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会社のデスクに着いた愛理は、ホッと息を吐きだした。

職場に来て安心するなんて、自宅ではそれだけ気持ちを張りつめていたんだと自覚する。


朝の自宅マンション、TVからニュース報道を垂れ流しながら、何食わぬ顔で淳と向い合せに朝食を取ることが、こんなにも苦痛を伴う作業になるなんて思わなかった。

裏切者と心の中で毒づき、砂を噛むように味のしない朝食を食べ、作り笑顔を張り付け会話をするのは、神経が焼き切れるようなキツい時間だった。


── 真面目に仕事をして、家庭も大事にしてきたはずなのに、なんで私がこんな思いをしなければならないの?


席に着いたばかりなのに、イライラと立ち上がった愛理は、気持ちを切り替えるために部屋の隅にあるコーヒーメーカーのスイッチを押した。自分のマグカップにコーヒーが注がれていく。香ばしい匂いが立ちのぼり、少しだけ癒されるような気がした。


愛理は、株式会社AOAに勤めるインテリアコーディネーターだ。

自社の設計士と依頼主と一緒に打ち合わせを重ね、依頼主のイメージや好み、ライフスタイルと合うように、素材のサンプルやカタログを用意。

室内レイアウト、内装に使う壁紙やカーテンの材質や色、設備機器・照明や家具の選択・配置などを考え、より良い生活を提案するのが仕事の内容だ。


デスクのPCを立ち上げ、依頼主と打ち合わせをするための資料をダウンロードしてまとめようとモニターに向かった。


今回の依頼主のリクエストはアジアンスタイル。

輸入家具の販売を手掛けている業者を登録してあるフォルダを開いた。

表示されたアドレスから、お気に入りのショップのホームページを開くと、自宅マンションでも使っているラタンのソファーセットが画面に映る。


途端に意識は、昨晩の事に引き戻された。

ラタンのソファーセットで過ごした辛い時間。スマホに映し出された楽しそうなLIMEのやりとり。薄暗い部屋でそれを眺めるみじめな自分。

胸の奥が石でも飲み込んだように重くなっていく。


──お気に入りのラタンの家具を見て、こんな嫌な気持ちになるなんて……。


嫌な気持ちが拭えず、洗面所に入った。冷たい水で手を洗い、何気なく目の前の鏡を見ると、疲れた顔をしている自分が映っている。


どちらかと言えば童顔だったはずなのに28歳より老けて見える。

黒い髪を長く伸ばし、それを夜会巻きにアップしているのがいけないのだろうか。黒縁の眼鏡と相まって、キツい印象なのかもしれない。

密かに陰でお局様と呼ばれているのを聞いたことがある。

こんな見た目だから浮気をされてしまうのかも知れない。と、思考がネガティブのスパイラルに陥っていく。


仕事に集中できない。誰かに話を聞いてもらいたい。

縋るような思いで、スマホのアプリを立ち上げ、高校から付き合いのある岡田由香里の名前をタップし、メッセージを打ち込む。


『相談したい事があるんだけど、忙しいかな?』



◇◇◇

「ごめーん。待った⁉」


ブルーグレーのスーツを着こなした岡本由香里が華やかな笑顔を浮かべ、向かいの席に腰を下ろした。


「忙しいのに呼び出しちゃってごめんね。由香里は、相変わらず綺麗にしてるね」


「ふふっ、ありがとう。ほら、自分自身が看板ってところもあるじゃない? 愛理は疲れた顔して、チケットあげるからお店に来てよ。癒してあげる」


岡本由香里は、都内に3店舗あるエステサロン modération (モデラシオン)の経営者。抜群のスタイルに華やかな見た目、それでいてサッパリとした性格は女性が憧れるタイプだ。

