょ、鳥希ちゃんさ」
「はい?」
「あっちのテーブル席座って」
「え」
「一旦一旦」
「しゃーないなー」
「すんませんねぇ〜。あざす」
神羽に言われてカウンター席から立って、一旦テーブル席に座る鳥希。
「で、カウンター席の注文は基本カウンターにいる自分が取るし
あとカウンターにいるときはめろさんとか金城崩(かなしろほう)さんにも取ってもらうけど
基本的にはテーブル席のほうの注文を取ってもらいます。まあ…うち激騒ぎする居酒屋じゃないし
狭いから、テーブル席からの注文も基本的にはテーブル席からカウンターに向けて
デカい声で言ってくれるお客さんがほとんどなんだけど
たまに新規の方で「すいませーん」って呼んでくれるお客さんもいるから
そのときは、あ、鳥希ちゃん。呼んで」
「へいへい。…あ、すいませーん」
と鳥希が手を挙げる。
「こーゆーときはカウンターから出て、テーブル席のほうに行って
注文聞いて帰ってくるみたいな感じですね。…あ、めろさんやってみてくれます?」
と言われて
「うす」
と名論永がカウンターを出てテーブル席へ。
「うお。めろさんか」
「あ。おひさしぶりです」
「覚えてます?」
「あ、はい。たまに結構来てくれるので」
「おぉ。たまに結構ね。たしかに」
「ご注文お伺いします」
「あぁ。はいはい。じゃーあーとりあえず生とチーズちくわの磯辺揚げお願いします」
「生ビールとチーズちくわの磯辺揚げですね。少々お待ちください」
「みたいな感じですね」
と神羽が言う。
「なるほど」
「あ、鳥希ちゃん戻っていいよー」
「客使い荒いなぁ〜」
「はい。生ビール」
「はや!」
「とりあえず生って聞いた時点で入れたからね」
「あざす」
「で、料理の注文が入ったときは、カウンターのこの暖簾から顔突っ込んで
キッチンの梨入須(ないず) の雪姫(ゆき)ちゃんに伝えると。やってみてくだせー」
「はい!…」
ドキドキしながらも暖簾から顔をツッコむ夏芽。
「あ、あの。チーズちくわの磯辺揚げを、お願いします」
と言った。緊張で食べてもいないチーズちくわの磯辺揚げが口から出そうになりながら。
「うす」
という素っ気ない返答で作り出す雪姫。
「ま、てな感じですね。ちなあの反応はデフォなんで、あまり気にしないでいいですからね」
「わかりました」
「それにしても本当に働き始めたんだねぇ〜」
鳥希がジョッキを置いて夏芽に言う。
「はい。鳥希さんのお父さんのお陰様で」
「そうだ、鳥希ちゃん。お父さんと一緒には来なかったんだね?」
と神羽がカウンターに肘をつきながら言う。
「あ、うん。いや、朝…かな?聞いたの。
ま、家(うち)でお母さんとお父さんと3人でご飯食べてるときにお父さんから聞いたの。
今度の木曜に夏芽ちゃんがバイトし始めるって。
どうせお父さん行くんだろうなぁ〜って思って、お父さんが来る前に切り上げようと思って」
「えぇ〜。切り上げちゃうのね?」
神羽がタバコを咥えて火をつける。
「うん。お母さん1人で夜ご飯はね。寂しいじゃん?」
「なんつー優しい子なんや!」
「…ありがとうございます。タバコ臭っ」
そんな話をしていると神羽の足が蹴られる。
「お」
キッチンの暖簾から伸びる手。
その手の先にはチーズがちくわの穴からトロッっと出ているちくわの磯辺揚げが乗ったお皿が。
「こんな感じでキッチンから手が伸びてくるから、それで受け取ってお出しするって感じです」
と説明を受け、神羽が無言で「受け取って」と言うので夏芽は
「ありがとうございます」
と言って受け取って
「お待たせしました。チーズちくわの磯辺揚げになります」
と鳥希に出した。
「お。ありがとうございまーす。いただきまーす」
「あ、そうだ。お通し!お通しの説明もしなきゃ。お通しはキッチンの暖簾に手突っ込んで、横の壁を」
と言って神羽は壁をノックする。
「ノックして」
と言った後、突っ込んでいた手をカウンター側に戻して
「1人だったら1」
と人差し指を立てる。
「2人だったら2」
先程の人差し指を立てた手に今度はピースのように中指を立てる。
「こんな感じでキッチンにいる梨入須(ないず)に見せたら梨入須が作ってくれるんで」
と言っていると神羽が手をキッチンに入れた時点で気づいて作ったのか、早々にお通しを持った手が出てきた。
「おぉ。こんな感じ」
神羽が受け取って、なにも言わずに鳥希にお通しを出す。
「ま、全体の流れはこんな感じですけど
今日はとりあえず注文聞いてその注文を伝えてくれれば大丈夫です。そんな忙しい店じゃないので」
「わかりました」
「そうだ。鳥希ちゃん、今日お仕事は?」
「ん?ありましたよ?…うまっ」
「お仕事終わり?」
「うん。直(ちょく)で来た」
「あぁ。そうなんだ?」
「鳥希さんってたしか亀池(きゅうち)学園の」
「うん。センセーしてます」
「なんの教科だっけ?」
「I teach English at a high school」
「あぁ、英語だ」
「たしかお姉さんも教職なんですよね?」
「あぁ。うん。達磨で地理教えてるよ」
「!そうだそうだ!奥樽家(オタルゲ)さんから聞いて「母校っすよ!」って話したの覚えてるわ!」
「あ、店長さん達磨なんですね」
「うん。なんで?」
「いや、特に理由があるはないですけど」
「「ないんかい」」
神羽と鳥希が軽くコケた。
「そういえばお姉さんに会ったことないな」
「ま、お姉ちゃん1人暮らししてるんで」
「え!あぁ!なんか聞いてたわ。実家からでも通えるのにわざわざ部屋借りたって」
「そうそう。たまに遊び行ってる」
「へぇ〜。仲良いね」
「まあ、仲は良いよ。同じ教職で大変なのもわかるしね」
「今度2人で飲みに来なよ」
「う〜ん。お姉ちゃん来るかなぁ〜」
「飲めない人?いや、別に飲まなくてもいいけど」
「いや?一緒に飲むこともあるからそれはへーきだけど…。ま、誘ってみるわ」
「うん」
と話していると段々をお客さんが増え、忙しくなっていった。