由香里は隣の椅子の上に置いたブランドのバッグを開き、modérationのチケットが入った高級和紙の封筒を愛理の前へ差し出した。そして、心配そうな瞳を向ける。


「相談って何があったの?」


「うん……」


いざ話をしようとしても言葉に詰まった。


「そういえば、美穂から連絡あって、週末にみんなで集まって食事でもって言っていたよ」


話しにくそうにしている愛理の様子に、由香里が違う話題を向ける。

だけど、大学時代に同じサークルだった朝比奈美穂からの食事の誘いに、愛理は、あまり気乗りがしない。朝比奈美穂がどうのというより、美穂と仲の良い佐久良が好きではなかったからだ。華やかな由香里や美穂には好意的なのに、地味な愛理には見下したような態度で接してくる、佐久良の事が苦手だった。でも、自宅で淳と顔を合わせるよりもマシな気がした。


「わかった。予定空けておく」


と言ったタイミングで注文していた料理が運ばれてきて、カルパッチョやアクアパッツァ、バーニャカウダがテーブルの上に並ぶ。ロゼスパークリングワインの口が切られ、グラスに注がれる。淡いピンクの液体にシュワシュワと炭酸がはじけ、口をつけると、ほんのりとベリーの味わいがある。

  だいぶ前のクリスマスに淳と飲んだ事を思い出した愛理の胸がツキンと痛んだ。そして、細く息を吐き、ゆっくりと話しだす。


「あのね……淳がね、浮気しているみたいなんだ」


「えっ? なんで、そう思ったの⁉」


「淳のLIMEにね。今度いつ会えるって、ハート付きのメッセージが送られて来たのを偶然見ちゃった……」


愛理は言葉を吐きだし、涙をこらえるように天井を見上げた。店の天井から下がったシーリングファンが、クルクルと何もない空間をかき混ぜているのが目に映る。

息を吸い込み気持ちを整えてから、スマホに残した証拠の写真を由香里に見せた。

それを見た由香里は、眉間を寄せて険しい表情になる。


「そっか……。で、愛理はどうするつもりなの?」


「もう少し、浮気の証拠を集めてから考えようかなって……。でも、離婚はなぁ。淳の会社に実家がお世話になっているから、こっちから離婚とか言い出しにくいんだよね。自分一人ならどうにかなるけど、親の分まで養えきれないし……」


「親に話したの? 相談しないうちに一人で抱え込んでも良くないと思うんだけど」


由香里の言葉は、至極当然な事だった。一般的に見て子供の不幸を願う親は居ないはず。けれど、女に生まれたというだけで、幼い頃から”役立たず”と言われて育った愛理には、親にとって都合の悪い話をすれば、何を言われるか想像がついた。


離婚をして実家の工務店が契約を切られれば、再び役立たずのレッテルを貼られる。そんな事を考えると、親に離婚の相談をしても自ずと結果は見えている気がした。


「うん、そのうちにね……親にも言うよ」


そう言って、黙り込んだ愛理の心の内を察したように由香里は寂しげに微笑した。

由香里は、ワイングラスを揺らしながら、独り言のように話し始める。


「わたしは、結婚って制度はムダだと思っているの。だって、結婚すると、女は不利になる事って多いじゃない?」


確かにそうだと愛理は思った。特に淳のような家事は女がやって当然の昭和的な考えは、共働き夫婦には妻の負担が大き過ぎる。


「フランス式に同棲と結婚の間ぐらいがちょうど良いんだけどなぁ。結婚しなければ、家と家の繋がりとかで、親に煩わされる事もないんだから」

 

愛理の言葉に頷いて、由香里はワインを口にした。そして、残りのワインをグラスの中でゆっくりと回しながら話を続ける。


「本当にそうだよね。パートナーでちょうどいいかも。その方が対等な関係でいられる気がする。結婚すると苗字が一緒になるでしょう。相手の姓に入るとか嫁入りに直結して属物になる感じがイヤだわ」


「結婚したら幸せになれると思っていたのにね。おとぎ話でも王子様と結ばれて、めでたしめでたしで終わりでしょう。その先に不幸な続きがあるなんて、夢にも思わなかった」


テーブルの上にあるグラスに、手を添えている愛理を慰めるように、由香里の手が重なる。そして、長いまつ毛に縁どられた瞳が愛理を捉えた。


「別れられない事情があるなら、外にパートナーを求めてみたら? 不倫って、1回でもSEXをしたらそこに気持ちがなくても不倫なんだって。でもね、証拠が無ければ不倫の認定は受けないんだよ」


「えっ⁉」

愛理は由香里の言っている言葉の意味がわからず、目を見開く。すると、蠱惑的に由香里が微笑んだ。


「不倫は良くない事だけど、刑事罰があるわけじゃないし、前科が付くわけじゃないの。最悪、民事で揉めるだけなんだよね。でも、淳クンが先に裏切ったんだから、愛理も外に求めてもいいんじゃない? バレ無ければ平気だし、バレても淳クンだって遊んでいるんだからお互い様よね」

「そ、そんな……」

戸惑う愛理に誘うような瞳を向けたまま由香里は声をひそめ話を続ける。


「愛理、最近、いいSEXしてる? 大切に扱ってもらって、体の奥から沸き立つような快感を感じていないんじゃない? 正直いって、エステ受けるよりキレイになる効果はあると思うんだけど」


「だって、私、結婚しているのに、外にそんなの求めるなんて」


淳とは、ここ半年ばかりSEXレスになっていて、それを寂しいと感じていた。だからといって他に求めるなんて考えた事もなかった。愛理は誘うような由香里の瞳から視線を外し彷徨わせた。

すると、愛理の手に重ねていた由香里の手がスッと引き、焦った愛理の視線はその手を追うように動いた。彼女の綺麗な指先が赤いトマトを掴んで、口元に運び、艶のあるピーチオレンジの唇が動く。


「最近、マッチングアプリで、相手を見つけているんだけど、愛理もどう?」


由香里の口の中で赤いトマトが咀嚼された。


「マッチングアプリなんて、危なくないの?」


「ここのサイト、男性会員は有料で、変な人が居ないの。サイト内の掲示板で連絡取り合って、その後にレストランで待ち合わせをして、行ってみて気が合わなければ、ご飯だけ食べて帰れば良いのよ。危ない事なんてないわ」


あっけらかんとした様子でスマホの画面を見せられ、愛理はそんな出会い系アプリもあるのかと、何故か納得させられた。

由香里は手酌でグラスにワインを満たした。そして、少し酔ったのか目の周りを仄かに赤くして艶のある顔を上げる。


「時々、どうしたって、人肌が恋しい夜もあるじゃない?」

寂しくて人肌が恋しい夜……。

本来なら、夫の淳に慰めを求めるべきなのに、その寂しさを作りだしているのは、まぎれもなく淳だった。

だからと言って、出会い系サイトを使うのに愛理は抵抗を感じてしまう。


「んー、やっぱり出会い系とかは、怖いかな」


すると、テーブルの上にあった愛理のスマホを持ち上げた由香里は、慣れた様子でスマホをタップする。


「スマホ貸してね。登録だけしてあげる。後は愛理次第なんだし、使うときはサイト内の掲示板に日にちと場所を入れて、気に入った人を選べばいいのよ」


「あ、待って、私、そのアプリは……」


テーブル越しの由香里に向かって、声を上げようとした。けれど、出会い系アプリとか大きな声で言えずに、愛理は抵抗を諦める。


「まあ、使わなくたっていいんだから、”他にも男なんていくらでもいる”って、思えるでしょう? 御守りみたいなモノよ」


愛理は、手元に戻ったスマホの画面をしげしげと眺めた。その画面には、新しいアイコンが追加されていて、癒し系ゲームによくあるような可愛らしい子猫のイラストが描かれている。ぱっと見では出会い系サイトのアプリとはわからないデザインのアイコンだった。


「20代もあと少しなんだから、悔いのないように楽しく人生、生きなくちゃ。自分の人生は自分だけのものなんだから」


そう言って、華やかな笑みを浮かべる由香里は自信に満ちていた。


だって、しょうがない

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